私の神観

あらかじめ言っときますけど、私はいかなる宗教も信じてません。参考のために聖書は持ってるけど。聖書もおそらくは教会の都合の良いように書き変えられてはいるだろうと思いますね。

しかし、おおよそ今信じてることとしては、こうです。これはただの信仰であって、客観的証拠はもちろん一切ありません。

  • 神は存在する
  • 我々は神の一部である
  • とは言っても、身体ではなく、いわゆる魂が神の一部ということ
  • 身体も含めて物理的世界は神の作った仮想世界であり、我々はこの中で遊んでいる

以前にいろいろとスピリチュアル関係の本を読んでたんですが、その中で「あの世に聞いた、この世の仕組み」という日本人の本があり、この中で説明されていたのは以下のような話でした。

神は一人なのでつまらなかった。そこで思いついたのは、ゲーム世界(仮想世界)を作り、自分の複数の分身をそこに住まわせて互いにやりとりさせ楽しむということ。しかし、ゲームを作った自分のままでは、はなからネタバレで全然面白く無いので、この世界に行くときにはすべてを忘れることにした。

とまぁ、こういったストーリーです。他の本を見ても、明確には書いてありませんが、そう解釈できる部分が結構あります。そしてもちろん、ゲームをやめても再度参加できるんですが、その時にも以前のことは忘れてしまいます。魂は不変なので。

「この世は仮想世界である」ということは、いろんな科学者が言ってますね。その中で注目していたのが、トム・キャンベルです。

トム・キャンベルの動画一覧はこちらです。

この人は、もともと物理学者で、かつスピリチュアル的能力もあったわけです。そこで、スピリチュアル世界を物理学的に証明しようと、今も挑んでます。

ここからは小難しい話になるんですが、100年以上前のアインシュタインの時代の「二重スリット実験」というものがあります。どんなものかは、YouTubeで検索してもらいたいんですが、要するに、電子や光子といった非常にミクロなレベルにおいては、「客観性」は存在しえないというのが一つの解釈です。主流派の科学者においては「全然意味わかんない」という解釈らしいです、100年以上ずっとです。

どういうことかというと、人間が観測している場合と、観測していない場合とでは二重スリット実験の結果が異なってしまいます。人間による観測という行為が結果に影響を与えてしまうんです。観測していないと、電子や光子は波のような性質を持ち、観測してるときは粒子の性質を示します。

その解釈の一つとしては、「物は人間の意識と無関係に客観的に存在するわけではない」ということです。

これを評してアインシュタインは言いました、「じゃ、俺が見てない時は月は存在してないって言うのかよ!」。彼は、これらの量子力学に反対していたんですね。

ともあれ、この二重スリット実験はこの時代からあり、それ以来世界中で何度も何度も同じ実験がされたんですが、結果は常に同じ。どうやっても同じ結果になると言います。人間の観測の有無によって結果が異なってしまうのです。観測していない状態では、ぼやっとした波動の状態で、している状態では、粒子という確固たるものになるんですね。

これを評してトム・キャンベルはこんな風に言ってます。

パソコンの3Dゲームでも、見えてる範囲の物しかスクリーンには描画されない。例えば、今現在部屋の中にいるとすれば、部屋の中と窓から見える景色しか描画されていないのだ。観測していない部分は描画されない。つまり一切存在していない。

5,6年前のことですが、オーストラリアのチームが、さらなる実験を行いました。これはブラックホールの名付け親のジョン・ウィーラー(またはホイーラー)という物理学者が提案した「遅延選択」思考実験というもので、あまりに難しすぎて彼の時代には実現できなかったんですね。これについて、トム・キャンベルが解説しているのが以下です。理解するのはかなり面倒かもしれませんが、興味のある方はどうぞ。

 

で、キャンベルの言うこととしては、神と我々の関係としては以下のようなものだと言うことです。想像もできない宇宙の広大さを考えると、さもありなんという感じですが。

我々がお腹の中の微生物だとしよう。この微生物がどうやって、身体の外にある家や牛や電車を認識できるというのか。

この位のスケールの違いがあるということです。したがって、神の意思など知ることなどもちろん不可能だし、この仮想世界を解釈するための現代の科学やら医学やらは、所詮は子供の遊びに過ぎないわけです。

しかし、それでも科学と称して知ったかぶりになってる連中があまりにも沢山おり、実際には全く何にもわかっていないんですね。

そもそも言葉なるツールで理解が可能なのかという問題も出てきますけど。

 

コメント

  1. kiyo より:

    このタイミングで「神」とは。今回も共感できる点が多々ありました。
    コロナ騒動というのは人間の「宇宙観」というものの再考も促しているような気がしてなりません。わたしたちは物質世界の中で科学、医学、歴史、あらゆる分野でペテンに掛けられて「そういうことになっている」という世界を信じ込まされて生きてきたのだと思います。人間という存在についても、物質的な体ではなく「意識」が自分なのだという真理に気付きなさいと促されているような気がします。
    わたしたちは「神」という存在を「外」に求めてしまいます。外に求めさせることが支配構造を維持させて、そのことに疑問を持たせないようになっているのだと思います。
    都知事選で平塚さんの得票を見ると、、、あまり言いたくないです。ま、都民というのは過去ろくでもない人しか選んでませんから。こんなもんでしょう。唯一の救いは平塚さんの存在ですね。平塚さんには感心しました。
    トム・キャンベルの動画、面白いですね。僕は「粒子を元とする物質的世界観というのはナンセンスなんです」とか「意識は物理的空間にはない。先に行くためには仮想現実を認めないといけない」という指摘にしびれました。トム・キャンベルさん、ヘミシングもされてたんですね。自分で作れるサイトがあるなんて知りませんでした。