病気の本当の原因、試し読み翻訳、その2
病気の本当の原因、試し読み翻訳の続きです。
医大で医師たちは、こう教わる、患者の症状によって病気を特定し、その治療のための薬を処方せよと。第一章で論ずることは、製薬企業の薬が患者の健康を回復せず、メリットよりも害になる理由である。
ワクチンについて広く信じられているところは、これが最も安全であり、最も効果的な方法だということだ、「感染源」によって起こされる病気を防ぐための。第二章では、ワクチンがいかに効果がなく、危険であり、なおかつ何の科学にも立脚していないことを示そう。
ある病気については、感染性であり、「病原性微生物」によって起こされるという考えがあるが、これは「細菌理論」に基づいている。第三章では、この理論が決定的に証明されたことなど無いことを示す。そしてまた、「細菌」として言及される微生物についての、広まっているほとんどすべての情報が全体的に誤りであることを示す。
第三章での「細菌理論」に対する反論が疑問を呼び起こすだろう。つまり「感染性」とされている病気の原因の本質である。第四章では、多くの「伝染性」とされる主な病気について、医学界から示される説明の中に内在する問題を暴露する。そしてまた、これらの出来事についての、より信頼できる、いくつもの説明を提供することにしよう。
多くの病気が人間と動物の間で移動すると主張される。第五章では、多くの動物の病気を検証し、これらの主張の欠陥的本質を示し、より信頼できる説明を提供しよう。この章ではまた、生体解剖の基本的な問題も説明する。これが病気研究の目的で行われる生きた動物実験に用いられるものである。
「有害物質とその影響」は、医学界も含む科学コミュニティで認められるよりも、はるかに人間の健康にとって深刻な脅威である。第六章では、主な毒物のソースについて見ていく、実際の化学物質と電気である。これらが環境を汚染しているのだが、これらの毒の主な適用例についても見ていく。この章ではまた、日常生活で使われる多種類の成分としての毒性化学物質を論ずる。例えば、家庭用品、コスメチック、パーソナルケア、食品、ドリンク、そしてまた、あまり知られていない利用例である。
医学界は、その「正確な」原因がわからないことを認めている、ほとんどの慢性的健康問題である。より広く呼ばれる名称としては、非伝染性病である。第七章では、多くの非伝染性の病気について論じ、その存在とこれらの「知識ギャップ」の範囲を暴露する。加えて、いくつかの既知の原因要素を検証し、また実質的にそれらすべてに共通の潜在的メカニズムの存在を説明する。
健康問題というのは、常に他の状況と関連しており、分離しては考えられない。その多くが世界中の人々の大きな割合に影響している。特に「発展途上」と言われる国々において。特に国連内部のものだが、国際組織は主張している、これらすべての人類に突きつけられた問題は21世紀に解決できると。しかし、この主張には根拠が無い。第八章で検証することは、これらの問題の解決を提供すると主張される直近の試みである。ここで特に強調することは、直接的であれ、間接的であれ、人間の健康に影響を与える点であり、またこれらの解決なるものが不適切であることを暴露しよう。なぜなら、彼らは、これらの問題の本当の原因に取り組みもしておらず、したがって、これを除去することはできないからだ。
「現代医学」なるものが、「病気」の問題についてに不適切な解決しかとれない理由がある。想像し難い多額が使われ、継続され、薬剤やワクチンの開発が行われるが、その理由としては、おおよそ「既得権益」の影響による。人生のキーとなる領域での、これら既得権益の存在と影響、これには医学界によるヘルスケアシステムも含まれるが、これらを第九章で見ていこう。
これまでの章で暴露した医学界によって示された説明の問題点をもとに、最後の章で説明するのは、「病気」の本質である。そしてまた議論することは、病気というものが、ほとんどいつも複数の原因の結果であり、そこには共通するメカニズムが存在することだ。第十章では、この問題を説明すると共に情報を示そう、いかにしてこれらの要因を遠ざけ、自身の健康に責任を持ち、管理できるかをだ。
それぞれの「病気」については「確立した定義」を使用するが、これは2007年版オクスフォード・コンサイス・メディカル・ディクショナリからのものである。そうでない場合は注釈を入れてある。
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第一章:病気への処方:健康のために死ぬ
「薬を使わない医師は、いつも薬の結果を処置することに忙しい」~ハーバート・シェルトン ND DC
「Medicine」という言葉には二つの利用がある。確立された定義としては、「病気の診断、処置、回避のための科学、あるいは実施」、そして「病気の処置あるいは回避のために使用される薬あるいは調合」である。
