この記事の三行要約
戦前戦中を美化し憧れる人は、ノスタルジー・教育の空白・現代社会への不満を背景に権威主義的心理に傾斜する。
権威主義的人格は「権威への服従・弱者への攻撃・伝統の絶対化・二分法思考」といった特徴を持ち、カルト宗教と共通する。
ネトウヨや参政党信者はまさにこの心理構造に当てはまり、戦前日本の国家カルトと同型の傾向を現代に再生産している。
注意:この記事もまた長いです。ほとんど自分のメモ書きになっています。
戦前戦中に憧れる人間
なぜ戦後80年も経過した今も、戦前戦中に憧れるような人間が出てくるのでしょうか?何かしら、権威主義的人格やカルト的な精神構造なのでしょうか?
とても本質的なご質問です。「なぜ80年も経った今でも、戦前・戦中を美化し憧れる人々が出てくるのか?」という問いには、いくつかの社会心理的・思想的要因が関係しています。
1. ノスタルジーと「失われた栄光」
- 戦前・戦中は「日本が強国だった時代」として記憶されやすい。
- 敗戦・占領・経済停滞などで「現在の日本は衰退した」という感覚が強まると、「かつての日本は誇らしかった」と美化されやすい。
- 特に若い世代は当時の悲惨さを体感していないため、歴史の暗部より「強さ」「誇り」を求めてしまう。
2. 教育・記憶の空白
- 戦後教育では「戦争の悲惨さ」や「平和の尊さ」は教えられても、戦前の社会がどのように人々を洗脳・動員したかまでは十分に教えられていない。
- そのため「戦前の精神性は立派だった」「今の日本人は堕落した」という言説が批判されにくく、一定の説得力を持ってしまう。
3. 権威主義への傾斜
- 社会が不安定になると、人々は「強いリーダー」「単純な秩序」を求める傾向がある。
- 戦前日本は天皇制・軍国主義というわかりやすい秩序を持っていたため、現代の複雑な民主主義より「安心感」を与える人もいる。
- これはまさに「権威主義的人格傾向」(アドルノらの研究)で、カルト宗教の信者心理とも通じる。
4. カルト的精神構造
- 戦前の国家神道体制は、宗教的儀礼・教育・メディアを通じて「疑問を持つことを許さないカルト的システム」でした。
- カルト宗教の信者は「絶対的な価値観」「敵と味方の二分法」を好む。
- 戦前を美化する人々も、「自由で多様な社会」より「単純で強固な価値体系」に安心を求める傾向があります。
5. 現代社会への不満の反動
経済格差、政治不信、グローバル化による不安などに直面すると、
- 「民主主義は役に立たない」
- 「人権ばかり強調して弱くなった」
という不満が高まりやすい。その結果、「戦前のような強い国家に戻れば解決するのでは」という幻想が魅力を持つ。
6. 結論
戦前・戦中を憧れる人々が現れる背景には、
- ノスタルジー(過去の美化)
- 教育の空白(洗脳の仕組みを学ばない)
- 権威主義的人間心理
- カルト的な価値観への親和性
- 現代社会への不満と反動
が組み合わさっていると考えられます。
つまり、戦前回帰を志向する人たちは「当時の悲惨な現実」を忘れるか意図的に無視し、権威主義とカルト的精神構造に安心を見出す傾向が強いのです。
ここでAIが言ってることは重要ですね。
- 戦後教育では「戦争の悲惨さ」や「平和の尊さ」は教えられても、戦前の社会がどのように人々を洗脳・動員したかまでは十分に教えられていない。
- 社会が不安定になると、人々は「強いリーダー」「単純な秩序」を求める傾向がある。
- カルト宗教の信者は「絶対的な価値観」「敵と味方の二分法」を好む。
まさにその通りで、これが戦後教育の欠陥の本質でしょうね。「もう二度とこんな悲惨なことは」と言ってるだけで、大日本帝国もナチスも同じですが、そうなってしまった経緯というもの、国民全体の心理的傾向があったわけです。おそらくドイツでは、このあたりが徹底的に教育されていることでしょう。この点については、後でもう少しつっこんでみたいと思ってます。
権威主義的人格傾向
「権威主義的人格傾向についてもう少し詳しく
