
「三大ない」書籍について:ウイルスは存在しませんの続きです。
さて、主には製薬産業にとって「ウイルスない」という事実は非常に都合の悪いものです。もちろん、コロナ騒ぎでわかったように「ウイルスの恐怖」というのは、大衆支配にとっても非常に都合の良いものですから、この恐怖の概念を絶対に手放すわけにはいきません。
どんな手段を使ってもウイルスがあり、病気が移るという概念を何も知らない一般庶民には維持していてほしいのです。
そのために、いっけん「我々の味方」と思われる連中にも手を伸ばしているようです。いやこれは邪推かもしれませんが。しかし、物事の基本、科学の基本をわかってない者、故意に無視する者、何らかの影響力のある者が、研究所流出だとか、人工ウイルス説を流布したりするのは、向こう側にとっては大歓迎です。どんな形態であろうが、ウイルスの恐怖を維持できればそれで良いのです。ウイルス学の言うウイルスなるものは存在する証拠は一切ないので、研究所流出だろうが人工だろうが、これまたウソでしかありません。
ここでは後者の人工ウイルス説について書いてみますが、こういった戯言の主張としては、「ウイルスのゲノム配列が不自然だ。だから、人工的に作られたものだ」といった理解でおおよそ間違ってはいないでしょう。
しかし、そのゲノム配列なるものがまっとうなものなのか、そのゲノム配列を持つウイルスなるものが本当に存在するのか、そして、存在するとしたら、それが本当に病気を引き起こすことを確認できているのか等の点に、この主張を流布する者は一切触れません。まるでほっかむりです。こんなことがまっとうな科学によって確かめられたことは一切ないのです。都合が悪いので、この方向の議論は絶対にしません。
この「ウイルスのゲノム」なるものが、いかにしてでっちあげられたかについて少し説明します。
例えば、病人の体液からウイルスだけが取り出されたことは、ウイルス学の歴史上一度たりともありません。それどころか、体液中にはウイルス数が少なすぎるというので、特殊なサルの腎臓細胞など他のものと混ぜたもので「培養」することになっていることは前回説明しました。つまり、そもそも体液中に含まれる雑多もののに加えて、さらに別のものを混ぜ合わせるのです。これをウイルス学では一般に「分離」と称しています。
ここが一般の人が騙される大きなポイントです。何も分離していないのに、それどころか余計な物を加えているのに、「ウイルス分離に成功しました!」というのです。もちろん、この点は正々堂々と公に認められていることであって、誰も否定しようのない事実ですよ。次の感染研の記者会見を見てください。
この混合物中にあるはずのウイルスだけを取り出すことはできません。感染研の脇田所長は「他の方法で純粋なものにする」と言ってますが、これは理想論を述べただけの大ウソです。それができるなら、とっくの昔にやっているはずですよね。そして、記者会見でこんな大恥はかかなかったことでしょう。
ともあれ、ウイルスを本来の意味で「分離」することはできないのですから、まぜこぜの状態のままで「ウイルスのゲノム」なるものを取得しなければなりません。一体どうやるのでしょうか?
例えて言えば、鶏肉、牡蠣、豆腐、白菜、その他もろもろが入った鍋物の中から鶏肉を取り出せないごたまぜの状態で、鶏肉のゲノムを得たいというようなものです。どうしましょう?
その手順はこうです。最初にすべてのものをシュレッダーにかけて、ちりじりバラバラにしてしまいます。すると、何のものかわからないゲノムの断片が多数できます。そもそも動物のゲノムは30億程度、大腸菌は100万程度、新型コロナは3万程度なのですが、それらすべてをバラバラにして各数百程度の断片にしてしまいます。
これらを読み取ったデータをコンピュータに入れ、コンピュータが元通りに組み合わせるわけです。各断片がもともと何だったかわからないため、コンピュータは闇雲に組み合わせ、その組み合わせ方は数千万通りにもなります。その数千万通りの中から、「何らかの理由」をつけて「これが目指すウイルスのゲノムである!」と宣言するだけなんです。できあがった数千万の中のたった一つが「ウイルスのゲノム」として認められるのです。
わかりやすく例えてみますと、完成済みの鶏肉のジグソーパズル、完成済みの牡蠣のジグソーパズル、豆腐のもの、白菜のものなどがあるとして、完成済みだったもののピースをバラバラにして混ぜ合わせて一つの箱に全部入れてしまいます。これらのピースには何の絵も描かれておらず、手がかりがない状態でコンピュータが闇雲に組み合わせるんです。組み合わせ方は無数にありますが、その中のただ一つを選び、何らかの理由をつけて「これが鶏肉だ!」と宣言するのです。無茶苦茶です。
そして、ただ一つを選んだ理由というのが、これまた奇怪なのですが、過去に作成されたあらゆるウイルスの(もちろんでっちあげの)ゲノムデータベースがあるので、それを見て似たものを探すだけです。新型コロナウイルスの場合の最初のゲノムというのは、「データベースにあるSARS系ウイルスのゲノムに89%一致したから」という理由にすぎません。
データベースに登録されている過去のゲノムも同じようにしてでっちあげた代物で、それらがたくさん格納されているデータベースの中から似たものを探して「大きく似ている」という理由で、「これがウイルスのゲノムだ」として、この「新しく発見したウイルス」のでっちあげのゲノム配列を登録するわけです。将来的にもこれが延々と続きます。
二番目以降に発見された「新型コロナウイルス」のゲノム作成方法はずっと簡単です。最初に登録されたゲノムが正しいという前提なので、次の研究者は「そのゲノム配列に似るようにゲノム断片を並べていく」に過ぎないのです。
これも例えば言えば、塗り絵の枠が描いてあって、そこにモザイクのようにゲノム断片を当てはめていくだけなんです。でも、少しだけ違ってしまうので、それは「ウイルスが変異した」ということにしています。めでたしめでたし。
このようにして、世界中のあちこちで「俺もゲノムを得た、俺も俺も」と続き、デタラメな配列がどんどんとデータベースに登録されていきます。
そんな調子ですから、不自然な部分が出てくるのは当たり前、もしかしたら「ここんとこのピースが大幅に足りない」と言って研究者が「想像(創造)」した可能性さえあるでしょう。
まぁ、こんな調子であっても、そのゲノムを持つウイルスの存在がたしかに確認できるのであれば文句はでませんが、そんな検証はそもそもできません、ウイルスそのものを得られないのですから。できあがった「ゲノム」が実際に存在するかは神のみぞ知ることになります。
どうでしょうか?ウイルス学というのは、そもそも生体内(インビボという)では何も証明できないので、実験室内(インビトロ)で証明した証明したと言い募ってきましたが、最近ではコンピュータ内(インシリコ)で操作したこと、でっちあげたことを証明だと言い張っているわけです。
現実とは何の関係もありません。
こういった全くの架空の代物であっても、偉そうな人が言えば本当になってしまうという典型例と言えるでしょう。現代のウイルス学とはコンピュータ上での架空のゲノム遊びに過ぎないのです。
これについては、こちらのショート動画集スレッドをどうぞ。
こういったインチキを平気で行っているウイルス学者はもはや犯罪者と言えます。ウイルス学のインチキぶりに気づき、ウイルス学者の名前を返上したステファン・ランカは次のように言います。
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