フラットアーサーの愚かさ(54):平面説徹底論破書籍執筆中

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この記事の三行要約

  • 本書は、NASAや権威に頼らず、誰でも再現可能な観測・実験・論理・数学によって平面説が成立しないことを示すことを目的とする。
  • 平面説そのものよりも、検証を拒み、人格攻撃や思考停止に陥る平面信者の姿勢に問題があり、その心理や洗脳手法も分析する。
  • 身近な実験や観測を通じて、読者自身が平面説の矛盾を確認し、科学的な考え方の重要性を理解できるよう構成する予定である。

これまで私自身が学んできたことを基に、平面説を徹底論破する書籍を執筆中です。私は「権威」というものをまったく信じていないので、「NASAがこうしてる」とか「科学者がこう言ってる」などは一切ありません。誰でもが理解できる事実と論理、それに若干の数学から平面説を徹底的に破壊する方針です。そして、こんなデタラメを信じてしまい、それを流布させようとする極めて愚かな人間の心理にもせまる予定です。以下は、執筆中の「はじめに」部分の予定です。


フラットアース(Flat Earth)とは「地球は、球体ではなく平面である」という主張だ。この主張をする者はフラットアーサー(Flat Earther)と呼ばれる。これ以降、特別な事情のない限り、私はこれらをそれぞれ、平面説、平面信者と呼ぶことにする。

 本書の目的と平面説論破方法

本書は平面説がまったくの誤りであることを証明するものである。というよりも、平面信者自身あるいは小グループが実行可能なレベルの実験を自ら実行してもらうことにより、自らの誤りを認識してもらうことを主眼としている。逆に、私の言う通りの結果にならなかった場合は、平面信者よ、あなたの勝ちである。

本書の大半の内容は「なぜそんな実験で平面説の誤りを証明できるのか?」という、その理由を論理的に説明するものと考えてもらってよい。この私の論理自体が「誤りだ!」という場合は是非お知らせ願いたい。私としては、誰も否定できない理屈で論を進めているつもりだ。

注意していただきたい点としては、私は、NASAが正しいとか、科学者の言うことが正しいなどと言うつもりはまったくない。私自身、権威というものが大嫌いなので、可能な限り、それらとは無関係に事実と論理と若干の数学を用いて自らの論理を構築したつもりだ。計算が面倒な部分はAIに任せたのだが、これもご自身で検証できるだろう。

だから、「ニュートンなんてそもそもあっち側」だの、「NASAなんて嘘ばかり」などの馬鹿げた言い訳は無効である。反論があるなら、事実と論理と数学で勝負してほしい。私に反論するにはそれ以外には無いと知ってほしい。

私自身も、球体説・地動説・地球の自転などが正しいことを、この目で確認したわけではなく、それらが誤りの可能性があることは認めよう。しかし、仮に球体説が誤りとしても、明らかにそれ以上にはるかに平面説は誤りである。平面信者の提示する「真実の世界のモデル」は、観測事実とまるで合致しない。

これは何度でも言いたいが、「球体説が誤りとするのはよかろう、しかし、あなたがたの提示している世界モデルはそれ以上に理屈が合わず、根拠もなく、まったくの無価値であり、人心を惑わしているにすぎない」と。本書はそれを証明しようとするものである。

 私が平面説を嫌う理由は平面信者にある

なぜこれほどまでに私が平面説を嫌っているのか、それをお話ししよう。そもそも、こんなどうでもよく、くだらないトンデモなど放っておけばよかったし、そのつもりだったのだが、そうは行かなくなったのである。

私が本書を書くことになった経緯は次のようなものだ。

2016年頃から、私は英語動画に日本語字幕をつけて紹介する活動を行ってきた。たまたま目についたYouTubeの英語動画をきっかけに、さらに幅広く動画を見てみると、「海外ではこんな情報が気軽に手に入るのか」と感嘆し、「この情報を日本人にも紹介しなければ」と活動してきた。そんな中に平面説を主張する動画があり、逆にそれを批判する動画もあった。その当時は、未だにこんな人たちがいるのかという認識であった。

というのも、はるか昔の中学校時代に、某小説家のエッセイか対談を読んでいたのだが、そこに「英国には『地球は平たい協会』というのがあるそうだ」とあり、「世の中にはおかしな人がいるものだな」と思ったことを覚えていたからだ。その当時は、学校教育内容に全く疑問を持たず、地球は球体であると信じ込む、ごく「常識的な」人間だった。おそらくその小説家が語っていたのは、英国の「Flat Earth Society」のことと思われる。これは1956年創設というのだが、もともとは19世紀、1849年頃が源流であるようだ。これについては後述する。

