この記事の三行要約
- 林はセヴァスキーの「広島は通常爆撃都市と同じように見えた」という証言を根拠に原爆説を否定しようとするが、セヴァスキー自身は原爆の実在を否定しておらず、比較対象となる核爆発も存在しない。
- また、原爆を否定するなら、少数機で短時間に生じた広範な破壊・死傷を通常爆撃や毒ガス等でどう再現したのか、さらに日米双方の膨大な原爆関連記録をどう説明するのかという問題が残る。
- 結局、林は「原爆ならどのような都市破壊・人体影響になるのか」を示さないまま、「通常爆撃でも説明できる」「毒ガスでも説明できる」ことを「だから原爆ではない」とする論理に陥っている。
林千勝著、経営科学出版の書籍『広島・長崎 悲劇の正体』から『第12章 太陽でも巨大隕石でもなかった』についてです。
原爆なかった説の最大の問題点
ある事象があるとして、「その原因はAではなくBである」と主張するとします。当然ですが、この場合の事象とは都市の広範な破壊と人々の障害・死亡です。
それが、A)一発の原爆ではなく、B)大量の閃光弾・ナパーム・サーモバリック爆弾・毒ガス・放射性廃棄物等によるものであると。パルマーや林はBを証明しようとしていますね。証明には至らなくても、少なくとも読者が納得できるような説明ができなければなりません。
しかし、その説明に与えられた制約は非常に厳しいのです。次を満たさねばなりません。
- あの日広島上空に侵入した機体は偵察機も含めて数機と言われる。
- 日本側の記録もそうだし、米側の記録も同じ
- 短時間で非常に広範で大規模な都市破壊が起こった
- 短時間で多くの人が死亡・重度の障害に見舞われた
- 何よりも、これらは多くの生存者の目の前で起こったこと
もし原爆が存在しなかったとすれば、パルマーが認めるようにB29が220機は必要です。原爆の威力はとてつもなく強大ですから(彼らにとっては存在していませんが)、それと同じ破壊力の爆薬等を運ぶには大群のB29が必要になるのです。上の制約のもとで、どうやってそれを行ったかが問題です。
しかし、上の制約のままでは、誰がどう考えても不可能です。したがって、この制約は誤りのはず。すると、誤りである論拠を示さねばなりません。最大の問題は、日本側・米側の記録ともに「数機だった」こと。多くの生存者の目前で起こっていること。「大編隊が来て、爆弾を次々に落とした」という証言がないことです。パルマーも林も、この制約を破壊するにはまるで至っていません。
この制約を破壊するには、日米の政府レベルでの協力が絶対に必要です。パルマーも林も何の説明もできていません。パルマーはある程度の推測をしていますが、林のこの本ではむしろ、読者をそこから遠ざけるかのようです。
日本側・米側の記録を改ざんする、そもそもそんな大群は来ていないことにする。参加した米兵士やその関係者を口止めする。日本の目撃者も口封じして、証言を変えさせる。
これはもはや国家的事業です。両国ともに上から下まで口裏を合わせなければなりません。この件に関わっていない人、巻き込まれていない人を除く、すべての人を操作しなければならないのです。しかも、それに至るすべてのおびただしい米公文書も改ざんする必要があります。いかにも、核爆弾ができつつあり、最終的には完成し、広島・長崎に落としたという辻褄の合うストーリーにする必要があります。もちろん、日本側の文書もです。これを一体どうやったのでしょうか?
パルマー・林は一切何の説明もできていないどころか、米側の機密解除されたトップシークレット文書をもとに「原爆はできていなかった」と論じてしまっています(1945/5/31の暫定委員会会議録)。しかし、この文書自体の前後の文脈、この前後の会議の流れを見てみると(当然それらも機密解除されたトップシークレット文書)、いかにも原爆開発が順調のようであり、「それを日本のどの都市に落とすか」を議論しているのです。彼らにとってこれらは捏造でなければならないはずです。
パルマー・林は、一つの会議の記録のごく一部だけを「なかった」根拠にしながら、同じ会議の他の部分、他の無数の会議記録は捏造としうるのでしょうか?その論拠もまた、パルマー・林は示さねばならないはずです。
上記の重大な問題がまったく解決されていませんが、問題はまだあります。彼らは、「原爆ではなく、大量の爆薬等が人々の死亡・障害と広範な都市破壊を引き起こした」と主張します。すると、その主張自体に矛盾が出てくるのです。
「これは毒ガスの症状である。放射線等ではない」と言います。しかし、この主張は成立しません。なぜなら、人々の目前で原爆が炸裂した例は人類史上、広島・長崎しかなく、彼らはそれら二つともがウソと主張しているからです。したがって、このような事例は人類史上存在していないのですから、そんな目にあった人々がどう死亡するか、どのような症状になるかは誰にもわかりません。
したがって、「これは毒ガスの症状である。放射線等ではない」と言うことはできません。もしそう主張したいのであれば、逆に「そういう目にあった人がどうなるのか」を提示し、毒ガス被害者と比較する必要があります。
都市破壊についても同じです。彼らは、「これは原爆による都市破壊ではない、通常爆撃によるものだ」としますが、そんな言い分は通りません。彼らの主張では、「原爆はない」のですから、「原爆による都市破壊がどのようなものか」はわかりません。主張自体が矛盾しています。
つまり、彼らは「原爆の被害はこうであるべき」という未証明の勝手なイメージを作り上げ、「それとは違うから原爆ではない」と言ってるだけです。まるで子供の議論です。
セヴァスキーの孫引きだが、林は重要な点を省略
さて、本題に戻って、『第12章 太陽でも巨大隕石でもなかった』を見ていきます。ここで林はこう言います。
P123:ロシア系米国人で航空界のパイオニア、米軍爆撃破壊効果の専門家で、日本の主要都市および広島・長崎を調査訪問(8月後半〜9月上旬)したアレクサンダー・セヴァスキーの証言は無視しえない。
