原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(1)〜コンプトンはそんな発言をしていない

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読み始めるといきなり嘘!

ほんとはこんな本書いたくなかったのです、どうせ中身は予想がつくし。しかし、批判のためにはきちんと参照しないといけませんから、涙を飲んで買いました。高い!高すぎる!

で、早速読み始めると、早速嘘が書いてありました。

P14:
「原爆完成は数年先」の衝撃報告

1945年5月末、米国における原爆問題に関する秘密の最高諮問会議「暫定委員会」で、アーサー・コンプトン博士が、プルトニウム型原爆の完成は1949年1月以降と報告。進捗を繕っていたが、ウラン型原爆の完成も報告されていなかった。

Palmerとほぼ同じことを言っています。既にこれについては批判しています資料はこちらにあります)。ですから、繰り返す必要もないです。

AIで林の嘘を見抜こう!

ここでは、読者の方が簡単に林の大嘘を見抜けるよう、AIを使ってみましょう。

1945年5月末、米国における原爆問題に関する秘密の最高諮問会議「暫定委員会」で、アーサー・コンプトン博士が、プルトニウム型原爆の完成は1949年1月以降と報告。進捗を繕っていたが、ウラン型原爆の完成も報告されていなかった。

この文章の嘘を指摘してください

Claudeの答え(Claudeとは、これまでこの件でのやりとりは一切ありませんでした)

この文章は、実在する史料をベースにしながら、結論を捻じ曲げた典型的な「陰謀論的援用」のパターンです。具体的な嘘・誤りを指摘します。

1. 「プルトニウム型原爆の完成は1949年1月以降」という数字が虚偽

1945年5月31日の暫定委員会(Interim Committee)議事録では、コンプトンはプルトニウムの精製・量産に「あと2年、量産にはさらに1年」かかるといった趣旨の発言をした記録はありますが、これは同議事録を「原爆はハリボテだった」と主張する反原爆使用/陰謀論系の書籍(archive.orgに転載されている「Hiroshima Revisited」の著者による解説付き版)の解釈です。この解釈が「1949年1月」という具体的な期日を導き出しているのであり、これは一次史料そのものの記述ではなく、後年の論者による飛躍した推論です。

2. 「ウラン型原爆の完成も報告されていなかった」は事実に反する

これは明確に誤りです。同じ1945年春の時点で、グローヴス准将(マンハッタン計画責任者)からトルーマン大統領・スティムソン陸軍長官への報告(1945年4月23日付メモ)には最初のガン型(ウラン型)兵器は1945年8月1日頃に準備が整い、爆縮型(プルトニウム型)兵器も同月中に利用可能になると記されています。つまりウラン型もプルトニウム型も、5月末の時点で「8月に完成見込み」と明確に報告されていたのです。
National Security Archive

3. 実際の歴史的経過と矛盾

1945年7月16日:トリニティ実験(プルトニウム爆縮型)成功
1945年8月6日:広島(ウラン型「リトルボーイ」)
1945年8月9日:長崎(プルトニウム型「ファットマン」)

これらはいずれも5月31日の会議からわずか1〜2ヶ月後に実現しており、「1949年まで完成しない」という主張とは根本的に矛盾します。もし本当に1949年まで完成しないという報告が正式になされていたなら、その後わずか数週間でトリニティ実験・実戦投下が行われたことの説明がつきません。

まとめ

この文章は、暫定委員会の議事録という実在の一次史料を出発点にしながら、

コンプトンの発言を都合よく拡大解釈して具体的な年月(1949年1月)を捏造
グローヴスによる別の実際の報告(ウラン型・プルトニウム型とも1945年8月完成見込み)の存在を意図的に無視・隠蔽

することで、「原爆開発は実は間に合っていなかった/原爆投下は欺瞞だった」という結論に誘導する構成になっています。史料の存在自体は本物でも、そこから引き出す結論が歪められている典型例と言えます。 

ChatGPTの答え(原爆問題について、さんざんやりとりしてきました)

この記述は、少なくとも一次資料を正確に読んだものとは到底いえず、核心部分で非常にミスリーディングです。特に「プルトニウム型原爆は1949年1月以降」「ウラン型原爆の完成も報告されなかった」という二つを結びつけて、「1945年には原爆が完成する見込みがなかった」と読者に思わせる構成が問題です。

1. コンプトンは「プルトニウム原爆が1949年1月に完成」と報告していない

1945年5月31日の一次資料で、コンプトンが説明したのは原爆開発の二つの段階です。

The first stage involved the separation of uranium 235. The second stage involved the use of “breeder” piles to produce enriched materials from which plutonium or new types of uranium could be obtained.

