この記事の三行要約
自称「愛国者」=歴史修正主義者は、現代日本の自由と民主主義を否定し、軍部独裁体制を美化する「反日」的存在である。
彼らは「天皇無責任」「軍部暴走」「戦争正当化」を同時に主張し、結果的に誰も責任を負わない三重の免責構造を作り出している。
この立場は史実とも論理とも矛盾しており、学術的というより政治的イデオロギーの方便にすぎない。
タイトルを見て驚くかもしれませんが、自称「愛国者」という人間の愛するものは、大日本帝国下の軍部独裁体制のみであって、決して現代日本という自由と民主主義の国ではありません。むしろ、それを破壊せんとしており、これはまさしく「反日」と呼ぶにふさわしいものと考えています。
そして、この反日分子である自称「愛国者」は、自分たちに都合よく歴史を改ざんします。私は今のところ、「南京虐殺はあったなかった」という議論については結論づけていませんが、南京虐殺と同様にありとあらゆる日本軍の残虐行為について彼等が否定しようとしていることについては、かなり怪しいと睨んでいます。つまり、主流派の見解に対し、ことごとく真逆を主張していることです。
しかし、AIにつらつら質問し、様々な話題をつっこんでいったところ、AIが言うわけですね、「その点は完全に矛盾しています、三重の免責構造です」と。つまり、日本軍の行為を歴史修正主義者が免責しようとするけれども、そこで大きな矛盾を引き起こしてしまっているのです。
このほかにも歴史修正主義者の矛盾については、深くつっこんでいます。どういうことかと言えば、「事実としてあったなかったに関わらず、修正主義者が自らの主張を都合よく正当化するために矛盾を起こしてしまっている」という点です。これは歴史的事実のいかんは無関係で、彼等の主張だけを見た場合の論理的矛盾であり、言い逃れできないものです。
事実:東條英機は東京裁判において、「天皇に責任はない」と証言した
東條はA級戦犯として東京裁判において裁かれました。「愛国者(歴史修正主義者=否定派)」は、この裁判が「勝った側の身勝手な裁判」と主張します。とりあえず、この否定派の主張は正当であると仮定しましょう。
この裁判において彼が「天皇に責任はない」と証言したことを彼等は否定せず、素直に認めているのです。いつもなら「そんなものでっちあげだー」と言うのですけれどもね。つまりこれは主流派であれ、否定派であれ共に認めているのですから事実であると確定しています。
東條は1948/11/12に死刑宣告され、同12/23に処刑されています。裁判での姿勢をまとめると次のようなものだったと言います。
- 東條は開戦責任について「自分が最終決定をした」と証言し、責任を一部引き受けた。
- ただし「大東亜戦争は自衛戦争であった」と主張し、侵略戦争であることは認めなかった。
- 裁判においては「天皇陛下は戦争に関与していない」と繰り返し述べ、昭和天皇の戦争責任を否定。
否定論者の言い分としては次のようなもののようです。
- 「昭和天皇は平和を望んでいた」
- 「軍部が暴走しただけだ」
つまり、否定論者は「東條の証言=天皇に責任はないことの証拠」としていますね。そして、天皇に責任はないのですから、日本のいかなる行為であれ「暴走した軍部」に責任があると認めていますよね。
軍部は天皇の名、天皇に対する国民の忠誠を利用した
否定論者もここは認めざるを得ません。「天皇陛下に責任はない」し、「軍部が暴走しただけ」なのですから、天皇の名と、天皇に対する国民の忠誠を利用したことも、誰もが認める事実なわけです。そこでAIに聞いてみました。
天皇中心の国家を築きあげ、すべては天皇の命令であり、天皇のために命を捧げよという教育をしながらも、その結果として形成された国民の天皇への忠誠心を利用して軍部が好き勝手していたことは誰も否定できない事実になるわけですね?
