この記事の三行要約
- バーチェット事件や原爆調査団、NYT報道をノーラン『原爆投下、米国人医師は何を見たか』などと照合すると、米側の放射線情報には統制・否定的な対応があった。
- 林が「残留放射能はない」「一生住める」といった米側の発表を引用する一方、ノーランが記すグローヴスの懸念、ウォレンらの警告、調査前からの結論設定を取り上げ、林が都合のよい情報だけを採用している。
- また、林が白血球・赤血球減少に「硫黄マスタードガスの典型的な症状」と独自に注釈している点は問題。「放射線ではない→毒ガス」という推論には毒ガスを裏付ける証拠が必要。
原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(29)〜第20章:林の厚顔無恥さには呆れるほかない(1)に引き続き、林千勝著、経営科学出版の書籍『広島・長崎 悲劇の正体』の『第20章 日本メディアと米軍によるプロパガンダの数々』について見ていきます。
林の記述は茶色で示しています。「ノーラン」とは、書籍『原爆投下、米国人医師は何を見たか――マンハッタン計画から広島・長崎まで 隠蔽された真実』(ジェームズ・ノーラン) のことです。
林の悪質な騙しの手口
情報統制
林P220:同日、米軍による情報統制が強化された。
ダグラス・マッカーサーは、すべての米国人記者を取材本部がある横浜に隔離する命令を出した。主要駅や交通の要所に兵士を配して、連合国記者が広島・長崎へ行くことをも防いだ。
9月6日、ファレル准将が帝国ホテルでバーチェットのスクープ記事を否定する記者会見を開催。バーチェットも参加し、次のように発言。
「広島の中心部の川まで泳いできた魚が、そこで突然腹を上にして死んでいく。このことをどう説明するのか」
「元気な魚が市内の川のあるところに来たら突然腹を上にして浮かび、そして死んでいるのを私は目撃している」
この直後、バーチェットは体調を崩してアメリカ陸軍病院に収容される。検査結果は、白血球の減少(硫黄マスタードガスの典型的な症状)。しかし、「古傷の化膿のため」と診断される。広島で撮影したフィルムが入ったカメラは消え、取材許可が取り消された。
林がどこからこれを持ってきたのかわかりませんが、ノーランが同じようなことを書いています。
ノーランP141:グローヴス将軍を悩ませていた報道の類の一例として、オーストラリア出身のジャーナリスト、ウィルフレッド・バーチェットの記事がある。ファレル将軍が記者会見を開くほんの数日前までのこと。バーチェットは果敢にも電車で広島へ潜入した。そのあと、モールス信号を使ってこっそりと原稿を送り、これは九月六日付で英国のデイリー・エクスプレス紙に掲載された。バーチェットはその記事のなかで、爆弾による日本人犠牲者がつぎつぎと謎の死をとげる現象を「原爆の疫病」とよんだ。バーチェットは、広島の取材からどうにか東京に戻ると、九月七日のファレル将軍による会見に出席した。バーチェットは、死者続出の原因を単に爆弾の爆風と熱線の影響だと主張するファレル将軍に、髪や衣服も乱れたままのバーチェットは食ってかかった。実際に広島へ行ったのか、と。もちろん、ファレル将軍は行っていなかった。調査団は翌日出発予定だったのだから。それから、バーチェットはたった今広島で見てきたばかりの、放射線に関連する死や負傷の実態の一部を語った。原爆の影響を受けた川の下流に魚がはいって汚染により死ぬのを自分の目で見た話もした。ファレル将軍は、数週間まえにコリンズに反論されたときと同じように、挑戦的なバーチェットを「いらだった表情」で見返した。そして、「残念ながら、あなたも日本のプロパガンダにやられてしまったようですね」と言い捨てると、会見を締めくくって着席した。⁴⁵
バーチェットは、あとで病院に運ばれ、白血球数が低いとわかった。⁴⁶ このときはひどい感染症が原因だろうと言われて抗生物質を処方されたが、のちに自分で放射線病が原因だったと結論づけた。退院すると、自分のカメラで撮影した写真が没収され、取材許可が取り消されていることを知った。バーチェットは総司令部によって日本から追放され、その後の報道を禁止された。⁴⁷ 一週間後、マッカーサー元帥は日本からの情報持ち出しの一時停止を決めた。九月一九日発行のこの検閲命令は、医学的傷害に関する情報を含め、原爆被害の報道を固く禁じるものだった。⁴⁸
