日本国憲法の理念はどこからやってきたのか?

この記事の三行要約

  • 日本国憲法はGHQ関与の有無を問わず、近代西欧の憲法思想や戦間期国際法、大正デモクラシーの理念などを継承しており、その内容こそが重要である。そもそも誰が作ったかは問題ではない。

  • 押し付け憲法論は条文や理念の議論を避けて都合の良い憲法にするための政治的レトリックであり、特に参政党などは現憲法の中身の検証もせず、支持者にも考えさせず置き換えを図ろうとしている。

  • 現憲法には全面戦争放棄(9条)、天皇の象徴化(1条)、将来世代への人権保障(11・97条)、義務教育無償化(26条)、個人尊重(13条)など国際的にも珍しい独自条項がある。

日本国憲法押し付け論の本当の意図

歴史修正主義者によれば、日本国憲法はGHQの押し付けなんだそうです。だから変えねばならないと言います。この意見に私は反対です。つまり、押し付けとは言えません。

しかし、こういったデマを信じ込ませることの最大の意図としては、各条文の意味と出自を無視させ、議論させないためです。「押し付け憲法だから変えろー」と言いつのれば、現憲法の中身の議論をしなくて済むので楽ですね。

感情的な嫌悪感(「押し付けられたー」)を催させることによって、現憲法の条文の意味から人々を遠ざけるのが目的です。これらの面倒な議論、彼らにとって不都合な議論を迂回させるために、こういったデマを流すのです。物事を事実や論理ではなく感情的にしかとらえられない人が、こういったデマに安易に乗るわけです。

極端な話、仮に(仮にですよ)完全にGHQの押し付けであったとしても、中身がよければそれでいいはずです。本来は、現憲法の各条文をつぶさに見ていき、「ここはこうだから、こう変えよう」という議論になるはずです。しかし、これは不都合なのでやりません。この議論をしていくと、まず確実に「変えてはならない」という結論にしかなりようがないからです。だからそこを曖昧にするしかありません。もちろん、9条については議論が見られますが、その程度です。

特に参政党の悪質なやり方としては、「日本人のための憲法を」といった美辞麗句によって、現憲法を少しも検討することなく、まるごと無視し、都合の良いものに置き換えようと画策していることです。それが創憲案というものの正体で、これについては法律家からの批判があいついでいることはご存知でしょう。そして、この創憲案を見れば、参政党の正体・本質は簡単にわかると思うのですが、これをもってさえまだ理解できない人がいるようです。そして、その理由は彼らが現憲法の中身をまるで理解していないからです。

彼らが日々SNSで自由に意見を表明したり、街頭で活動したり、ときには立候補したり、投票したり、自由に職業を選び、稼いで参政党に献金したり、好きな人と結婚したりと、それらの人生すべてを保障しているのが現憲法であることさえ理解できてはいないのです。そして、「参政党の作ろうとする憲法だから自分たちは大丈夫だ、安全だ」との思い込みしかありません。さらに、その「新たな」憲法下で、それまでの人生と同じことができるとでも思い込んでいるのでしょう。

参政党は、その支持者に対して、現憲法の条文を逐一説明し、どのように変えるのか、あるいはどうして条文を削除するのかなどを啓蒙したり、議論することなどありません。そんなことをすれば、そもそもの参政党の意図がバレてしまうことでしょう。神谷という人物は、こんなことを平気で主張するような者ですから、いかに知性が低いかわかるというものです。

日本国憲法の理念はどこからやってきたのか?

GHQの押し付けだろうが、日本人が作ったのだろうが、そんなことは関係ありません。こういった議論以前に、憲法の条文がどんな理念のもとに作られたのかを考えねばなりません。そこで今回もAIに聞いてみました、「日本国憲法に記述されている理念のそれぞれは、歴史的はどのあたりから出てきたものでしょうか?」。


はい、日本国憲法の理念はすべて戦後にゼロから作られたわけではなく、国内外のさまざまな歴史的思想・制度から組み合わさっており、その多くは近代以前から国際的に形成されてきた原則の延長線上にあります。主要な理念ごとに、その歴史的な出自を整理します。

1. 国民主権(前文・第1条)

  • 内容:主権は国民に存する(天皇は象徴)。
  • 歴史的出自:
    • 17世紀 イギリス市民革命(権利の章典, 1689)で王権神授説を否定し議会主権を確立。
    • 18世紀 アメリカ独立宣言(1776)・フランス人権宣言(1789)で人民主権を宣言。
    • 日本では明治憲法(1889)下では天皇主権だったが、大正デモクラシー期に「民本主義」(吉野作造)が普及し下地に。

2. 平和主義(前文・第9条)

  • 内容:戦争放棄、戦力不保持、交戦権否認。
  • 歴史的出自:
    • ケロッグ=ブリアン条約(不戦条約, 1928):戦争を国際紛争解決の手段として放棄する国際合意。
    • 第一次世界大戦後の国際連盟規約(1920)でも武力行使制限の理念が登場。
    • 日本でも日中戦争期以前に一部の平和主義思想家・宗教者(内村鑑三など)が唱えていたが、国家政策にはならなかった。

