この記事の三行要約
- Palmerは、広島の被害を通常爆撃で再現するには多数のB-29が必要だったと認めつつ、閃光・煙幕・火災で後続機を隠したと主張する。
- しかし実際には、松永・甲山・三次・呉などの防空網が広島へ向かう3機程度を捕捉しており、8:14には探照灯隊も航空機を探知している。
- そのため、Palmerが想定する大量の後続B-29が防空監視網にほぼ痕跡を残さず活動したという説明には、大きな疑問が残る
林千勝の「原爆ない論」が話題になっていますね。この人物は100%信用できないと私は考えています。彼のこれまでの行動や発言を見てみれば、私にとっては明らかなのですが、そういう感覚を持たない人もいるでしょうね。
そもそも、2024/9の有明サクラデモの謝罪記者会見もしていません(井上正康もですが)。にも関わらず、恥知らずにも、相変わらずなんだかんだぶち上げ、センセーショナルを煽り、自分が前に出よう出ようとしているだけです。林は単にそれだけの存在です。私の見方としては、物事を見通せない人たちが引っかかっているだけという評価ですね。
さて、この「原爆ない論」については、五月書房編集長杉原修氏が、広島・長崎「原爆否定論」を科学で検証するという論文を無料公開していますし、NHKも異例の注意喚起をしているとのこと。
私自身は、林の本も読んでおらず、わずかに『Michael Palmer / Hiroshima Revisited(邦訳:偽装された原爆投下 広島・長崎原爆の物理学的・医学的エビデンスへの再検討)』を入手しただけです。Palmerと林は少々主張が違うようですが、少なくとも広島原爆偽装という点は一致しているようです。
ともあれ、林千勝については、私は最初からどっぷり色眼鏡で見ています。また、原爆の仕組みやら、広島の被害やらについての知識も薄弱です。その上で、つらつらとAIを相手に会話してみた結果なのですが、大きな疑問として現れたのは次の二点です。
- 広島原爆が偽装であり、実際には通常爆薬、ナパーム、マスタードガスのフェイクであるなら、一度も同じ規模の爆発試験をしていなかった爆弾の被害規模をどうやって見積もったのか?
- 同じく原爆ではなく、通常爆薬、ナパーム、マスタードガスによるものであるなら、それは巨大な量であり、運搬するには大量の航空機が必要になる。これをどうやって成し遂げたのか?
あまりに分量が大きくなったので、この記事では後者について考察してみます。
結論は簡単です。仮に原爆などなく、通常爆撃で実現できるとしてみましょう。しかし、これを実行するのは絶対に不可能です、日本側の協力がない限りはです。日本側の幹部レベルだけではなく、末端の隅々まで口裏あわせをしないと到底無理な作戦です。それだけではなく、一般庶民についても何とかせねばなりませんね。あなた方は、そこまで考察したことがあるのですか?
どの程度の爆薬等が必要だったのか?
まず、原爆ではなく通常兵器等であったと想定してみると、他の被害との比較が可能になりますね。広島被害と東京大空襲被害の規模を比べてみます。もちろん、AIに出してもらいました。
3月10日の東京大空襲 vs. 8月6日の広島
| 指標 | 東京大空襲 | 広島原爆 |
|---|---|---|
| 攻撃 | 1945/3/9夜~10 | 1945/8/6 |
| 死者 | 約8.4万~10万人規模 | 約14万人(1945年末まで) |
| 負傷者 | 約4万人規模 | 約7.8万人 |
| 罹災者 | 約100万人以上 | 約32万人 |
| 建物被害 | 約26万棟が破壊(3/10単独) | 約7万棟が全壊・焼失 |
| 被害の特徴 | 広範囲の大火災・焼夷弾攻撃 | 爆心地を中心とした爆風・熱線・火災・放射線 |
東京大空襲は、数百機のB-29による大規模な焼夷弾攻撃でした。国立公文書館によれば、3月10日には325機のB-29が参加し、約38万発の爆弾・焼夷弾が投下され、死者約10万人、罹災者100万人以上に達しました。
攻撃のタイプが異なるとは言え、東京大空襲では、B-29が325機も必要だったのです。広島の被害の規模を考えれば、同じような数の航空機が必要なはずですよね。そんな数が飛来したなんて話、聞いたことありますか?