ともあれ、中学時代のことを思い出し、その当時に「まだそういった人たちがいるのか」と思ったわけだが、後で調べてみると、今現在の現象、少なくとも2000年代以降の現象は、いわば「リバイバル」であり、世間的には忘れ去られた議論を、今になって誰かが持ち出したものだということも最近になってわかったのである。

ともあれ、2016年頃には「海外にはこんなことをしてる人がいるのだな」という感想だったのだが、2020年になって日本にもいることを発見した。「へえ、面白い人もいるもんだな」程度の感想しかなかった。「球体洗脳済み」の私からすれば、奇異な主張ではあったが、球体だろうが平面だろうが、特に困ることはないので、深く考えずにいたのである。

しかし、ふとした縁から、彼らと多少のつきあいをすることになる。しかし、2023年頃、あまりにおかしな主張をするので、その主張について調べ考えてみたのである。

それは、平面説界隈では有名人のエリック・デュベイという人物の主張であり、「もし地球が球体であれば、飛行機が時速800kmで一時間飛行すると、一時間後には予想より50kmも高い位置に飛び出してしまう。機体を常に下に向けていなければ、このボール(地球)から飛び出してしまう」、だから地球は球体のはずがなく、平面のはずだ」という主張だった。

後で詳しく説明するが、この主張がいかに馬鹿げているかは誰でもすぐにわかるだろう。もし飛び立った地面と平行に飛び続けてしまえば、たしかにボールから飛び出すことになってしまうだろう。仮にそうであるとしても、機体を常に若干下に向け続けることがそんなに困難なことか?しかし、そんなことをしなくても、飛行機の推力を絞れば、飛行機は自然に落ちていくはずだが、平面信者はそんなことも直感的に理解できないのだろうか?

しかし、驚いたことに、これほど奇天烈な主張を平面信者は真に受けているようなのだ。これは私にとって二重の衝撃であった。ジョークとしか言いようがない。

しかし、ともあれその後、平面信者の何人かとは、縁あって仲良くさせていただいた。人間的には良い人ばかりなので、私の平面説に対する疑問は封印することにしたのである。彼らから聞かれれば、「平面だろうが、球体だろうがどっちでもいい」と答えることにしていた。実際、私の人生には関わりないことだし、どちらであろうが構わなかったからだ。そして、平面説とは無関係な分野で彼らとコラボなどすることになった。

しかし、平面信者はそれを許さないようだ。他の平面信者がやってきては、私に言うのである。それも、平面説とは全く異なる話題の場で言ってくるのである。その話はいま関係ないにも関わらず。

「あなたはフラットアーサーなんですか?どっちでもいい?それじゃだめだ!」

私が「フラットアースにはロマンがありますね」と感想を言うと、「ロマンじゃない、事実だ!」

「あなたはフラットアーサーなんですか?違う?じゃ、これこれを読んで理解してください」

どういうわけか、彼らにとっては私が平面信者でないといけないらしい。こっちは全く興味がないし、別に平面か球体かで困ってもおらず、「どっちでもいい」という感想がまさに本音なのに、それではいけないらしい。

この頃から平面信者のあまりの傲慢さには気づいていた。全然別の話題の場で、私は興味がないと言っているのに、無理やり押し付けようとするどころか、私が信者でないとわかると蔑むような言動をするのである。まるで「これは正しいのだから、皆が信じるべきだ」と、TPOもわきまえず、私にとってまったく何の利益もないことを強制しようとしてくる。

2026年になって、知り合いの平面信者がおかしなことを言いだすので、気になって質問してみた。彼は「重力はない。密度差で物は落ちるのだ」と主張していた。これもまた、教育によって「洗脳」された身、「常識」のある身(つまり私)にとってはあまりに突拍子もない考えである。もちろん、平面説の重力不存在論は以前から知っていたのだが、多くの方と同じく「ジョークの一種だろう」などとぼんやりと考えていた。

しかし、それほど強く言うのであれば、彼は何かしら私の知らない真実を知っているのかもしれないと想定し、特に馬鹿にすることもなく、丁寧に質問したのである。「重力がなければ、どうやって下が定義されるのですか?」「密度差には方向はありませんが、どうしてそれによって物が『下』という方向に向かうのですか?」。この時点では、正直なところ、新たな理論があるならば、是非それを知りたいと思った。一応は、相手の主張を聞いてみようと思っていたが、その一方で(洗脳済みの私からすれば)「なぜそんな突飛な考えを持つのか」を知りたい気持ちもあった。

