ジェイク・モーフォ二オス:闇から引きずりだし、光の下へ#2 オマハの恐怖

ジェイク・モーフォ二オス:闇から引きずりだし、光の下へ#1 世界最悪の邪悪の続きです。

オマハ

ネブラスカ州オマハ西部へのゲートウェイです。かつてオマハはインディアン部族の故郷でした。その名前自体が「断崖の住処」です。

ルイスとクラークはここを通りました、有名な探検の際に(1804~1806年)。後にこの土地は、毛皮取引のセンター、支店となりました。より現代になると、様々な発明で知られるようになりましたね。

レーズンブラン(ケロッグ)やルーベンサンドイッチなどです。ここは世界で最も大きなコングロマリットの一つの故郷です。バークシャー・ハサウェイです。世界一の金持ちの一人、ウォーレン・バフェットが支配しています。

しかし、1988から1991年のあいだ、オマハはより邪悪なもので知られるようになったのです。

奇妙なレポート

アメリカの中心で育ったものは邪悪であり、あまりに暗いものです。理解するのは難しいものです。ネブラスカ州の里親審査委員会による二年の調査によって主張されたのは、子供虐待の奇妙なレポートでした。これが州議会に送られました、さらなる調査のために。

この調査の情報というのは、大衆を芯から愕然とさせるものでした。オマハ内に、悪魔崇拝のカルトがあるのです、ここには高位の米国政治家やネブラスカ州の著名市民を含みます。彼らがシステム的にレイプ、切断、儀式的生贄、カニバリズムを行っていたのです、多数の子供のです。

発見されたことは、ネブラスカ州の里親システムから、ワシントンに飛ばし、セックスパーティーでの虐待を行っていたのです、力のあるエリートの。これは、ペドファイルリングにつながっており、これは犯罪ネットワークで、その多くがCIAによって行われていました。ここにはドラッグ密売や違法な武器取引も含まれます。

ローレンス・E・キング・ジュニア

子供売春リングの中心部には、フランクリン・コミュニティ・連邦クレジットユニオンがありました。この男が運営していたものです。ローレンス・E・キング・ジュニアです。共和党の急上昇中人物でした。

キングは裕福で、オマハの人間と強いつながりがありました。連邦クレジットユニオンのマネージャであり、数個の家とぜいたくな車の持ち主でした。ローレンス・キングは優雅な暮らしをしており、将来は明るいと思われました。

ウェブ夫妻

しかし、1985年、最初のお告げ、未来の大失敗がやってきたのです。6/10のことです。ネブラスカ州ワシントン郡のシェリフ事務所から連絡がありました、社会福祉局にです。彼らが、三人の里子と一人の養子縁組された子供を救い出したと。彼らは、ジャレッドとバーバラ・レブの家に住んでいましたが、虐待の申立てでした。

バーバラ・ウェブはローレンス・キングのいとこです。夫ジャレットは、キングのクレジットユニオンの重役でした。シェリフ事務所が発見したことは、ウェブが4人の子供を長いあいだ殴打してきたことです。子供の背中はミミズ腫れとひっかき傷で覆われていました、線路レールで叩かれたためです。

ネリー

さらなる調査で判明したことは、以前の数名の里子、養子縁組の子供が、ウェブの家から逃げ出していたことです。その中の一人が、ネリー・パターソン・ウェブです。16歳のときに家を逃れ、祖母の家に避難しているのを発見されました。

調査官にわかったことは、ジャレッド・ウェブが彼女にわいせつ行為をしていたことです、9歳のときから。ネリーの説明では、フレンチ・キスをされ、息ができなくなったそうです。時と共にわいせつ行為はますます悪くなり、ネリーは家から逃げ出したのです。より尋問が進むと明らかになったのは、さらに6人の子供がウェブ夫妻に拷問されていたことです。

彼らは、子供に裸を強制し、ゴム製ホースで殴りました。そして、数日にわたり食事を与えないのです。この主張を検証するため、ネリーは4度ウソ発見器にかけられました。すべてが彼女の真実性を示していました、混乱させることに。

検察官

州がジャレッドとバーバラ・ウェブの里子ケアライセンスを停止した後、郡の検察官が。。。彼の仕事はウェブ夫妻の犯罪を起訴することだったのですが、パトリック・トリップという男でした。ウェブの防御に回ったのです。彼はウェブに対するいかなる罪の申立も拒否し、公の声明の点では、証言の一致や、ネリーのウソ発見器にも関わらず、子供全員がウソつきであるとしたのです。

驚くべきことに、そもそもウソ発見器にかけることを主張したのは、トリップ自身だったのです。ウェブの子どもたちの主張の中には、他の子供のことも知っていると。特に若い男の子が虐待されたと。ボーイズタウンと呼ばれるオマハの大きな児童養護施設においてです。

ボーイズタウンのケアワーカーであるジュリー・ウォルターズが当局に話しました、彼女は郡の検察官パトリック・トリップに話したと。すると、トリップは全員に言ったのです、これらの虐待の主張すべてが真実ではないと。そして、さらなる調査をするいかなる理由もないと。

隠蔽

後にこの事件に関わった警察機関すべてが、この同じトリップの態度を報告しています。しかし、警察はその当時知らなかったのです、トリップには調査を終了させる理由があることを。