Palmer:いかにも日本側が協力したかのような記述
林については知りませんが、Palmerはこの問題を認識しており、こう書いています。
P276: The U.S. Strategic Bombing Survey of 1946 estimated that replicating the damage which had occurred in Hiroshima and Nagasaki would have required the use of 220 and 125 B-29 bombers, respectively, carrying incendiaries and explosives [302, p. 102]; similar numbers had previously been suggested by expert witness de Seversky [5]. Even assuming that the attack proceeded in stages, we had seen that multiple kinds of ordnance—the Pumpkins or equivalent high explosives, the napalm, and the mustard gas—were already deployed at the beginning of the attack. Thus, even the first stage must have involved a number of planes more than large enough to trigger an air alarm.
As is well known, however, in Hiroshima the alarm that had been in place earlier in the morning was lifted very shortly before the beginning of the attack. This measure caused many inhabitants to leave the air raid shelters and to take to the streets, which must have greatly increased the number of victims.12 As noted above, this effect was compounded by the failure to issue appropriate warnings to survivors or protective equipment to early entrants, which caused avoidable
casualties in the aftermath.1946年の米国戦略爆撃調査団(U.S. Strategic Bombing Survey)は、広島と長崎で実際に生じた被害を再現するには、それぞれ220機および125機のB-29爆撃機を焼夷弾と爆弾の搭載機として使用する必要があったと推定している[302, p.102]。同様の機数は、それ以前にも専門家証人デ・セヴェルスキーによって示唆されていた[5]。攻撃が段階的に行われたと仮定したとしても、すでに見てきたように、パンプキン爆弾またはそれに相当する高性能爆薬、ナパーム、そしてマスタードガスという複数種類の兵器が、攻撃の開始時点ですでに投入されていた。したがって、最初の段階だけでも、空襲警報を発令させるのに十分な、いや、それをはるかに上回る数の航空機が関与していたはずである。
ところが、よく知られているように、広島では、その日の朝早くから発令されていた警報が、攻撃開始のほんの少し前に解除された。この措置によって、多くの住民が防空壕から出て街路に出ることになり、その結果、犠牲者数が大幅に増加したはずである。¹²前述したように、この影響は、生存者に対して適切な警告が発せられなかったこと、また最初に現場に入った者たちに防護装備が与えられなかったことによってさらに深刻化した。その結果、攻撃後に避けることのできた死傷者が生じた。
米国戦略爆撃調査団(USSBS)とは、連合国による戦略爆撃の効果を、戦後にアメリカ政府が大規模に調査するため設置した組織で、上の推定というのは、もちろん原爆投下を前提とした上で、もしこの被害を通常爆撃で生じさせるのであれば、どの程度必要かというものです。
Palmer自身のこの記述を見ただけで、真っ赤なウソとわかります。一言で無理でしょう、こんなもの。後半はいかにも日本側も被害拡大に協力していたかのような記述ですが、当日の状況はこうだったようです。
- 7:09 米軍機1機(気象偵察機)の高高度通過を受けて警戒警報
- 7:31 その警報を解除
- 8:06 松永監視哨による3機確認(Enola Gay、Great Artiste、Necessary Evil)
- 中国軍管区司令部に伝達され、8時12~13分ごろに警戒警報を発令しようとしていたという記録・証言がある
- 8:15 原爆炸裂
原爆投下機に関する警報については、こちらに記述がありますね。
昭和20年(1945年)8月6日、月曜日の朝は快晴で、真夏の太陽がのぼると、気温はぐんぐん上昇しました。
深夜零時25分に出された空襲警報が午前2時10分に解除され、ようやくまどろみかけていた人々は、午前7時9分、警戒警報のサイレンでたたき起こされました。この時はアメリカ軍機1機が高々度を通過していっただけだったため、警報は午前7時31分に解除されました。一息ついた人々は、防空壕や避難場所から帰宅して遅い朝食をとったり、仕事に出かけたりと、それぞれの1日を始めようとしていました。
この時、広島中央放送局では、情報連絡室から突如、警報発令合図のベルが鳴りました。古田アナウンサーは、警報事務室に駆け込んで原稿を受け取り、スタジオに入るなりブザーを押しました。
「中国軍管区情報! 敵大型3機、西条上空を・・・」と、ここまで読み上げた瞬間、メリメリというすさまじい音と同時に、鉄筋の建物が傾くのを感じ、体が宙に浮き上がりました。
警報について気になったので調べてみたのですが、ともあれ、
- 一つの閃光によって、人々は逃げる間もなく大規模な被害を受けた
- 100〜200機のB-29が、連続的に大量の爆弾を落とす
では大きな違いです。小学生でも無理だとわかる話でしょう。
Palmer:どうやって段階的に攻撃したか?