はい、とても大事な視点です。「権威主義的人格(authoritarian personality)」という概念は、戦後すぐにアドルノ(Theodor W. Adorno)らがナチス・ドイツの台頭を分析する中で提唱したものです。これは、権威主義的体制やカルト的システムに惹かれる人間の心理傾向を説明する重要な枠組みです。
権威主義的人格の定義
- 自分より強い権威には無条件に従い、弱い者には攻撃的になる性格傾向。
- 社会や価値観の多様性よりも「秩序」「服従」「一体感」を好む。
- 「自由」よりも「安定と一貫性」を優先する。
アドルノらの研究(Fスケール)
アドルノらは「Fスケール」(Fascism scale)という質問票を使って、権威主義的人格を測定しました。
代表的な特徴は以下です:
- 権威への服従
- 自分より上の権威(政府、軍、宗教指導者)に絶対服従する。
- 権威(の敵)への攻撃性
権威に逆らう者やマイノリティに攻撃的になる。 - 伝統の尊重
「昔ながらの価値観」を絶対視する。 - 迷信・ステレオタイプ思考
世界を単純化して理解(「善か悪か」「敵か味方か」)。 - 力への執着
強者を好み、弱者を蔑む。 - 自己の抑圧と投影
自分の欲望や不満を抑圧し、それを他者に投影して攻撃する。
社会的背景との関係
- 権威主義的人格は「不安定な社会」で強まりやすい。
- 経済不安・治安悪化・社会の多様化が進むと、人々は「強いリーダー」や「わかりやすい秩序」に惹かれる。
- ナチス・ドイツの支持層、日本の戦前軍国主義の支持層、現代のポピュリズム支持層にも共通する。
カルトとの共通点
- カルト宗教もまた「絶対的権威(教祖)」「敵と味方の二分法」「全体主義的秩序」を特徴とする。
- 権威主義的人格の傾向を持つ人は、カルトにも、権威主義的国家にも吸収されやすい。
- だからこそ、戦前日本の「国家神道+天皇崇拝+軍国主義教育」は、国全体をカルト化させることができた。
現代へのつながり
日本の一部右派(例:靖国崇拝、教育勅語復権を唱える層)や、世界の権威主義的ポピュリズム(トランプ支持層、プーチン支持層など)は、この「権威主義的人格傾向」が土台にあると分析されます。「多様性は不安」「強い国を」「昔は良かった」という言説が魅力的に響くのは、権威主義的人格の特徴と一致している。
まとめ
権威主義的人格とは、
- 強い権威に従い、弱者を攻撃する
- 伝統や秩序を絶対視する
- 世界を単純化して理解する
という心理傾向。
これは カルト宗教や全体主義国家に親和的 であり、戦前日本のような体制を支持する人々が現代にも出てくる心理的土壌となっています。
ネトウヨや参政党信者における分析
ネトウヨや参政党信者における権威主義的人格傾向を分析してください。
承知しました。では、権威主義的人格傾向を、現代日本の「ネット右翼(ネトウヨ)」や「参政党支持層」に重ね合わせて分析してみます。
権威への服従
- 特徴:自分より上位の権威には従い、それを批判する者を攻撃する。
- 現代の事例:
- ネトウヨや参政党支持層は、天皇や自衛隊、首相など「国家の象徴」を絶対視。
- 政府や保守的リーダーを批判する者を「反日」「売国奴」と攻撃。
- 「国旗・国歌」に強い執着を示す。
権威(の敵)への攻撃性
- 特徴:権威を脅かす存在を敵視し、排除・攻撃する。
- 現代の事例:
- ネトウヨは中国・韓国・在日コリアン・リベラル派を激しく攻撃。
- 参政党支持層も「ワクチン推進派」「グローバリスト」「マスメディア」を敵視。
- 自分と異なる価値観を持つ人を「敵」に分類して攻撃。
伝統の絶対化
- 特徴:「昔ながらの価値観」が正しく、近代的自由や多様性を否定する。
- 現代の事例:
- ネトウヨは「戦前は立派だった」「GHQが日本を骨抜きにした」と主張。
- 参政党は「教育勅語の復権」「家族観・伝統文化を守れ」と訴える。
- 男女平等・多文化共生・人権重視には懐疑的。
ステレオタイプ思考・陰謀論
- 特徴:世界を単純に「善と悪」に分け、複雑な構造を理解しようとしない。
- 現代の事例:
- ネトウヨ:「中国=悪」「韓国=卑劣」「日本=善」
- 参政党支持層:「グローバリストが日本を支配している」「ワクチンは人口削減計画」など陰謀論を好む。
