ステファン・モリノー:あなたという奴隷のお話

人間は支配したがる

これは、あなたという奴隷のお話しです。なぜそんなことになったのか?そして、最後にはどのように、自由になるかです。

他の動物と同じように人類も支配したがります。そして、まわりの資源を搾取するんです。最初は、ほとんど狩りをしたり、釣りをしたりで、土地から食べものを得ていました。

そして、何かしら魔術的でひどいことが起こったんです、我々の心に。我々は、動物の中でも特異な存在になり、死と未来の喪失を恐れるようになったんです。これが大きな悲劇の始まりでした。そして、より大きな可能性でさえもあったんです。わかるでしょうか?

支配は人間のみ可能

死、怪我、投獄を恐れるようになると、それによってコントロール可能になったんです。ですから、価値が生まれたんです、他の資源には決して無かったような価値が。人類がコントロールできる最も偉大な資源というのは、自然資源、道具、動物、土地ではなく、他の人類です。

動物を脅すことができますね。動物はその瞬間の痛みを恐れるからです。しかし、自由を奪うことで動物を脅すことはできません。あるいは、将来の拷問や投獄でも無理です。動物には、明日という概念がほとんど無いからです。

牛を拷問で脅すことはできず、羊を死で脅すことはできません。木を剣で脅しても、もっと果物を作らせることはできません。畑にタイマツを持っていって、もっと麦をよこせということも。鶏を脅したところで、もっと卵を得ることはできません。

しかし、人間を脅して、彼の卵を得ることはできます。この人間牧場というのは、最も儲けることができ、かつ破壊的な占有でした、歴史を通じて。今や、それは破滅的なクライマックスを迎えています。

人間牧場

人間社会は理性的に理解することができません、その本質を見るようになるまでは。繰り返されてきた牧場なんですよ、そこでは人間の主が人間の家畜を所有しているんです。

混乱する人もいるでしょう。政府はヘルスケアを提供し、水や教育や道路を与えてくれる。だから、何らかの博愛主義が働いていると想像するのです。現実と全く同じじゃないですか。農場主はヘルスケアを行いますね。水を引き、トレーニングをします、彼らの家畜に。

混乱する人もいるでしょう。「我々には自由があるじゃないか」と。ただの想像ですけれどね。「政府は、我々の特定の自由を守っているじゃないか」と。

しかし、農場主だって、作物をある程度の距離を離して植え付けますよ、より収益が出るように。そして、特定の動物には、より大きな小屋やフィールドを与えますね、それでもっと肉やミルクが取れるのであれば。あなたの国では。。。あなたの税農場では、農場主はある程度の自由をあなたに与えているんです。

それは、あなたの自由を気遣っているからではなく、もっと儲けたいからですよ。ケージの本質が見えてきましたか?あなたは生まれついてその中にいるんです。人間の家畜化には主に4つの段階があります。

歴史上の奴隷制度

最初の段階としては、古代エジプトですね。直接的で暴力的な強制です。人間の身体はコントロールできますが、しかし人間の心の生産性というものには、ムチや足かせは届かないのです。奴隷達はひどく生産性が低く、彼らをコントロールするには、ひどく手がかかったんです。

第二段階はローマモデルです。そこでは奴隷達はある程度の自由、創意工夫、創作性が与えられました。それが生産性を上げました。これがローマの富を増やし、政府の税収を増やしました。この余分な富により、彼らは帝国となったんですが、その力の基となった経済的自由を破壊して、崩壊してしまいました。こんなことを、どこかで聞いたような気がしますね。

ローマ崩壊の後、家畜の所有権と課税について、封建的モデルが導入されました。小作人の土地を直接的に所有する代わりに、彼らが戦争に協力する限り、所有を認めたのです。

このモデルは最終的に崩壊しました、豊かな土地の分割が継続したために。そして、土地の統合化時に起こった打ち壊しにより破壊されたのです。数十万人の小作人が、祖先の土地から追い出されました。なぜなら、新しい農場経営のやり方が大規模農場の生産性を上げ、少人数で済むようになったからです。

民主主義奴隷モデル

生産性の向上は、後の中世の時代に、食べ物を余らせるようになりました。街を広げるのに必要な量以上になったのです。これが今度は現代の民主主義という人間所有モデルを勃興させることになりました。小作人が街に移るとともに、巨大な安い人間資本が利用可能になりました、勃興しつつあった実業家にとって。そして人間牧場の主たちはすぐにわかったのです、より儲けられることが、家畜達に自身の所有者を選ばせた方が。

民主主義モデルにおいては、直接的な奴隷の所有は、マフィアモデルにとって代わりました。マフィアはビジネスを直接的に所有していますが、月に一度、ゴロツキを見回りにやらせます。ビジネスオーナーから奪うためです。

