銃所持権は神から与えられたものである(米国の話です)

これが、なぜ今のコロナ議論に関係してくるのか、字幕付ビデオを克明に見ている人であればわかると思うのですが、わからない人のために説明しておきます。

今後、米国はおそらく大変なことになります。コロナを理由にし、ロックダウンどころか、建国以来の憲法や権利章典に記述された人々の権利が取り上げられるということです。これはもちろん「あなたの安全のため」という名目で行われるのですが、そこで実際に行われることはナチそのものです。

以下のビデオは、たしかフロリダ銃撃事件の後、いわゆるリベラル・左派が子供を利用して銃規制キャンペーンをやっていた頃のものだと思いますが、今になれば、なぜ連中がしきりに銃規制したがるのかがわかってきます。米国を共産化、あるいはナチ化、あるいは人によっては強制収容所化するためには、人々が銃を持っていては困るからです。

そのために(いわゆる陰謀論者の言い分としては)、やらせの銃撃事件を起こし、何とか銃規制に持ち込む算段をとっていたわけです。

連中にとっては、米国の頭を押さえないとうまく行きませんね。日本人はとっても従順な奴隷ばかりなので放っておいても大丈夫。まずは、厄介な連中を何とかしないといけないわけです。どんなふうに厄介かは読んでもらえばわかります。そして「なぜ神に与えられたものなのか」もです。

正直言って、この話を聞くまでは理解できなかったんですね。私自身はマイケル・ムーアの大ファンをやってきて「ボウリング・フォー・コロンバイン」などを見てたりしてましたから。

 

 

イントロ

2018/3/29です、私はジェイク・モーフォ二オスです。Blackstone Intelligenceです。二日前にビデオを投稿したのですが、修正第二条に関するものです。そこで言ったことは、我々は、銃を持つという神から授かった権利があると。

視聴者のハンス・クリスチャン・クロウグスから、これはおかしいと思うと言うんです。神がこのような権利をくださったなどというのは。彼はある種おちょくっているわけですが、

「神が武器を所持する権利をくださっただと?どの神がその権利をくれたんだい?どの神がそんな法律を思いついたんだ?憲法が作られたときに。アッラーか?仏陀か、ヨシュア(イエス)か、ヤハウェ(エホバ)か?」

ですから、これに取り組んでみます。まず最初に広い意味では。。。

我々の権利はどこからくるのか

皆さん、これは本当に理解すべきことなんです。おそらくこのビデオを何度も見て、これからお教えすることの原理を学べるまでですね。これは非常に重要だからです。今現在のディベートにおいてです。政府の適切な役割とは何かです、我々の権利に関わっている場合の。我々の権利は、二つのうちの一つからしか来ません。我々の権利が神から来るのか、あるいは、人間から来るのかです。

もし、人間が、人類ですよ、人間が我々の権利を与えるのだとすれば、人間が我々の権利を制定するものであるならば、論理的帰結としては、人間がその権利を取り去ることができるんです、我々から。民主主義でできますよね、単純に多数が投票すれば。民主主義でない場合は、強制によってです。コミュニストの国のように。

いいですか?人間が権利を与えるのであれば、権利を剥奪できるんです。

ここが我々の違う点です。これが、我々の憲法的共和国の異なるところです、典型的な民主主義とは。

我々は、自身の権利が人間から来たものと信じません。我々の建国の父は学んだんです、サー・ウイリアム・ブラックストーンのような人達の仕事を。この名前を私の会社名に採用したのですが。。。ジョン・ロックの仕事を学びました。他にも多くの人からです。学者達ですね。

そして、知ったんです。すべての人間が、授けられていると。生まれながらにある種の権利をです。これは奪うことができない(inalienable)と。この意味は、つまり、剥奪できないんです。我々は生まれつきの権利を持つのです。

その権利の中でも、人生を楽しむ権利があり、自身の幸福の道を歩む権利があり、他人の権利を侵害しない限りはですね。自身の所有物を持つ権利があります。ですから、これらが三つの大きなものですね。人生を楽しむ権利、自身の選択を行う権利、所有する権利です。

