改憲派・破棄派の病理「自由を利用して自由を否定する」という自己矛盾

本記事の三行要約

  • 改憲派・破棄派は、現行憲法の自由を利用しつつ戦前の抑圧的体制を理想化するという自己矛盾を抱えている。
  • その背景には、史実との乖離や都合の良い記憶、心理的自己正当化、政治的戦術としての帝国憲法理想化がある。
  • 帝国憲法下の自由は法律次第で容易に縮減可能な条件付き自由であり、現行憲法の原則保障型の自由とは本質的に異なる。
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常々疑問ではあったものの、おそらく誰も答えてくれないだろうとあまり表明はしなかったのですが、改憲派・破棄派についての根本的な疑問として以下がありました。

改憲派・破棄派は現行憲法のもとで、自由な言論を行います。改憲や破棄、端的に言えば「帝国憲法に戻そう」などというものです。戦前・戦中の帝国憲法下においてはその種の議論はできなかったにも関わらず、平気で理想を帝国憲法とするようです。この矛盾をどう説明できるでしょうか?

AIの答え

ということで、例のごとくAIに助けを求めました。強調は私。


これは確かに大きな矛盾で、心理的・歴史的・政治的な要因が絡み合っています。整理すると、以下のように説明できます。

 歴史的事実と理想像の乖離

戦前・戦中の大日本帝国憲法下では、治安維持法や出版法などにより、政府や天皇制、軍部への批判はほぼ不可能でした。「改憲派・破棄派」が理想とする大日本帝国憲法は、多くの場合、史実としての運用実態ではなく、「理想化された幻想」として描かれています。実際の大日本帝国憲法は、運用面で天皇大権・軍部独走・議会軽視が顕著であり、自由な言論空間は存在しませんでした

「選択的記憶」と歴史修正主義

戦前体制を理想化する立場は、都合の悪い部分(弾圧・情報統制・軍部暴走)を軽視または無視し、都合の良い部分(「自主憲法」「国体護持」「道徳教育」など)だけを強調します。これは歴史修正主義の典型で、「過去を現在の政治目的に合わせて編集」する行為です。

 認知的不協和の解消

自分たちが今、現行憲法下で自由に政府批判や改憲主張をしている事実と、戦前の抑圧的体制を理想とする態度は矛盾します。この矛盾を減らすために、以下のような心理的処理が行われます:

「戦前は言論弾圧などなかった」あるいは「国を守るために必要だった」と事実を書き換える。「今の言論の自由は無秩序だから、制限した方が良い」と逆転論法を用いる。

政治戦略としての「帝国憲法理想化」

大日本帝国憲法を理想化することは、単に過去への郷愁ではなく、現行憲法の正当性を削ぐためのレトリックとして利用されます。「占領軍に押し付けられた憲法」という物語を強調することで、現行憲法の改正や破棄を正当化しやすくなる。実際には、帝国憲法そのものよりも「権威主義的・国家主義的な政治モデル」を復活させることが目的になっている場合が多い。

実用主義的矛盾の容認

現行憲法下の自由を「利用」して、現行憲法を攻撃することは、彼らにとって戦術的には合理的です。「不自由な社会を理想としながら、自由な社会でその主張を拡散する」という自己矛盾は、政治闘争上の便宜として黙認されます。つまり、「目的のために手段を選ばない」状態です。

 まとめ

この矛盾は、「史実と理想像の乖離」+「都合の良い歴史記憶」+「心理的自己正当化」+「政治戦術の便宜」という4つの要素で説明できます。戦前の実態をそのまま受け入れているわけではなく、「自由を享受しつつ自由を否定する」という倒錯した構造になっています。

それとも、帝国憲法下でも言論の自由はありえたのでしょうか?

と質問してみました。


形式的には、大日本帝国憲法下にも「言論の自由」に相当する条文は存在しましたが、実態としては極めて制限され、現代の自由とは別物でした。

帝国憲法における「自由」条文

第29条:「日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論出版集会及結社ノ自由ヲ有ス」
→ 一見すると現行憲法の第21条に近い文言ですが、決定的に違うのは
「法律の範囲内で」という但し書きがあること。

つまり、政府が法律で制限を定めれば、その範囲でいくらでも自由を縮小できる構造でした。

制限の実態

帝国憲法期には、この「法律の範囲内で」を根拠に、以下のような強力な制限法が存在しました。

  • 治安警察法(1900年~)
    労働運動、社会運動、女性の政治活動などを厳しく制限。
    集会・結社・言論活動に事前許可制や警察監視を導入。
  • 出版法(1887年~)
    政府に不都合な新聞・雑誌記事を発行前に差し止め可能。
    発行後も行政処分や販売禁止が容易に行える。
  • 治安維持法(1925年~)
    「国体の変革」や「私有財産制度の否認」を目的とする思想を取り締まり対象に。
    共産主義・社会主義だけでなく、政府批判も広く適用された。
    特に改正後(1928年以降)は最高刑が死刑となり、思想弾圧の中心法制に。