しかし、Palmerはこう強弁しています。
P272:Bombs filled with mustard gas were apparently not used in any other attacks by the Americans, so that their use would not be readily suspected.10 Na-palm bombs, on the other hand, were exceedingly common; for example, the well-known raid on Tokyo used almost exclusively napalm bombs [13]. In these raids, however, the incendiaries had been detonated at or near the ground; detonating them several hundred meters above ground thus would have helped disguise their use. The fireworks—the photoflash bombs, followed by colored smoke bombs—hid both types of bombs behind a shroud of magic and mystery.
The smoke produced by all detonations, and also by the rapidly increasing fires on the ground, would also have concealed attacking airplanes from the people on the ground.11 Thus, while early on in the attack it was necessary to use the minimum number of planes above the target, after a short while it should have become possible to employ a larger number of planes for delivering the amounts of napalm, mustard, and possibly other weapons which we may have failed to discern. Last, but not least, this would also include the planes needed to disperse the radioactive ‘fallout’, which were heard but not seen by the observers quoted above (see the first quote in Section 13.1.5).マスタードガスを充填した爆弾は、アメリカ軍が他の攻撃で使用した形跡がないようなので、その使用が容易に疑われることはなかっただろう。¹⁰一方、ナパーム弾は極めて一般的に使用されていた。例えば、よく知られている東京空襲では、ほぼ専らナパーム弾が使用された[13]。しかし、これらの空襲では、焼夷弾は地上または地上付近で炸裂させていた。そこで、数百メートル上空で炸裂させれば、その使用を偽装するのに役立ったはずである。花火――すなわち、最初に閃光爆弾、続いて色付きの煙幕弾――によって、両種類の爆弾は魔術と神秘の帳(とばり)の向こうに隠された。
すべての爆発によって発生した煙、そして地上で急速に拡大する火災によって生じた煙もまた、地上にいる人々から攻撃機を隠す役割を果たしただろう。¹¹したがって、攻撃の初期段階では目標上空の航空機を最小限にする必要があったものの、しばらくすれば、ナパーム、マスタードガス、そしておそらく我々が見落としているその他の兵器を必要量投下するため、より多数の航空機を投入することが可能になったはずである。最後になったが、重要なこととして、これは放射性の「フォールアウト」を散布するために必要な航空機も含むことになる。これらの航空機は、上で引用した目撃者たちには「音は聞こえたが、姿は見えなかった」とされている(13.1.5節の最初の引用を参照)。
最初に閃光弾、煙幕弾によって人々の目を曇らせ、そのあいだに連続して爆撃機が飛来し、フェイクの「放射性フォールアウト」を降らせたのだそうです。9時すぎからいわゆる「黒い雨」が降りだしたのは史実です。で、最後に記述されている「目撃者」というのは、「B-29のような音が聞こえた、その後に黒い油が降ってきた」という証言をしているようです。
しかし、もしそうであれば、一つ・二つの証言などではなく、多くの人がそう証言していることでしょう。挑戦者あまりに弱すぎです。リングに上がる以前の問題です。
日本の監視網はどうだったのか?
で、こんなに大量の爆撃機の飛来を日本側は把握できなかったのでしょうか?そこでAIにこう聞いてみました。
当時の広島以外の周辺の監視網の正確な位置と能力を調べられますか?