後で説明しますが、ここで明確にわかることは、米側は真実を報道されたくなかったこと。そして、ファレルの「残念ながら、あなたも日本のプロパガンダにやられてしまったようですね」との言からわかるように、日本側が残留放射能の危険性を声高に言っていたことです。
林は米側のプロパガンダ垂れ流し
林P220:9月8日、連合国専門家視察団のファレル准将他12人が、広島において、放射線測定、被爆患者の実態調査を行った。
「広島に放射能汚染(残留放射能)はない」
「一生そこに住める」
が結論だった。ニューヨーク・タイムズ(1945年9月12日付)は、次の見出しの記事を掲載した。
「ニューメキシコの爆発地点において放射能を記録したレントゲンメーターを調査」
「トリニティ実験場に残留放射能は無かった」
オッペンハイマーらマンハッタン計画の主要科学者7人が、レントゲンメーターの周りを囲んで調べている写真も掲載。
「この原爆実験場(トリニティ)では放射能が検出されなかったという」グローヴス将軍はファレル将軍の話として、日本筋は、原爆が広島を殲滅した11日後には、そこの放射線許容量よりも遥かに低かったことを認めている」と紹介された。
9月12日、ファレル准将が帝国ホテルで記者会見。
ニューヨーク・タイムズ(1945年9月12日付)記事……
「破壊された広島の調査を終えたファレル准将は、秘密兵器の爆発力は開発者の予測をはるかに上回ったと報告する。一方で、その兵器が危険な残留する放射能、また、爆発時に毒ガスのようなものを発生させたかについては断固否定した」ニューヨーク・タイムズ(1945年9月13日付)記事……
「広島の廃墟に放射能なし 陸軍調査官、大地の溶解もなしと報告
ファレル准将はその指揮下の科学者グループが調査を始めた9月9日、爆発地点に放射能が残っているという証拠は見つからなかったと述べ、彼の意見として、現在の地域で住むことによる危険はないと語った。」ニューヨーク・タイムズ(1945年9月13日付)社説……
「日本の調査が主張する赤血球の減少(硫黄マスタードガスの典型的な症状)は作り話だ。白血球の減少(硫黄マスタードガスの典型的な症状)の可能性はあるかもしれないが疑わしいと判断せざるを得ない」
これらも引用元がわからないのですが、林は米側のプロパガンダをそのまま垂れ流しているだけです。しかも林は、勝手に(硫黄マスタードガスの典型的な症状)などと入れて読者を誘導しようとしています。何もかんも自由自在です。
グローブズへの都合のいい報告
林P224:10月5日、ニューマン将軍のグローヴス将軍への報告……
「長崎市の東側一体で放射線が検出され、その量はバックグラウンド放射線の2から6倍、いくつかの地点では10から50倍(と低い水準)だった」
「放射能の存在は、爆心地近くで中性子が放出され、続いてその中性子が熱中性子とともに街から上昇した塵芥によってまき散らされた結果として説明できる」
「長崎市およびその周辺のいかなる場所にも危険な量の放射線が存在したことは決してない、と(マンハッタン計画調査団医師班長)ウォレンは何の但し書きもなく述べている。」(3)
元ネタは以下ですね。
ノーランP200:一〇月五日のニューマン将軍の通信文は解釈が難しい。一方では、アメリカ人医師と日本人医師の双方による多くの調査結果を認めている。グローヴス将軍が好ましく思わないと予想される情報だ。たとえば、市の東側の一帯で放射線が検出され、その量はバックグラウンド放射線の二から六倍、いくつかの地点では一〇から五〇倍だったことを報告している。さらに、「放射能の存在は、爆心地近くで中性子が放出され、つづいてその中性子が熱柱とともに町から上昇した塵芥によってまき散らされた結果として説明できる」というウォレンの見解にも言及した。ニューマン将軍は、爆心地付近でおこなった特定の物質の測定は「強い中性子衝撃」を示唆していた、というウォレンの調査結果も報告している。⁸⁶
ニューマン将軍はさらにこう報告している。「最近の重大なガンマ線傷害事例の多くは、一二〇〇メートル以内で発見された。比較的重大でない傷害事例は二五〇〇メートル以内である」。負傷者推定四万人のうち、「ガンマ線により負傷し、そのほかには重大な傷害が見られない」人数は約五〇〇〇〇人、と見当をつけてもいる。こうした情報をすべて勘案すると、全五ページの覚書の三ページ目に記載されたつぎの一行は理解に苦しむ。「長崎市およびその周辺のいかなる場所にも危険な量の放射線が存在したことはけっしてない、とウォレンはなんのただし書きもなく述べている」。グローヴス将軍は、ほかのデータがあるにもかかわらず、この一行を気に入って利用するだろうことは想像にかたくない。ニューマン将軍は、陸軍調査団のオーダーソンと海軍調査団のシールズ・ウォレンが、このあとも日本に滞在して研究をつづけるとともに、マンハッタン計画調査団が始めた案件についても追跡調査をする予定だ、とグローヴス将軍に報告して覚書を締めくくった。⁸⁷