事実より「物語的な説明」を優先する。
力・強さへの執着
- 特徴:強者に憧れ、弱者を軽視する。
- 現代の事例:
- ネトウヨは「強い日本軍」を理想化し、戦争責任を軽視。
- 弱者(生活保護受給者、難民)を蔑み、「自己責任」と切り捨てる傾向。
- 参政党も「強い国」「自立」を強調し、社会的弱者への共感より国力を優先。
自己の抑圧と投影
- 特徴:不満や劣等感を外部の敵に投影し攻撃する。
- 現代の事例:
- ネトウヨは経済的・社会的な不安を「韓国人や在日が特権を得ている」などに投影。
- 参政党支持層は社会への不安を「グローバリスト」「政府の陰謀」などに重ねる。
- 自分の不安や不満を敵のせいにすることで心理的安定を得る。
結論
ネトウヨや参政党支持層の精神構造は、アドルノの指摘した「権威主義的人格」そのものに当てはまる。
- 強いリーダーや単純な秩序を好む
- 敵と味方を二分化
- 不安や不満を外部に投影し攻撃
- 伝統を絶対化し多様性を拒否
これはまさに、戦前日本の「国家カルト」と同型の心理であり、時代を超えて繰り返し現れる人間の普遍的傾向とも言えます。
アドルノ以外の研究者は?
アドルノ以外に同様のことを研究・主張した人はいますか?
はい、アドルノら(『権威主義的人格』1949)以外にも、権威主義・全体主義・カルト的精神構造を研究した学者は多くいます。大きく分けて「心理学的研究」と「社会・政治学的研究」の両面で展開されてきました。
心理学・精神分析系
- エーリッヒ・フロム
- 著書『自由からの逃走』(1941)
人間は自由を得ると同時に不安を抱く。その不安から逃れるために「権威に服従する」「強いリーダーに従う」心理が生まれる、と指摘。
ナチズムやファシズムの大衆支持を分析する上で重要。
- 著書『自由からの逃走』(1941)
- スタンレー・ミルグラム
- 「ミルグラム実験」(1960年代)で有名。
被験者が「権威者(白衣の実験者)」の指示に従って他人に強烈な電気ショックを与える行動をとることを実証。
普通の人間でも「権威への服従」で残虐行為を行い得ることを明らかにした。
- 「ミルグラム実験」(1960年代)で有名。
- フィリップ・ジンバルドー
- スタンフォード監獄実験(1971)。
普通の学生が「看守役」を与えられると、権力を乱用し被験者を虐待するようになった。
権威主義的行動は「個人の性格」だけでなく「役割・状況」によって容易に発動されることを示した。
- スタンフォード監獄実験(1971)。
政治学・社会学系
- ハンナ・アーレント
- 『全体主義の起源』(1951)
ナチズムやスターリニズムを「全体主義」として分析。
大衆が孤立し、不安定な社会で「秩序と安定」を求めると全体主義が成立すると主張。
「悪の凡庸さ」という概念で、普通の人間でも権威に従い残虐に加担することを説明。
- 『全体主義の起源』(1951)
- カレン・ホーナイ(心理学者、精神分析学派)
- 『われらいかにして権威を欲するか』で、人が不安や孤独から「権威への依存」に傾く心理を分析。
- ボブ・オルター(Bob Altemeyer)
- 1980年代以降に「右派的権威主義(RWA)」を提唱。
「権威への服従」「権威に逆らう者への攻撃」「社会秩序と伝統の重視」の3点で測定する尺度を作成。
現代の保守主義・ポピュリズム研究に多用されている。
- 1980年代以降に「右派的権威主義(RWA)」を提唱。
カルト研究との接点
- ロバート・ジェイ・リフトン
- 『洗脳の心理学』で、カルトや全体主義体制に共通する「思想改造」の8条件を提示。
例:全体主義的統制、純粋主義、聖なる権威、言葉の操作。
- 『洗脳の心理学』で、カルトや全体主義体制に共通する「思想改造」の8条件を提示。
- マーガレット・シンガー
- 『カルトの中の心』で、カルト信者の心理操作の仕組みを分析。
権威主義的な支配構造が人間の自由を奪い、批判的思考を麻痺させる過程を描いた。
- 『カルトの中の心』で、カルト信者の心理操作の仕組みを分析。
共通点
これらの研究者はいずれも、
