NAO LIONインタビュー~黒川敦彦の真実を語る

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大宮某所でNAO LION氏のインタビューをしました。

彼は、「みちばた」と言うグループで長らくやってきており、昨年11月からニコミの街宣やデモに参加してくれていました。。。というだけの認識だったのですが、かなり意外な話が聞けました。

つまり、今話題の黒川敦彦の過去を良く知る人であり、今現在黒川のことを「許さない」と言っているのです。

以下では一人称になっていますが、実際には、私のインタビューメモから私が一人称で書いたものです。もちろん、本人には事前にお見せしてます。

音楽との関わり

母親が洋楽好きで、マシュ・ケ・ナダアクエリアス等が良くかかってましたね。最初にやりだした音楽はパンクで、日本のスターリンというバンドのタムさんにプロデュースしてもらい、高校生の時にレコードを出しました。

自分では活動家のつもりは無いのですが、20代の頃に、ある事情から日本が米国言いなりの植民地国であることを実感しました。小泉純一郎が大嫌いになり、テレビの「ニュースステーション」を見るたびに怒ったりしてました。

しかし、30歳の頃にバンドをやめました。その後、パソコンで曲を作っていたんですが、発表をすることはありませんでしたね。誰も読まないようなブログもやっていたんですが、そこで昔のファンから連絡があって「またやってほしい、マネージャをやるから」ということで再開しました。

そうそう、10年ほど前に、ジャマイカに行った時に、そこのサウンド・システムに強烈な体験をしましたね。普通の人の庭にでかいスピーカーを持ち込んでガンガン鳴らすわけです。それでレゲエ好きにもなりました。

三年位前に、弾き語りで「安倍NOセイダー」をやってましたが、結局国会前でこれを歌うことになりました。

2017/12/31 安倍NOセイダーズ

もともと音楽オタクなので、様々な音楽を聞いてきましたが、曲の注文があれば、一ヶ月間脳が溶けるほどそのジャンルを聞きまくります。一ヶ月間「音頭」だけとか。

市民活動へ

そんなこんなで、現「みちばた」の連中と知り合いました。この「みちばた」というグループは、もともと黒川敦彦が街宣をやるのに、ミュージシャンを集めたものです。新宿西口にて、黒川、田中まさみち、斎藤まさし(山本太郎の黒幕と言われる)などとやってました。

※参考資料:「山本太郎を操っている?」斎藤まさしに全て聞いた

2017/12/28 上段左から二人目が黒川、その右がNAO LION

2018/11/06 安倍NOセイダーズ

黒川とは、一緒に「ピープルパワーTV」をやってましたね、三年前から1年間位です。黒川が番組の最後で「何だってできるのさ、ピープルパワーで」と言うのですが、これは私が作ったものです。

「みちばた」は最初、「みちばた興業」と名乗っていたのですが、甲斐君がはずして「みちばた」となりました。新宿西口で大勢がやってました。

この頃の黒川は、特に何の政党もありませんでした。

バイバイ売国竹中街宣

ターゲットが安倍から竹中にシフトしていきました。売国奴の竹中平蔵の曲「ByeBye売国竹中平蔵」を作り、竹中が教授やってる東洋大学で街宣をやりました。

2019/02/25 アップロード

 

東洋大学で市民運動をやった学生を退学にするという動きがあったからですが、結局退学にはされませんでした。この時には、平塚正幸も来ましたよ。

2019/02/22 上段左から二人前がNAO LION、中央が黒川、黒川の右下が平塚正幸、黒川の右上が甲斐まさやす

この頃のヒット曲と言えるのが、「安倍NOセイダー」「ByeBye売国竹中平蔵」ですね。

黒川の右傾化と「オリーブの木」

そのうちに黒川が右傾化していきました。黒川は、元自民党の小林興起などと出会い、「オリーブの木」を作りました。

2019/05/26 NAO LION、黒川敦彦、外山まき(つばさの党現朝霞市議)

 

オリーブの選挙を一緒にやったのが母親連盟(内海聡のところ)ですね。オリーブの木から榎本セイヤも出て落ちてますが、横浜なので、そちらには関わっていません。

ともあれ、選挙では、黒川がいてもいなくても、母親連盟と「とにかく投票に行ってくれ」と、ひたすらそれだけやってました。黒川が「議員になりたい」というのであれば、かなえてやりたいと、ついこの間まで思っていたんです。

黒川の評判は悪いのですが、野望として議員になりというなら、応援するつもりでした。「頑張ってくれ」と。邪魔する理由も全くなかったわけです。

「オリーブの木」から「つばさの党」へ

2020年末に、黒川は「オリーブの木」を「つばさの党」という名前に変え、自分はそのテーマソングを作詞・作曲しました。この曲は自分に著作権があります。以下は黒川が歌えるようにお手本として自分がデモを作ったものです。

黒川を許さない

2,3ヶ月前のことです。黒川が「武漢でウイルスを作った人と知りあった」と言うのです。「それは出すべきでは?」というと、「有料でやる」というのです。この時点では、敵対するまでは行きませんでした。

しかし、その後、「ワクチン反対は一定の票が見込めるから参入する」と黒川は言うのです。私は、「ちょっと待てよ、お前のおもちゃにするつもりか?」と。しかし、その時点でも敵対する気はなかったのです。

しかし、その後の「テロリスト」発言で切れましたね。

シビアな問題をおもちゃにしてほしくない。

黒川という人間は、自分が言ったことを覚えていないのか、忘れているのか、とにかくその場しのぎ、場当たり的で一貫性が無い。政治利用しているだけ、おもちゃにしているだけですね。

これまで良く寛容に接してきたものだと思います。二年間のあいだ、皆から黒川の悪口を聞いてきましたが、自分は悪く言いませんでした。

黒川の目的は明確に票です。黒川がPCRを容認するのは、「PCR否定」だと票が減るからです。そして、「ワクチン反対」も票が見込めるからです。黒川は最大限に票をとりたいだけなのです。

問題の動画

この動画の以下の部分で、外山まきが「ターゲットが狭い」と言ってますが、それがまさに黒川の本質を表していますね。つまり、ターゲットを広げるには、「PCR肯定」でなければならないわけです。

 

朝霞市の外山の選挙は、一丸となってやったものです。2019/12/2に1240票で朝霞市議に当選しました。

 

ニコミ会との関わり

昨年、ニコミ会の現代表きぃ(当時は副代表)から手伝ってくれないかと言われました。自分からは一切営業しません。昨年の11月の、ニコミ会の新宿街宣で歌を披露しました。ニコミ会には、バックに変な奴がいないところが良いですね、そこが他と違うところです。

字幕さんのブログを見て、「おっかない」と思いましたが、「誰かが本当のことを言わないといけない」役目をやってくれてるのかなと思います。

名古屋の寺尾さんのこと

寺尾さんのことは、かなり前から知ってます。以前に行った辺野古基地反対運動にも来てくれました。彼は活動家ですから。寺尾さんの好きなところとしては、「心配しても仕方がない」と腹の座ってるところです。

2021/05/15 世界デモ名古屋 PCR音頭

 


 

今後は、寺尾さんと共に名古屋でコミュニティ作りに励んで行きます。

もともと、私はリアル・スナフキン(宿無し)になる予定だったのですが、それが寺尾さんのコミュニティ作りの話と合体し、これを今後進めて行く予定です。

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