この本の上の記述に先立つ131-137ページを見てみると、グローヴスがこの情報を嫌った理由、ウォレンの一行を気に入った理由がわかります。もちろん、林はこれらの記述を一切無視しています。かいつまんで紹介してみましょう。
ノーランP131:広島の原爆投下から数日がたつと、日本から現在進行中の放射線による被害に関する報道が出はじめた。グローヴス将軍は明らかに動揺していた。日本人の体への悪影響を案じたのではない。マンハッタン計画による原爆の製造および使用に対する世論の悪化を懸念したのだ。
(略)
八月二五日、グローヴス将軍は気が気でない様子でチャールズ・リール軍医に二度、電話をかけた。
(略)
リール軍医は、上官の不安をやわらげようとして、驚くべき発言をする。自分の推測では、記事で言及されている傷害は単なる「熱傷」のなごりだと言い、今必要なのは、こうした「たわ言」と「巧みなプロパガンダ」に真正面から立ち向かうことではないか、と述べたのだ。
(略)
グローヴス将軍の動揺を感じとったリール軍医は、医師やほかの関係者が放射線傷害を予期していたことを将軍に告げなかったばかりでなく、つぎのように勧めた。日本の「プロパガンダ」は誤りだと公式に示すとともに、「大物による反駁記事を新聞に掲載」すべきだ、と。²²
グローヴス将軍は、自分の部下であるマンハッタン計画の科学者のひとりが公に見解を述べたことにも対処しなければならなかった。八月七日、広島原爆投下の翌日、三三歳のコロンビア大学の遺伝学者ハロルド・ジェイコブソンは、報道記者にこう述べた。爆弾による放射線の影響は相当なものになるだろうし、広島に堆積した放射線が完全に消滅するには七〇年かかるだろう、と。日本の人々は、今もこの発言を覚えており、引用することもある。
(略)
「完全にどうかしてますね」と、電話越しにジェイコブソンの記事を読んで聞かされたオッペンハイマーは言い、さらにこうつけ加えた。「ニューメキシコでの実験に基づけば、地上の放射能は測定不可能な量であり、そのごく微量の放射能もすぐさま消滅するはずです」。²³ スタフォード・ウォレンもオッペンハイマーの見解を支持することにより、グローヴス将軍がジェイコブソンに対して公式に反駁する準備を整えてやった。
マンハッタン計画においてシカゴ大学治金研究所の健康管理部門主任を務める放射線学者の医師ロバート・ストーンは、オッペンハイマーが放射能の影響を全面否定しているという記事を読んで仰天した。その後すぐにオークリッジにいる昔の教え子ハイマー・フリーデルに手紙を書いて自分の驚きをこう伝えた。「オッペンハイマーの発言を引用しているという新聞発表を読んだときはわが目を疑った。放射能の危険なんてまるでないみたいな書きぶりだった。すべては関連していると思うのだが」²⁴ と。実際には、オッペンハイマーとウォレンのふたりは、放射能が日本におよぼす被害の可能性を承知しており、グローヴス将軍とファレル将軍に警告を発してもいた。
広島・長崎原爆投下の三カ月まえ、オッペンハイマーはファレル将軍に宛てた機密の覚書のなかで、爆発から予期される放射能についてはっきりとこう警告している。「爆発に際して放出される放射線によって、(遮蔽物がなかぎり)半径一・六キロメートル以内の人が死亡することが予測される」と。さらに、気象条件によっては残留放射線が生じることも考えられ、爆発後に雨が降った場合はとくにその懸念が強まる、と認めてさえいる。²⁵
広島・長崎爆撃の約二週間まえ、同じくウォレンもグローヴス将軍宛に機密の覚書を送り(一九八一年にようやく機密扱い解除)、トリニティ実験の計算結果に基づいて、核爆発直後の街にはいる部隊が被ばくする危険性について警告している。さらに、想定被ばくレベルの表まで提示し、被ばくレベルごとに「通常の活動をおこなう部隊」に生じうる傷害の重篤度を記していた。記載された被ばくレベルは無視できるものではなく、その値は爆撃地域にとどまる時間の長さによって三〇から五〇〇レントゲンまでさまざまだった。高いほうの値の場合、隊員は「永久的な損傷」を受けるという予測までしていた。