AI:かなり調べられます。しかも、「広島市内だけでなく周辺の防空監視網がどうなっていたか」について一次資料に近いものがあります。ただし、現段階では「周辺の全監視所の正確な緯度経度+レーダー性能」を一枚の資料で完全に復元できるところまでは来ていません。確認できた範囲を整理すると、かなり興味深い状況です。
| 拠点 | 種類 | 位置・役割 | 8/6との関係 |
|---|---|---|---|
| 松永防空監視哨 | 防空監視哨 | 現在の福山市松永町。旧松永警察署の南側と特定 | 8:06ごろB-29を2機→3機確認 |
| 甲山監視哨 | 防空監視哨 | 広島県東部・甲山方面 | 呉鎮守府に広島方面への米機3機を通報 |
| 三次監視哨 | 防空監視哨 | 広島県北部・三次 | 同上 |
| 呉鎮守府防空指揮所 | 防空指揮所 | 呉 | 監視哨からの情報を直通電話で受信 |
| 八代島方面の電探施設 | 海軍電探 | 呉・広島湾方面 | 呉周辺の広域防空を担当 |
※次の図はおおよその位置です。原爆投下機Enola Gayは硫黄島から九州・四国上空を通り、広島市に侵入したとのこと。もちろん、この図は広島周辺に限定したものです。
AI:呉側の資料が特に重要です。『広島原爆戦災誌』に収録された呉鎮守府側の記録には、「八月六日午前八時ごろ、甲山町監視哨・三次監視哨などから、米機三機広島に向うとの報告が、呉鎮守府司令部地下作戦室に直通電話で入り、ただちに警戒警報が発令された」という記述があります。
これはかなり重要です。つまり、広島市の防空体制だけでなく、広島県東部・北部の監視哨から呉鎮守府へ情報が上がるネットワークが実際に機能していたわけです。しかも呉鎮守府の防空指揮所は地下作戦室に置かれていました。
日本軍のレーダーは、少なくとも1944年末~1945年にはかなり実用化されています。米軍による戦後調査では、陸軍の改良型Type-Bレーダーについて、125~150マイル程度の半径をカバーする走査能力を持つものがあり、1944年11月末にはB-29の識別や高度・速度の推定が可能になっていたとされています。
ただし、ここは注意が必要です。これは、「広島周辺のどこに、どの型のレーダーがあり、8月6日に稼働していた」ということを直接意味しません。レーダーの全国的な性能資料と、広島周辺の実際の配置・稼働状況は別問題です。
呉では1945年にType 13対空捜索レーダーを搭載した艦艇が存在します。例えば第102号哨戒艇は、1945年2月に呉でType 22水上レーダーとType 13対空捜索レーダーを装備しています。つまり、「呉にはレーダーがなかった」という状況ではありません。
ただし、これは呉港にいた艦艇のレーダーなので、陸上の広域警戒レーダー網とは区別する必要があります。
Palmerは、初期は少数機→閃光弾・煙幕弾→火災・煙→後から多数のB-29→ナパーム・マスタードガス等を大量投下という作戦を想定しています。
ところが実際の8月6日には、松永→甲山・三次など→呉鎮守府→中国軍管区という複数地点を結ぶ監視・通信ネットワークが存在し、実際に広島へ向かう3機程度のB-29を捕捉していました。
したがって、もしPalmerの言う「後続の大量爆撃機」が本当に存在したなら、広島市内の目撃者だけでなく、広島県東部・北部、瀬戸内海、呉方面の監視施設・防空指揮所がそれをどう記録したのかが極めて重要になります。
さらに面白い資料があります。米国戦略爆撃調査団が戦後に収集した「呉鎮守府による広島原爆攻撃調査報告」そのものが現存しています。これは1945年9月の資料で、日本語原文と英訳がセットになっています。
つまり、次は推測ではなく、「呉鎮守府の原資料に、8月6日の航空機探知が時刻別にどう記録されているか」を直接追えます。これはかなり有望です。
8月6の航空機探知表
はい
AI:一次資料まで確認すると、Palmer説を検証するうえでかなり重要な事実が出てきます。
まず、呉鎮守府の1945年9月作成「広島原爆攻撃調査報告」は、USSBSが収集した日本側資料で、日本語原文と英訳が残っています。USSBSがこの呉鎮守府資料などからまとめた記録では、次のようになっています。
| 時刻 | 監視・報告 | 内容 |
