参政党による「装置」としての天皇利用戦略

この記事の三行要約

山本七平・小熊英二の議論を踏まえると、天皇は「神」ではなく国家統合のための装置として利用されてきた。
参政党の言説や創憲案も、天皇を「元首」として再強化し、伝統や外敵論と結びつけて正当性の装置化を狙っている。
これは戦前から続く構図であり、「天皇を神と信じ込む者」と「装置と知りつつ利用する者」の両者が存在し、後者こそ真の冒涜者だと批判できる。 

この記事は、参政党や日本会議などは、またも神を冒涜しようとしていると、その続編参政党や日本会議などの、天皇を神としながらもその神の意思に背く欺瞞の続編です。

小熊英二の議論

以前に「山本七平や小熊英二なども、天皇を“実在の神”としてではなく“装置”として利用したことを繰り返し指摘しています」とのことでしたが、特に小熊英二の議論を紹介してください。

 

はい、小熊英二さんの議論ですね。彼は社会学者として近代日本の「ナショナリズム」や「天皇制」の社会的機能を分析しており、天皇を「宗教的存在としての神」ではなく、国民統合のための装置・制度として利用されてきたことを繰り返し論じています。代表的な議論を整理します。

1. 『〈民主〉と〈愛国〉』(2002)

  • この大著の中で、小熊は 「戦後日本の言説空間」をたどり、戦前・戦中における天皇制の意味を分析しています。

  • ポイントは、天皇は「宗教的信仰の対象」ではなく「国民を動員するための象徴」として政治に組み込まれた、という視点。

    • 「実際の政治権力者(軍や官僚)が正当性を得るために天皇を利用した」

    • 天皇個人の意志よりも、制度的に「権威の根拠」として動員され続けた

  • 小熊はこれを「ナショナルな正当化装置」と呼び、戦前の日本国家における「装置性」を強調します。

2. 『日本という国』(2005)・講演など

  • ここでも小熊は「日本人が天皇を“神”と信じていた」というより、「信じていることにする」ことで共同幻想を維持していたと説明します。

  • 天皇は「実在の神」ではなく、「国家を統合するための便利な象徴」であり、それが支配層・国民双方にとって有効だった。

3. 議論の特徴

  • 小熊は、いわゆる「天皇=宗教的絶対権威」という見方を退け、むしろ「近代国家が国民統合のために制度的に作り上げた装置」だと整理しています。

  • この点で、マルクス主義的な「上部構造のイデオロギー装置」や、ベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」論と響き合う分析です。

4. 要するに

小熊英二の議論は、

  • 天皇制は宗教ではなく制度的装置である

  • 権威者が正当性を得るために利用し、国民が共同幻想として受け入れた

  • その「装置」としての性格が、戦後の象徴天皇制にも形を変えて引き継がれた

という整理にまとめられます。

山本七平の議論

山本七平の議論を教えてください

 

山本七平の「天皇」論は、小熊英二よりも早い時期から注目され、しかも独特な視点で展開されています。代表的な議論を整理します。

1. 「天皇は“実在の神”ではなく装置である」

  • 山本七平は、戦前の日本社会で天皇が「実在の神」と信仰されていたわけではないと繰り返し指摘しています。

  • 重要なのは、天皇を「現人神(あらひとがみ)」と規定した国家体制そのものが、人々を組織化・統合するための制度的装置だったという点。

  • つまり、天皇は超越的な存在というより、「国家の一貫性・正当性を保証する装置」として機能した。

2. 『昭和天皇の研究』(1983)

  • 山本はここで、「昭和天皇自身も“神として振る舞う装置”に組み込まれていた」と論じています。

  • 天皇自身の意志や信仰よりも、制度や周囲の要請によって“神的存在”の役割を演じさせられていたという理解。

  • 例えば「天皇が戦争を始めた」「終わらせた」という物語も、実際には軍や官僚が天皇を“装置”として利用した結果であり、天皇が自由に決定したのではない。

3. 「空気」の中での天皇

  • 山本七平のもう一つの有名な概念が「空気の支配」です。

  • 日本社会では、合理的な議論よりも「その場の空気」が絶対化されやすい。

  • 天皇は、その「空気」を具現化する存在として機能した。

    • たとえば、昭和天皇が「終戦の詔勅」を出したとき、それは国民の“空気”を方向づける決定的役割を果たした。

    • 逆に戦前は、「天皇のため」という空気が膨張し、誰も止められなかった。

4. 山本七平の結論的視点

  • 天皇は信仰の対象というより「日本社会をまとめ上げるための制度的・心理的装置」だった。

  • その装置を利用したのは政治家や軍部であり、国民もまた「天皇がそうであること」を必要とした。

  • したがって、天皇制は宗教ではなく「日本人の社会構造に組み込まれた機能」である。

まとめ

山本七平は、

  • 天皇は「神」と信じられていたのではなく、

  • 「神」として振る舞わせることで社会を統合する「装置」となった、

  • その装置性を理解しないと、戦前の日本も、戦後の象徴天皇制も正しく理解できない、

と繰り返し論じました。

山本と小熊の「天皇=装置」論の比較

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では、山本七平と小熊英二の「天皇=装置」論を比較して整理します。

