伊能忠敬『仏教宇宙観の誤り』(2)

暦象編斥妄シリーズ

このプロジェクトについては、伊能忠敬『仏教宇宙観の誤り』(1)に説明があります。

16ページ以前は暦法の起源の話が続くので、「天体について」に飛びます。

16ページ

 天体第二 全八条
 中国に古くから伝わる天体三家の異説について論じる

昔、中国で天について論じた学説には三つの流派があり、後の時代にはさらに四つの説が生まれた。三家とは、蓋天説(がいせんせつ)宣夜説(せんやせつ)渾天説(こんてんせつ)である。

蓋天説とは、『周髀算経』に説かれている学説である。その起源は、おそらく伏羲氏以前にまでさかのぼる。『周髀算経』には、「昔、周公はこの学説を商高から受け継ぎ、商高はさらに周人から受け継いだ。」と記されている。そのため、この学説を「周髀」という。これは殷の時代から伝えられた観測法(表法)を意味する。

その説では、「天は伏せた笠のようであり、地は伏せた盆のようである。天地は中央が高く、周囲に向かって低くなっており、北極の真下が天地の中央である。」としている。

天体についての三家四説は、空理空論が多く、議論も複雑である。暦学にとって急いで解決しなければならない問題ではないので、ここでは詳しく論じない。「天は笠のようであり、地は盆のようである。」というのは、古代の人々が、自分たちの住んでいる場所から見た様子を述べたにすぎない。

※以下の図の右端の渾天説は「平らな地面」のように見えますが、この部分はかなり曖昧です。

17ページ

周易』には、「天は円く、地は方形である。」とある。

もし南極・北極の真下の地面がともに真下へ伸びているというのであれば、そのような天地を蓋天ということはできず、天地そのものが円い形をしていると考えるべきである。

誤訳の可能性もありますが、おそらくここでいう南極・北極とは、球形ドームの上下のことでしょう。その真下に地面があるので、そういったもの蓋天(半球ドーム)とは言えず、天と地それぞれが球形だと言いたいのでしょう。

また、『論語』の「北辰(北極星)はその位置にあって動かず、多くの星がそのまわりを巡る。」という言葉を引用して、これを蓋天説の証拠とする者がいる。しかし、それは渾天説の証拠と考えても少しも差し支えない。

また、『元史・天文志』には、北極の真下では春分から秋分までは昼、秋分から春分までは夜であり、半年は太陽が見え、半年は見えないと記されている。蓋天説では、この記述も自説の根拠としている。しかし、この説(蓋天説)は大きな誤りである。

渾天説が正しいことは古くから知られている。

ここで最初の渾天説の図を見ると、忠敬の言い分とは異なる「地球は平面」ですが、この図自体が曖昧なものです。しかし、少なくとも忠敬の理解では球体だったようです。つまり、忠敬の言う渾天説とは、間違いなく球体説です。

天地の道理は、実際に測定し観測しなければ、その正否を判断することはできない。宣夜説やその他の諸説は空論であり、暦術とは関係がないので、ここでは論じない。古くから伝わる三つの学説のうち、宣夜説はすでに伝わっておらず、現在まで伝えられているのは渾天説と蓋天説だけである。そして、この二つの説には、それぞれ根拠がある。

王仲任は渾天説を批判して、「昔の説では、天は地の下を巡るという。しかし、地面を一丈ほど掘ればすぐに水が出る。天がどうして水の中を通ることができようか」と言った。しかし、太陽は天の運行に従って動くのであって、地中へ入るわけではない。

人の目で見渡せる範囲は、およそ十里ほどにすぎない。天地が接して見える(つながって見える)のも、実際に接しているからではなく、遠く離れているため、そのように見えるだけである。同じように、太陽が西へ沈むように見えるのも、実際に地中へ入るからではなく、遠くへ行くように見えるためである。

