フラットアーサーの愚かさ(3):蜃気楼はなかったことに

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この記事の三行要約

  • フラットアース支持者の中には誠実な人もいる一方、一部には他者を見下す態度の人がおり、その主張の検証を進めている。
  • 「遠方が見えるから地球は平面」という主張に対し、上位・下位蜃気楼を例に、空気密度の違いで光が曲がる現象を説明。
  • 光は必ず直進するわけではなく、身近な観測事実を無視して都合よく解釈している点が、フラットアース論の大きな問題である。

何度でも書きますが、フラットアーサーで仲良くしてもらっている方は多数います。彼らは偏見なく物事を見れる人たちですし、人間的にも優れています。

その一方で、ごく一部には上から目線で、「フラットアースを理解できない者は馬鹿だ!わかってないお前はレベル1だ!」と平然と言い放つような極めて傲慢な人間もいます。そういった、単なる「フラットアース宗教に洗脳された者」は、フラットアース界どころか、この社会の害悪でしかないと考えています。

そこで私は、こういった人間のデタラメを暴くことに決めました。彼らにとっての「フラットアースという馬鹿げた教義」を完全論破すべく日々勉強しています。

さて、「地球が球体であれば見えるはずのないものが見える!だから地球は平面だ!」というのがフラットアーサーの定番論理ですが、彼らは蜃気楼現象というものを一切知らないようです。

フラットアーサーの愚かさ(1):遠方が見えるからと言って平面の証明ではないでも、ちらっと触れましたが、ちゃんとした言葉で説明してみましょう。蜃気楼には二通りあります。

  • 上位蜃気楼:本来は見えるはずのない、下の方、曲面の向こうに隠れているはずのもの(船など)が見える
  • 下位蜃気楼:本来は見えるはずのない、上の方にあるはずのもの(空など)が見える

上位、下位という名称は、実像に対して虚像がどちらに見えるかを示しているそうです。そして、これらの蜃気楼現象が起こる原因は空気の密度の違いにあります。

どういうことか説明していきましょう。

上位蜃気楼

例えば、水平線の向こうにあるはずの船が見える現象です。実際の船の位置よりも「上」に見えるので上位蜃気楼と呼ばれます。

これが起こる理由は、海面が冷たく、その周囲の空気が冷たい状態で、上部の空気が温かい状態のときです。下の空気は密度が大きく、上は密度が小さいときに、光が密度の大きな方に向かって曲がってしまうわけです。

そのため、船から発した光が、地球の曲面に沿って曲がり、観測者の目に届くため、地球の曲面の向こう側にある船が見えるというわけです。場合によっては、海面の上に船が見えることもあります。

下位蜃気楼

例えば、道路の上に空が見える現象、いわゆる逃げ水です。水のように見えるものは、当然ですが、水ではなく空が見えているだけです。

※ちなみに、「地球は平面だ!」と主張する方は、先に述べた上位蜃気楼の例は否定できるかもしれませんが、この下位蜃気楼の否定はできません。仮に地球が平面であっても成立し、言い逃れしようがないからです。否定するのであれば、別の理屈を考えねばなりませんね。

この場合、道路上の空気は熱く熱せられており、その上の空気は比較的冷たい状態です。したがって、さきほどとは逆で、空からの光が、道路付近の熱い空気で曲げられて観測者の目に届くわけですね。

空という、上にあるものが下に見えることで、こういった現象は下位蜃気楼と呼ばれます。

光は意外に簡単に曲がってしまう

これらの事例を見れば、意外に光が簡単に曲がることがわかりますね。光は必ずしも直進するとは限りませんし、ごく身近な例で光が曲がることを理解できます。

これらの事実を見れば、「地球が球体であれば見えるはずのないものが見える!だから地球は平面だ!」というフラットアーサーの論理がいかに馬鹿げているかわかるというものです。

再度ですが、光は直進しない場合もあり、場合によっては想像しえないほど曲がってしまうのです。

もちろんこれが、純粋に現代物理学なるものの単なる計算上のもので、一般庶民には実感できないものであれば、彼らもまた「現代物理学などまったく信用に値しない!そんなものウソだ!」と言い訳する余地もあるのですが、これらは比較的身近に経験できる現象です。

また、彼らは常日頃、「地球が自転してるのにそれを感じないじゃないか!自転などしていないんだ!」と主張していますね。つまり彼らは、「経験的観測」を重視しているわけです。しかしその一方で、こういった身近な例で示されている不都合な事実を全く無視しているということです。

どうも自身に都合のよい経験を取捨選択しているようです。

結局は、自らの都合によって事実を取捨選択しているだけなのがフラットアーサーという存在です。これも何度も言っておきますが、結局のところ宗教的信念にすぎないのです。フラットアース教というただの宗教です。

さて、フラットアーサーがこれに反論するにはどうしたら良いのでしょう?他人事ながら心配になってきました。

 

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