原爆なかった論の戯言:原爆ではなく、Palmer(林)の主張こそが完全なフィクション

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原爆なかった論の戯言:「原爆は未完成だった」は極めて浅い見方の続きです。

この記事の三行要約

  • Palmerは、Comptonの5月31日発言から「Pu爆弾は少なくとも約2年先」と推論し、Trinityと長崎のPu爆弾説を否定する。
  • さらにGrovesや科学者は真相を知っていたと仮定し、他の政治家・軍人を欺いたと推測するが、その証拠は提示されていない。
  • しかしOppenheimer、GrovesらはTrinityや原爆使用計画の中心人物でもあり、この点を説明しないとPalmer説には大きな矛盾が生じる 

本記事を読む場合には、資料集を参照してください。

『Michael Palmer / Hiroshima Revisited(邦訳:ミヒャエル・パルマー/偽装された原爆投下 広島・長崎原爆の物理学的・医学的エビデンスへの再検討)』における記述を検証するわけですが、Palmerの主張(おそらく林も同様でしょう)は、あまりにずさんと言わざるをえません。

あまりに無理すぎて失笑レベル

こういったものにはありがちですが、自身に都合の良い「証拠」には強い推測を加え、そこから必然的に発生する矛盾はまるでほったらかしで無視しているだけです。細かく見ていけば、大きくツッコミの入る余地があちこちにあるのです。詳細説明は後にして、とりあえずまとめておきます。

  • Palmerは1945年5月31日の議事録を取り上げ、Comptonによる「U-235爆弾(ウラン、広島型)は生産中」とする説明をフィクション、ウソと判断する。なぜなら、そんなに大量のU-235はなかった「はず」だから。これを公式の広島型原爆の存在を否定する論拠の一つとしている。
  • Pu(プルトニウム、長崎型)については、「1946年1月から1年半」「Puを大量に得るには3年」というCompton発言から、1945年5月末から約2年経たなければ最初のPu爆弾を組み立てられないと推論している。しかしCompton自身はそのようには述べていない。曖昧な言い方にPalmerが強い推測を加えただけ。
  • Palmerはさらに、会議出席者の一部、Grovesと科学者たちは「true state of affairs(実際の状況)」を知っていたと想定し、政治家・軍人の一部を欺くためにU-235爆弾の話がでっちあげられたと推測する。しかし、その証拠は提示されていない。ただの推測。
  • ところが、その後の6月以降の一次資料でも、原爆の日本への使用を具体的に前提とした議論が継続している。したがってPalmer説を採用するなら、真相を知る一部の関係者が虚偽を維持したまま、原爆投下を前提とする軍事計画を進め続けたことになる。
  • 極めつけとしては、7月19日、Oppenheimerから提案を受けたGrovesは、既存スケジュールを変更できないとして、最初のLittle Boy、最初のFat Man、そしておそらくFat Man2発目も当初計画どおり使用する必要があるとOppenheimerに回答している。もしこれが両者での秘密通信であれば、真実を共有する両者がこんな会話などするはずがない。逆に関係者への公開前提であれば、この時点でもまだウソをついて騙していたことになる。
  • Palmer説は、広島・長崎の原爆投下そのものを偽装とする。しかし、実際の爆撃作戦を誰が、いつ、どのように計画し、関係する軍人・搭乗員・整備員・兵器担当者等にどこまで真相を知らせ、その後どのように秘密を維持したのかの説明は一切ない。7/26に原爆投下命令が出ているのに、その後、10日間でどうやって作戦を変えたのか?
  • Palmer説によれば、実際の作戦では、200機のB29という大編隊を用意し、大量の毒ガス、核爆発による放射能とみせかけるための廃棄物を搭載し、大規模な軍事作戦として実行したということになる。観測機を含む三機編隊と200機による大量爆撃ではまるで規模が違う。
  • Palmerによる推測のもととなっているのは、単に5/31の議事録についてのみであり、この部分のみをとりあげたPalmerの主張は、その後の実際の攻撃までを何も説明できていない。