彼に近い友人二人が、ペドファイル虐待者として名指しされていました、ネリー・ウェブと彼女の妹キンバリーにです。

一人は学校管理者のデワード・フィンチで、もう一人は高校校長のケント・ミラーです。トリップの尽力により、ウェブ夫妻には何の罪も課されず、虐待についての何の社会福祉課の調査も成されませんでした。

なぜネリーと妹は、これらの男たちが子供わいせつ犯と信じていたのでしょう?尋問調書によれば、ウェブは子供に家でわいせつ行為をするにとどまらず、子どもたちをローレンス・キングのパーティーに連れて行ったのです。パーティーはよく金曜の夜に行われました。通常は、10人から15人の年寄りの男と、25人程度のティーンエイジャーの女の子です。

キングのパーティー

他のパーティーはキングの家で一週おきに行われ、そこでは、ボーイズタウン養護施設からの子どもたちが参加させられました。ウェブの子どもたちは、若いジョーイ・ウェブも含めて主張しました、このパーティーで男たちは、若いティーンエイジャーを選び、50ドルなり100ドルなりを渡し、金を払ったあと、選んだ子供売春婦を二階につれていくか、あるいは、家の別の部屋に行き、性行為に及んだのです。

ネリーとキンバリーが言うには、いくつかのパーティーでは、グループでの性行為が行われたと。人々は子供達を交換し、彼ら自身の親も含めてカップルでさえも、他のカップルと性行為を行ったとのことです。

ボーイズタウン従事者のジュリー・ウォルターズの報告では、子どもたちは常に傷害で脅迫されていたか、それ以上でした。そして脅迫は親からだけではなく、ローレンス・キング彼自身も行っていたのです。キングは何人かの子供の言っていました、見たことを話せば。足を折ると。

ジョージWブッシュ(父)

同じレポートの中で、ウォルターズは話しています、ローレンス・キングと妻が、その当時何人かの子どもたちを連れて、ここにはネリーとキンバリーが含まれますが、旅行に連れていったことです。シカゴやニューヨーク、ワシントンにです。ネリーが15歳のときです。ネリーを連れ出す口実としては、彼の若い息子のベビーシッターの役割ということです。

しかし、ネブラスカの家でと同じように、キングがネリーを連れていったパーティーには、高位のゲストがいました。彼女は、個人としてではなく、元副大統領のジョージ・ブッシュに会ったのです、パーティーの一つで。

そのパーティーで彼女が目撃したのは、年寄りの男による20代の若い男の男色でした。この話はイライラさせると思いますが、そのとおり事実としては、ネリーの話の記録は、三年前なのです、ワシントン・ポストが政界を揺れ動かしたときよりも。痛烈な一面の暴露です。ここで詳述されました、ホモセクシャルのコールボーイサービスネットワークの運営です、レーガン・ブッシュホワイトハウス内でのものでした。

そしてこれが最後ではなかったのです。ジョージ・ブッシュの名前は、この下劣な一連の事件の間に浮かび上がってきます。これは、様々な尋問調書の私による分析においてです。明らかですが、セックスパーティーは金儲けのためだけではなく、主な目的としては引っ掛けるためです、裕福な当局者、政治家、他の著名な市民です。そして彼らに金の脅迫をしたり、政治的優遇を要求するのです。

学校ぐるみ

キンバリー・ウェブに関するウォルターズの尋問調書では。。。彼女は当時16歳でしたが、彼女は母親バーバラの言うことを耳にしたそうです。

電話で他のパーティのことです、学校管理者デワード・フィンチについて。バーバラはこう言っていたそうです。「フィンチを捕らえたわ。彼は何度も黒人の女の子とやってた」(訳注:曖昧な言い方ですが、こういった意味でしょう)。

キンバリーによれば、フィンチはウェブの家を授業時間に訪れていたそうです。また、キンバリーが言うには母親はフィンチと校長に会うために定期的に学校に来ていたそうです。なぜなら、キンバリーには学校のメインオフィスにまたがる自習室があったからです(?)彼女は母親が学校のオフィスに行くのを、ときには大きなバッグを持っていくのを見ました。

そして、彼らと一緒に一時間滞在したそうです。キンバリーが言うには、彼らの寝室をのぞき見すると、彼女が言うには、バッグにはポルノ写真やビデオが入っていたそうです。しかし、パトリック・トリップ検察官の介入により、ウェブ夫妻も、学校当局者もローレンス・キングも調査されませんでした、その当時は。そして、当時この話しは終わったかのように思われました。

共和党パーティー

ローレンス・キングは共和党パーティーに招かれたのです、そこでジョージ・ブッシュの大統領候補指名大会のために国歌を歌いました。1988年のことです。ちょうど1984年にブッシュがレーガンの副大統領だったときのようにです。しかし、キングが逃げ切ったかと思っていたなら、それは完全な間違いでした。

なぜなら、1988年に新たな捜査が始まったからです。この捜査は世界的なヘッドラインを飾りました。ローレンス・キングの関わるまさに同じ陰謀団についてのものです。

しかし今回は、ウェブ夫妻について、あるいは以前の捜査について何の知識も無いところから非難がきたのです、この非難には、ただごとではない話がありました。悪魔的儀式的虐待と、犠牲となった子供の食人です。次回お話しします。この恐怖のストーリーをお話しします。この邪悪な子供虐待者の行いを暗闇から、光のもとに引きずり出すのです。

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