山本七平の視点(文化・心理的装置)

  • キーワード:「空気」「現人神」「装置」

  • 立場:天皇は「神」と信仰されたというより、「神であることにされた存在」。

  • 装置性の内容

    • 社会をまとめるための 心理的・文化的な装置

    • 「空気」によって天皇を“神”に仕立て上げ、その存在を通して人々を統合。

    • 軍部や官僚は「天皇のため」という大義を利用。

  • 特徴:宗教的信仰というより、日本人の社会心理・文化構造に根ざした「支配装置」。

小熊英二の視点(制度・社会的装置)

  • キーワード:「国体」「国家アイデンティティ」「共同幻想」

  • 立場:天皇は「超越的存在」ではなく、「近代国家が作り上げた統合の象徴」。

  • 装置性の内容

    • 国家権力の正当化のための 制度的・社会的装置

    • 「天皇を中心にした国民統合」という枠組みを、支配者も国民も「信じていることにした」。

  • 特徴:文化心理ではなく、国家制度・政治言説のレベルでの「装置」として分析。

✅ 共通点

  • 天皇を「実在の神」とみなすより、**政治・社会のための装置(機能・仕掛け)**として理解する点で一致。

  • 天皇制は「宗教」ではなく「統合の道具」であり、その役割を利用したのは権力側。

✅ 相違点

視点 山本七平 小熊英二
着目点 日本人の心理・文化的傾向(空気の支配) 国家制度・社会的枠組み(国体、共同幻想)
装置の性格 心理的・文化的装置 制度的・社会的装置
強調点 「信仰」ではなく「空気」が天皇を神にした 「実在」ではなく「制度」が天皇を国民統合の中心にした

まとめ

  • 山本七平は「文化・心理」的装置としての天皇を描き、

  • 小熊英二は「制度・社会」的装置としての天皇を分析する。

二人の議論はレベルが異なりつつも補完的で、合わせて読むと「天皇制がいかに“利用されたか”」を多層的に理解できます。

現代における“装置としての天皇”の残像

 

では「現代における“装置としての天皇”」について、山本七平と小熊英二の議論を土台に、戦後〜現在に残る構造を整理します。

1. 制度としての「象徴天皇」

  • 日本国憲法では天皇は「象徴」と規定され、政治的権力は持ちません。

  • しかし 「日本国民統合の象徴」 という規定は、戦前の「神としての天皇」と同様に、国民の精神的な一体感を担う装置的役割を残しています。

  • 小熊英二の言う「国家アイデンティティ装置」が、形を変えて続いているといえます。

2. 「空気の中の象徴」としての天皇

  • 山本七平の視点から見ると、天皇は依然として 「国民的な空気を方向づける存在」 になりやすい。

  • 例:震災や災害時の天皇・皇后の訪問が国民を慰撫する役割を果たす。

  • 国民の「空気」の受け皿として機能しており、政治的権力がなくても心理的・文化的装置としての役割は強い。

3. 政治利用の残像

  • 政治家や団体が「天皇の意志」を自らの主張に重ね合わせて利用するケースが、戦後も散発的に存在します。

    • 例:保守政治家が「天皇のご意志」を勝手に代弁して憲法改正や愛国教育を正当化。

  • 山本・小熊の分析から見れば、これは 「装置としての天皇」を再び政治的に利用する試み にあたります。

4. 国民の側の受容

  • 国民の多くは「天皇を絶対神とは信じていない」が、「日本の象徴」「安定感の源泉」としての意味を期待する

  • これは「信仰」ではなく、社会的・心理的に必要とされる装置性

  • 小熊のいう「共同幻想」、山本のいう「空気の支配」が、形を変えて持続している。

まとめ

  • 戦前:天皇は「現人神」として国家統合の装置。

  • 戦後:天皇は「象徴」として国民統合の装置。

  • 現代:政治的権力は持たないが、「空気」「共同幻想」を通じて社会を支える精神的装置であり続けている。

 

参政党のような運動が“天皇的装置”をどう利用しうるか

 
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では、山本七平・小熊英二の議論を踏まえながら、参政党のような運動が「天皇的装置」をどう利用しうるか を整理してみます。

1. 「天皇的装置」とは何か

  • 山本七平 → 心理・文化的装置:「空気」を方向づける存在

  • 小熊英二 → 制度・社会的装置:「国家アイデンティティを保証する仕組み」
    ➡ 天皇そのものを「神」と信じるかどうかではなく、人々をまとめる装置として機能する仕組みが本質。