しかし、邪悪な人達というのは、これは人間の本質的なものですが、人々の権利を取り上げる方法を探します。人々の幸福の道の探求をやめさせる方法を追求します、連中自身のためにです。人々の人生を取り上げたり、所有物を取り上げたり、家のような個人的な所有物であれ、お金であれ、自然資源であれ。人がそれを取り上げようとするのですから、それが、我々にとっての生まれつきの自然権と考えられたんです、我々の権利を防御するための手段としてです。もし、剥奪することのできない権利を持つのであれば、我々は、自身の人生を防御する権利を持ちます。我々の所有物もです。

神から与えられた

建国の父の時代においては、人々が彼らの人生と所有物を守るための第一義的な道具というのは、銃だったんです。そして、今日にいたるまで、銃火器がベストなんです、自身を守るための。我々は生まれついてこの権利を持つのです。これらは神によって与えられたからです。

もし我々の権利が神によって与えられたのであれば、人間がそれを剥奪することはできません。たとえ、多数の投票であったとしても。もし神が与えたのであれば、神のみが剥奪できるんです。人間がやってきて、こう言うとします、

「投票した。我々は君の命を奪うことになった。君の所有物を奪うことになった。多数決だから」

そうではありません。我々の権利は創造主から来ているのです。それが建国の父達の共通概念だったんです。

そして、米国政府とこの200年間の人々の同意事項でもあるんです。ですから、この権利が神から来たものであり、人間ではないという認識ですが、それが我々のシステムを異なるものにしているんです、他の国の政治システムとは。そこでは、自由は剥ぎ取られています、なぜなら、彼らの指向性というのは、「あなたには権利がある、なぜならそもそも政府があなたに権利が与えたからだ」と。そして「我々が与えたのだから、取り戻せる」と。

だからこそ、これが大きな政策なんです、コミュニスト体制のですね。神への信仰を破壊するということです。カール・マルクスは悪魔主義者です。単なる無神論者ではありません。彼の書いたものを読んでごらんなさい、悪魔主義者ですよ。それがカール・マルクスの立ち位置であり、「シオン賢者の議定書」の立ち位置です。宗教的自由を破壊することです。そして神への信仰を滅ぼすのです。

これは、あらゆる共産国に渡って見られますね。連中は、神へのいかなる信仰も制圧し、信仰を表明すれば殺害されます。このようにして、人々はこういった間違った信念に洗脳されるんです。神は存在しないと。

もし神が存在しないのであれば、誰があなたに権利を与えたのでしょう?神じゃありません、現実じゃありませんから。この意味は、国があなたに権利を与えたということです。

そして、もし国が権利を与えたなら、国が剥奪できるんです。国が与えたものは剥奪できます。さて、我々の権利が神から来たのか、人間から来たのかを理解したうえで、この誤りがわかりますか?人々の言う意見の誤りです。例えば、「私はリバタリアンです。神は信じません」。多くのリバタリアンが無神論者ですね。彼らは、「我々は不可侵の権利を持つ」「しかし、神は信じない」と。

しかし、人間が与えた権利なら、人間が剥奪できるんです。あなたが何を言おうが。これは実際的な現実というものです。私は何も教会的人間になれと言ってるわけじゃありません。教会に行かねばならないとか。単に真実を認めることです、人間は生まれつき権利をもっていることです。

他者はそれを剥奪できません。この権利は神から来たのです。彼をどのように呼ぼうが。仏陀と呼ぼうが、アッラーだろうが、イエスだろうが、好きなように呼ぼうが、偉大な魂ですね。どう神を解釈しようが、あなた次第なんです。しかし、創造主、人類の上にあるパワー、それが権利を授けたという信念は、これは誰もが信じるべきものなのです。なぜなら、それを信じなければ、政府に騙されてしまうのです。これは、基本的な前提に基づいていません。

そして、我々は確実に専制下になるのです。なぜなら、国は、あなたの権利を剥奪するからです。その一つが修正第二条です。

修正第二条(銃所持権)

これについて少しお話ししましょう。修正第二条が記述された実際の方法としては、非常に古いものなんです、今日の我々にとっては。こういう文章です。

「規律ある(well-regulated)民兵(militia)は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない。」

