一般大衆と全く何の違いも無い、活動界隈の人たち

「表に出て反ワクチンなどの活動をする人たちは、一般大衆とは異なり、ウソに気づいており、自分を捨ててまで人様、ひいては人類の未来のために懸命に活動しているヒーローである」との「架空の信念」を持つ方が多いようですが、それは全くの間違いです。

私が、そういう「ヒーロー」たちを批判することに嫌悪感を持つ方がいるようですが、私を批判するそういう方々もまた、一般大衆と全く同じように、ある種の思考形態から抜け出せずにいるのです。そして、抜け出す気もさらさらありません。

私に対する批判者が一般大衆と異なる点は、「この騒ぎのウソ」に気づいている点のみであって、それ以外の思考形態というのは、一般大衆とまるで同じです。

つまり、両者に共通する思考形態は、「自らの信念は正しい。だから、他人の意見や事実など聞いたり検証する必要は無い」というものです。

一般大衆の側のこの思考形態としては、「コロナが存在して、マスク・ワクチンが効く」との信念を持ち、「それが正しいのであり、他人から言われる筋合いは無い」というものです。そして、こちらがそれに反する事実・証拠を提示しても、「それは☓☓だからだ」と、事実に基づかない自らの、本当に勝手な想像で、それを却下し、見下し、相変わらず自らの間違った信念に固執します。

この活動界隈の人の思考形態も全く同じです。彼らの一般大衆との違いは、単に「新コロのウソに気づいている」点だけです、それ以外の違いは一切ありません。彼らの信念もまた強固なもので、それを正しいと信じ込み、こちらがそれに反する証拠・証言を提示しても見ようともせずに却下します。

一般大衆と全く何の違いも無いのです。「新コロのウソ」に気づいているとは言っても、それは「たまたま」そうなっただけであって、自ら事実を追求した結果ではありません。思考形態としては、気づいていない一般大衆と全く同じで、そこから抜け出そうともしていません。抜け出したくないし、抜け出る必要も無いのです、「自らは正しい」のだから。自分の信念が事実により否定されてしまえば、自分が否定されることになります。

さて、最初に書いた「表に出て反ワクチンなどの活動をする人たちは、一般大衆とは異なり、ウソに気づいており、自分を捨ててまで人様、ひいては人類の未来のために懸命に活動しているヒーローである」という概念ですが、当然ながらこういった人たちは「ヒーローのふり」をします。この活動界隈の支持を集めるためには、そのようなパフォーマンスが必要であり、もちろん実際に役に立つところもあるでしょう。しかし、彼らの行動をつぶさに見ていけば、その真の目的が別のところにあるとわかってくるのです。

これは、あらゆる事情や裏話を見聞きしない限り見えてきません。普通の人には決してわからない部分です。彼らは「そういう見かけ」を作りたいのであり、公にボロを出すようなことはしません、これは当然です。

そして、その裏を知る私のような人間がこの「ヒーロー」たちを批判すると、私の提示した事実を見ることもなく、「それは☓☓だからだろう」と、自ら勝手にひねくりだした想像のみで、それを否定しようとする方がいるわけです。事実よりも自らの信念の方がはるかに大事であり、その信念は自分を構成するものであり、破壊されたくないのです。

そして、私の提示した事実の真実性を確認することもしませんし、事実と仮定しての評価もしません。

この騒動の「ウソ」に気づいていたとしても、そういう姿勢の方が多いわけです。自らの「ヒーロー」概念を壊されたくないのです。何度でも繰り返しますが、この態度というのは、「ウソ」に気づいていない一般大衆と全く同じレベルで、何の変わりもありません。そして、一般大衆と同じく、こういった思考形態では、今後大きく欺かれる可能性が否定できません。

それを警告しておきたいと思います。

さて、特に最近私が記事にした高橋徳の件ですが、これに対する「意見」というのが、あちこちから出てきます。その「意見」なるものは、患者の側の行動を想像で疑問視するものであり、記事内容が事実なのか否かの一切の考察がありません。彼らにとっては、高橋徳はヒーローであり、素晴らしい人であり、絶対不可侵の存在だからです。そういった信念を壊されたくないがために、高橋徳に対して直接、これが事実なのか否か確かめることもしないようです。

私は彼らの一人に言いました。「私の記事が間違いであれば、撤回して謝罪する用意があります」「証言者の方とつなぎますから、直接話してみてください」「徳先生に反論してもらってください、あなたの『意見』は不要です」と。

どちらもしないようです。そういった姿勢でしか無いのです。

そして私はこうも言いました。「患者が予約した時に、ガンのセカンドオピニオンを求めますと言ったはず。(もし、そういう業務をそもそもしていないのであれば)それを安易に受けたのは、いい加減なスタッフかもしれない。これを機会にそういった体制を見直してクリニックが繁盛するなら、その方が喜ばしいことではないですか?」と。

そういう意見も聞き入れられないようです。処置なしです。「高橋徳は、この活動を牽引する完全無欠のヒーロー」でなければならず、「一切の批判など許してはならない」のです。

こういった、事実などどうでも良い、ただの宗教的信仰にどっぷり使った人があまりに多いのが、この活動界隈の事情です。そして、再度ですが、一般大衆との何の違いもないのです。

 

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