|---|---|---|
| 07:09 | 広島県 | 空襲警報 |
| 07:31 | 広島 | 警報解除 |
| 08:06 | 松永監視哨 | 敵機2機を確認 |
| 08:09 | 松永監視哨 | 3機に訂正 |
| 08:14 | 中野探照灯隊 | 西条方向から航空機のエンジン音を探知 |
| 08:15 | 中野探照灯隊 | 西条上空を西進する敵機を確認 |
| 08:15前後 | 中野探照灯隊 | 高度約23,000 ft、約2機を目視 |
| 08:17 | 中野探照灯隊 | 2機が落下傘を放出するのを確認 |
この記録はUSSBSの戦後報告に明記されています。特に、8:14に中野探照灯隊が航空機のエンジン音を拾い、8:15には2機を高度23,000フィートで目視している点が重要です。
そして、原爆投下部隊については、「広島上空に到達した航空機は約28,000フィート、一般に3機が目撃され、1機が先行し、2機が後方を並んで飛行」という日本側の認識も記録されています。
これはかなり重要です。つまり、広島市内の目撃者だけが航空機を見ていたわけではありません。呉側の防空組織も、松永監視哨→ 呉方面の防空指揮系統→ 中野探照灯隊という別系統から航空機を把握しています。
したがってPalmer説で問題になるのは、「広島市民が煙で後続機を見られなかった」だけではありません。広島に大量のB-29が後続したのであれば、8:15以後の呉・松永・甲山・三次などの防空記録に、それを示す痕跡が残っているはずではないか?という問題になります。
そして、ここで非常に面白いことが分かります。今回確認できたUSSBSの記録は、8:15までの航空機については非常に具体的です。ところが、少なくともこのUSSBSのまとめで確認できる8:15以後の記述では、Palmerが必要とする「大量の後続B-29編隊」が出てきません。
むしろ記録は、3機程度の航空機→そのうち2機が落下傘を放出→爆発という通常の原爆投下の状況と一致しています。これはかなり重要です。
ただし、ここで「だから8:15以後に絶対に他の航空機はいなかった」と断定するのはまだ早いです。
今回確認した資料は「8月6日の航空機活動を完全に網羅した航空管制記録」ではありません。したがって、Palmer説を決定的に否定するには、呉鎮守府原資料そのものの8:15以後の記述を75ページ全部追う必要があります。
しかし、現段階でも一つ明確なことがあります。Palmerの説明は、「煙が発生すれば後続機を地上から隠せる」という説明です。しかし、日本軍の防空網は地上の市民の目だけではありません。
8:14には中野探照灯隊が航空機のエンジン音を探知している。つまり、煙で「見えなくする」ことと、航空機の存在そのものを防空監視網から消すことは全く別問題です。
もし220機規模の通常爆撃隊を投入したのであれば、Palmerは、「その220機(あるいはそれに近い数の航空機)が、8:15以後、呉・広島周辺の防空監視網にどのように認識されずに活動できたのか」を説明する必要があります。
そして現時点で確認できた資料からは、その説明はまだ見えていません。なお、この呉鎮守府資料そのものは国立国会図書館デジタルコレクションの資料番号 NDL8318507 として確認できます。
次に進めるなら、この75ページの原資料をページごとに追って、「8:15以後の航空機」に関する記述を全部拾い出すのが一番確実です。これができれば、Palmer説に対するかなり強い検証になります。
まとめ
AIは資料をOCRスキャンするのが難しいと言い出したので、ここで打ち切ります。これ以上掘っても何も出てこないでしょう。
一次資料からしてこんな調子なので、Palmer作戦を大成功させるには、日本側の全面的な協力が必要になりますね。つまり、大編隊のB-29を検知しているにも関わらず、隅々にまで「3機にしとけよ、3機に」と伝え、箝口令をしかねばなりません。それも、広島周辺だけではなく、九州や四国までです。さらには、一般庶民の口も塞がねばなりません。
どう考えても無理筋です。
この続きは、林千勝のトンデモ「原爆はなかった」論の大穴です。

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