伊能忠敬『仏教宇宙観の誤り』(1)

暦象編斥妄シリーズ

このシリーズの目的

このシリーズは、伊能忠敬の『暦象編斥妄』(1815年以降と推定)を現代語に翻訳するプロジェクトです。この書物は、一般向けに「仏教的宇宙観(平面説・天動説)を持つ人を論破する」ためのものです。つまり、忠敬が実際に測量を行った経験から球体説が真実であることを一般向けに解説する重要な文書と言えます。しかし、未だに全編の翻訳はないようです。

本来の書名は『暦象編斥妄』ですが、現代では『仏国暦象編斥妄』とされます。本書は、『仏国暦象編』に対する反論であるため『仏国』をつけて、『仏国暦象編斥妄』と呼ばれるようになったようです。「仏国」は仏教の国(フランスではない)、「暦象」は暦・天文・宇宙、「斥妄」は誤りを論破するという意味らしく、意訳すれば『仏教宇宙観の誤り』といったところです。

忠敬が書いたものとしては、測量日誌やら書簡なら様々あるようですが、この書物は、「仏教的宇宙観を持つ知識人を論破する」ために書かれたものなので、一般人にも読みやすいだろうとは、AIの意見です。

忠敬の師匠の高橋至時(よしとき)には、より多くの著作がありますが、ほとんどが幕府天文方の専門書・計算書ということで、一般向けではありません。

再度ですが、忠敬の『暦象編斥妄』は、未だに全訳(現代誤訳)がなく、これは日本初の試みと言えます。しかし、歴史研究者は、こんなものを原文のまま読んでいるのでしょうか?私にはちんぷんかんぷんです。もちろん、すべての翻訳はAIによるものです。

内容としては、要するに「実測してみりゃ、地球が球体だってことがわかるよ!」といったもののようです。

伊能忠敬とは誰か?

さて、当時としては驚異的な精度の日本地図を作成し、歴史の授業で必ず習うほど有名な伊能忠敬ですが、その地図は球体地球を前提として日本全土を測量したものでした。実際のところ、球体理論がなければ、正確な日本地図は不可能だったのです(私はもはやこれを100%納得しています)。

もともと忠敬は、商人でありながら天文に興味があり、自宅に幕府天文方にも劣らない観測施設を持っていました。50歳で引退した後は、幕府から新暦作成を命じられた当時31歳の高橋至時に師事するうち、やはり同じ「天文オタク」だった至時が、「地球の大きさを正確に測定しないと、正確な暦はできない」と言い出し、ちょうどその頃ロシアの脅威を感じていた幕府に至時が願い出て、幕府の命によって忠敬が蝦夷地を測量しにいったというわけです。

その結果を幕府に提出すると、あまりの正確さに驚かれ、結局、忠敬は日本全国を測量して回ることになりました。

このように知識人の中で球体説・地動説が受け入れられていく中、しかも幕府も巻き込んでしまっている中で、仏教の伝統的世界観(平面説・天動説)を維持しようとする勢力は苦々しく思っていました。

その一人が天台宗の円通という僧侶です。彼は、仏教天文観の根源である「須弥山説」(平面説・天動説)を守ろうと、そのモデル(須弥山儀)を作成したり、絵画(須弥山儀図)にして、人々に説得を試みていたわけです。その一環として円通の記した書物が『仏国暦象編』でした。

円通制作の須弥山儀

そのことを知った忠敬は、「そうじゃない!実測すれば球体だとわかる!」と反論すべく、本書を書いたというわけです。ここで再度、年代をおさらい。

  • 江戸時代:1603-1868年の265年間
  • 1795年、50歳の忠敬が至時に師事。その数ヶ月前に至時は幕府より新暦作成を命じられていた。
  • 1797年、至時が間重富と共に新暦「寛政歴」を完成
  • 1800年、忠敬が蝦夷地方面の測量を実施、以後全国測量
  • 1804年、至時死去
  • 1813年頃、円通が須弥山儀などを制作し、『仏国暦象編』を執筆、仏教的宇宙観の擁護運動を行う
  • 1815年頃、忠敬がその反論『暦象編斥妄』を執筆
  • 1818年、忠敬死去
  • 1821年、忠敬の弟子が全国地図を完成

