『ジェームズ・コーベット/まだ誰も気づいていない認知戦争・認知支配】の全貌』訳者あとがき

訳者あとがき

ジェームズとの出会い

ジェームズとの出会いは2016年頃のこと。とは言っても、YouTube上の彼の動画を見つけたことである(youtube.com/@corbettreport)。その当時私は、あるスピリチュアル系のYouTube英語動画への日本語字幕付けをきっかけとして、YouTube上にある「陰謀論」と一括りにされがちな分野の英語動画の存在に気づき、手当たり次第に面白そうなものに字幕付けをしていた。当時のYouTubeは検閲も少なかったが、こういった海外動画に日本語字幕付けしてくれている方も少なく、「これを日本人に紹介しなければ」といったある種の使命感も持っていた。
 
彼の動画を見ていて気づいたのだが、そこに映る風景や町並みが海外に見えない。しかも、「From The Sunny Climes of Western Japan」などと話しており、日本にいて旅行中でもないようだ。さらに、動画に映る電柱の住所表示から岡山であることを発見。この頃にはもう「この人はただ者ではない」と確信していたので、「なぜ岡山に?」という疑問が持ちあがった(第1章『ルポルタージュ:ニューメディアにおける冒険』参照)。世界的に重要な仕事をしている人物が、東京でも大阪でもなく、岡山を拠点としていることを意外に思ったのである。
 
本書でも明かされているように、岡山の地からのコーベット・レポートの発信は2007年からなのに、2016年当時の我々日本人はほぼ誰も彼のことを知らないように思えた。今でこそ彼に注目する方は多く、「ジェームズとホイットニーこそ真実を伝える声だ」と評価する方さえいる(『ホイットニー・ウェブによる序文』参照)。実際に『ジェームズ・コーベットへのインタビュー』でも彼自身が「誤りを訂正したことはほぼない」と言うとおり、ジェームズの綿密な調査と手堅いレポートは定評のあるところだ。しかし、2016年当時、彼の動画を日本語訳する人を見かけたことはなかった。
 
時は経ち、2023年11月のこと、初めてお目にかかる機会を得る。その年に知り合った大阪在住のブライアンが、「ギタリストY氏のライブにジェームズが来るから君も来ないか?」と言うので会いに行く。その翌日にジェームズがブライアンの畑を取材する様子は、corbettreport.comの「Community Gardens」にあり(この語句で検索)、ライブの様子も映っている(オリジナルはこちら翻訳はこちら)。本書の翻訳者となれたのも、ブライアンの尽力によるものである。
 
なお、私の以前の字幕付けや他の方の記事などでは「コルベット」というカナ書きのものも多いが、より原音に近い「コーベット」に今後は統一することにしているのでご了承いただきたい。

本書の内容

本書は『著者序文』でも説明されているように、彼が15年のあいだ多忙なポッドキャストの仕事の合間を見て書き溜めたものをまとめた「エッセイ集」であり、新世界秩序を体系的に解き明かす性質のものではない。しかし、ジェームズらしく、細かな事実を積み重ね、彼の言葉では新世界秩序、ディープステートの目論見と工作を暴いている。これ以降では、私はこれを「支配層」と呼ぶことにする。
 
その一例が第2章『9/11テロ取引』だが、ここでは、世間的によく注目される旅客機衝突やビル崩壊の不自然さではなく、「アルカイダとは無関係と考えられる米国拠点の機関投資家」がテロの事前情報を使って大儲けしていたという言い逃れしようのない事実を提示している。しかも、十分な疑惑にも関わらず関係者の起訴もなく、調査記録破棄や追及打ち切りという隠蔽が公的機関で行われたことも明らかにしている。第5章『米政府中枢に入り込んだ企業Ptech』では、9/11事件と同じ日に、その裏側で史上最大級のサイバー侵害が起こっていたことを暴露する。これもまた、捜査は握りつぶされ、語られることのない状態に置かれている。第13章『9/11の内部告発者たち』は、9/11の真実に疑問を持つ「陰謀論懐疑論者」に対する強烈なパンチである。この事件においては、いかに多数の内部告発者がおり、それがいかに握りつぶされてきたかを訴えている。
 
これらは、ジェームズの活動のきっかけとなった9/11事件に関する、真実探求者の間でもあまり語られることのない事実を集めたものと考えられる。
 
また、第11章『モーリス・ストロング』では、ロックフェラー家などにバックアップされ、そのコマとして使われた一般には知られることのないストロングの人生を追うことにより、国連を中心として進められてきた世界統治計画の一端を垣間見せてくれる。
 
第8章『バイオの億万長者とGMOビジネスの終末』では、GM産業が財団・NGO・政府・国際機関が結びつく長期構造の上にあり、多国籍アグリビジネスが世界の食料を独占すべく様々な画策を行ってきたことを説明する。
 
第3章『上昇と下降の政治』では、左右対立は茶番であり、どちらを選んだところで結局はより中央集権化し、支配強化、上昇化がされていくこと。これに対し、我々が本当に求めるものは、権力縮小、地域経済、自由の回復、主権回復、侵略戦争停止などの下降の政治であると説く。
 
