病気の本当の原因、試し読み翻訳、その4
病気の本当の原因、試し読み翻訳、その3の続きです。
ドクター・トーマス・サイデンハムは17世紀の医師であり、「英国のヒポクラテス」と広く知られている。彼もまた有用な、あるいは害のある考えのソースであった。後者の一つとしては、梅毒の治療には水銀が妥当だというものである。これが明確に示すのは、パラケルススの仕事の既存の医療分野での影響のレベルである。
16世紀、17世紀は科学が花開いた時期であり、特に欧州では、例えばロイヤル・ソサエティのような科学組織が1660年に設立された。科学的議論を行い、様々な科学者の仕事や発見についてその書き物を貯蔵するためであった。この時期の科学的進歩というのは、多くの発見やテクノロジーがあったが、それと共に既存のテクノロジーの大きな改善もあった。例えば、顕微鏡である。新たな、あるいは改善されたテクノロジーは、科学者が研究所で利用するのに極めて有用であった。そして、彼らの理論を確立し、科学的に証明する手段としたのである。「科学革命」として知られるこの時期に、科学者はまた新たな化学物質を発見し、新たな化合物を開発した。両者共に、科学実験のさらなるチャンスを提供することになった。人間の身体が本質的に「バランスさせる必要のある」化学システムであるという広まった考えによって、医療分野では広範囲の化学物質実験が推進されることになった。これは医療の柱であり続けている実践であり、特に医学研究におおいて、21初頭では。この時代は「医療ルネサンス」と「科学革命」を含み、18世紀にまで拡大し、エリート主義の態度を育成した。特に、「医学」の分野においてだ。これらの態度は、医大などの医学組織において支配的であったが、すぐに資格を持った医師たちが、その訓練下で養ったシステムと同じような見方を始めた。19世紀以前には女性が訓練されることは滅多似なかったため、これらの男性達は、自身の医療システムを唯一の「真」のものとして推進しようとした。つまり、科学に基づくエビセンスに立脚した唯一のものであると。
この時期が一般には「医療科学」の始まりと主張されているが、実際には医学的ドグマの始まりであった。
医学界は科学に基づくという見解を公布し、「ホラ」を打倒すると言う。「科学的」システムが病気の治療において有毒物質の使用を伴う事実にも関わらずだ。「ホラ」の定義に注意する必要があるだろう。これに含まれるのは、病気の治療能力に関する根拠の無い主張への言及が含まれる。この説明の重要性はますます明らかになるだろう、本章の議論を通じて。それとまた注意されたいことは、水銀ベースの化合物による梅毒の治療である、これが20世紀初頭まで続いた。水銀がこの病気を「治癒させる」証拠が無いにも関わらずである。しかしながら、他すべてと同様、水銀が有毒物質であり、大きな害を起こし、死亡にさえ至る可能性のあることには豊富な証拠がある。
科学に基づく医療システムを育成するというエリート主義の態度があったのは欧州だけではない。キャロリン・ディーン博士は、その本「Death by Modern Medicine」の中で、カナダの状況について言及し、こう言っている。
対症療法医が1759年から力を蓄え始めた。その当時、「疑うことを知らぬ対象」を、ホラ吹きや「ガマの油売り」から守るための法律が起草された。
にも関わらず、正統派つまり対症療法システムは、使っていたのである、患者を自然な健康状態に拡幅する能力があると科学的に確立されていない方法をだ。彼らの使ったいくつかの不愉快な監修は19世紀まで続いた。ハーバートシェルトンが「Natural Hygiene」でこう説明している。
患者は、出血し、水疱ができ、駆除され(?)、吐き出され(?)、麻酔され、水銀とアルコール漬けにされ、慢性的な病気か、あるいは死亡する。
これらの「治療」の多くは、伝統的な実践の続きであった。少なくともヒポクラテスの時代まで遡るものである。しかし、先に述べたように、これらの治療の結果はしばしば患者の死亡であった。つまり、それらの有効性の欠如と危険な本質という事実である。これらの実践や「薬」として使われる物質で起こされる害は見過ごされることはなかった。ハーバート・シェルトンが報告している。
その時代の医師には良く知られていた、この薬物が有害であることは。
これらが有害であるという知識にも関わらず、その継続的使用が示すことは、「毒」が「治療的」になりうるという考えの全くの誤謬を、「科学的」システムが認識できなかったことだ。彼らの訓練されてきた医療システムというのは、患者に対する「ヘルスケア」の提供を医師に身に着けなかったし、治療による害から患者を守ることもしなかったのである。にも関わらず「科学的医学」の推進者は、19世紀に彼らの支配をさらに増加させたのである。自身のシステムをさらに発展させ、医師資格のための正式な訓練手続きをより作り出すことによってだ。その支配を強化するため、彼らが実践したことは、その「科学的」システムの下で訓練された医師のみが、「本物」の医師と見なされるという教義である。そして、そのシステムで訓練をうけていない物は「ホラ吹き」と呼ばれることだ。
例えば、英国の「医療制度」の正式化が、1832年のBMA(英国医師会)の設立に導かれた、1855年までは別の名前の下であったのに。この組織の目的としては、BMAのウェブサイトの「History of the BMA」によれば、提供することだそうである。
医師が参加し、医学知識を進歩させ、交換できる「フレンドリーで科学的」なフォーラムです。
(メモ:P19)
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