特にPalmerが掘った巨大な墓穴としては、「Grovesと科学者たちは、原爆など作れないとわかっていた」と想定していることです。すると、上で示したGloves, Oppenheimerの通信の説明がつかないし、その後の実際の原爆投下直前まで軍側の統括者Glovesはウソをつき続けたことになるのです。特に7/26には、原爆投下命令が出ており、具体的に広島、小倉、長崎、新潟の名があがっています。それがGlovesにも転送されているのです。あまりと言えば、あまりに辻褄があいません。

いつの時点で彼らは「全部ウソでした、通常爆撃で偽装してくださいな」と言ったのでしょうか?

いや、調べる前は、Palmer・林説も可能性としてありうるのかとも思いましたが、ないない。不可能です。私が提示した疑問に答えられることもないでしょう。完全なトンデモです。

彼らに残された道としては、「いやいや、原爆じゃないけど、3機編隊で何かしらの新兵器を使い、あれだけの被害を出したんだ!」と主張することでしょうね。こうすれば、科学者側は「核爆発です!」と偽って、実際には何かしらの「強力な通常兵器」を作ったという話になるでしょう。しかしまぁ、何にしても一発で大規模な被害が出ることに変わりはないので、結局同じことですが。

Palmerの主張を詳しく

1945/5/31の暫定委員会でのComptonの発言はこのようなものです。

  • 第1段階:ウラン235を分離する
  • 第2段階:原子炉(breeder piles)を利用して、プルトニウムや新しい種類のウランを生産する
  • 第1段階の物質は「現在生産中の原爆」に使われている
  • 第2段階による爆弾は、現在生産中の爆弾よりはるかに大きな爆発力を持つ
  • 第2段階の爆弾はまだ実際の爆発試験をしていないが、科学的には実現可能と考えられている
  • 1946年1月から数えて、第2段階を実証するには約1年半
  • プルトニウムを大量に得るには3年程度
  • 競争相手が追いつくには約6年

実際のPalmerの本から、この部分を抜き出してみます。

P69:3.7.1 Arthur Compton in 1945: plutonium bomb several years away
The ‘Interim Committee’ was a panel of leading scientists and politicians that was convened in 1945 to deliberate and advise on the future military and civilian use of atomic energy. Its affiliated scientific panel comprised leading physicists Robert Oppenheimer, Enrico Fermi, Arthur Compton, and Ernest Lawrence; all were present at the meeting in Washington, DC on May 31st, 1945. The following quote is taken from the protocol of this meeting [53]:

3.7.1 1945年のアーサー・コンプトン:プルトニウム爆弾は数年先
「暫定委員会(Interim Committee)」は、原子力の将来の軍事利用および民生利用について検討し、助言するために、1945年に招集された、主要な科学者と政治家による委員会であった。これに付属する科学顧問団には、主要な物理学者であるロバート・オッペンハイマー、エンリコ・フェルミ、アーサー・コンプトン、アーネスト・ローレンスが名を連ねており、彼らは全員、1945年5月31日にワシントンD.C.で開かれた会議に出席していた。以下の引用は、この会議の議事録(protocol)から取ったものである[53]。 

この資料の、1945年5月31日――暫定委員会:Comptonの「3年」を引用している。

Apparently, the somewhat bland wording of this excerpt caused the bureaucrats who declassified this originally ‘top secret’ file to miss its true import; however, the meaning is unmistakable. 
Compton’s first stage involves the isotopic enrichment of uranium. This comprises the production of both highly and weakly enriched 235U. The highly enriched uranium is for building bombs of the Hiroshima type; remarkably, the protocol claims that such bombs are “now in production.” 