第14章『ビルダーバーグに反対すべき理由』では、メディアでは全く報道されないビルダーバーグ会議に政財界エリートが集まり、密室において国家経済や政策に影響する合意形成を行うという陰謀的・非民主的な事実を描いている。
 
一通り本書を読んで浮かび上がる点としては、我々のような「その他大勢」を支配せんとする、支配層とその目論見が歴史的に連綿と続き、現代でも様々な画策がされていることであり、事実は伏せられ、嘘あるいは「物語」を信じ込ませることにより行われることだ。一般のメディアは、こういったものを疑問も持たずに垂れ流している。

支配層による人間の格付け

特に重要な点として、人間には支配と被支配の役割があると支配層が人々に信じ込ませたがることである(第4章『あなたは繁殖に不要!?』参照)。古代では、王権神授説として神から与えられた支配権があると人々に信じ込ませ、時代が進んで神を信じなくなると、今度は優生・劣等という優生思想を信じ込ませる。この思想に乗せられた人々によって虐殺や迫害が起こると、今度は別の名称に変更されて隠れ優生学となった。
 
私見だが、支配層自身がこの思想を持つことは当然だろうが、被支配層つまり我々一般庶民であってもそのような思想を持ちたがる者が後を絶たない。それが現代日本では排外主義といった形で現れている。個々の人間を見るのではなく、日本人か非日本人かで人間を分け、後者であれば罪のない者を迫害してみたり、「差別してよい」と信じ込むという事態が起こっている。
 
ジェームズは将来世代を本当に憂いている。あらゆる歴史的事実、現代社会の嘘をくまなく見てきた彼だからこそ、人類の向かっている方向を明確に予測しているのだ。特に『インタビュー』で明らかにされているが、「我々が階層的権力構造を作り続ける限り、我々を騙す人間がそれを利用することを避けられない」という点。そして、特にサイコパス・ソシオパスの類の方がその地位に上りやすい点である。
 
我々の一部に人を人とも思わぬ人間が存在することは事実であり、我々が彼らのために構造的権力構造をせっせと作り続け、彼らが権力を握ってしまうこともまた事実である。
 
国家や政治について研究しつくしてきたジェームズの視点としては、これらは廃棄されるべきであるというものだ。第7章『グローバリズムを本当に打ち負かす方法』の後半にはアナーキズム(無政府主義)の初歩的説明があるが、ここで語られることを私なりにまとめてみよう。
 
人間には自然権があり、これは「他者の権利を侵害しない限り、自由に生きることができる。誰も命令・強制・剥奪することはできない」というものだ。この自然権を持つ個人が、2人だろうが、100人集まって賛成しようが、他者を命令・強制・剥奪する権利は発生しないはずだ。ところが、日本の場合には約1億2千万人集まると、その代表者には魔法のようにその権利が発生してしまうらしい。これが「民主主義」と呼ばれるものの正体なのである。個々人がもともと持ちあわせてもいない権利が、どういうわけか投票によって発生することになっている。
 
しかし、「民主主義国家」の国民である我々は、これを当然のものとして受け入れ、疑問を持たず、結果的にサイコパス支配層のための権力構造を全員で維持しているのではないだろうか?

人間は本来何であるか?どう生きるべきか?

我々は「この国を、世界をもっと良くしたい」と願い、「我々の思いを託せる者」に投票し、支持し、仲間にも呼びかける。しかし、それでは解決にならないのだ。実際、日本の政治状況を見てみれば、どれほど同じことが繰り返され、どれほど同じ結果になっているだろう?
 
我々の中からひと握りの者が代表者になり、彼らが権力を握れば、我々をコントロールしたい支配層側にとってはむしろ好都合である。それらの「頭」を押さえるだけで良いのだ。真の対抗策は「我々を統治する者を投票で選ぶ」のではなく、権威への信仰を捨て、命令に従う義務があるという前提を拒否する「意識の転換」である。これがジェームズの強調する点だろう。
 
彼は言う、「すべての人間は生まれながらにして平等であるという考え方。いかなる自称権力者も、奪うことを正当化しえない、侵せない権利が存在すること。我々の生命、自由、財産は侵せないものであり、それを侵害せんとする者に抵抗するのは我々の義務である」(第12章『「独立」の本当の意味』)。
 
では、この考え方に基づくアナーキズムの世界になると、社会はどうなるのか? 当然の疑問なのだが、彼はここに自生的秩序を持ち込む(第15章『自生的秩序入門』参照)。人々がお互いに気づかいながら、自然に秩序が作られるというものである。犯罪でさえ、これによって対処できるのではないかと彼は言う。成文法や中央集権的な強制ルールではなく、人間同士の相互理解と合意に基づく秩序が可能ではないか、という問題提起である。
 
もちろん、現代国家の権力構造に浸かりきった我々が構成し、「他者より多くを得たい」という強欲の支配する社会では、まるで夢物語ではある。しかし、遠い未来の理想像を描いたSFなどを想像してみれば、ありえないことではないだろう。必要なことは、我々が少しずつでもこの概念を理解し、歩を進めていくことだ。でなければ、今まで通り、いやそれ以上に、支配層は我々に対してやりたい放題やることになってしまう。
 