しかし、いくら聞いても何の答えも出てこない。はぐらかすだけである。しかも、聞いていくうちに私に対して上から目線で馬鹿にし始め、しまいには「フラットアースがわからない人間はレベルが低い!」とまで言い出す。丁寧に質問している私の疑問には一切答えられないのに(実際に最後まで一言も答えらしきものは出てこない)、質問し続ける私を侮辱し始めたのである。

この時点で、「なるほど、平面信者の本質はこういうものか」と、遅まきながらも完全に、明確に理解したというわけだ。私にとってはすべてが明らかになった瞬間である。

さらに、私が平面説批判を始めると、他の平面信者は私のことを「コミュ障」と侮辱した。たしかに、私はもともと内向的な性格で、だからこそ人とほぼつきあう必要のないITエンジニア・プログラマの道を選び、それを長らく続けてきた。そして、当時と同じく、今でも「気になったことは徹底的に、納得するまでしつこく調べ、考える」性質なのである。

大学生の時に性格テストのようなものをしてみたのだが、それによれば、ユング心理学で言うことの「内向的思考型」というものらしい。このタイプの特徴としては以下である。

内向的思考型の人は、新しい事実についての知識よりは、新しい「見解」を見いだすことを得意とします。あまり現実的なことには関心が行かず、あくまで自分独自の理論や方法、思想を打ちたてようとします。現実の動きに左右されることなく、抽象的な問題を解明しようとします。また、自分の信念に関しては絶対的といって良いほどの確信を持っています。
ユングは、内向的思考型の代表としてカントをあげ、外向的思考型のダーウィンと対照しています。ごく親しい、よく理解してくれるひとに対しては、その考えの深さは尊敬の的となり、強い感化を及ぼすことにもなりますが、一般には、このような人は良い教師にはなりがたいです。そもそも、人に教えることそのものに興味をもっていない場合が多いからです。

たしかに私は「コミュ障」のきらいはあるかもしれないが、それを他者に投げつけることは間違いなく社会人失格である。そもそも、こういった攻撃手法は「人格攻撃」と言われる。例えば、医療の真実を暴露した医師などに行われることとまったく同じであり、フェアな議論ではない。こういうことを平気で行うのが平面信者なのだとわかった瞬間である。

批判に対して何の反論も一切できず、人格攻撃をしてくるのが「平面信者」という類の人間なのである。これをよく心に留めておこう。

平面信者の思考は、他のトンデモと同じ

彼らは、どこかで聞きかじったことをそのまま鵜呑みにしているだけだ。自ら手を動かして検証したことなどない。せいぜい、望遠鏡で「遠くが見えた」と騒ぐ程度でしかない。どこかしらで聞いた「世間一般の常識」とは異なるものを、独自に検証して納得するような能力など一切持ち合わせてはいない。むしろ、「常識」と違うからこそ、それを信じ込んでしまうのである。

これは世間一般のいわゆる「陰謀論」と言われるものに似ている。「世界についての常識的な見方は支配層の洗脳によるものであり、本当はこうなのだ」と言われると、何の検証もせずにただちに信じ込んでしまう人たちが多いが、その姿勢と五十歩百歩である。

もちろん私自身も、この世界はあらゆる嘘だらけと考えている。しかし、極めてお粗末な陰謀論と陰謀事実は明確に区別しているつもりだ。後者には根拠がなければならない。明確な証拠がなくとも、状況証拠から「どうもそのようだ」と判断しているものもある。また、それさえも曖昧なものについては、判断を保留し、人から聞かれても「こういう状況、ああいう状況はあるが、わからない」と答えるようにしている。

しかし、2023年に出くわした平面説に関する問題について自身で検証を行った結果、「少なくともここで語られる説明はまったく成立しない」と判断していた。つまり、無理やり平面説を支持させるための、論理的にまったく成立しない話でしかなかったのである。

私はこれについても詳細な計算を行った上で「この男(エリック・デュベイ)は愚か者か嘘つきのどちらかだ」と判断していた。それ以降、知り合いの平面信者には、「こんなデタラメを吹聴すると、あなたたちの言い分が誤解されますよ」と警告してきたくらいだ。この当時はまだ、「よくわからないし、どうでもいいし、頑張ってるのだから応援してやろう。しかし、おかしな言い分はやめておいた方がいいよ」ぐらいの気持ちだったのである。

しかし、それ以降に経験したことは、残念なことに、2023年の経験の延長線上にあっただけだ。

本書を執筆するまでには以上のような経緯があったのだが、本書を執筆した最大の理由を考えてみると、こうまとめられると思う。

あなたがたは、あまりに愚かすぎる。にもかかわらず、傲慢すぎてお話にならないレベルだ。自らの愚かさ加減をよく知るべきだ。そして、何かしら判断する場合は、きちんと考えてみよ。私がこれから示すことは、なぜあなたがたがこんなにも徹底的に愚かであるのか、その理由と、その愚かぶりである。

