原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(6)〜ハーシー著書の悪質な切り取りの続きです。
この記事の三行要約
- 林は、広島で米軍が毒ガスを使用したという客観的証拠を示さず、目撃者の「毒ガス」「ガスの臭い」などの証言を根拠としている。
- 「広島市永年防空計画」は毒ガスへの備えと検知体制を定めていたが、1945年8月6日に実際に毒ガスを検知・警報した記録は確認できない。
- 林は、一部証言を切り取り、またも印象操作をしている。また、硫黄マスタードガスには硫黄の臭いがない事実 を知らずに論じている。
引き続きこの本について見ていくわけですが、林は「米軍が毒ガスを使った」という証拠を一切示せていません。
と聞くと、既に読んだ方は不思議に思うことでしょう、「いくらでも示しているじゃないか!お前は何を言ってるんだ!」と。しかし、それらはまるで証拠にはならないんですよ。順を追って説明していきますよ。
毒ガスを使ったのは日本
原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(5)〜毒ガスを懸念したのは米国の方にて既に述べたように、事実として毒ガスを使っていたのは日本です。米国ではありません。さらに、ルーズベルトから警告されてもやめなかったのが事実です。太平洋では使用を縮小しましたが、中国ではむしろ拡大しました。おそらく終戦時に遺棄したとみられ、国際法に従い、今でも日本政府が多額の費用をかけてその処理をしているのです。
林はこの事実を一切書いていません。万が一知らないとすれば、歴史を語る資格などないことは明らかです。
米国の方は、毒ガスを製造して備蓄しましたが、使ってません。もちろん、万が一林の言うように「これは原爆ではなく、毒ガス等だった」というのであれば、この戦争において米国が毒ガスを使ったのは、広島が初めてということになります。
さて、日本には他にも毒ガス工場がありましたが、広島から最も近いのは大久野島です。広島市から直線距離で50kmです。
ここで環境省による大久野島の調査資料を見てみましょう。AIにまとめさせると、大久野島における総生産量は次です。イペリットとは、致死性のマスタードガスです。ルイサイトも致死性で、マスタードガスより即効性があるようです。
| 陸軍呼称 | 化学剤 | 生産量 |
|---|---|---|
| きい1号甲 | イペリット | 915 t |
| きい1号乙 | イペリット | 921 t |
| きい1号丙 | イペリット | 969 t |
| きい2号 | ルイサイト | 1,268 t |
| あか1号 | ジフェニルシアンアルシン | 1,757 t |
| みどり1号 | 塩化アセトフェノン | 28 t |
| ちゃ1号 | 青酸 | 248 t |
また、環境省による別資料では、終戦時の貯蔵量が示されています。これもAIにまとめさせます。
- イペリット:約1,680 t
- ルイサイト:約827 t
- ジフェニルシアンアルシン:約1,035 t
- 液体青酸:約15 t
- 塩化アセトフェノン:約7 t
そして、思い出してください、1942年6月にはルーズベルトが日本に対して警告していましたね。
このような非人道的な戦争手段を用い続けるならば、わが政府はその行為を、あたかも米国に対して行われたものとみなし、それに対して同種の、かつ全面的な報復を行うことを、疑いの余地なく明確にしておきたい。われわれは、完全な報復を実施する用意がある
ルーズベルトは明確に言っています、「同種の、かつ全面的な報復を行う」と。
日本の毒ガス防護は万全!