どうやら、この抜粋の一見すると淡々とした、目立たない表現のために、もともと「最高機密(top secret)」だったこの文書を機密解除した官僚たちは、その本当の意味を見落としてしまったようである。しかし、その意味は明白である。Comptonが述べる第1段階は、ウランの同位体濃縮である。これには、高度に濃縮されたU-235と、低濃縮のU-235の両方の生産が含まれる。高濃縮ウランは、広島型の爆弾を製造するためのものである。そして驚くべきことに、この議事録には、そのような爆弾が「現在、生産中である(now in production)」と記されている。

The second stage discussed by Compton concerns the production of plutonium. In this stage, he includes the generation of 239Pu within weakly enriched uranium by letting the latter go critical inside an atomic reactor (‘breeder pile’), as well as the subsequent purification of plutonium from the resulting complex mixture of uranium, 239Pu and 240Pu, and fission products.¹¹ 

Comptonが論じている第2段階は、プルトニウムの生産に関するものである。この段階には、低濃縮ウランを原子炉(「ブリーダー・パイル」)の中で臨界状態にすることによって、低濃縮ウランの内部にPu-239を生成することが含まれている。また、それによって生じる、ウラン、Pu-239、Pu-240、そして核分裂生成物からなる複雑な混合物から、その後プルトニウムを精製することも含まれている。¹¹

After these preliminaries, Compton discusses the prospects for the plutonium bomb. He states that the reactor-generated nuclide mixture is currently available on a scale of up to “pounds or hundreds of pounds.”¹² However, this mixture will contain 239Pu only in proportion to the amount of 235U which was initially included in the pristine reactor fuel. In all likelihood, the ratio of 239Pu formed to 235U supplied was less than 1. Therefore, even ‘hundreds of pounds’ of the ‘enriched material’ would amount to several pounds of purified 239Pu at best. 

こうした予備的な説明の後、Comptonはプルトニウム爆弾の実現可能性について論じている。彼によれば、原子炉によって生成された核種の混合物(nuclide mixture)は、現在すでに「ポンド、あるいは数百ポンド」という規模で得られている。¹²しかし、この混合物に含まれるPu-239の量は、最初に新しい原子炉燃料に投入されたU-235の量に比例する。おそらく、生成されたPu-239と供給されたU-235の比率は1未満だったと考えられる。したがって、「数百ポンド」にも及ぶ「濃縮物質(enriched material)」が存在したとしても、そこから得られる精製済みPu-239は、せいぜい数ポンド程度にしかならない。

Compton further states that, counting from the beginning of 1946, it will take an estimated 1.5 years to “prove this second stage in view of certain technical and metallurgical difficulties.” Since the first part of the second stage, namely, the production of ‘enriched material’, is already working, these difficulties must concern the purification of plutonium from it. Finally, he states that it will take yet more time to obtain plutonium ‘in volume’, which likely means in sufficient quantities for bomb manufacture.

 Comptonはさらに、1946年初頭を起点として1年半あれば、「一定の技術的・冶金学的困難を考慮した上で、この第2段階を実証する」ことができるだろうと述べている。第2段階の最初の部分、すなわち「濃縮物質(enriched material)の生産」はすでに機能しているのであるから、ここでいう困難は、その濃縮物質からプルトニウムを精製することに関するものだと考えられる。そして最後にComptonは、プルトニウムを「in volume(大量に)」得るためには、さらに時間が必要だと述べている。これはおそらく、爆弾を製造するのに十分な量という意味だろう。

Even if we optimistically assume that ‘proving the second stage’ will already provide enough plutonium for a small number of bombs, Compton’s words still imply that, counting from the time of the meeting, two more years must pass before the first plutonium bomb can be assembled. Thus, the inference is unavoidable that a plutonium bomb could not possibly have been ready a mere six weeks later for the fabled test at Alamogordo, or for the bombing of Nagasaki three weeks after that—or even for the ‘Able’ and ‘Baker’ alleged nuclear bomb tests at the Bikini Atoll in 1946.