 平面説の洗脳手口

ここで、平面説の洗脳手口を見ていこう。簡単なことだ。素人には検証もできず、知りようもない、確認のしようもない地球の事実について、これまた素人の立場から「球体説はあれこれおかしい」と言うだけである。

その一方で、「地球は平面」という新たな教義と、それに伴う追加の教義を植え付けるだけなのである。

もちろん私自身も、科学者の言うことが本当かどうか知るよしもない。本書で私が主張することはこうだ。球体説はもしかしたら誤りかもしれない、それはわからないが、しかし、平面説は明確にそれ以上に誤りであるという点だ。

球体説が誤りだからと言って、平面説が正しいということにはなりえない。そして、平面信者たちは、その正当性を証明する努力さえしていない。いや、していないのではなく、あまりに愚かすぎて、そんなことはできやしないのである。

平面説の論破方法

もちろん、平面説を論破できるとは思ってはいない。なぜなら、これは事実や論理ではなく、単なる宗教的信念でしかないからだ。先に「平面信者は鵜呑みにするだけ」と書いたが、その通りなのである。私の疑問に対し、丁寧に「それはこうだから」と答えることもできない。何の事実も論理もなく「これが正しい」と信じ込んでいるだけである。

私は大学では電気工学専攻だったのだが、ある授業の最初に教授の言ったことを覚えている。「本来であれば、電気技術の歴史をたどり、それぞれ実験していって、皆さん自身で納得していかねばならないと考えるが、しかし、そんな時間はない。皆さんは、先人たちが作った方程式を丸覚えして、それを様々なケースに適用していくしかない」と。

そして、あらゆる問題を数学的に解かされたものだ。先輩がいみじくも言った、「電気工学科じゃないよ、電気数学科だよ」。それくらい数学ばかりやらされたものだ。

しかし、ある方程式に疑問をもったとすれば、本当にそれが成立するのかを自身で検証することもできるはずだ。そして、たしかにその方程式の正しさを確認することもできるだろう、

平面信者は、おそらくこういう言い訳をすることだろう、「地球はあまりに大きいので、自分たちで計測はできない。せいぜい、望遠鏡で地平線を見てフラット(平ら)だと確認するできるくらいだ」。

私がこの問題を熟考する中でわかったことは、そうではないことである。個人レベルや小さなグループのレベルであっても、球体説の確認は可能である。いや、少なくとも平面説の誤りは確認可能だ。

後述するが、例えば500円程度の赤道式日時計一つであっても、平面説が成立しえないことは確認できる。単に、平面信者があまりに愚かで、自分に都合の良いものしか見ておらず、あまりに反証を検証しないがために思いつかないだけなのである。

また、フーコーの振り子実験は、せいぜい10mから15mのヒモと10kg程度の重り、風のない場所が必要なだけだ。どこかの体育館を一日借り切り、天井にヒモをつけてもらう程度であれば、目の飛び出るような金額にはならないだろう。

さらに、北極星や太陽の仰角観測であれば、日本中で可能なはずだ。世界中の観測であっても、自分で旅をする、ネットで協力を呼びかけるなどして、実現可能なはずである。

しかし彼らは、こんなことも思いつきはしない。結論は最初から決まっており、それを疑うことがなく、その結論に疑問を提示するような実験は思いつきもしないのである。

つまり、徹底的なチェリー・ピッキングだ。自説に都合のいいものばかりを集め、「これだけ証拠があるから平面説は本当だろう」とやっているだけだ。不都合なものに一切目を向けないという、ただそれだけなのである。

科学とは、そういうものではない、むしろ自説に都合の悪いものを先に見るのだ。

本書では、このレベルで可能な実験をいくつか提示しよう。そして、それらの観測値(球体説における理論値)が、平面説では絶対にありえないことを示そう。もちろんこれらは、平面信者がその気になれば、自分たちのレベルで実測できるレベルのものにすぎない。高価な機材や飛行機、ロケットなど必要のないものばかりだ。

そして、実際にやってみれば、自らの愚かさを徹底的に思い知ることになるのだ。もちろん彼らは一切やらないことだろうが。


平面信者は楽しみに待っていてほしい。私は、あなたがたが外を歩けなくなるくらい恥ずかしい目に合わせるつもりなのです。平面説を徹底的に叩き潰し、居場所などなくさせることが私の狙いです。

 

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