それが全世界的に如実に現れたのが、『インタビュー』中で彼が答えてくれ、衝撃を受けたというコロナ詐欺デミックである。彼は疑問を発すべきオルタナメディアも含めて全人類が騙されてしまったという認識であり、これには完全に同意する。仮に恐ろしい感染症の流行が事実であったとしても、我々には「身体的自己決定権」という自由があり、マスクやワクチンを強制される言われは無いのである。
 
ちなみに私自身は、コロナ騒動が始まった後の2020年4月以降、この問題についてあらゆる情報を収集した結果、ウイルス学の言うウイルスなるもの自体が存在していないこと、少なくともウイルス学者の言う証明なるものはすべて科学的に無効であると確信している。その成果としての書籍が『本当は何があなたを病気にするのか』『ウイルスは存在しない!ガンは存在しない!血は骨でつくってない!』(共にヒカルランド)である。
 
本来、人間は幸せになりたいものである。人間としての人生をまっとうしたいものである。これを許さず、言いなりにさせようとしているのが支配層というものだ。まさか、この現代にもなって、中世封建社会のような領主と農奴の関係にされようとしているなどとは思いもよらないだろうが、これが着々と推進されている。このために彼らはあらゆる嘘をつき、脅しをかけ、さらには「便利」という言葉を使い、人々に自ら進んで従わせようとしているのだ(第6章『マトリックスのステーキに魂を売る』第9章『服従を楽しむ方法』参照)。

人類の未来と日本国憲法

20年近くにわたり、この世界のあらゆる真実を追求してきたジェームズの未来観は、かなり悲観的だ。第19章『未来への手紙』では、支配層の目論見通りにシープルとなってしまい、自由・人間性・個人という概念さえもなくなったであろう未来人にこう伝える、「あなたがそうなったことに、私はどんなに泣いたことか。私はそれを回避しようとした。どうか信じてほしい。本当に努力したのだ」。
 
この巨大な数の世界人類を支配層の目的の場所に連れていくには、非常に込み入った戦略が必要であり、実際にそれが行われている。国家対立、左右対立、テロ、戦争、はたまた感染症危機や温暖化危機が演出され、事実は徹底的に隠されている。その一方、「便利」「楽しい」の甘言のもとに、人々は自ら進んでプライバシーを差し出し、支配層の悲願である全人類監視に好都合な状況が完成しつつある。
 
最後に、日本国民の自由の根本にある日本国憲法の人権条項を再確認しておこう。改憲論議や緊急事態条項をめぐる動きが活発化する中で、これらの条文が持つ意味は、改めて問い直される局面にあると考えている。世間一般では9条改正の是非が話題になるが、騙されてはいけない。改憲の本丸は間違いなく人権条項であり、支配層はこれが邪魔で仕方ないのである。
 
日本国憲法の規定は世界的に見ても特に厳しく、先に述べたコロナ騒動において、日本国内では諸外国のようにマスク・ワクチン強制ができず、同調圧力に頼らざるをえなかった。

第3章 国民の権利及び義務 第11条:国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第10章 最高法規 第97条:この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に耐へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

 この人権規定がジェームズの言う自然権思想からきていることは、憲法学においてほぼ通説的に説明される。これらは、17世紀から18世紀のロック、ルソーなどの啓蒙思想から来ており、米独立宣言や仏人権宣言にも取り入れられ、日本国憲法のみならず、国連憲章、世界人権宣言、国際人権規約にも組み込まれており、「国家よりも上位にある原理」であることは人類的合意事項である。これら人権は、国家が与えるものではなく、人間であること自体に由来するのであり、現行憲法はそれを追認しているにすぎない。この権利の剥奪はできないからこそ、日本国憲法の二つの条文に「侵すことのできない永久の権利」とされているのである。
 
しかし、一般の方の多くは、改憲によって人権規定がなくなれば、消滅してしまうものだと誤解しているだろう。これもまた支配層による洗脳工作のおかげで、我々は憲法およびその条文が「上から与えられるもの」と思わされているからだ。何度でも強調しておきたいが、これら自然権は国家や憲法とは無関係に存在するのであり、我々は「支配層の統治装置」に制約される存在ではない。
 
ジェームズは言う、「ここは主権を持つ人間で満たされた世界であり、我々一人ひとりは、自分の人生をどう生きるかについて、自身で選択する自然権を持って生まれてきている」(第17章『グランドチェス盤から逃れる』)。
 
支配層のやり口は非常に巧妙だ。一般のメディアだけではない。もはや、いっけん我々の味方に見えるようなSNS上の言説であっても、何かしらの誘導と私には思えるものが多数ある。このような状況において、多くの方にジェームズの仕事を知ってもらいたいし、それと同時に人間とは何かを問い直していただきたいと願う次第である。
 
なお、本書や他のジェームズの仕事に関する情報は、次のURLで提供する予定である。

https://odysee.com/@corbett:e
 
2026年1月 字幕大王