仮に楽観的に、「第2段階を実証する」ことによって、すでに少数の爆弾を製造するのに十分なプルトニウムが得られると仮定したとしても、Comptonの言葉からは、最初のプルトニウム爆弾を組み立てられるようになるまで、会議の時点からなお2年が経過しなければならないことになる。したがって、プルトニウム爆弾が、わずか6週間後にアラモゴードで行われたとされる伝説的な実験のために準備できていたはずはなく、ましてその3週間後の長崎への爆撃に使用できたはずもない。さらには、1946年にビキニ環礁で行われたとされる核実験「Able」および「Baker」に使用することも不可能だったはずである。

Considering the report’s surprising claim that 235U bombs are already in production as of May 1945, we may wonder why so much emphasis is placed on the plutonium bomb. The explanation may be in the expected explosive yields of various bomb types, which Oppenheimer states at this meeting as up to 20 kt for the 235U bomb, but up to 100 kt for the 239Pu bomb—and even 100,000 kt for the ‘third stage’, by which is meant the hydrogen bomb.

5月の時点ですでにU-235爆弾が生産中だったという、この報告書の驚くべき記述を考えると、なぜこれほどまでにプルトニウム爆弾に重点が置かれているのか、疑問に思うかもしれない。その説明は、さまざまなタイプの爆弾について想定されていた爆発威力の違いにあるのかもしれない。この会議でOppenheimerは、想定される爆発力について、U-235爆弾:最大20キロトン、Pu-239爆弾:最大100キロトン、「第3段階」――つまり水素爆弾:最大100,000キロトンと述べている。

Overall, this remarkable protocol collides with two important aspects of mainstream atomic bomb lore—namely, that ‘Little Boy’ was the only 235U bomb available at the time, and that two 239Pu bombs would have been ready for use at Alamogordo and at Nagasaki.

全体として、この驚くべき議事録は、主流の原爆史における二つの重要な事柄と衝突している。すなわち、「Little Boy」が当時利用可能だった唯一のU-235爆弾だったこと、アラモゴードと長崎で使用するための2発のPu-239爆弾が準備されていたことである。

Should we take seriously its claim that 235U bombs “are now in production”? The small amount available of ‘enriched materials’ indicates that even reactor-grade uranium was still in short supply; that much more highly enriched 235U was available in the large quantities required for atomic bomb production is surely fiction.

では、この議事録にある、「U-235爆弾は現在、生産中である」という主張を、果たして真剣に受け止めるべきなのだろうか?利用可能だった「濃縮物質(enriched materials)」の量が少なかったことは、原子炉級ウランでさえまだ不足していたことを示している。まして、原子爆弾の製造に必要な大量の高濃縮U-235が利用可能だったという話は、明らかにフィクション(fiction)である。

さらにPalmerはこう書いています。

P72:We can assume that Leslie Groves and all of the scientists in attendance were aware of the true state of affairs. It thus seems that the fictional tale of uranium bombs already being in production was told at this meeting to keep some of the attending politicians and military officers in the dark. As among those present are listed Secretary of War Henry L. Stimson, James F. Byrnes, soon to be appointed as Secretary of State, and U.S. Army Chief of Staff George C. Marshall. However, even those participants who may have been deceived with respect to the uranium bombs must have understood soon after that the stories about the plutonium bombs having been detonated at Alamogordo and Nagasaki could not possibly be true. The protocol thus illuminates the striking extent of duplicity and deception engaged in alike by scientists, politicians, and military officers.¹³

レスリー・グローブズと、その場に出席していたすべての科学者たちは、実際の状況を把握していたと考えることができる(assume)。したがって、この会議では、ウラン爆弾がすでに生産中であるという架空の話(fictional tale)が、出席していた政治家や軍人の一部に真相を知らせないために語られたように思われる。出席者の中には、陸軍長官ヘンリー・L・スティムソン、間もなく国務長官に任命されるジェームズ・F・バーンズ、そしてアメリカ陸軍参謀総長ジョージ・C・マーシャルが含まれていた。しかし、ウラン爆弾について欺かれていた可能性のある出席者でさえも、その後まもなく、アラモゴード(※7/16Trinity実験のこと、プルトニウム爆弾の試験)と長崎(※8/9)でプルトニウム爆弾が爆発したという話は、到底事実ではあり得ない(could not possibly be true)ことを理解していたはずである。したがって、この議事録は、科学者、政治家、軍人が同様に関与した二重性と欺瞞が、いかに驚くべき規模に及んでいたかを明らかにしている。¹³ 