2. 参政党が用いるレトリックとの重なり

(1) 「国柄」「伝統」「誇り」を強調

  • 参政党は「日本を取り戻す」「日本人の誇りを」と訴える。

  • これは天皇制が果たしてきた「国民統合の象徴」機能と響き合う。

  • 天皇を直接前面に出さなくても、「神道的価値」や「伝統文化」の強調は、天皇装置と同型のシンボル装置

(2) 「外敵」を設定して内部をまとめる

  • 「グローバリスト」「国際金融資本」「大手マスコミ」「共産主義者」などを“国を弱らせる敵”として提示。

  • これは「国体を守る天皇 vs 国体を壊す敵」という戦前の構図を思わせる。

  • 装置としての天皇の役割(=敵と味方を区切る中心)を、別の形で再利用している。

(3) 「カリスマ的リーダー」への集約

  • 神谷宗幣代表や演説者にカリスマ性を集中させ、「本当に国民のための政党」を標榜。

  • 戦前に天皇が果たした「統合の象徴」役割を、個人リーダーが代替する危うさ

3. 共通点と危険性

  • 共通点:

    • 「超越的権威」→「批判を超越した象徴」として利用

    • 「外敵設定」→「国体/国民の統合」を口実に排除を正当化

    • 「国民統合」→「自由な討議」より「一体感」を優先

  • 危険性:

    • 「象徴的装置」が個人や政党に置き換わると、異論が排除されやすい

    • 「本物の日本人」「国柄を守る者」といった排他的なカテゴリーが強調されると、民主主義が痩せ細る

4. まとめ

参政党は天皇そのものを直接持ち出してはいないが、

  • 神道的・伝統的言説の利用、

  • 外敵の設定による内部統合、

  • カリスマ的リーダーを中心とした一体化

といった点で、「天皇的装置」を機能的に再利用していると考えられます。

参政党「創憲案」から読み取れる装置としての天皇利用

こういった参政党による天皇の装置としての利用は、彼等の創憲案からも読み取れますね?
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はい、まさにその通りだと思います。参政党の「創憲案(独自の憲法草案)」を読むと、そこには 「天皇を国民統合の装置として再強化する」 方向性が色濃く出ています。ポイントを整理すると:

1. 天皇の位置づけの強調

  • 参政党の創憲案では、「天皇は日本国の元首」と明記されています。

  • 現行憲法の「象徴」規定(第1条)を超えて、国の統治構造の正統性を天皇に担わせる構想がうかがえる。

  • これは戦前の「統治権の総覧者」ほどではないにせよ、再び天皇を国体の核=正統性の源泉に位置づけ直すものです。

2. 伝統・文化との結合

  • 草案には「日本の歴史と伝統に基づく国柄」や「天皇を中心とした国民統合」といった文言が見られます。

  • つまり、天皇制を単なる儀礼的象徴ではなく、「伝統文化」や「日本人の誇り」を体現する装置として組み込み直そうとしている。

  • 山本七平が言う「空気」、小熊英二が言う「共同幻想」を制度的に補強する形。

3. 外敵論との接続

  • 参政党は他の場面で「共産主義者」「グローバリスト」「国際金融資本」などを“国体を弱らせる存在”として描きます。

  • 天皇を「国柄の象徴=日本の正統な装置」と再定義することにより、**「天皇を否定する勢力=外敵」**という構図を作りやすくなる。

  • これは戦前の「治安維持法的な論理」と親和的です。

4. 民主主義との緊張関係

  • 現行憲法では、主権は国民にあり、天皇はあくまで「国民統合の象徴」にとどまる。

  • 参政党案では、天皇に「元首」の資格を与えることで、主権者=国民の上に“国体の装置”を据え直すことになる。

  • これにより「国民主権」が相対化される危険性があります。

まとめ

参政党の創憲案は、

  • 天皇を「象徴」から「元首」へと格上げし、

  • 「伝統・国柄・誇り」と結びつけて統合の中心に据え、

  • それを支配層や運動の正当化装置として利用可能にする、

という構図が読み取れます。これは、山本七平や小熊英二が分析した「装置としての天皇」を、現代に再配置する試みといえるでしょう。

私の見方

つまりですね、戦前から現代までずっと行われてきたことは、天皇を神として祀り上げながらも、実際には自分達の支配体制のために使ってきたこと、またも使おうとしていることです。

これは、参政党に限らず、傲慢にも自らを「愛国者」と呼ぶ人たちに共通していることです。もちろん、これらは二種類に別れることでしょう。つまり、

  • 心底から「天皇=神」と信じている人たち
  • 「天皇=装置」とわかっていて利用しようとする人たち

前者のようなナイーブな人たちには早く目を覚ましてほしい。そして、「不忠(神の冒涜者)」の後者を排除することですね。

 

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