日本は自ら毒ガスを使い、おそらくは大量に中国人を殺しており、米国からも「(毒ガスで)報復するぞ」と言われてますから、敵からの毒ガス攻撃に備えるのは当然すぎるほど当然です。
林自身が、それを取り上げていることは既に述べました。本書P114からは『「広島市永年防空計画」第十章 防毒 第一〜第三節』など、誰も読まないような「写真」を6ページにわたり掲載しています。こちらのPDFの16,17ページにはその文字起こしがあります。では、何が書いてあるのでしょう?私も読むのが面倒なので、AIにまとめてもらいます。
- 第147条:防毒の目的は、敵航空機が使用する毒性のガス・煙霧・液体等による被害を防止・軽減すること
- 第148条:市民の防毒知識を向上、防毒面(ガスマスク)または応急防毒具を整備、市民自身が簡易な自衛措置を取れるようにする、防毒機関を編成・配置、防毒設備・資材を整備。
(敵航空機による毒ガス攻撃を具体的に想定していた) - 第149条:市長は、市の職員によって直轄防毒機関を編成し、被害の大きい地域で防毒業務を行う、警防団の防毒業務を援助する。
- 第150条:警防団に「防毒部」を設ける。その組織は、総務係 係長1+係員2 資材整備・統制・連絡、警戒係 係長1+係員9 毒ガス警戒・検知・被毒地域表示・警報・避難誘導、消毒係 部(班)長1+係長1+係員5 被毒地域・物件の消毒。装備として、防毒面、防毒衣、防毒手袋、防毒靴、毒瓦斯検知資料、消毒材料、警報器材、被毒地域標示材料を明記。
(つまり、毒ガスを検知する担当者が明確に設定されていた) - 第152条:防毒機関の任務を具体的に、毒ガスの検知、消毒、毒ガス警報の発令・解除、被毒地域の交通規制、被毒物件の使用制限。
(これはかなり具体的。単に「毒ガスが来たらマスクを着ける」という程度ではなく、検知 → 警報 → 区域設定 → 避難 → 消毒という一連のシステム) - 第153~154条:毒ガスが検知された場合の現場管理を細かく規定。被毒地域や毒ガス警報発令地域では、交通制限、持久性毒ガスの地域を縄張り等で区画、赤旗・青旗で表示、夜間は注意灯、立入禁止、必要に応じてガスの種類を表示、迂回路を表示。
(防毒部員は、関係機関と協力して避難者を誘導し、風向・地勢・建物などを考慮して避難方向を決定する) - 第155:市民について、「防毒面ヲ所持セシメ各自ニ防毒ノ方法ヲ採ラシムル(市民に防毒マスクをもたせ、各自が防毒を)」ことを基本とする。防毒面がない場合には、完全ではないとしても、呼吸器を重点的に応急防護するよう指示。
- 第156条:毒ガスの徴候を知った場合、または毒ガス警報を聞いた場合の具体的行動を規定。防毒面を速やかに装着、風上などの無毒地域へ避難、防護室・準防護室・防毒設備を施した防空壕へ避難、持久性毒ガスの場合、風下へのガス流動にも注意、液状毒ガスの地域には素手で触れない、ゴム手袋などを使用、毒ガス雨下では屋根・掩護下へ避難。
まさに「敵航空機が毒ガスを落とすに違いない!皆用意を怠るな!」という勢いですね。ところが、この文書をわざわざ原本の写真で掲載しているにも関わらず、林は、この仕組みが機能したのか、特に毒ガス検知がされたのかを一切記述していません。
私自身もAIに探させましたが、「1945年8月6日に広島市の防毒部が毒ガスを検知した、毒ガス警報を発令した、被毒区域を赤旗・青旗で表示した、毒ガスの種類を特定した、といった記録」は見つけられませんでした。林は一体何のためにこの文書を掲載したのでしょう?
林はP113でこう書いています。
日本は米軍による毒ガス攻撃を高度に想定していた。そして、当然のことながら広島でも防毒体制が整えられていた。
(略)
日本は第一次世界大戦の非人道的な毒ガス兵器の教訓をしっかりと研究し、対応を怠らなかったのだ。
(略)
しかし、通常兵器群による大規模な破壊力の支援の下、想定を大幅る大量の毒ガスが投下され、防御は限られた。
さらに、戦後、毒ガスマスクを装着している無数の写真は消された。私達が習う「歴史」は作られたものだ。
林は「想定を大幅る大量の毒ガスが投下され」たとしていますね。では、毒ガスは検知されたのでしょうか?されなかったのでしょうか?広島市民はこの計画にしたがって「敵の毒ガス」に対処したのでしょうか?一切わからないのです。
林の最後の文については、リファレンスがありません。GHQ占領期に多数の検閲があったことは確かのようですが、「ガスマスク装着写真」が特に検閲されたという根拠が示されていません。この文章自体が自己矛盾しています。
- A:ガスマスク装着の無数の写真があった
- B:それが消されてしまった
というのであれば、まず、Aを証明せねばなりません。その上でBが成立するわけです。また、林は1961年生まれなので、自身の目で見ていることもありえません。
では、実際はどうだったのか?
