沢口ゆうじのネット選挙を破壊した榎本セイヤ、その2

2021年7月15日

沢口ゆうじのネット選挙を破壊した榎本セイヤの続きです。

榎本セイヤとニコミ会

ちょうど一年前ですが、榎本セイヤは都知事選に出ていた平塚正幸の応援をしており、当時はほとんど外に出ずに字幕付けばかりをやっていた私は、都知事選のライブ動画でその姿を見て「平塚より演説うまいじゃん、イケメンだし」などとお気楽に思っていました。

その後、彼は、8月ごろ結成された日本と子どもの未来を考える会(ニコミ会)のデモの司会もやるようになっていました。9月21日の国会議事堂前デモでは、私もスピーチを依頼されたのですが、その司会もやっていました。

ところで、この頃のニコミ会というのは、半ば武士道に「乗っ取られた」形でした。当時の代表者サスケ、司会アシスタントの粒あん等は完全に武士道派で、9/21デモでは与国夫妻がトリを努め、武士道関係者が何人もスピーチを行い、武士道の旗が何本もひらめくといった始末でした。

今から思えば、ニコミ会というのは何かしら武士道の傀儡組織、隠れ蓑に過ぎない状態だったのです。

私は9/21国会議事堂デモの当時には、このことを気にもしていなかったのですが、その後与国秀行のインチキぶりに気が付き、幸福の科学の新コロ対策~信仰パワーで死ななくなるという記事を書いています。

当時私は、代表サスケの行動やニコミ会への武士道の侵食ぶりを、私にスピーチを依頼してきた現代表のきぃに対して批判していたのです。が、サスケが辞めさせられ、ひつきが代表になった後で、副代表となったきぃと話し合う機会ができ、11月初頭だと思うのですが、ニコミ会に相談役という形で入ることになりました。

この時点でもまだ、ニコミ会は、武士道シンパの人間の発言力が大きかったのです。当時の代表のひつき、粒あん、メンバーではありませんがデモ司会をしていたセイヤです。そして、11月の新宿駅デモでは、あいも変わらず与国夫妻が出演していました。

※たしか私はこのデモで沢口氏と初めて会ったと思います。

その後、これまた武士道のことを大嫌いなJTがニコミメンバーとなり、結局のところ、武士道シンパとの間での勢力争いとなった、と外部の方であれば形容しても良いでしょう。

我々にとってみれば、ごく普通の市民団体から、別の目的を持って入り込んだ、いかがわしい連中を追い出すという作業をしていたに過ぎませんが。

真実を隠すデモ

さて、11月の新宿デモに出演した与国秀行は、副代表のきぃに頼みごとをしました。「12/20に我々がデモをやるから、ニコミ会の名前を貸してくれ」とです。なぜか与国サンは、自分が主催するデモであるにも関わらず、自分達の名前を出さずに、ニコミ会の名前を出してくれと言うのです。

これについては、「真実を伝えるデモ」は武士道(=幸福の科学)の隠れ蓑、騙されるな!に書きました。

当時副代表のきぃは、当然断りました。何をするのかわからず、こちらが一枚も噛んでいないのに、ニコミ会の名前など出せないのは当然です。これで終了したかと思いきや、セイヤからのきぃに対する電話攻撃が始まったのです。

ここで気がついた方もいるでしょうが、当時きぃは副代表であり、代表はひつきだったのですが、代表の方は実質的に何もしていませんでした。結局采配を振るっていたのはきぃの方でした。

ともあれ、真実を隠すデモ、もとい真実を伝えるデモに名前を貸せと、セイヤはしつこく電話をかけてきました。私も含む赤羽でのミーティング中にもかけてきて、きぃが「字幕さんも絶対駄目だと言ってる」と言うと、私に電話を変われと言い、私を説得しようとしたのです。

12/20の真実を隠すデモ、もとい真実を伝えるデモへの名前貸し要請が11月からあり、セイヤからのしつこい電話攻撃を我々は拒否しました。その後の、12/6の宇都宮街宣の夜のミーティングで、きぃはひつきに対してとうとう「代表を代われ」と言い出し、この時点できぃが代表者となりました。

そして、12/14のことですが、前代表で武士道シンパであるひつきが、メンバーでも無い司会のみのセイヤをニコミのLINEグループに勝手に引き入れ、当時メンバーであった粒あんも含め、きぃを締め上げようとしたのです。

私はこれを、完全にクーデター未遂だと考えています。つまり、武士道の言うことを聞かなくなったニコミ会の方向を修正せんがため、セイヤを筆頭とする武士道シンパ連中が新代表となったきぃを攻め立てようとしたのです。

沢口ゆうじのネット選挙を破壊した榎本セイヤ、その3