つまり、

第1段階=ウラン235の分離
第2段階=増殖炉によってプルトニウム等を生産する将来の段階

という説明です。さらに決定的なのは、その直後に、「The first stage was being used to produce material for the present bomb」と明記されています。

つまり「第1段階は、現在の爆弾のための材料を生産するためにすでに使われている」ということです。これは原文そのものです。一次資料はNational Security Archiveで確認できます。

2. 「1949年1月」は何を意味しているのか

問題の「3年」という数字は、原文では、「it would take three years to get plutonium in volume」です。つまり、「プルトニウムを大量に得るまで3年」という話です。しかも、その前には、「from January 1946 it would take one and one-half years to prove this second stage」とあります。したがって、これを単純に計算すると、1946年1月 → 約3年 → 1949年1月となります。

しかしこれは、「プルトニウム型原爆が1949年1月以降にならないと完成しない」という発言ではありません。「大量のプルトニウムを得るまでに3年程度かかる」という将来の生産能力についての説明です。しかもコンプトンは、その直前に、現在の爆弾用の材料について明確に述べています。

3. そして決定的なのが「ウラン型原爆は報告されなかった」という部分

ここが最も悪質です。5月31日の記録には、「The first stage was being used to produce material for the present bomb」とあります。つまり、ウラン235分離によって「現在の爆弾」の材料を生産中だったことが、まさに報告されています。さらに翌日の1945年6月1日の暫定委員会議事録を見ると、もっと露骨です。

委員会は、

the small bomb would be used in the test and the large bomb (gun mechanism) would be used in the first strike over Japan

という方針を確認しています。「gun mechanism」はまさにウラン235を使う砲身式(gun-type)爆弾です。つまり、

  • 5月31日→ ウラン235分離によって「現在の爆弾」の材料を生産中
  • 6月1日→ 大型の砲身式爆弾を日本への第一撃に使用する方針

という流れです。「ウラン型原爆の進捗について何も報告されていなかった」という印象とは、明らかに矛盾します。

4. むしろ原文は「現在の爆弾」と「将来のプルトニウム」を明確に区別している

これを整理すると非常に分かりやすいです。

  • コンプトンの説明 実際の意味
  • first stage ウラン235分離
  • present bomb 現在製造中の爆弾
  • second stage 増殖炉によるプルトニウム等の生産
  • 3 years to get plutonium in volume 将来的な大量プルトニウム生産までの見積もり
  • 1949年ごろ 将来の大量プルトニウム生産能力の話

ところが問題の文章では、これを、「プルトニウム型原爆の完成は1949年1月以降」と変換しています。

これは「大量のプルトニウムを得るまでの期間」→「プルトニウム爆弾が完成する時期」という、かなり重大なすり替えです。

5. さらに「進捗を繕っていた」という証拠もない

「進捗を繕っていた」という表現も問題です。一次資料にあるのは、コンプトンによる技術開発の段階と将来予測の説明です。そこから、「実際には進んでいなかったのに、進んでいるように見せかけていた」とするには、別の証拠が必要です。ところが、同じ会議では原爆を日本に使用する具体的方針が翌6月1日に決定され、ウラン型の砲身式爆弾を第一撃に使用することまで明記されています。また、6月16日にはコンプトン、オッペンハイマー、フェルミ、ローレンスの科学諮問パネルが、核兵器の使用について「acceptable alternative」がないとの結論を出しています。

結論

この文章は、単なる「ちょっとした誤訳」ではありません。

①「プルトニウムを大量生産するまで3年」→「プルトニウム型原爆が完成するのは1949年」というすり替えを行い、②「現在の爆弾用の材料を生産中」という記述を無視して、「ウラン型原爆の完成も報告されなかった」としています。

そして、

③「進捗を繕っていた」という、一次資料にはない意図を付加することで、「1945年5月の時点で、米国自身が原爆は何年も完成しないと認識していた」という印象を作っています。

したがって、より正確に批判するなら、

これは、1945年5月31日のコンプトン発言を意図的に文脈から切り離し、「将来の大量プルトニウム生産に3年」という予測を「プルトニウム原爆の完成は1949年」と読み替え、さらに同じ発言にある「現在の爆弾用の材料を生産中」という決定的な記述を無視した、極めてミスリーディングな記述である。翌6月1日の議事録では、ウラン型の砲身式爆弾を日本への第一撃に使用する方針まで明記されており、「ウラン型原爆の完成についても報告されなかった」という説明も、少なくとも「ウラン型の開発・生産が進んでいなかった」という意味では一次資料と正面から矛盾する。