林は、「毒ガスだった」という客観的証拠を一切示せていません。おおよそは以下のような調子です。
- 1.目撃者が口々に「毒ガスではないか?」と言っていた。
- 2.これは放射線ではなく毒ガスの症状である(林による断定)。
→であれば、放射線の症状がどういうものか説明し、それを証明せねばならない。毒ガスと放射線とどう違うのかの説明も一切なし。 - 3.医者や学者もそう言ってたが、占領軍に検閲された。
→「米国は毒ガスなど使ってない」と言いたかったのでは?放射線によるものならOKというスタンスだったのでしょう?国際的にまだ禁止されていないし。
毒ガスと断定したいのであれば、先に説明した通り、例えば「毒ガス検知器」による結果はどうだったのかを説明せねばなりません。また、たとえ事後であっても「マスタードガスが検出された」という記録がなければならないはずですが、この本を見回す限りそんなものはないようです。
どういうことなのでしょう?林は「毒ガスだ!」と決めつけていますが、客観的証拠は一切提示できていないのです。他の部分と同様、推測と伝聞しかありません。
以下詳細を見ていきます。
目撃者による推測が証拠
悪質なことに、林は何の客観的証拠もない、目撃者のただの推測を示して読者を印象操作しています。原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(6)〜ハーシー著書の悪質な切り取りにて示したことと同じ手法です。
これらを私のように精査していくと、もし仮に本当に毒ガスであったとしても、林の悪質な印象操作の手口の前に、逆を信じざるをえない状態になります。林が示した一つひとつの証言の切り取りをさらっと読むのではなく、一次資料にあたってどういう状況であったかを見ていくことが必要です。
結局のところ林は、目撃者・被害者の証言の中から「ガス」「毒ガス」という部分をひたすら切り抜いているにすぎません。
以下では、『第10章 ピカドンとキノコ雲の正体』の中のP91以降『④硫黄マスタードガス爆弾』という節からいくつかを見ていきます。
ちなみに、林は「硫黄の臭いがした」という証言をもって、「硫黄マスタードガス」と断定していますが、途中で述べるように「硫黄マスタードガス」に硫黄の臭いはありません。こんな事実さえ林は知らずに、「硫黄の臭い」という証言を集めているようです。
1.
P92:(「爆心」直下から550メートルの)私はこの人工雲は毒ガスだと思った。
これは、『広島原爆戦災誌 第3巻』のPDF207ページ最下部の証言です。その前後を抜き出して見ましょう。
竜巻のような火柱は、その位置を移動するでもなく、その原点を踏まえたまま、頂点では更に高く、更に横に大きく拡がりながら、火山の噴煙のように盛り上り、湧き、巻き返った。太陽の光線の反射を受けて、虹色のプリズム光が複雑なリズムで万華鏡のように変化した。高度二千メートルに達するこの火柱は、生き物の様に変化を繰り拡げながら、徐々にその領域を拡げていた。私はこの人工雲は毒ガスだと思った。この雲が次第に降下して広島全部を包んだ時、生きて呼吸をしている生物は忽ち斃死するのだと思った。天空は次第に暗くなって来た。
これは、原爆投下直後にその様子を見た人の証言です。この証言から、常識ある大人が「毒ガスだった」と判断するでしょうか?
また、先に見たように、広島では「敵航空機が毒ガス攻撃をするかもしれない」という懸念を持っていたわけですから、「これが敵の毒ガスか!」と、とっさに思うのはむしろ自然に思いますね。
2.