ジェイコブソンはどうなったかというと、発言を公式に訂正することを強要された。自分のオフィスで軍の対諜報部員に尋問され、投獄するぞと脅されると、もうだめだった。
(略)
合同調査委員会(とくにマンハッタン計画調査団)の重要な目的は、放射線の影響を自分たちでじかに評価することと、放射線の危険かつ広範な影響に関するプロパガンダとやらに対抗することだった。グローヴス将軍とウォレンが集めた調査団の参加者のひとりに、ドナルド・コリンズ中尉がいた。
(略)
コリンズはこう回想している。「ファレル将軍は私たちにむかってもっとはっきりこう言った。われわれの任務は、爆弾からの放射能などないと証明することだ」と。³⁰
(略)
痛烈な皮肉を用いて、コリンズはこうまとめている。「日本に上陸するのをすわって待っているあいだ……手にした星条旗新聞に今からおこなう調査の結果が載っていた!」
要するに、グローヴスにとっては、残留放射能の危険があってはならなかったのです。そのためにあらゆる手をつくしたのですが、最初はグローヴスに警告していたオッペンハイマーとウォレンも後には同調、ジェイコブソンは脅されて発言撤回を迫られ、コリンズは自分の調査の結論があらかじめ決まっていると知って愕然としたのです。
林の引用している部分は単に当時の米側のプロパガンダであって、原著者のノーランの意図が林とはまるで逆であることがわかるでしょう。
米軍側プロパガンダ社説
林P224:ニューヨーク・タイムズ(1945年10月7日付)社説……
主任軍医の10日間の長崎の現地調査の結果として、
「現地調査は長崎の危険性を否定
原爆投下後の放射能は時計の蛍光文字盤の1,000分の1であり、ガイガーカウンターの放射能測定値はシアトルやサンフランシスコよりもむしろ低い値だ」
引用元が不明ですが、これまたただのプロパガンダだとわかります。林は、どうしても残留放射能などないことにしたいので、その結論に合う素材だけを引っ張ってきているだけです。
お笑いな林の記述
特にお笑いなのは、林の次の記述です。
P221:この直後、バーチェットは体調を崩してアメリカ陸軍病院に収容される。検査結果は、白血球の減少(硫黄マスタードガスの典型的な症状)。しかし、「古傷の化膿のため」と診断される。広島で撮影したフィルムが入ったカメラは消え、取材許可が取り消された。
P223:ニューヨーク・タイムズ(1945年9月13日付)社説……
「日本の調査が主張する赤血球の減少(硫黄マスタードガスの典型的な症状)は作り話だ。白血球の減少(硫黄マスタードガスの典型的な症状)の可能性はあるかもしれないが疑わしいと判断せざるを得ない」
引用のはずなのに、勝手に自分の妄想を追加しています。また、放射線によって白血球減少も赤血球減少も起こるのに、林はわざわざ「硫黄マスタードガスの典型的な症状」と注釈を入れることによって、何も考えない読者を誘導しようとしているのです。
そしてもちろん、林は「放射能はなかった」と主張したいがために、米側プロパガンダを垂れ流す一方、毒ガスの証拠を一切提示できていません。
- 放射能はなかった→体調不良、病気、死亡は毒ガスのせいだ
という、「Aではないのだから、Bに違いない」という馬鹿げた論理でしかないのです。
これは終戦直後の話なのですから、林の主張するように都築博士や矢崎博士に限らず、「毒ガスではないか?」と疑問を持った人たち(これまで見たように、これも林による嘘なのですが)がいるのであれば、何かしら研究しているはずですが、そんな事実が一切出てこないのです。
そもそも、林は第11章にて、(米ではなく、日本こそが毒ガス使用国であることに一切言及せず)「米からの毒ガス攻撃があるかもと日本は備えていた」と書いているとおり、林が参照する『広島永年防空計画』には毒ガス検知器なども記述されているにも関わらず、「軍人が毒ガスを検出した」などの証言も一切ありません。
要するに、林には何もありません。何の証拠も提示できない、ただの妄想にすぎないものを、読者に思わせようと印象操作しているだけです。
再度、「AではないからBだ」です。Aに対する疑問を書き連ねても、自動的にBが正しいことにはなりません。この程度の論理も理解できていないのが林という人間です。

コメント