3. 基本的人権の尊重(第11条・第13条ほか)

  • 内容:生命・自由・幸福追求の権利、思想・信教・表現の自由など。
  • 歴史的出自:
    • アメリカ合衆国憲法修正条項(権利章典, 1791)
      自由権の保障(言論・宗教・集会など)。
    • フランス人権宣言(1789)
      自由・平等・安全・財産の不可侵性。
    • 日本国内では、大正期の普通選挙運動・労働運動の中で自由権・社会権拡大の要求が強まっていた。

4. 法の下の平等(第14条)

  • 内容:人種・信条・性別・社会的身分による差別禁止。
  • 歴史的出自:
    • フランス人権宣言の「法の下の平等」原則。
    • アメリカ南北戦争後の合衆国憲法修正第14条(1868)で人種平等の原則が明文化。
    • 日本では戦前、法制度上は平等を掲げつつも、身分差別・女性差別・植民地差別が残存していた。

5. 議会制民主主義(第41条ほか)

  • 内容:国会は国権の最高機関、唯一の立法機関。
  • 歴史的出自:
    • 13世紀 マグナ・カルタ(1215) → イギリス議会制度の発展。
    • 19世紀以降の立憲君主制国家で議会制が確立。
    • 日本では明治憲法下で帝国議会があったが、天皇大権が優越していた。

6. 裁判の独立(第76条ほか)

  • 内容:すべての裁判官はその良心に従い独立して職権を行う。
  • 歴史的出自:
    • イギリスの司法独立原則(1701年王位継承法)。
    • アメリカ合衆国憲法での三権分立。
    • 日本でも大正期に司法権独立の理念は法曹界に広まっていたが、治安維持法などで制限された。

7. 社会権(第25条〜第28条)

  • 内容:生存権、教育を受ける権利、労働基本権。
  • 歴史的出自:
    • 第一次世界大戦後のワイマール憲法(1919):社会権を憲法に明記した初の近代憲法。
    • 国際労働機関(ILO)設立(1919)と労働者保護の国際潮流。
    • 戦前日本でも労働争議・小作争議の高まりの中で社会政策が議論されていた。

日本国憲法は、欧米の近代憲法・人権宣言の要素 + 戦間期の国際平和主義 + 戦前日本の民主化運動の蓄積を組み合わせたもの。戦後GHQが起草に関与したが、全くの輸入ではなく、大正デモクラシーや戦間期の国際法の流れを受け継いでいる部分も多い。 

日本国憲法の理念ごとに、その歴史的な出自を整理すると次のようになります。

憲法上の理念 内容 歴史的ルーツ
国民主権(前文・第1条) 主権は国民に存し、天皇は象徴 イギリス市民革命の議会主権(1689権利章典)、アメリカ独立宣言(1776)、フランス人権宣言(1789)、日本では大正デモクラシーの民本主義
平和主義(前文・第9条) 戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認 ケロッグ=ブリアン条約(1928)、国際連盟規約(1920)、国内では内村鑑三らの平和主義思想
基本的人権の尊重(第11条・第13条ほか) 自由権・平等権・社会権 アメリカ合衆国権利章典(1791)、フランス人権宣言(1789)、日本の普通選挙運動や労働運動
法の下の平等(第14条) 人種・性別・身分などによる差別禁止 フランス人権宣言、米国憲法修正第14条(1868)、日本では形式的平等は存在したが差別は残存
議会制民主主義(第41条ほか) 国会は国権の最高機関 マグナ・カルタ(1215)、近代立憲君主制の発展、日本の帝国議会経験
裁判の独立(第76条ほか) 裁判官の独立と良心に従う職務 イギリス司法独立(1701王位継承法)、米国三権分立、日本の大正期法曹界の理念
社会権(第25〜28条) 生存権、教育権、労働基本権 ワイマール憲法(1919)、ILO設立と労働者保護、戦前日本の労働争議や社会政策論

このように、日本国憲法は戦後GHQの関与で作られたとはいえ、多くの理念は近代西欧の憲法思想や戦間期の国際法、日本の大正デモクラシー期の運動を背景に持っています。


 

これらは人類の長年の苦難と叡智からやってきており、軽々しく否定されるべき筋合いのものではなく、まして「誰が作ったのか・書いたのか」は問題ではありません。人類の歴史を知ろうともせず、先人たちの努力を尊重もせず、何らかの邪心のある者が意図的に無視させようとしているのです。

もしこれらを否定するならば、米独立宣言、仏人権宣言その他もろもろのこれまで人類がたどってきた道筋まで否定しなければ辻褄があいません。改憲派・破棄派は、そういった議論をしていますか?

 

日本国憲法独自の点は?