P92:右側の窓で光ったのだからと思って、……夢中で左の方へ這って行きました。……ガスの臭いで鼻や喉がツーンとして気分が遠くなりそうでした。
『広島原爆戦災誌 第2巻』のPDF180ページの証言です。
あの日、私たちがいつものようにトラックで兵器廠につき事務室に入り、書類を出して仕事を始めようと腰を下ろしたと思うと、ピカッ!と光ったでしょう。何だろうとびっくりして隣の岩村さんと顔を見合して、「何かね」「おかしいね」と言ったかと思うと、今度はドカン、ガラガラ、ゴウッと、建物がグラグラゆれたので思わず床に伏せました。右側の窓で光ったのだからと思って、破れた硝子がバラバラふってくる中を夢中で左の方へ這って行きました。そうして見習士官の机の下にもぐり込みましたのよ。爆風のために書類やいろいろのものが散るし、ガスの臭いで鼻や喉がツーンとして気分が遠くなりそうでした。このまま死ぬのかと思いました。しばらくして待避の命令で起き上がり、防空頭巾をかぶって外に出ました。そうして前の待避壕の中に飛び込み、そのうち解除が出ましたが、一寸外を見た時思わず倒れそうでした。向うの方から顔や手足そして服を血で真赤に染めた人が何十人という程走ってこられますの。兵器廠の工員で下敷きになったか、何かによって怪我をした人でしょうけど頭のわれた人や、手のもげた人などが、走る元気もなくなって私達の前にバタバタ倒れるのよ。
「ガスの臭い」の正体が書いてありませんが、もし、建物が揺れるほどの毒ガス爆弾が落ちたなら、この人は生きてはいないように思いますね。そういう解釈もできるわけです。何とでも解釈できます。また、ここは兵器庫ですから、何かしらのガスを発生させるものがあったとしてもおかしくはないです。
3.
P93:幸ノ浦基地にて朝食準備中、(レ)艇が炎上したのかと思われる様な真赤な閃光と大音響で、窓硝子が破損し、……海岸から広島を望むと原子雲が天高く盛上り、……隊員の中に広島市出身がいて、都市ガスのタンクが爆発したのではないかと想像した。
『広島原爆戦災誌 第5巻』のPDF168ページの証言です。
特に原文を示す必要はないでしょう。「あまりに大きな爆発だったので、都市ガスのタンクが爆発したのではないかと想像した」だけなのです。なぜこんなものを証言として取り上げたのでしょうか?林が何も考えずに「ガス」を検索して、適当に切り抜いただけであることがわかります。
4.
P93:土橋中尉は……爆弾によるいつもの閃光と考え、そのまま机に向っていたが、室外の騒然とした気配に、どうしたのかと外へ出てみた。……そのとき、衛生兵がとんで来て、「隊長、あの雲は毒ガスだそうですから、全員防毒面を着用するよう本部で言っております。」
『広島原爆戦災誌 第1巻』のPDF167ページの証言です。
第六節 歩 兵 第 三 二 一 聯 隊 の 活 動 … 429
昭和二十年六月、千葉県佐倉において、新しく編成された本土防衛部隊である。七月上旬、佐倉から広島県賀茂郡原村(八本松)原廠舎に移駐し、終戦までいた。広島市の被爆当日は、聯隊長後藤四郎中佐指揮のもと、第三大隊(約一、〇〇〇人)が山陰の大山地区で、敵要撃の陣地構築を進めていた。しかし、聯隊の主力は原村にあった。原村では、八月六日夕方、各中隊長が本部前に集合を命ぜられ、聯隊副官の命令下達により、ただちに救援隊出動の準備をおこなった。同日午後七時ごろ、先任大隊長木田大尉指揮によって、原村駐屯の兵力の大部分が出発した。このとき第七中隊長として出動した土橋慶治中尉の手記によれば、その状況は次のとおりである。
(一)原村廠舎における状況