Palmerの論理があまりに大きく飛躍していることがわかるでしょうか?無茶苦茶です

  • Compton:「プルトニウムを in volume(大量に)得るには、さらに時間が必要。3年程度という見積もり」
  • Palmer:これを、「爆弾1発分のPuを得ることさえ、少なくともかなり先になる」という意味に解釈する。
  • その解釈から、5月31日の時点でPu爆弾は作れない状態だったと判断する。
  • さらにPalmerは、Comptonの説明を信じた人たちについても、「彼らも当然、Pu爆弾はまだ作れないと理解していたはずだ」と推測する。というよりも、彼らもまた自分と同じように考えたと決めつけ。
  • そのため、6週間後に「TrinityでPu爆弾が爆発した」と知らされれば、「そんなはずはない」と分かったはずだと推論。
  • さらにその推論を進めて、それでも公式説明を受け入れた=欺瞞に加担したと結論する。

ということは、こういうことになります。

  • グローブズと科学者たちは真実を知っており、他の参加者を騙した。
  • Comptonもまた、「U-235爆弾は現在、生産中である」と言って騙した。
  • しかし、Pu爆弾については、特に騙されていない。3年後にしかできないと理解しているはず。

他の参加者はU-235についてだけ騙されたということです。

Palmerにとって非常に厳しい問題

Palmer自身の矛盾点

もちろんPalmerは、7/16のTrinity実験についても、本書の他の部分で「核爆発ではない。通常爆薬による偽装だ」としています。その上で、Palmerは先に示した主張をしているのですが、自身の矛盾にまるで気づいていません。

ウラン爆弾について欺かれていた可能性のある出席者でさえも、その後まもなく、アラモゴード(※Trinity実験のこと、7/16)と長崎(※8/9)でプルトニウム爆弾が爆発したという話は、到底事実ではあり得ない(could not possibly be true)ことを理解していたはずである。

これではまるで、「この会議に出席した人は、Trinity実験に関わっておらず、『核爆発実験成功!』とだけ聞いた」と思えてしまいますね。長崎への投下にもです。そして、「それはウソだろと思ったに違いない」と主張しているのです。しかし、実際には、この会議参加者というのは、核開発のトップ中のトップと言ってよいメンバーです。例えば、次のような人たちです。

  • 科学者
    • J. Robert Oppenheimer — Los Alamosの科学責任者
    • Enrico Fermi
    • Arthur H. Compton
    • Ernest O. Lawrence
  • 軍関係者
    • Major General Leslie R. Groves — マンハッタン計画の軍側責任者
    • General George C. Marshall — 陸軍参謀総長

Palmerの言い分だと、「この人たちとは別の誰かがTrinity実験を行い、長崎投下を行い、それを偽装した」かのようです。そんなわけありません。実際には、それらの中心人物がかなりいたわけです。

ということは、Palmer説の成立のためには、7/16のTrinity実験までに少なくともこれらのメンバー間において「いかにして偽装を成功させるか」という会議が開かれねばなりません。そして、実験スタッフのすべてに偽装の指示を出さねばならないのです。

しかし、その一方で公式の(Top Secretの)会議においては、「いかにも原爆開発が進んでいるかのようなニセの議論」をしていたということなのです。

論理的にそうなりますよね?原爆の偽装よりこっちの方がありえないと思うのですが。。。

残る問題

もう一つ残る問題としては、これは後で論じる予定ですが、

  • 広島や長崎では、(本物の原爆が投下されたとしても)米軍は上から観測するしかなかった。現地調査は、終戦後の9月になってから。
  • Trinity実験では、まったく事情が違う。事前に様々な計測器を準備した上で実験に臨んだ。広島とは別の意味で偽装が難しい。

それと、ウラン235は(広島型)原爆を作れるほどの量はなかったとしていますが、この点も誤りのようです。これも後で論じようと思います。

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