はい、その理解はきわめて本質を突いていると思います。歴史的事実として否定できないのは、まさに次のような構造です。
否定できない事実の構造
- 天皇中心イデオロギーの制度化
- 教育勅語(1890年)や修身教育を通じて、国民に「天皇のために命を捧げよ」という忠誠観を植え付けた。
- 「臣民の道徳=天皇への絶対服従」という国家理念が、学校・軍隊で徹底された。
- 軍部の統帥権と天皇大権
- 陸海軍は「天皇の統帥権」に直属し、内閣や議会から独立していた。
- 軍命令や布告はすべて「天皇の名」で出され、形式上は「天皇の命令」とされた。
- 国民に対する命令の形
- 兵士や国民には「天皇のために死ね」「これは天皇のご意思だ」と伝えられた。
- その結果、国民は「天皇への忠義」と信じて従わざるを得なかった。
- 実際の意思決定
- 現実には、軍部(陸軍・海軍の参謀本部や現場司令部)が政策・作戦を主導。
- 天皇は裁可を与える形式をとったが、多くの場合は軍部の上奏を追認するに近い。
- つまり 「天皇の名を利用して軍部が意思決定を進めた」 構造があった。
歴史学の評価
- 主流派研究者の見方
- 天皇は「国家元首」として最終責任を免れないが、同時に軍部が天皇の権威を道具化した側面も大きい。
- つまり「天皇中心主義を利用した軍部の独走」と「天皇自身の消極的裁可責任」の両面がある。
- 否定論者の見方
- 「軍部が勝手に暴走した」として、天皇は完全に無関係とする。
まとめ
ご指摘の通り、否定できない事実は、「天皇中心の国家体制を築き、国民に天皇への忠誠を叩き込みながら、その忠誠を軍部が利用して自らの戦争遂行を正当化した」という構造です。
これは、否定論者も完全には否定できず、むしろ「天皇は利用された被害者」という物語にすり替えて語る、というのが実態です。
否定論者最大の矛盾〜否定論者は完全に破綻している
否定論者は「軍部が勝手に暴走した」と言うわけですね?ということは、当時の天皇中心の枠組みを無視して、勝手に暴走した軍部の責任を現代の否定論者は問うているのでしょうか?私にはどうにも、その否定論者による「軍部の暴走」という言葉と、「軍部のやったことのほとんどすべては正当だった」という否定論者の主張は相容れないように思いますが。
まさにそこが 歴史修正主義(否定論)の最大の矛盾点 なんです。整理すると次のようになります。
否定論者の基本的な主張
- 「軍部暴走」説
- 「天皇は平和を望んでいたが、軍部が勝手に戦争を拡大した」
- → これによって 天皇の戦争責任を免罪 する。
- 「自衛戦争・アジア解放」説
- 対米英戦争や中国侵略を「アジア解放のため」「自衛のため」と正当化。
→ 戦争そのものを「正しかった」と主張。
- 対米英戦争や中国侵略を「アジア解放のため」「自衛のため」と正当化。
内部矛盾
この二つの主張を並べると、どうしても次の矛盾が生じます。
- 「軍部が暴走した」と言うなら、軍部の責任追及が筋。
- しかし否定論者は、軍部(東條英機など)を「悪くない」と擁護し、「戦争は正義」と主張する。
- つまり 「軍部が暴走した」と「軍部のやったことは正当だった」 を同時に語ってしまう。
結果として「責任の所在」を曖昧にし、
- 天皇=免罪
- 軍部=免罪
- 戦争=正当化
という三重の免責構造を作り上げてしまうわけです。
歴史学からの評価
- 主流派研究では、
- 天皇中心体制があったことは事実(教育・制度・命令体系)。
- 同時に、軍部がその体制を利用して強引に政策を進めたことも事実。
- したがって「天皇も軍部も責任を負う」二重構造で理解される。
否定論者はこの二重構造を受け入れず、責任を「誰にも帰さない」ロジックを作るために「軍部暴走」と「戦争正当化」を併用してしまい、矛盾に陥る。
まとめ
ご指摘の通り、
- 否定論者は「軍部暴走」を口実に天皇の責任を否定。
- しかし同時に「戦争は正当」と主張するため、軍部の行為をも否定できない。
- 結果、「誰も悪くなかった」とする空疎な歴史観に行き着く。
これは学術的というより 政治的イデオロギーの方便 であり、論理的に見れば大きな破綻を抱えています。
否定論者による「戦争責任否定の三重構造」
- 史実
天皇中心の国家体制 → 軍部が権威を利用して政策決定 → 戦争遂行。 - 否定論者の論理
- 「天皇は平和を望んでいた」=天皇免罪。
- 「軍部が勝手に暴走した」=天皇責任をさらに免罪。
- 「戦争は自衛・正義」=軍部も免罪。
- 結果
- 誰も責任を負わない → 「大日本帝国の戦争責任」を完全に消し去る。
要するに、否定論者に言わせると、一切誰も悪くないようです。では、何人かわかりませんが、日本人と外国人の大量の死者が発生した責任は誰にあるのでしょうか?
これでもわからない人のために
これでも理解できない人がいるかもしれませんから、もう少し噛み砕いて説明してみます。
- 当時の日本では、天皇は神であり、天皇の命令であれば、国民は喜んで命を差し出すべしという教育がされ、社会全体にそのような同調圧力もあったことでしょう。もちろん、天皇批判や体制批判などすれば、たちまち捕らえられ、よくても拷問、悪ければ死が待っていたわけです。
- ところが、軍部は、その神を利用して好き勝手なことをしていた(否定論者の言葉では「軍部の暴走」)。つまり、神の意思とは無関係に、「神の意思である」と国民に偽って自分たちの気のおもむくままに侵略(あるいは侵出)を行っていた。くどいようだが、これらついて天皇の責任はないと否定派も認めている。
- ということは、少なくとも軍部には、神の意思とは無関係に勝手なことをした、勝手に神の名を使ったという責任はあるということになる。
- ところが、否定論者は、これらの軍部の行為をほぼ全肯定してしまう。「侵出(侵略)は仕方なかった」「開戦はやむをえなかった」「このままでは日本が死んでしまう」からなど。
- 結果的に、誰にも何の責任もないと否定論者は主張している。
で、否定論者に聞きたいことは、日本国民および外国人の大量の死は一体誰に責任があるのかということ。
まさか、「自ら進んで戦いに行った兵士にある」とでも言うのでしょうか?「お国のために行きなさい」と送り出した家族にあるとでも言うのでしょうか?
否定論者の意見が聞きたいです。どんなトンデモな理屈が飛び出してくるのでしょうか?
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