原村の状況八月六日午前八時過ぎ、土橋中尉は原村廠舎隊長室において執務中、一瞬、閃光を感じた。しかし、空襲は常時受けていたため、爆弾によるいつもの閃光と考え、そのまま机に向っていたが、室外の騒然とした気配に、どうしたのかと外へ出てみた。見れば、多数の兵隊が集って、上空を指している。その群れにまじって、ともに天を仰ぐと、そこには腐敗した肉を思わせる無気味な色をまじえた独特の固型雲が立ち昇っており、その中からパラシュートが姿を現わし、静かに漂うのが見られた。言い知れぬ無気味な感じをいだきながら、じっと見つめていると、キノコ雲の沸き立った脚下から、さらにまた、新しい雲かと思われる灰色の煙がモクモクと出現した。B29が空中衝突して、その機体が落下し、地上の石油タンクに命中したのだろうと、臆測する者もあったが、その実態は、さっぱりつかめなかった。そのとき、衛生兵がとんで来て、「隊長、あの雲は毒ガスだそうですから、全員防毒面を着用するよう本部で言っております。」と、伝えた。土橋中尉は、巨大な煙雲が次第に上昇する光景から、空中衝突説も毒ガス説も否定し、やがて解散した。一同は実態のわからないまま、まもなくその日の教練に没入したのである。
(二)出動の状況
出動命令下る六日夕方、各中隊長は、本部前に集合との命令があり、全員集合したが、午前中の異様な雲の上昇を遠望していたため、何か特殊な緊張感が漂っていた。まもなく聯隊副官が出て来て、救援隊の出動命令を下達し、はじめて広島市の惨状を知った。しかし、それが原子爆弾によるものであることは、夢想だにしなかった。
この場所は、現在の広島県東広島市八本松町原付近だそうで、爆心地からは30km程度の距離です。
衛生兵がどこから聞いたのか「毒ガス」と言ったわけです。時間的には、投下より数分という感覚でしょうか。しかし、土橋中尉は、「巨大な煙雲が次第に上昇する光景から、空中衝突説も毒ガス説も否定」したのです。「次第に上昇する」ということは、毒ガスであれば、散乱してしまい効果が薄くなってしまうでしょうね。
毒ガスとは無関係ですが、もうひとつ注意してほしいのは、「キノコ雲の沸き立った脚下から、さらにまた、新しい雲かと思われる灰色の煙がモクモクと出現した。」という記述です。1本の大きなキノコ雲ではなく、他に1,2本の雲が観測されているわけです。
5.
P95:森田千代喜は寮(「爆心」直下から1.5キロメートルの広島赤十字病院)の階下南側の窓に近いベッドに臥床していた。……黄色の閃光とドンという炸裂音がしたので、その方へ目をやると、硫黄ガスの臭いが鼻をついて流れて来た。
これも、『広島原爆戦災誌 第1巻』のPDF171ページの証言です。
森田千代喜(甲種二年生、現姓・泉)は寮の階下南側(隔離病室)の窓に近いベッドに臥床していた。数日前から下痢症状を伴い、赤痢の疑いで隔離されていたのである。黄色の閃光とドンという炸裂音がしたので、その方へ目をやると、硫黄ガスの臭いが鼻をついて流れて来た。「あっ危険薬品が爆発した」と思った瞬間、上から天井が崩れ落ちた。
気がついてみると、大きな梁の下敷きになっていて、腰の自由がきかない。大声で救助を求めた。同室の同僚たちも叫んでいた。自力で抜け出していく者もいたが、自分はどうにもならなかった。ようやく軍患者が救助に駆けつけたらしく、その声が聞えてくるが、自分の必死の声はとどかないらしい。油汗がにじんできて、息がつまりそうになり、死ぬるのではないかと思ったが、ようやく叫び声が上の方へとどいた。頭上にスコップの音がきこえ、引っ張り出された。被爆後、二時間くらい経過していたらしい。担架で中庭の空地に運びだされたが、すでにたくさんの負傷者が炎天のもとに呻き苦しんでいた。
「甲種二年生」とは、広島赤十字病院に併設されていた看護婦養成関係の生徒のことだそうです。彼女は、「硫黄の臭い」がしたので「危険薬品が爆発した」と思ったわけですね。そしてもちろん、このガスを吸っても亡くなっていません。