円通の『仏国暦象編』の概要

では、そもそも忠敬が反論したかった円通の『仏国暦象編』はどんな書物だったでしょうか?これは、

ものでした。特に二番目のリンクは非常に詳しいですね。章立てとしては、

  • 第一 暦原:仏教の暦法はインドに起源を持ち、中国にも伝わったものであり、仏教の暦法には十分な根拠があることを主張。
  • 第二 天体:宇宙の構造を説明。須弥山、四天下、日月、星辰などを仏典に基づいて説明(忠敬が激しく反論しているのはこの部分らしい)。
  • 第三 地形:須弥山世界の地理を説明。須弥山、九山八海、四大洲などの詳細。
  • 第四 暦法:仏教天文学による暦法を説明。西洋の観測方法も取り入れながら、須弥山世界でも暦計算ができることを示そうとしている。
  • 第五 眼智:「眼で見えること」と「仏の智慧」をどう考えるか、つまり、観測と仏典が食い違ったらどうするのかを論ずる。

翻訳方針

  • ページ数は、デジタル・アーカイブ『仏国暦象編斥妄』のページ数と一致させる。このため、左右見開きの2ページの場合も、1ページと数えている。
  • 翻訳はすべてAIが行う。その作業方針は
    • まず翻刻(古文書・古典籍・石碑などに残された古い時代の文字を読み取り、できる限り原文どおりに活字化する作業)を行う。判読不明文字は「□」で示す。
    • その後、校訂では、明らかな誤写・脱字・衍字(余分に書かれた文字)および異体字についてのみ修正を加える。
    • 書き下し文を作成する。
    • 最後に、校訂本文を底本として現代語訳を作成する。
    • なお、各段階で解釈に幅がある箇所や訳語の選択に迷いがある箇所については、その旨を注記する。

本書は研究成果としてではなく、一般読者が原典に親しむための試訳であり、今後の研究によって翻刻・校訂・現代語訳が修正される可能性があります。 

※底本としては、デジタル・アーカイブ『暦象編斥妄』から、「jpg2000(ダウンロード可能な最高解像度とお思われる)」としてダウンロードしたもの。ただし、一度に全ページのダウンロードは無理のようで、ダウンロードするなら、数ページずつダウンロードした方がよい。

以下では現代語に翻訳したものだけを示します。私も含めて現代人には、翻刻、校訂本文(漢文)、書き下し文は不要ですから。これらは、あとでまとめてどこかにアップする予定です。

ただし、AIにも読めない(判読できない)文字はたくさんあるようで、誤訳の可能性は十分あります。

1ページ

表紙です。

2ページ

近ごろ、オランダの天文学が国内外で広く行われていると聞く。その学説では、天はガラス球のような天球となって運行し、その中で太陽・月・五惑星や恒星が幾重にも巡っているという。そして、その内側には球形の地球があり、地球は弾丸(?)のような丸い形をしているという。

また、日本の里数では地球の大きさ(直径と思われる)は約三千四百七十里(約13,628 km)であるとされる。彼らは北極星の高さを測定して緯度を求め、円の度数や各種計算によって地球の大きさを算出する。さらに望遠鏡や象限儀などを用いて東西方向の距離や角度を精密に測定しているため、その観測は極めて正確であり、理論も整っている。

また西洋人は世界各地を航海し、アフリカ南部では南極(?)の高度がおよそ三十六度になることを観測している。これは日本で北極星の高度がおよそ三十六度になることに対応する。さらに赤道付近には門哈刺・三佛齊などと呼ばれる土地があるという。

3ページ

西洋の学説によれば、地球は球形であり、南極と北極は地球の両端に位置している。そのため、地球上で経度・緯度が正反対の場所に住む人々は、互いに足の裏を向かい合わせるような形で立っていることになる。これによって、地球が球形であることは理解できるという。

しかし、仏教経典の説く世界は、これとはまったく異なり、はるかに広大なものである。須弥山は、西洋でいう地球などとは比べものにならないほど巨大であり、その大きさは地球の何億倍にも及ぶ。まして、その周囲に広がる大千世界や四大洲まで含めれば、その規模はさらに比較にならない。これが第一の相違点である。

また、西洋では、天地はともに球形であり、本来「上」と「下」という絶対的な方向は存在しないと考える。人は自分が立っている方向を「下」、頭の向いている方向を「上」と呼んでいるだけであり、地球の場所によって上下は互いに逆転するというのである。

しかし、仏教の教えはそうではない。羅睺(?)には定まった上下の位置があり、天が地の下側に回り込むようなことはなく、地が天の上や下に位置を変えることもない。これが第二の相違点である。