OK。人々はこういった行進を見て、そこにリベラル達がいて、話しています。修正第二条なんて信じる必要は無いとか、退役した最高裁判事が、無効化すべきだと言ってみたり、CNNホストを辞めたラリー・キングが、修正第二条の無効化について話していますね。

この意味を説明させてください、歴史学者の一人として。戻って見る必要があるんです。これらの言葉が何を意味するのか。彼らの使ったその当時ですね。なぜなら、ご存知のように200年前は、ある言葉の使われ方は違っているからです。言葉は変わりやすいものなんです。ですから、現代の言葉で修正第二条を判断することはできないんです。戻って、その意味を見なければなりません。そして、これらの言葉が、現代の言葉で何を意味するのか、組み込むんです。そうやって理解できるわけです。1780年代に行われた何かを、2018年の言葉に基づき、どのように話すかです。

well-regulated=well-functioning

ここノースカロライナに私は住んでいます。ノースカロライナ大学という学校があります。1789年のオリジナルの学校設立趣意書では。。。この当時は、米国憲法が書かれた当時ですね。ノースカロライナ大学の設立趣意書が言うことには、

「すべての規律ある(well-regulated)政府においてさえ、すべての立法府では必須のものである、来るべき世代の幸福や云々を参考にすることは、すべての規律ある(well-regulated)政府」

そう言ってるんです。「規律ある(well-regulated)」です。修正第二条は、「規律ある(well-regulated)民兵」と言ってますね。

では、「規律ある(well-regulated)」とは、どんな意味なのでしょう?私は大学で歴史を専攻しました。私が集中したのは、革命戦争(独立戦争)当時です。その当時、米国は植民地で、「規律ある(well-regulated)」という言葉の意味は、「正しく機能している(well-functioning)」だったんです。これには証拠がありますね、今読みました。ノースカロライナ大学設立趣意書です、1789年です。「規律ある(well-regulated)」は「正しく機能している(well-functioning)」です。

ですから、規律ある学校というのは、軍やら何やらに厳格に統制・管理されたという意味ではありません。規律ある民兵とは、効果的に機能している民兵のことです。規律あるとは、効果的に機能していることなんです。

ちょっと脇に置きましょう。建国の父達は、知っていました、人々の身体を自由にさせておくために、武装した民兵が必要だったんです。これが次のポイントです。修正第二条の言葉のですね。父達は知っていました、これは記述の中に繰り返されています。人々には民兵が必要だと。疑問としては、民兵は何を意味しているのかです。なぜなら、現代の人は言いますよね、「民兵とは巨大な軍だ」とか、「これだよ」とか「あれだよ」とか。これを言ったのはラリー・キングだと思いますが、「違うよ、奴隷達を鎮圧するためのものだ」と。違いますよ。

民兵=人々

父達は非常に明確にしています、民兵が何かを。彼らは、故郷の土地に常備軍を保持することを恐れていたんです。なぜなら、常備軍は簡単に人々に対して牙を向くからです。これは違法ですよ、米軍が米国民に対して使われることは。彼らは、常備軍が国民に対抗することを望まなかったんです。その代わり、国内に防御を提供したんです。父達は効果的な武装した民兵を望みました。

ここに民兵の定義があります。建国の父、リチャード・ヘンリー・リーですが、よく知られた建国の父ですね。彼が民兵(militia)という言葉を定義してます。

「適切に形成された民兵は、実際には、人々自身である。そして、常備軍を大きく不要にし、自由を保つことができる。これは人々全体にとって本質的要素である。つまり、常時武器を携帯することである。そして、特に若者の場合だが、皆同じようにその使い方を教わる」

こういうことですよ。極めて率直ですよね。民兵とは、人々自身なんです。彼らは、それを所有し、使い方を教わるんです。極めて単刀直入ですよね。

しかし、現代のリベラルは、この説明を無視するわけです、建国の父達によって与えられたものを。連中は無視して欲しいんですよ、我々を英国から解放するために戦い、憲法を書いた、まさにその男たちの意図をです。憲法それ自身についてお話しするなら、中心となる著者は、ジェームズ・マディソンですね。初期の大統領の一人です。ジェームズ・マディソンが憲法の主任設計者と言えます。