セヴァスキーの言の概要は以下です。
- 広島は他の焼け野原の都市と全く同じ
- 通常兵器とは違う現象を探したが、なかった
- 鉄橋もコンクリートも無傷
- 旗竿、避雷針、塗装済み手すり、サイレンなどが建物の上に残されていた
- 木々が蒸発すると予想したが、かなりの数が直立したまま
- 48時間以内に路面電車が走った
このセヴァスキーの言は、『Michael Palmer / Hiroshima Revisited(偽装された原爆投下 広島・長崎原爆の物理学的・医学的エビデンスへの再検討)』からの引用です。林はパルマーが引用したセヴァスキーの証言を流用しているわけです。
“Hiroshima Revisited”で、パルマーは正直にこう書いています。
P5:As is clear from de Seversky’s protestations, he did not question the reality of the atomic bombs. His only ‘sin’ was to faithfully report the lack of evidence of their distinct and apocalyptic effects; the bombed cities of Hiroshima and Nagasaki had impressed him in much the same way as the many cities destroyed by conventional air bombing which he had visited before.
セヴァスキーの抗議から明らかなように、彼は原子爆弾の実在性を疑っていたわけではない。彼の唯一の「罪」は、原爆特有の、終末的な効果を示す証拠が欠けていることを忠実に報告したことだった。広島と長崎の爆撃された都市は、彼がそれ以前に訪れた、通常の航空爆撃によって破壊された数多くの都市と、ほぼ同じような印象を彼に与えたのである。
We will return to the question of what visible traces a nuclear blast should or should not have left behind in Chapter 13; here, we will simply note that the visible signs of Hiroshima’s destruction were compatible with a conventional bombing raid. Let us now sample some proper, quantifiable physical evidence.
核爆発によって、どのような目に見える痕跡が残るはずだったのか、あるいは残らないはずだったのかという問題については、第13章で改めて取り上げる。ここでは、広島の破壊に見られた目に見える痕跡が、通常の爆撃による空襲とも整合するものだったという点だけを指摘しておこう。それではここから、きちんと定量化することのできる物理的証拠をいくつか見ていくことにしよう。
ところが、このあとパルマーは、なぜか広島の降下物の話に切り替えています。「Little Boyには大量のU-235があったはずだ。ところが広島の降下物から検出されたU-235は非常に少ない。原爆が本当に爆発したなら、なぜもっとウランが見つからないのか?」というものです。
これに対し、パルマーをネタ元としてセヴァスキーを流用した林は、極めて姑息なことにセヴァスキーの姿勢を無視し、パルマーが認めていることにも言及せず、いかにも「セヴァスキーは原爆の存在を疑っていた」かのような印象操作をしています。ここでもいつもの手口です。
「では、原爆ならどうなるのか? 」に林は答えられない
最初に論じたことをもう一度繰り返します。
林は、被災者の症状について、「これは原爆ではなく毒ガスだ」と主張しますが、しかし、林の立場としては広島・長崎原爆は偽装なのですから、人々の目前で原爆が炸裂したことはありません。したがって、原爆直下の人間がどうなるのかというデータは一切なく、示すこともできないのに「原爆ではない」との主張は通用しません。
セヴァスキーのケースも同じで、原爆が炸裂した(と言われる)都市は広島・長崎以外にはありませんから、それが通常爆撃の焼け野原と変わらないとしても、林にとって(原爆はなかったのですから)比較対象となる都市は存在しません。したがって、「これは大規模爆撃による普通の焼け野原だ、原爆ではない」との主張はできません。
林はこの章の最後にこう書いています。
P126:東京大空襲との比較はタブー
メディアも科学も政治も、広島・長崎と東京大空襲を比較することはタブーのようだ。さすれば東京大空襲を小規模化して閃光と毒ガスを加えたものがほぼ広島・長崎だとわかってしまうからだろう。
私自身も、原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(12)〜林の主張はトライライトゾーンの出来事において東京大空襲との比較をしてみましたが、その結論としてこう書きました。
そうなんです。通常爆撃で広島の被害を出すには、220機のB29がどうしても必要になるのです。この大編隊が白昼堂々と爆弾を落としているところを、誰も見なかったというのですか?日本の監視所も何も検知しなかったというのですか?
ありえませんね。
林はこの疑問に一切答えられません。これに対する答えがない限り、林の主張は決して成立しません。東京大空襲との比較をする前に、まずはこの疑問に答えましょうか。

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