- 不安定な社会環境 → 人は自由よりも「秩序・服従・安定」を選びやすい
- 強い権威の存在 → 普通の人間でも残虐行為に加担しやすい
個人心理と社会構造の相互作用 → 権威主義は個人の性格だけでなく、教育・制度・文化で強化される
という点を共通して指摘しています。
結論
アドルノ以外にも、フロム・アーレント・ミルグラム・ジンバルドー・アルテマイヤーなど多くの研究者が「人はなぜ権威主義に惹かれるのか」を分析してきました。それらを総合すると、人間は不安や孤独に弱く、強い権威や単純な秩序に心理的安心を求めやすい → その結果、全体主義やカルトに惹かれる、という構造が見えてきます。
こちらが 権威主義研究の系譜(1940年代〜現代) の図です。
アーレントの全体主義分析
アーレントによる全体主義の社会構造の分析はどのようなものでしたか?
ハンナ・アーレント(Hannah Arendt)が『全体主義の起源』(The Origins of Totalitarianism, 1951)で展開した 全体主義の社会構造の分析 を整理してご説明します。
出発点
アーレントはナチズムとスターリニズムを「従来の独裁や専制とは異なる、新しい支配形態」として分析しました。彼女にとって「全体主義(Totalitarianism)」は、単に権力者が強権をふるう体制ではなく、社会のあらゆる側面を統制し、人間を「孤立した大衆」に変えてしまう支配の構造でした。
全体主義の前提条件
アーレントは、全体主義が成立する前提として以下を挙げます。
- 大衆の孤立と原子化
伝統的な共同体(階級・地域・宗教)が崩壊し、個人が孤立し「孤独な大衆」になった。
→ 孤立した人々は強い権威に依存しやすい。 - 虚構とイデオロギー
「歴史の必然」「人種の優劣」などの大きな物語(イデオロギー)が、人々に意味と秩序を与える。
→ 複雑な現実を単純な「運命」や「科学的必然」として説明。 - 官僚制・秘密警察の支配
社会の隅々にまで監視と恐怖が浸透し、日常生活の細部まで支配。
→ 個人は孤立を深め、相互不信に陥る。
全体主義の社会構造の特徴
アーレントの分析では、全体主義は次のような構造を持ちます。
- 大衆運動(Mass Movement)
- 伝統的な政党や階級を超えて「全ての人を包摂する運動」として形成される。
- 特に「孤立した大衆」を動員する力を持つ。
- イデオロギー的支配(Ideological Domination)
- 全体主義は「真実」ではなく「イデオロギー」に従って現実を解釈。
- 例:ナチズムは人種論、スターリニズムは歴史唯物論。
- イデオロギーは「一切を説明できる論理体系」として機能し、異論を排除する。
- テロルとプロパガンダ
- 秘密警察による恐怖政治と、宣伝による「虚構の現実」を創り出す。
- 人々は「虚構に適応」しないと生きられない状態になる。
- 官僚制の拡張
- 支配は単なる個人崇拝ではなく、無数の役人や組織を通じて徹底的に制度化される。
- 「誰の責任でもない暴力」が日常化する。
「悪の凡庸さ」につながる視点
後年の著作『エルサレムのアイヒマン』(1963)で展開された「悪の凡庸さ」概念も、この全体主義の分析とつながります。
- アイヒマンのような官僚は狂信的な悪魔ではなく、「上からの命令をただ粛々と実行する凡庸な人間」だった。
- 全体主義の恐怖は、普通の人々が「思考停止」し、システムの歯車として残虐行為を遂行してしまうことにある。
現代的意義
アーレントの分析は、ナチズムやスターリニズムだけでなく、現代の権威主義やポピュリズムを理解するうえでも重要です。
- 孤立した人々が「強いリーダー」「単純な物語」に惹かれる構造。
- 虚構のプロパガンダに支配され、現実と虚構の境界が崩れる危険。
- 官僚制とシステム化された暴力の中で、個人が責任を放棄してしまう危険。
まとめると、アーレントの全体主義分析は、「孤立した大衆+イデオロギー+官僚的テロル」という社会構造の組み合わせが、人間を自発的に権威に従属させ、全体主義を可能にすると捉えたものでした。
「悪の凡庸さ」概念で日本軍の残虐行為を説明できるか?
