この記事の三行要約
事実の有無よりも、それに固執する人々の精神構造—「日本人は気高い」という自己同一化と弱い自尊心—こそが問題である。
否定派は南京虐殺の矮小化や東京裁判批判など典型的な「主張セット」を展開するが、米国の戦後侵略や現代の戦争犯罪には一切触れず、そこに強い不自然さがある。
否定派は真実追求よりも、「日本は立派」という物語に依存しており、論理のつじつまより精神的安定を優先している。
このタイトルを見て、この記事を読みにきたウヨの方(私は本当にこの連中が大嫌いです)には残念なことをしました。
私は、南京虐殺がなかった証拠を示すことは一切ありませんし、むしろ「あったんだろうなー」派です。しかし、あったかなかったか私個人には全く無関係だし、正直なところ、あろうがなかろうがどっちでも構いません。
そもそも私には無関係なことです。その時代に生まれてもいないし、何の責任も関係もないことです。むしろ、「あなたは他に考えることはたくさんあるだろう。なぜこんなものをいつまでも議論し続けるのか、これこそあなたの思考を重要な問題からそらすための仕掛けではないのか?」という立場です。
そもそも、あなたは、今この時に起きていることさえ、きちんと把握などできていません。
ほとんどインチキの現代医学が命を救っているなどといまだに信じる者、まだウイルスなどが存在して人を病気にするなどと信じこんでいる者など、いま現在この時に起こっていることさえ正しく把握などできていません(私はこの問題について何年も勉強してきています。いくつも論文を検証し、インチキと判定しています)。
そんなあなたが、80年近くも前のこと、ありとあらゆる事柄の記録などできない時代の話を、正しく把握できると思い込んでいること自体があまりに傲慢な態度でしょう。「南京虐殺などなかったんだー」と言う人は、単に人から言われたことをオウム返ししているだけです。
これもあなたの嫌いな戦後洗脳教育の成果です。それを声高に批判する前に、そこから抜け出して見せてみてはいかがでしょう?あなたは自分自身で確かめてもいないのに、上から言われたことをオウム返しにしているだけ、そう信じ込んでいるだけなのです。それが戦後洗脳教育の最大の成果じゃあーりませんか?まずはそこに気づきましょうね。
そしてこれは、単に事実の問題ではなく、あなたの精神構造に起因していることです。なぜならあなたは、簡単に言えば「俺は日本人だ!日本人は世界一気高い人種なのだ!だから俺もそうなのだ!」という、あまりにも情けない精神構造でしかないからです。それ以外に自身を支えるものがありません。
だからこそ、過去の日本人がやったこと(あるいは、やらなかったこと)に固執するのです。「あった」ことになると、それで自身が傷つくわけです。そもそもあなたには無関係なのに。この場合、事実としてあったか否かは全く関係ありません。世間的に「あった」ことになると、自身が傷つくので抵抗するわけです。問題になっているのは、その精神構造自体なのです。事実の有無ではありません。
この件は、事実についての議論では全くないのです。「厳然たる事実」を知るのはもはや不可能でしょうし、先に示したように、そもそもあなたには何の事実の把握能力もありません。そうではなく、あなた自身の精神構造に立脚した問題なのです。
で、「あった派」の言い分としては、これを行った当事者である日本軍兵士の日記や証言があると言うことですが、ここでは「なかった派」を検証してみます。以下のような主張のようです。
「南京虐殺はなかった」とする立場(少数派)
※ここでいう「なかった」には、完全否定から被害規模の矮小化まで含まれる。
- 主な主張:
民間人虐殺は組織的に行われていない。死者数はせいぜい数千人で、ほとんどが戦闘死者である。中国や連合国が戦後に捏造・誇張したプロパガンダである。 - 主な根拠(とされるもの):
当時の日本側報道 南京入城直後の新聞報道では「治安は回復」とされていた
死者数の矛盾 一部統計・墓地の埋葬記録から「30万人はありえない」と主張
✍ 証言の信憑性批判 一部の証言・写真が「後日撮影」あるいは「捏造」とする説
❗ 戦犯裁判批判 東京裁判・南京裁判は「戦勝国による報復裁判」で信頼性が低いとする - 主な主張者:
東中野修道(元亜細亜大学教授)、田中正明、藤岡信勝、渡部昇一 など
で、主な主張者としては、こういった主張では必ず現れる「いつものメンツ」であることがわかりますね。まるでマクドナルドの「ご一緒にポテトもいかがですか?」かのように「主張セット」があるのです。
この言葉は、「いじめ学」の内藤朝雄が言っていたのですが、右翼には右翼の主張セット、左翼には左翼の主張セットがあり、右左に別れると必ず同じ「セット」を主張するということです。最近では、愚かな参政党支持者が「同じ主張」を「セット」で展開するようですね。思考など、一切できない人たちですし、そもそも異論を唱えると参政党から排除されますから。