今や、あなたは、自分が誰の所有であるかを選択することができます。これが生産性を上げることになります。そして、主人に税金を払うのです。

映画の引用:人生のこの時に価値がある。君の人生で自身の選択ができる時なのだ。すぐに過ぎてしまうぞ。ティーンエイジャーだ。何でもできると思う。20代はぼうっとして、30代は家族を作り、少しばかり金を作り、20代で何をしたっけ?と思う。40代で少しお腹が出てきて、二重あごになる。音楽が少々うるさくなり、以前のガールフレンドが、おばあちゃんになる。50代には、少々の手術を行い、それを処置と呼ぶ。でも手術には違いない。60代に大きな手術をし、音楽はやはりうるさいままだ。しかし、構わない。聞いてないからね。70代、君と妻は、フォーローダーデール(フロリダ州)に隠居し、午後2時に夕食を食べる。もし、昼食が10時頃であればね。朝食はその前の夜だ。ほとんどの時間、モールをうろうろし、究極の大豆ヨーグルトを探す。そして「子供達が電話してこない」とぶつぶつ言う。80代に、強い発作を起こし、おしゃべりはできなくなる。妻はジャマイカ人の看護婦に我慢できなくなるが、君は彼女をママと呼ぶ。何か質問は?

あなたのわずかな自由は保たれています。なぜなら、我々は主にとって儲けのタネだからです。民主主義モデルという壮大な実験は、富と自由を増加させましたが、農場主を脅かしました。支配階級は、当初は比較的自由な資本と労働の市場から儲けを得ていましたが、家畜達が自由に慣れ、富を増やしてくると、彼らは質問を始めました。なぜ、支配者が必要なんだと。おやおや、「人間牧場は簡単だ」などと言った者は、これまでいないんですよ。

税家畜の維持方法

支配階級の収容所に税家畜を安全に保持しておくには、三つの段階を必要とします。第一は、若いうちに洗脳することです、政府が「教育」を施すことによってです。民主主義国が成長するにつれ、政府の学校は例外なく苦痛なところになっていきます、家畜の考えや魂をコントロールしようとするがためです。

第二段階としては、市民を互いに反目させるということです。依存家畜を作り出すことによってです。人間を力を持って直接的に支配するのは非常に難しいんです。それが達成されたとしても、途方もなく非生産的になってしまうんです。北朝鮮が良い例ですね。人間というのは、繁殖しづらい、あるいは効率的に再生産しないんです、直接的な束縛のもとでは。しかし、自分が自由であると信じ込むと、農場主のために、より多く生産することになります。

この自由という幻想を維持する最善の方法としては、家畜の何人かを農場主の従業員名簿に載せることですね。これらの牛は、既存の階層構造に依存するようになり、そして、他の牛を攻撃し始めます。人間家畜の暴力性、偽善、不道徳を指摘するような牛達を。

ニュースビデオ:警官が陣取っており、床に頭からつっこみ、二人目は彼の後ろに、3人目は近くにたっています。ちょっとした格闘があったようです。そして、2年のベテラン警官が立ち、武器を取り出し撃ったのです。

自由とは奴隷であることであり、奴隷であることは自由なのです。もし、牛達に互いに攻撃させることができれば、もし誰かが、その状況の現実に気がつくようになったときにはいつでも、そうできれば、彼らを直接的にコントロールするために努力する必要がなくなるのです。

農場主の搾取した金品に依存する牛達は、人間家畜化の美点に疑問を呈する者に対し、暴力的に敵対するのです。そして知識階級や芸術階級は、いつも、そして永遠に、農場主に依存します。そして、家畜からの自由を求める者に対してこう言うのです、お前は仲間の牛に危害を与えていると。家畜はこのようにして封じ込められているのです。暴力的システムの破壊性に対する道徳的責任を、本当の自由を求める者(への攻撃)に転換しているのです。

第三段階としては、絶え間無い外部の脅威です。すると、家畜たちは農場主による守りにしがみつきます。

人間牧場の終わり

この人間牧場システムは、終わりに近づいています。現代西洋経済システムで起こるひどい悲劇は、過去の経済的自由に関わらず起こっているのではなく、そのために起きていることなのです。19世紀における、巨大な富の増加は、経済的自由の結果もたらされたものです。それは、まさにこの富の増加でしたが、それが国のパワーの大きさにつながったのです。

家畜たちが飛躍的に生産的になったときはいつでも、それに対応して農場主の数が増え、それに依存する者も増えました。国の成長は、常にその前の経済的自由に比例したのです。経済的自由は富を作り出し、富は盗人と政治に寄生する者を惹きつけます。その強欲が経済的自由を破壊するのです。言い換えれば、自由はガンのように転移するのです。国のガンです。

最小で出発した政府は、常に最大で終了します。だからこそ、実行可能で維持可能な代替物がありえないのです、本当に自由で平和な社会というものが。政治的に支配するものが無い社会、人間の所有がなく、課税と国家主権主義という暴力の無い社会です。

本当に自由であることは、非常に簡単です。そして非常に難しいのです。我々は自身の奴隷化の恐怖を避けるのです、とてつもなく苦痛だからです、それを直視することは。

我々は、死につつあるシステムの永遠の暴力を避けて回っているのです。仲間の家畜からの攻撃が怖いからです。しかし、我々は自身が見ることを拒絶したケージの中にしかいられないのです。

目を覚ませ。農場を見ることが、そこから離れることだ。

コメント