西方で太陽が沈む時、その場所の反対側にいる人は、その太陽をちょうど空の中央に見ている。人はどの方角にいても、自分に近づいてくるものを「出る」と言い、遠ざかるものを「入る」と言うのである。

たとえば、一人の人に大きな松明を持たせ、夜に平地を歩かせるとしよう。その人が十里ほど離れると、松明の火は見えなくなる。 

18ページ

 太陽が沈むのは、消えてしまうからではなく、遠くへ行くため見えなくなるだけである。このことは、『天文志』などにも書かれている。この議論は、もともと蓋天説に基づいて立てられたものである。

しかし、現在、西洋の地球説を採る人であっても、この説明を簡単に否定することはできない。この説は、昔の暦学者が天を観測し、地を測量する方法をまだ知らなかった時代のものである。まして漢代の儒者である王仲任の時代であれば、なおさらである。

自分が立っている場所を基準に四方への距離を測ると、一里(3.927 km)進めば地面は四尺(1.2 m)低くなり、二里(7.854 km)では一丈四尺(4.2m)、五里(19.635 km)ではさらに低くなる。これは『割円八線表(かつえんはっせんひょう)』でいう正割線にあたる。

ここに出てくる「里」という単位は「日本里(3.9km)」であり、後に出てくる「清代の里(576m)」とは異なります。ともあれ、忠敬は、ここで球面としての大地を説明しています。

「割円八線表」とは江戸時代の暦学・測量で用いられた三角関数表。正弦・余弦・正切・余切・正割・余割・正矢・余矢の八種類の数表を収録したものです。このうち、正割線とは以下のOCなので、地球半径Rを引けば、忠敬の言う値が求められます。

こちらに実物の写真がありますが、いやこれは大変。表ではなくもはや書物ですね。忠敬は常にこれを携帯していたそうです。

私は命を受けて諸国を測量し、高い山や孤島を実際に測って確かめた。孤島は低く小さいので、数里も進めば見えなくなる。しかし、高い山へ登れば再び見ることができる。このことから、地球の高低(曲面であること)は理解できる。

詳しくは、次の篇の「測高」の項で述べる。また末篇には、「この議論は蓋天説を前提として立てられたものである。」とある。しかし現在、西洋の地球説を採る者が、この説を覆すことはできない。

ああ、これ以上何を言う必要があるだろうか。私が述べているのは、すべて中国および西洋の地球説であって、蓋天説ではない。

須弥山説と蓋天説の異同

西洋旧説
西洋新説
(西洋の学説に関する一説について論じる。※この見出しは判読が難しいため暫定訳。)

以上の四項目(?)は、現在の和暦では用いられていないため、ここでは論じない。

西洋の精密な観測機器だけでは十分な根拠にならないことについて

ここで西洋を支持する学者は、次のように主張する。「天文学について論じる際、決して根拠のない憶測を述べているわけではない。象限儀・百游儀・地平儀・矩儀・天環・天球儀・紀限儀・渾蓋簡平儀・黄赤全儀など、さまざまな精巧な観測機器がある。さらに、そのほかにも多くの精密な器械があり、それらを用いて精密な測量・観測・計算を行っている。」

※この引用は次ページへ続く。

19ページ

西洋の学者は続けて、「観測機器の中でも望遠鏡は最も優れたものである」と述べる。

しかし私は、ここから西洋説の内容を検討し始める。暦書を調べてみると、この説には誤りと思われる点が少なくない。西洋人が測定した太陽の大きさや直径についても、資料によって数値が大きく異なっている。いったい、どれが正しいのだろうか。また、それらの数値は、どのような計算によって求められたのだろうか。

暦学者自身が実際に測定して確かめなければ、この疑問を解くことはできない。西洋人は測量を最も重要な仕事としている。

しかし、太陽は地球から非常に遠く離れているため、直接測ることはできない。そのため、日食・月食・惑星の位置などを利用した間接測定を行い、さらに各地の観測結果を比較して数値を求めている。

