邦訳版のみの特典として『ジェームズ・コーベットへのインタビュー』を掲載しています。全26ページ。
- パート1:出発点〜日本で目覚めたジャーナリスト
- パート2:ジャーナリズムと真実の問題
- パート3:教育、メディアリテラシー、そしてテクノロジーの役割
- パート4:哲学、人間の自由、そして自由に生きることの意味
以下は本インタビューの1,2ページ目です。
ジェームズ・コーベットへのインタビュー
ジェームズに対する本インタビューは、訳者が2025年晩秋に行った。訳者は英語会話には堪能ではないため、実際には質問を送り、ジェームズに答えてもらう形をとった。ジェームズはこれに本当に真摯に答えてくれ、彼の知性と人間性がよりよく理解できるものとなったと思う。本インタビューは本書『REPORTAGE』日本語版のみの素晴らしい特典と自負するものである。
パート1:出発点〜日本で目覚めたジャーナリスト
質問:まず最初に、そもそもあなたは2004年に来日しましたね?カナダ出身で、アイルランドにおいてアングロ・アイルランド文学の修士号を取得したあなたが、なぜ日本の地を選び、「英語教育」の職業を選ぼうと思ったのでしょうか?
もともと私は、1997年にカルガリー大学に入学したとき物理学を専攻するつもりでした。でも、物理・化学・応用数学の授業を1学期受けてみてわかったんです。私の関心事は、数字や方程式を扱うよりも自身の創造性を発揮することだと。そこですぐに方向転換し、英文学専攻に決めました。
この思い切った進路変更では両親や他の人々から聞かれたものです、英文学の学位で何するつもりだと。本音を言ってしまえば小説家になりたかった。小さい頃から読書や書くことが大好きで、本の執筆こそ本当の天職だと感じていました。でも、小説家としての成功の可能性は非常に低いことは分かっていて、こう答えたもんです。「学位を取って何をするか分からない。でも、教師にもジャーナリストにもならないよ!」。
もちろん皮肉なことですが、最終的にはその両方になりました。
私は、ほとんど偶然に教師になりました。アイルランド・ダブリンのトリニティ・カレッジでアングロ・アイルランド文学の課程を終える頃、学生ローン返済のお金をどうやって工面するかを考え始めました。そんなある日、キャンパスで友人に会ったんですね。「何してたんだい?」と聞くと、「アジアで英語を教える仕事の求人を見てきたところだ」と言うんです。これは自分にもできそうだし、稼ぎながら世界の別の地域を見る良い機会だと思ったんです。ネット検索して最初に見つけた会社のひとつに応募しました。そこに採用され、数か月後には日本に向かい、英語教師としての新たな人生を始めていました。
それと同様に、私は偶然にもジャーナリストにもなりましたが、その話は本書の最初のエッセイ『ルポルタージュ:ニューメディアにおける冒険』にあります。
質問:今やあなたは日本での生活者として20年になるわけですが、来日当時、英語教師として働いていた当時のあなたは日本社会をどのように感じていましたか?何かしら違和感を感じたでしょうか?
私はほとんど何の準備もせずに日本に来たんです。それまで日本に住むなど考えたこともなく、日本の歴史や文化を学びもせず、日本語も数か月のみの勉強です。最初に受けた衝撃としては、私が住んだことのあるどの場所とも、日本が極端に違うわけではなかったことですね。物理法則は同じ、木々や草や動物も見慣れたもの、人々は毎朝仕事に向かって慌ただしく歩く。これはカナダやアイルランド、他のどこでも同じですよ。なぜか不思議なくらい、故郷と同じように感じられました。
しかし、学生と関わり、日本の会社で働き、日本社会に慣れていくうちに、じわじわと本当のカルチャーショックが始まったんです。