林はしきりに「硫黄マスタードガス」と主張していますが、これは硫黄の臭いはしません。AIに聞いてみましょう。
硫黄マスタード(イペリット、マスタードガス)は、実際にニンニクやマスタード(からし)のような臭いがすることで知られています。名前の由来もそこから来ています。化学的には、硫黄原子を中心に塩素を含む構造を持つ有機硫黄化合物で、純粋な状態では無臭に近いとも言われますが、製造過程で生じる不純物によって特徴的な刺激臭(からしやニンニクのような匂い)を放つとされています。この臭いが第一次世界大戦で兵士たちに認識され、「マスタードガス」という通称がついた経緯があります。ちなみに「硫黄」という言葉が名前に入っているのは、硫黄原子を含む化合物だからであり、必ずしも一般的にイメージされる「硫黄そのものの臭い(卵の腐ったような臭い)」とは異なります。硫黄そのものの臭い(硫化水素など)とは違う、からし・ニンニク系の臭いという点は覚えておくとよいかもしれません。
さらにAIに聞くとこうです。
原爆投下後の体験談には、「硫黄のような臭い」「焦げくさい臭い」「異様な臭い」といった表現が数多く残っています。これは化学兵器特有の症状ではなく、以下のような要因で説明が可能です。
- 強烈な熱線・爆風によって都市全体で同時多発的に発生した火災、建材・金属・有機物の燃焼・分解によって様々な化学物質(硫黄化合物を含む)が発生した
- 核爆発に伴う高温・電離作用でオゾンが生成されることがあり、オゾンは「硫黄っぽい」「金属的な」臭いと表現されることがある
- 人間の嗅覚は未知の刺激臭を既知の言葉(「硫黄」「火薬」など)に例えて表現しがちで、必ずしも化学的に正確な同定ではない
林の発想があまりに単純であることに驚きます。「硫黄の臭いがした→硫黄マスタードガスだ!」でしかないのです。むしろ、「硫黄の臭いはマスタードガスではないことを示す」と考えるべきです。
6.
P96:私も毒ガスをすって気分が悪くなった。
『劫火を見た――市民の手で原爆の絵を』からの引用とあります。国会図書館のアカウントがあれば、オンラインで閲覧できます。ページ数が少ないので、全ページダウンロードも可能です。しかし、この記述は発見できませんでした。もしかしたら、多数の絵の中の手書き文字かもしれません。わかった方はお知らせください。
7.
P97:爆心地の中心点より半径1キロメートルの円の区域内にある人畜は、爆圧及び爆風、有毒ガスによりほとんどが即死し、家屋その他は爆風により破壊、悲惨し、かつ火災を発生す。
『長崎―爆心地復元の記録』からの引用とあり、これも国会図書館でオンラインで閲覧できます。しかし、該当箇所を見つけることができませんでした。わかった方はお知らせください。
まとめ
これまで見てきたと同じく、林は証言の一部を切り取って印象操作工作していることがわかります。この手はおそらくすべて同じだと思いますが、「初めに結論ありき」で、その結論に都合の良いものを探していくだけなのです。しかし、客観的・科学的な目線にはなっておらず、確証バイアスに満ちているため、第三者から見れば、「こんなもの証拠にならない!」というものばかりです。つまりは、「無理やり」です。
さらに、林には毒物の基本的知識もなく論じていることが明らかです。硫黄マスタードガスには、硫黄の臭いはありません。名前の通りマスタード等の臭いがするのです。
長くなったので、『第23章 毒ガス被害の実相』『第27章 都築正男教授の戦い、あれは毒ガスだ』などについては後ほどとします。


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