また、『欽定暦象考成』(清朝が国家事業として編纂した天文学・暦法の公式教科書・基準書)上編・後編に記された数値にも相違があり、地球や太陽に関する諸数値は完全には一致していない。

インドの宇宙論

インドの宇宙論は、暦法に基づくものではなく、仏教の教え(仏説)を論じるものである。そのため、本書ではこれを扱わない。

 第三章 地形(一)

地球の形については、すでに他の篇で論じたので、ここでは重複を避けるため論じない。

西洋が説く地球の形について

西洋で説かれている地球の形については、湯若望・亞維谷・利瑪竇・艾儒略(いずれも外国人宣教師の名前を漢字で音写した中国名)ら、数名の学者・宣教師によって伝えられた説をもとに述べる。

(以下、次ページへ続く。) 

20ページ

西洋のこの学説は、明代末期になって初めて中国へ伝えられた。その説によれば、水と陸地は一体となって一つの球体をなし、宇宙の中央に位置している。天は空虚でその外側を回転し、地球は実体をもち中央で静止している。平らな場所は平野、低い場所は海や川、高く盛り上がった場所は山となる。地球の周囲は約九万里(約51,840 km※)、直径は約二万八千六百四十七里余(約16,501km※)である。

その根拠は、土地によって北極星の高さが変化することである。『暦学疑問』にも「地球が完全な球体であることに疑いはない」と記されている。南へ二百五十里(144km※)進むと北極星は一度低くなり、南の星は一度多く見える。北へ二百五十里進むと北極星は一度高くなり、南の星は一度少なく見える。もし地球が球体でなければ、このような現象は起こらない。

本文の km 値は、「1里=576m(清代の里)」として単純換算した参考値です。『暦象編斥妄』で用いられている「里」は、実際の行政上の里ではなく、暦学・天文学上の換算単位である可能性が高く、この換算が著者の意図した実距離を表すとは限りません。

項目 本文(※576m/里で単純換算した場合) 現代値
地球一周 約51,840 km 約40,075 km
地球直径 約16,501 km 約12,742 km
緯度1度の距離 約144.0 km(=250里) 約111.3 km

ともあれ、簡単に言えば、緯度が1°変われば北極星の仰角も1°変わります。これは地球が球体でなければ成立しません。単純に幾何学の問題です。

また、水は本来低い方へ流れる性質をもつ。天が四方を囲み、その中央に地球があるなら、地球の中心が最も低い場所となる。海水は地球を基としてその表面にとどまっているのであり、そのことを疑う理由はない。

しかし人々は、「地球が球体なら、人は地上に立っていられないのではないか」と疑う。そこで私は、身近な実例によってその疑いを説明しよう。

江南(揚子江南側)では北極星の高さは三十二度である。そこから二度離れた場所では、その土地の天頂も二度ずれる。それぞれの土地の人は、自分の足元をまっすぐだと感じるため、遠くの土地の人は斜めに立っているように見える。

北京では北極星の高さは四十度、瓊海では二十度である。もし北京から瓊海の人を見れば、互いに傾いて立っているように見えるはずだが、実際にはそうではない。人はどこへ行っても頭上に天をいただき、足の下に地を踏んで生活している。

南へ進んで赤道を越えても、北へ進んで北極地方へ行っても同じである。そもそも地球球体説は、元代に西域から来た札馬魯丁によって伝えられた(13世紀後半)。

『元史』天文志(14世紀後半)には、木で球を作り、七割を海、三割を陸地として色分けし、河川・湖海や格子を描いて距離や広さを測れるようにした地球儀について記されている。これが現在の地球儀であり、西洋人はそれをさらに精密に改良したにすぎない。

しかし、西洋人が北極星の高度変化だけを根拠として地球球体説の証拠とするのは、大いに誤っている。

日本には、宣教師達が地球儀を持ち込んで織田信長に見せたのが16世紀中頃とされていますが、この記述を見ると、中国に球体説が入ってきたのは、それよりずいぶん以前のことのようです。

(続く)

 

コメント