様々な薬や調合が「Medicine」と称されるが、これらは医療実施者がその患者に提供する「ヘルスケア」の核となる要素である。定義において「科学」という言葉があることで、そのような印象を与える。つまり、医療の実施には固い基盤があり、これは、科学的に確立された証拠に完全に裏打ちされていることだ。この定義にはまた、このような印象もある。薬と調合の使用は、同様に科学を基盤としており、その「医療」が対象となるものに適切であり効果的であることだ。
しかし不運なことに、真実からはほど遠い。病気の治療は回避に「薬や調合」を用いるいかなるヘルスケアの実施においても、「科学」的基盤は無いし、患者の健康を取り戻すことのできるものは無い。
このような宣言は、疑いなく、多くにとって激怒ものと映ることだろう。しかし、その真実性を否定することはできない、この章での病気に対する治療のための薬の使用の議論によってだ。病気回避のためのワクチンの使用については次章で議論する。
医学界の主張としては、数百の異なる病気があるという。それぞれ認識可能なユニークな一連の症状があり、適切な「医療」によって治療が可能だという。「医療」の目的は症状の停止である。その結果、その病気は治療によって成功裏に乗り越えられたと解釈される。
少なくともこれは理論である。しかし、実際の現実世界では、患者が経験するのが広範囲の異なる結果であることが、稀ではない。彼らが同じ病気であると診断され、同じ医療を受けていてもだ。このような広範囲の結果の現れが、直接的に理論に挑戦するのである。さらには、患者の中には、症状の完全な停止を経験する者があるが、この成功裏の結果は、医療のおかげではありえないし、健康を取り戻したことを意味するものでもない。この理由は後の章で説明する。
Medicineという言葉の定義の興味深い点としては、これが「治療」を指すことであり、病気の「回復」では無いことだ。理由としては、医学界が多くの病気について「不治」と宣言しているからである。こういった病気について、彼らの主張することは、適切な治療によって患者の状態を「管理」するということだ。つまり、彼らの症状は緩和されるだけであり、取り除かれるわけではない。
これは広く認められているところだが、医療は「副作用」を生じる。これは、事実上その治療から直接的に生ずる新たな症状である。この事実の重大性の報告は不十分であり、したがって、ほとんどは適切に評価されていない。しかしこれは、支配的医療システムの核となる問題である。新たな症状の発現は、基本的に新たな健康問題だからである。
明らかなことだが、病気への治療として使用される薬の有効性においては、幅広い違いのあること、そしてまた、これらが新たな症状を起こしてしまうことは、患者の健康状態を回復するためのこれらの「治療」の能力について、深刻な疑問を生じさせる。患者の回復が、「ヘルスケア」システムの根本的な目的であるべきだからだ。
WHOのウェブサイトでは、健康の定義を次のように述べている。
健康とは、完全な物理的、精神的、そして社会的な幸福状態であり、単に病気や欠陥が存在しないことではない。
この定義は、1948年にWHOが設立された時の憲章で最初に宣言された以来変更されていない。WHOは国連の機関であり、健康問題の「権威」として指定されている。これは、WHO憲章を批准したすべての国のすべての国民に対するものだ。言い換えれば、WHOは実質的に世界中のすべての国における健康政策を指示する。しかし、病気治療に関するWHOの推奨政策としては、ほぼ例外なく「医薬品」の使用を指定している。症状を緩和するだけで、病気を治すことが無いと認められているものをだ。
WHOの政策は明らかに一貫性が無い。どこであれ、すべての人のより良い健康を達成するという目標とは。特に、彼ら自身による「健康」の定義の文脈においてだ。
科学とは過程である。この過程には、人間知識のレベルを拡張するために、世界の様々な側面を研究することが含まれる。これら科学的調査の途中で観察された様々な現象を説明するための、仮説や理論の作成もまた必然となる。様々な研究や知識の中身が増えるにつれ、新たな情報が得られたり、既存の仮説や理論の特異点や矛盾が現れることがある。このような場合、その研究分野が何であろうが、科学者にとって必須となることは、これらの仮説や理論を新たな発見の日の下にさらし、再評価することである。この過程によって、支配的理論の改訂や改変が必要になるかもしれない。時には、新たな情報が、既存の理論の放棄と完全に新たなものへの置き換えを示唆するかもしれない。特に、新たな理論が、観測された現象について、より良くより説得力のある説明を提供する場合だ。
病気治療のための「薬」の使用を支える理論は、多くの特異性と矛盾を示す可能性がある。明らかにこれらは、完全な再評価を必要としている。しかしながら、そしてより重要なことは、他の理論が存在することである。それらは、人間の病気とその原因について、はるかに信頼でき、より説得力のある説明ができるものだ。これらの説明はまた、人々がその病気に対処する手段をも提供している。健康障害からの完全な回復と良い健康状態を取り戻す助けとなるものである、文字通りの意味でだ。
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