彼が民兵について何と言ったかといえば、

「憲法は、武装することの優位性を守る。これは米国民がほとんどの他国とは異なり、所持するものである、そこでは、政府が武装した国民を恐れている。規律ある民兵は、人々から構成され、武器の訓練がされることは、ベストであり、自由な国おける最も自然な防御である」

皆さん、この民兵とは何かという定義は、建国の父達の書いたあらゆる物の中にあるんです。ですから、過去に戻ってみれば、建国の世代での理解の意味に立ち戻ってみれば。。。彼らが何を言ったかを見れば、民兵の意味とは人々それ自身なんです。国の一般大衆ですよ。

これらを一緒にして、立ち戻ってみましょう。憲法を読み直すのです、修正第二条が、どのように書かれているか。

「規律ある(well-regulated)民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない。」

ですから、現代の言葉を使うならば、この意味は何でしょうか?

「政府は侵してはならない、人民が銃を所持し、使う権利を。人民が、その敵から自らと国を守るためである。」

これが憲法の言うところです。そして、すべての独善的なリベラルは、すべての詭弁を弄しても、変更することはできないのです。ですから、もし、この議論を他者とするならば、修正第二条を持つべきだろうがなかろうが、この基本的原理を理解する必要があります。理解する必要があるんです、憲法が何と言っているのか。彼らの使っている言葉の意味は何かを。

修正第二条は専制と戦うため

我々は専制と戦うために教育が必要なんです。事実として、我々の建国の父達は、武器所持の権利を失くすことを心配してはいませんでした。これは、カモ猟が好きな人達に衝撃を与えますが、彼らは、スポーツイベントの目的のために銃を守ろうとしたわけではなく、あるいは、感謝祭のために七面鳥をとるためでもなく。

彼らが心配したのは、もし我々が、武器所持の権利をなくせば、我々自身を専制から守れないと。そして、自身の政府が自らに襲いかかるのを見ていたのです。彼らは英国王室の支配下だったんです。ワシントンや他の人間は英国王室の者です。政府が彼らに牙を向くまでは。そして殺し始めたんです。

彼らの権利を剥奪し、そして、彼らは反抗しました。そして知ったんです、力を求めるのが人間の本質であると。そして、政府が非常に強い力を持つと、自らの国民を攻撃し、意のままにし、奴隷にすると。人民は、自らを防衛する手段を持たねばならないのです。

だからこそ、建国の父は言ったんです。人々全体が良く武装せねばならず、連邦政府にはそれを侵害するいかなる正当化もできないと、人民が武器を所持する権利について。連射装置を禁止する?(?)連邦政府が出る幕はなんです。個人が議論を欲すると声明した場合は(?)声明の問題です。しかし、連邦政府は銃を禁止できないのです。

政府の力は、我々の与えたものである

言うかもしれませんね、個人が大容量のマガジンを何に使うんだ?と。言いましょう。ナチの突撃隊が近隣に来たとしますね。皆を根こそぎにして、貨物列車に乗せてFEMAキャンプに送るわけです。おそらくは、一度に6発以上撃ちたいと思うでしょうね。政府が持ついかなるものも、我々に向かってくる可能性があるんです。我々もまたそれを持つ権利があるんです。もし権利がなければ、連中もありません。

なぜといえば、政府は人々が持つ権利以上のものは持たないのです。我々が主人なんです。我々が与えたんです。我々は、政府の中に代表者を送ってますね。しかし、我々自身に特定の力がなければ、我々は政府にその力を与えられないんです。あなたが所有していない力は、政府に与えられません。わかってきましたか?

これは米国歴史上でも恐ろしい時です。ジョージ・ソロスや他の億万長者に資金提供された連中がいるんです。大きなグループに提供し、操作しているんです。彼らは心が弱い人達で、米国史について無知ですから。世界史もです。

外で行進し、要求してるんです。神から授かった自身を防御する権利を剥ぎ取れと。これは、自然発生の運動ではありません。これは「我々人民は立ち上がり、要求する」といったものではないんです。

メディアはそう見せようとしてますが。メディアは完全にシオニストに支配されてますからね。連中は我々の銃を追ってるんです。我々は立ち上がらねばならないんです。この段階で立ち上がらねばならないんです。銃で戦うことを意味はしませんよ。おそらく我々は屠殺されるかもしれません。

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