実際の運用

批判的ジャーナリズムや反戦運動は、検閲・発行停止・逮捕の対象となった。

大正デモクラシー期(1910〜1920年代)は一時的に自由度が高まったが、治安維持法の制定と軍部台頭で急速に縮小。

戦時体制期(1930年代後半以降)は、事実上、政府・軍部批判は不可能となり、報道は国策宣伝に統制。

結論

帝国憲法下の「言論の自由」は、政府が許可した範囲でのみ存在する条件付き自由であり、現行憲法下の自由とは質的に異なる。政府や軍部が本気で制限しようと思えば、法的にも容易にできる仕組みだったため、戦時期にはほぼ完全に消滅した。

帝国憲法と日本国憲法の条文・運用の違い

で、違いをAIがまとめてくれました。


 

表現の自由に関する条文・運用のちがい
項目 大日本帝国憲法(1889–1947) 日本国憲法(1947–現在)
憲法条文の規定 第29条:「法律ノ範囲内ニ於テ言論出版集会及結社ノ自由ヲ有ス」 第21条:「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」
制限の根拠 「法律の範囲内」により、立法で広く制限可能 公共の福祉等に基づく例外的・必要最小限の制限のみ。恣意的立法は違憲審査の対象
主な制限法 出版法、治安警察法、治安維持法 など 特定思想や政府批判そのものを直接規制する一般法はなし(個別の名誉毀損・プライバシー等で調整)
運用実態 批判的報道・労働運動・反戦運動は検閲・発行停止・逮捕の対象。戦時には事実上消滅 検閲の禁止(21条2項)。政府批判や多様な意見の公開が制度的に保障
自由の性質 条件付き自由(実質は行政・警察による統制が可能) 原則保障(例外的制限のみ/司法審査によるコントロール)

要旨:帝国憲法の「自由」は立法次第で縮減できる構造、現行憲法は原則保障で、例外を司法が統制します。

こういった改憲派・破棄派の病理を我々はどう解釈すれば良いのでしょうか?

と聞いてみました。


このような改憲派・破棄派の病理は、単なる「意見の違い」として片付けるよりも、心理・歴史認識・政治行動の複合現象として理解する方が妥当です。解釈の視点としては以下が考えられます。

心理的側面

  • 認知的不協和の回避
    自由を享受しながら自由を否定する矛盾は、人間が不快感を避けるために事実や理屈を歪める典型的パターンです。
  • 選択的記憶
    都合の良い歴史部分だけを取り出し、不都合な事実は無視または正当化する傾向があります。これは自己アイデンティティの維持にも関わります。

歴史認識の側面

  • 「理想化された過去」という虚構
    実際の帝国憲法体制では抑圧があったにもかかわらず、当時の制度を「自主独立」「道徳的秩序」といった美辞麗句で再構成することで、現行憲法批判の武器にします。
  • 歴史修正主義との接続
    政治的目的のために過去を編集・再構築し、現在の体制変革に正当性を付与しようとする動きです。

政治行動の側面

  • 戦術的自己矛盾の容認
    「自由な社会で不自由を訴える」という矛盾は、目的達成のための便宜として許容されます。これはプロパガンダや権威主義的運動の常套手段です。
  • 権力志向の現れ
    実際には憲法そのものよりも、強い国家権力・統制的秩序の回復が目的である場合が多く、そのために憲法議論が利用されます。

我々が取るべき解釈姿勢

  • 事実と幻想を切り分ける
    条文だけでなく運用実態・歴史的文脈を踏まえて議論することが不可欠です。
  • 心理的動機を理解する
    単なる「知識不足」ではなく、アイデンティティ防衛や不安解消のための態度である可能性を考慮する。
  • 議論の土俵を明確化する
    「歴史的事実の評価」と「現代の制度設計の是非」を混同しないようにし、論点のすり替えを防ぐ。

まとめ

事実として帝国憲法下において言論の自由は保障されず、非民主的な政府の立法によっていくらでも制限することが可能でした。にも関わらず、帝国憲法を理想とする者たちは、現憲法下においてその理想を自由に発言しているのです。

彼らのバイアスだらけの低レベル知性では、帝国憲法に戻した場合、その下における自由な憲法論議など不可能であることを全く理解していないようです。

これは信念の問題ではなく、単純に論理の問題です。この程度の論理も通用しないのが、改憲派・破棄派なのです。

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