さらに、西洋では、太陽・月・星々は地球の周囲を運行すると考える(この時点では、まだ天動説?)。

これに対して仏教では、太陽・月・星々は須彌山の周囲を五風の働きによって横方向に巡ると説く。その天体の大きさや運行する高さについても、西洋説とは根本的に異なっている。

また、太陽・月・星々を生命ある存在(有情)と見るか、生命を持たない存在(無情)と見るかという点でも、両者の考え方には大きな違いがある。

以上が第三の相違点である。

仏教では、天界や輪囲山などの世界は秩序正しく保たれ、安定して存在していると説かれている。

しかし、西洋の学説を信じる人々は、仏教で説かれる九山八海の世界は実在しないと言う。また、梵天・帝釈天・四天王などについても、空論にすぎず、信頼できる証拠はないと考えている。

実際、中国やイスラム圏など、かつて仏教が盛んであった地域でも、今日では仏教を信じる人はごく少数になってしまった。このような状況は、やがて我が国でも起こるのではないか。それを思うと深く憂えずにはいられない。

ある僧(圓智和尚)は、この問題について論じ、自分の考えを述べた。しかし私は、仏典にはこの問題についてさらに明確な説明があると考える。それを世の中にはっきり示し、仏教への誤解を正したいのである。

ああ。末法の世において、仏教にとってこれほど大きな害はない。外学を学ぶ人だけではない。仏教を学ぶ者であっても、このような説を聞けば疑いを抱くようになってしまう。正しい師について天文学や学問を学ばなかったために、疑いを解くことができず、ついには仏教そのものを捨ててしまう人さえいる。

このような事情があったため、私はこの問題を取り上げることにした。近年、水戸には不悅居士という人物がいた。彼は、後世の人々が仏教を疑うようになる原因は天文学や地理学にあると考え、『護法質…』という著作を著して諸説を比較・検討した。その志は高く評価すべきものである。

4ページ

世の人々は、まだ仏教の教えを十分に理解していない。そのため様々な説が唱えられているが、多くは私見にすぎず、かえって人々の迷いを深めているだけで、疑問を解決するには至っていない。
 
私は幸いにも時間を得て、内外の多くの書物を調べ、三十年近く研究と思索を重ねてきた。そして今日になってようやく、その道理を理解し、長年の疑問が氷が解けるように消え去った。
 
そこで本書を著し、内容を五つの項目に分けて論じることにした。
 
1. 暦法の起源
2. 天体について
3. 地形について
4. 暦法の詳細
5. 天眼・智慧について
 
本書では、日本・中国の暦法や古今の学説を踏まえながら、西洋説と仏教説を比較して論じる。また、中国や西洋の学説も数多く引用し、それらと仏典を比較検討する。
 
仏典には、釈迦は天眼や神通力によって須弥山世界を余すところなく見通したと説かれている。さらに仏教では、一つの須弥世界だけでも地球とは比較にならないほど広大であり、大千世界はさらに巨大であると説いている。
 
本書では、こうした点について順を追って論証していく。
 
中国の暦法は、古い時代にはまだ十分に発達していなかった。そのため、日食などの天文現象が起きても、それが朔・弦・望など月のどの段階で起きたものかを正確に区別できず、そのまま歴史書に記録されることが少なくなかった。
 
本来、太陽と月が会合する時刻を求めることは、暦法の最も重要な基礎である。
 
しかし、漢代以前には、その方法はまだ十分に理解されていなかった。『後漢志』によれば、漢代から約百九十二年間の記録には、日食や朔・晦などの記録に多くの混乱が見られる。これは、定朔法を知らなかったために生じた誤りである。
 
漢末から六朝時代になると日食・月食について論じられるようになったが、それでもなお十分ではなかった。
唐代になって初めて、その暦法は完成した。
 
私は、その背景には漢代以後にインド(梵国)の学問・教えが東方へ伝来したことがあると考えている。
(次ページへ続く)
 
※訳注
– 「喉関」は「最も重要な要所」を意味する比喩であり、ここでは「暦法の根幹」を指す。
– 「定朔」とは、新月(朔)が起こる正確な時刻を天文計算によって求める方法である。
– 「梵国」はインドを指す。当時は仏教とともに天文学・暦法もインドから中国へ伝わったという理解が広く存在していた。
(続く)
 

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