あなたの人権は国家や憲法の上にある〜講演会のさわり(3)

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あなたの人権は国家や憲法の上にある〜講演会のさわり(2)の続きです。

今回は社会契約論についてです。

前回見たように、まず人には自然権という侵すことのできない権利があります。これが最高価値であるわけです。しかし、そのままでは権利が守れないから、そのために国家を作ります。これは人々の合意(契約)によって行われます。人々が先、国家は後です。

人々の自然権を守るため、国家には一定の権力を与えねばなりません。しかし、逆にこれが危険性を持つわけです。両刃の剣ですね。そのため、国家に対して人々が命じるのです、「これこれをしてはならない」と。

しかしもちろん、こんなのは理想論です。実際の「国」の成り立ちは全然違います。しかし、もともとどのような成立経緯であろうが、近代立憲主義の原則としては、この考え方に則っていなければなりません。これを踏み外すようであれば、「国」とは認められないのです。

社会契約論の原則に則っていなければ、国家としての正統性はありません。ここを踏まえていない議論があまりに多すぎですね。再度ですが、「愛国者」を自称する人々は、「人々の前に国」という概念を植え付けようとしています。

こういうことです。

ただし、「国」には2つの意味があります。単に「国」という言葉を使ってしまうので、意味の違いが曖昧になってしまうのです。

独裁国家はどうなるのかと言えば、こうです。

ついでなので、次のお題「民主主義では人権が守れない」という話に行きます。

まず、これまでのまとめとして、人々と国と憲法の関係はこういうものです。そして、再度余談ですが、「彼ら」は自然権及び社会契約論に基づく近代立憲主義をやめたいので、思想注入と同時に改憲に向かっています。

近代立憲主義として当たり前の姿をイラストにしてみれば、こんなところです。

この辺の話からは、こういった本が詳しい、というよりも平易に理解できます。先に指摘したように若干の間違いもありますが。

しかし、「多数決は絶対ではない」ことを知っていましたか?そもそも国家の目的が人権を守ることなのだから、それに反する決議は無効なのです。これは意外だと思いますが、原理的にそうなりますよね?

つまりここでも、「紙に書かれたルール」が絶対なのではなく、その裏にある理由が問題になるわけです。

また、多数決では、「多数決の専制問題」を絶対に解決できません。51%が賛成した場合、なんで反対した49%はそれに従わなきゃならないんでしょうか?不条理です。

ともあれ、自然権思想(=近代立憲主義)の立場からは、どれほど多数が賛成しようが、できないものはできないのです。

そしてこれです。多数決は完全ではないのです。

そして、この解決策は見出されていません。緩和策があるのみです。

つまり、近代立憲主義とは妥協の産物にすぎません。理想と現実のギャップを埋めようとしたものなのです。

続きは、あなたの人権は国家や憲法の上にある〜講演会のさわり(4)です。

 

 

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