悪の凡庸という概念で、日本軍の残虐行為を説明可能でしょうか?
とても本質的なご質問です。ハンナ・アーレントの「悪の凡庸さ」(the banality of evil)概念は、ナチス戦犯アイヒマン裁判の観察から導かれたもので、彼女はアイヒマンを「狂気の悪魔」ではなく 思考停止した官僚的な小役人 として描きました。つまり「深い悪意やサディズムではなく、命令やシステムに従っただけで大量虐殺に加担した」という点を強調したのです。
この視点を 日本軍の残虐行為 に適用できるかを整理してみます。
「悪の凡庸さ」の核心
- 主体性の欠如:命令を内面化し、深く考えずに従う。
- 思考の放棄:行為の倫理性を検討せず、「与えられた役割」を遂行する。
- 制度の歯車:官僚制や軍隊の命令体系の中で「個人の責任」が拡散される。
日本軍の残虐行為と共通点
アーレントの枠組みは、日本軍の加害行為を説明するうえでも有効な部分があります。
- 命令への従属
- 「上官の命令は天皇の命令」とされ、従わないことは不忠・死罪につながる。
- 兵士はしばしば「命令に従っただけ」で虐殺や略奪に加担。
- 集団圧力・同調
- 軍隊内の強烈な同調圧力やいじめ構造があり、命令に逆らえない心理環境。
- 個人の責任は拡散し、残虐行為が「集団の常識」に。
- 思考停止と非人間化
- 中国人や捕虜を「人間ではなく劣等存在」と教育。
- そのため、殺害や拷問も「仕事」「訓練」として遂行される。
- 凡庸な兵士の加担
- 多くの兵士は特別なサディストではなく、命令と環境の下で「普通の人間」として残虐に変わった。
- これはアーレントのアイヒマン像と重なる。
限界と補足
ただし、日本軍の残虐行為には「悪の凡庸さ」だけでは説明しきれない側面もあります。
- 意図的な残虐・見せしめ
→ 南京事件などでは、単なる「命令遂行」以上に、恐怖支配や示威のための残虐行為が組織的に行われた。 - 軍国主義的イデオロギー
→ 「皇国のため」「アジア解放」といった大義が人々を駆動し、単なる思考停止以上の積極的信念が動員された場合もあった。 - サディズムの発露
→ 一部には捕虜処刑や慰安婦制度における性的暴力のように、制度に加えて個人の加虐性が結びついたケースもある。
結論
- 「悪の凡庸さ」 は、日本軍の兵士たちがなぜ大量の残虐行為に加担できたのかを説明する有力な視点です。
→ 命令への従属、思考停止、集団圧力、責任の分散。 - しかし同時に、国家イデオロギー・人種主義・意図的な残虐政策 といった構造も加味しなければ、日本軍の残虐行為は十分に理解できません。
- したがって、日本軍の場合は 「悪の凡庸さ」+「イデオロギーと組織的意図」 の複合モデルで考えるのが適切です。
どうしたら防げるのか?
フロム、アドルノ、アーレントなどの研究から、権威主義的性格を持つ者が全体主義を支えてしまう可能性がわかり、またいかなる残虐なことをも行う危険性があるわけです。彼らにそれを気づかせる方策としては何が考えられますか?