次にこう聞いてみました、「近代西欧の憲法思想や戦間期の国際法などによることのない、日本国憲法独自の点はどこでしょうか?」。


 

「近代西欧の憲法思想や戦間期の国際法の延長線」ではなく、日本国憲法として特異性の強い点はいくつかあります。大きく分けると、理念面と具体条文の両方に見られます。

1. 完全な戦争放棄(第9条)

  • 特徴:単に侵略戦争の放棄ではなく、「国の交戦権」そのものを否認し、「陸海空軍その他の戦力は保持しない」と明記。
  • 国際的比較:
    • ケロッグ=ブリアン条約(1928)や国際連盟規約も戦争放棄を掲げたが、防衛戦争や軍備保持は否定していなかった。
    • 第9条のように憲法レベルで恒久的かつ全面的な戦力不保持を規定した例は当時ほぼ皆無。
  • 独自性:GHQ草案時の構想と日本側の承諾によって生まれた、戦後日本特有の平和主義条項。

2. 天皇の「象徴」規定(第1条)

  • 特徴:天皇を「日本国および日本国民統合の象徴」と定義し、権能を持たない存在とした。
  • 国際的比較:
    • 他国の立憲君主制では、元首としての権限(名目的・儀礼的権限を含む)があるのが一般的。
    • 「象徴」という抽象概念を憲法条文で定義し、国家元首か否かを明確にしない形は珍しい。
  • 独自性:天皇制を完全に政治から切り離し、文化的存在として存置する妥協案。

3. 普遍的基本的人権の「永久不可侵性」(第11条・第97条)

  • 特徴:「侵すことのできない永久の権利」として、現世代だけでなく将来世代にも保障する旨を明文化。
  • 国際的比較:
    • 人権を「不可侵」とする憲法は他にもあるが、「将来の国民にも保障」という未来志向の規定は珍しい。
    • 独自性:戦前の人権制限(治安維持法など)への反動として強調された、日本戦後の特殊な背景。

4. 教育の機会均等と義務教育の無償化(第26条)

  • 特徴:義務教育を「無償」と憲法に明記。
  • 国際的比較:
    • 戦前の日本や同時期の多くの国では、義務教育はあっても費用無償は法律レベルの規定か政策目標にとどまった。
    • 独自性:戦後の復興・平等政策の中で、経済的障壁を取り除くことを憲法原則とした。

5. 個人の尊重(第13条)の強調

  • 特徴:「すべて国民は、個人として尊重される」と明言。
  • 国際的比較:
    • 欧米憲法は「人間」や「人民」を前提に権利を規定するが、日本国憲法のように「個人」の尊重を条文冒頭に置く例は少ない。
    • 独自性:戦前の国家主義的価値観(国体・家制度)からの決別を明示。

近代西欧思想や国際法を踏襲した部分は多いですが、

  • 第9条の全面的戦争放棄
  • 天皇の「象徴」化
  • 未来世代への基本的人権の保障
  • 義務教育無償化
  • 「個人」としての尊重明記

は、日本国憲法の制定過程や戦後の特殊状況から生まれた独自要素といえます。

これらの独自性の強い条文と、海外憲法との比較表:

日本国憲法の独自理念と海外憲法との比較
条文・理念 日本国憲法での特徴 海外憲法との比較
第9条・全面的戦争放棄 戦争と戦力保持を全面否定し、交戦権も否認。 ケロッグ=ブリアン条約等は侵略戦争のみ禁止で、防衛戦争や軍備は容認。憲法で全面否定は当時ほぼ皆無。
第1条・天皇の象徴化 天皇を「日本国および日本国民統合の象徴」と定義し、統治権能を付与しない。 他の立憲君主制では元首として儀礼的・名目的権限が残る例が多く、「象徴」を条文で明示は比較的稀。
第11条・第97条 基本的人権の永久不可侵 人権を「侵すことのできない永久の権利」とし、将来世代にも保障する旨を明記。 不可侵性を定める憲法は多いが、未来世代への保障まで明文で示す例は少数。
第26条 義務教育の無償化 義務教育を無償と憲法で規定。 同時期の多くの国では法律・政策で無償化を実施するに留まり、憲法明記は比較的珍しい。
第13条 個人の尊重 「すべて国民は、個人として尊重される」と明記し、個人の尊厳・幸福追求を基軸に据える。 欧米憲法は人民・人間の権利を広く規定する傾向があり、「個人」尊重の強調を条文冒頭に置く例は多くない。

ということで、現憲法における「近代以前から国際的に形成されてきた原則」部分と現憲法独自の部分についてざっと見たわけです。次の記事では、この日本国憲法独自部分をさらに追ってみますが、正直なところ、そして恥ずかしながら、日本国憲法がこれほど優れたものとは思っていませんでした。

「憲法をちゃんと読め」とは良く言われることですが、おそらくその内容を読むだけでは理解は難しいと思います。

誤解を恐れずに、ごくごく簡単に言えば、我々の人権は憲法より上にあります。それが憲法に記述されているというのはある種の矛盾ですが、たとえ憲法からこれらが削除されようと、消えることはないのです。

それがわざわざ憲法に記述されている理由は、単に実効性の問題で、憲法から削除されてしまうと、裁判所や行政がそれを認めない可能性が高まるというだけの話なのです。

次の記事「我々の人権は憲法より上にある」。

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