上の主張者の主張セットとしては次のようなものです。
- 南京虐殺否定・矮小化
南京事件は「なかった」あるいは「ごく一部に過ぎない」と主張。中国側の主張する30万人という数字はプロパガンダ・捏造とし、外国人証言も信頼できないと批判。 - 東京裁判批判(勝者の裁き)
極東国際軍事裁判(東京裁判)は「法的根拠がなく、事後法による裁き」であり、日本を不当に断罪した「復讐裁判」と位置づける。戦犯はむしろ「英雄」「愛国者」であるとの主張も見られる。 - 「自虐史観」の否定と戦前日本の再評価
GHQや戦後教育により「自虐的な歴史観」が刷り込まれたとし、戦前の日本の行動(満州事変、日中戦争、大東亜戦争など)を「自衛」や「アジア解放」として再評価。「日本は悪くなかった」という歴史観を取り戻すべきと主張。 - 歴史教科書の見直しと保守教育の推進
「新しい歴史教科書をつくる会」などに参加(藤岡信勝は創設者)。
教科書が戦争責任や植民地支配を過度に強調しており、日本の名誉を傷つけていると批判。 - 慰安婦問題の否定・矮小化
慰安婦制度は「軍による強制ではない」「公娼制度の延長」とする立場。朝日新聞や国際社会による批判は誤報・捏造であると主張。
もちろん、私もある程度同意する点はあります。もちろん東京裁判などは勝者の裁判だったでしょうね。あるいは、ここにはありませんが、真珠湾攻撃はある程度仕組まれたものです(もちろん、日本軍がわざわざ攻撃しにいったことは事実ですけど)。ですから、もしかして彼らは本当のことを言っているかもしれないと思うところもあります。
しかし、彼らを絶対的に信用できない理由があります。もし仮に彼らが真実を言っていたとしても、一切信用できないのです。彼ら以外のまともな人間が主張していたならば、ある程度信用していたかもしれませんが、彼らの人間性として信用できませんから。
彼らは主に、日本の戦争責任や南京虐殺、靖国合祀問題などにフォーカスしており、太平洋戦争や第二次大戦における米国側の行為を侵略戦争と断定して批判する主張は少ないのです。さらに、ベトナム戦争や湾岸戦争、9/11による戦争など現代の米国侵略戦争への明確な批判・論評も、少なくとも主要な著述や対談では見られない傾向があります。
東中野修道は南京事件における写真や証言の「捏造説」を展開する一方で、それを現代の「米国の戦争プロパガンダ」や「米国政府の陰謀」と類比する論理には発展させていません。藤岡信勝も南京虐殺や慰安婦問題の否定的主張をする一方で、米国や連合国の関与を陰謀として語ることはほぼありません。
東中野や藤岡に関する上の記述に反する事実をご存知の方は是非教えてください。
つまりですね、彼らの主張はこういうことです。「戦前戦中の日本は悪くなかったんだ!GHQにより憲法が押し付けられ戦後教育によって洗脳されてきたんだ!我々は立派な国なのである!」と主張する一方で、それを画策し、現在も他国に行い続けている米国への批判は一切ないのです。
これが何を意味するかわかるでしょうか?私には明確にわかります。
この連中というのは、日本にもう一度戦争をさせたいという米国による、スパイと判断するしかありません。だからこそ、あまりにも明確な米国による戦後の侵略行為を一切問うこともなく、米国批判を封印しているのです。
もちろん、この連中がどう米国機関とつながっているかはわかりません。しかし、ごく普通に考えてあまりにも奇妙なことじゃありませんか?東京裁判が我々を不当に裁いた、GHQが憲法を押し付けた、(米国による)戦後の教育が我々を腑抜けにした。ふーん、ではそれを現在もやり続けている米国をなぜ批判しないの?ここんとこ普通に考えて極めて不可思議なことですよね。誰でも考えつくことですよね?あれこれの国が日本と同じように犠牲になっているはずですよね?それらの点を指摘すれば、「ほらみろ、米国は日本に対すると同じように、この国にもあの国にも悪さをしているじゃないか!」と自らの主張を補強してくれるはずですよね?そして、なぜいまだに誰もこの点を指摘しないのでしょう?チャンネル桜とか百田とかです。この辺の連中はあまり知らないので思いついた名前を出しただけですが。。。
歴史の真実を知りたいとの姿勢があるならば、9/11事件はあまりに明らかに偽旗であって、それを口実として他国侵略をしたのが米国なのですが、なぜこの点を批判しないのでしょう?
そして、この連中の主張を安易に受け入れてしまう人たちは、まったくつじつまの合わないこの連中の行動になぜ疑問を呈さないのでしょうか?
なぜなら、「そんなことはどうでもいい」からです。受け入れる側にとっては、真実など、どうでもよいのです。ただただ「日本は立派な国だ!日本人なのだから俺も立派なのだ!」という弱い精神構造に根ざしており、それ以外のつじつまなど一切考えないのです。
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