とするのが妥当です。

なお、「1949年1月」という数字がどこから出てくるのかを、5月31日の英文を一文ずつ分解すると、さらにこの文章のトリックがはっきりします。 

Geminiの答え(やりとりしていません)

主な誤り・事実誤認の指摘

「プルトニウム型原爆の完成は1949年1月以降」という報告の誤り

事実: 1945年5月31日の暫定委員会(Interim Committee)において、科学顧問(アーサー・コンプトンやロバート・オッペンハイマーら)から「原爆の完成・実戦配備は数年後」などという報告はなされていません。実際には「1945年夏(7月〜8月)には実用可能になる」という見通しが示されており、事実その通りに1945年7月16日にプルトニウム型原爆の実証実験(トリニティ実験)が成功し、8月には実戦投入されました。

「アーサー・コンプトン博士が報告した」という記述の誤り

事実: 暫定委員会の科学顧問団の長はコンプトンも含まれますが、技術的・スケジュール的な説明を主導したのはオークリッジやロスアラモスで直接開発指揮をとっていたオッペンハイマーやブッシュ、コナントらであり、コンプトン個人が「プルトニウム型は1949年以降になる」と遅延を報告した事実はありません。

「進捗を繕っていた」「ウラン型原爆の完成も報告されていなかった」という説の誤り

事実: 科学者や軍(グローヴス将軍ら)が進捗を偽ったり隠蔽(繕う)していた事実はありません。すでに1945年5月の時点で、ウラン型原爆(ガンバレル型=リトルボーイ)は爆薬実験を必要としないほど計算上・構造上の完成度が高く、ウラン235の濃縮が進めば1945年7月〜8月には確実に投下可能であると政権高官へ正確に報告されていました。

この文章は、近年一部で見られる「原爆は1945年当時は未完成だった」「アメリカは原爆保有を捏造していた」とする根拠のない陰謀論(いわゆる「原爆未完成論」「原爆なかった論」)で主張される典型的な誤情報・解釈の歪曲に基づいています。  

林は何も読んでいない!

林は何も読んじゃいませんね。プルトニウム型については「大量生産については3年」という発言を極解、ウラン型については「報告されていなかった」そうです。

特に、ウラン型についてはAIも指摘していますが、翌日6/1の暫定委員会の議事録の説明がつきませんよ。その後も原爆投下を想定した会議が続いているのです。資料はこちらですが、簡単にまとめておきます。いずれも一次資料、Top Secret解除になった議事録です。

1945年6月1日――暫定委員会 

バーンズ氏は、最終的な標的の選定は本質的に軍事上の決定であることを認めたうえで、陸軍長官に対し、委員会の現在の見解として、原爆はできるだけ早く日本に対して使用すべきであり、労働者の住宅に囲まれた軍需工場を標的とし、事前の警告なしに使用すべきである、と伝えることを提案した。委員会はこれに同意した。委員会の理解では、小型爆弾は試験に使用され、大型爆弾(砲身式機構)は日本に対する最初の攻撃に使用されることになっていた。 

1945年6月16日――科学諮問委員会

これらの目的を達成するため、我々は、兵器が使用される前に、英国だけでなく、ソ連、フランス、中国にも、我々が原子兵器の研究において相当な進展を遂げており、これらが現在の戦争中に使用可能になる可能性があることを伝えることを勧告する。また、この開発を国際関係の改善に役立てるために、どのように協力できるかについて提案を歓迎する。 

1945年6月21日――暫定委員会

ハリソン氏は、A・H・コンプトン博士を通じて、シカゴの科学者グループから報告書を最近受け取ったと説明した。その報告書は、とりわけ、この戦争では兵器を使用せず、他国にも知らせる純粋な技術的実験を実施することを勧告していた。ハリソン氏は、この報告書を検討と勧告のため科学諮問委員会に回していた。科学諮問委員会の報告書第II部では、直接的な軍事使用に代わる受け入れ可能な選択肢はない、としていた

委員会は、5月31日および6月1日の会合で示された立場、すなわち、この兵器を日本に対して最も早い機会に使用し、警告なしに使用し、さらに二重の標的、すなわち、住宅その他の被害を受けやすい建物に囲まれている、またはそれらに隣接している軍事施設または軍需工場を標的として使用する、という立場を再確認した。

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