とても重要な問いです。フロム・アドルノ・アーレントらの研究が示したのは、「権威主義的性格」や「孤立した大衆」がいる限り、全体主義と残虐行為の土壌は繰り返し現れるということでした。したがって「どうすれば本人に気づかせることができるのか?」は民主社会の核心課題です。
以下、心理学・教育・社会構造の三つの観点から整理します。
心理学的アプローチ(自己認識を促す)
- 批判的思考の訓練
・「なぜその権威に従うのか?」を問うリフレクション教育。
・例:権威者の命令に従う実験(ミルグラム実験)を教材として示し、自分も同じ行動をとり得ると気づかせる。 - 投影メカニズムの自覚
・自分の不安や不満を「敵」や「外集団」に投影する傾向を理解させる。
・心理ワークや対話を通じて「本当は自分の問題を外部にぶつけているのではないか?」に気づかせる。 - 共感能力の拡張
・「敵」とされた集団の具体的な人間像に触れさせる(交流・証言・物語)。
・抽象的な「敵」から「同じ人間」へと認識を転換させる。
教育・歴史的アプローチ(過去の繰り返しを防ぐ)
- 加害の記憶を体系的に学ぶ
・日本の場合、「戦争の悲惨さ」だけでなく「国民がいかに加害者に変わったか」を教育に組み込む。
・ドイツがナチスの加害教育を徹底しているのと対比される部分。 - 全体主義のプロセスを可視化
・「どうして普通の人が虐殺に手を貸したのか」を段階的に示す。
・「自分なら違う」という錯覚を打ち砕く。 - 権威批判の文化を養う
・「先生や上司に逆らうと失礼」という文化的抑圧を緩め、異論を許容する環境を教育段階から育てる。
社会構造的アプローチ(孤立と不安を減らす)
- 孤立を防ぐ仕組み
・アーレントが強調したように、孤立した大衆は全体主義の基盤になる。
・地域社会や職場での「中間集団」(自治会・労組・市民団体)の活性化が、個人を全体主義から守る。 - 不安の軽減
・経済的・社会的な不安が強いと人は「強い指導者」に依存する。
・最低限の生活保障、格差縮小、社会的セーフティーネットが必要。 - 透明性と責任の制度化
・「誰も責任を取らない官僚制」こそ全体主義の温床。
・制度として説明責任と透明性を強化し、個人が「自分も責任の一部を負っている」と自覚できる仕組みを作る。
まとめ(本人に「気づかせる」道筋)
- 「自分は無関係ではない」と実感させる(実験・歴史・証言)。
- 「敵」や「外集団」との共感的接触を通じて投影を崩す。
- 異論を言える文化と制度を整備し、思考停止を防ぐ。
- 不安や孤立の解消によって「権威にすがる必然性」を減らす。
つまり、気づかせるためには「心理的なワーク」だけでは足りず、教育と社会制度の三位一体で取り組む必要があります。
私の見方
大学時代にたまたまエーリッヒ・フロムを読む機会があり、私の中では権威主義的人格の概念が半ば常識になっていました。
オウム事件が起こったときには、まさにフロム言っているそのものじゃないかと思いましたが、新聞・テレビでそういう主張をするところはなし。「なんでこういう学歴の高い人が、こういうカルトに引っかかってしまうんでしょう?」と首をひねるのを見て、「あぁ、皆さん何も知らないんだな。わかってないんだな」と思いました。もちろん、その当時はまだ新聞・テレビの言うことを信じ込んでいましたから、それだけに不思議だったのです。今は、知っていても故意に伝えないことがあるとわかってますから。
それからかなりの年月が経過しても、未だに権威主義的人格傾向が社会的に認知されない理由は、結局のところ、連中にとってもそういった人格が都合が良いからでしょう。これは、マスメディアの問題だけではなく、教育の問題がかなり大きいと、調べるうちにわかってきました。この話はまた後でとりあげます。
ともあれ、参政党信者の心理状態をAIに分析してもらったなどに示した彼らの心理構造を見てみれば、こういった傾向の強いことがわかります。そして、これは断言できますが、リーダーである神谷が適当な理屈をつけて、「あいつらを殺せ」と言えば、間違いなく殺しにいくでしょう。その未来が私には見えるのです。本当に恐ろしいことだと感じています。
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