原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(13)〜1945/5/31暫定委員会の極解

原爆なかった論の戯言シリーズはこちら

原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(12)〜林の主張はトライライトゾーンの出来事の続きです。

この記事の三行要約

  • 林千勝は、1945年5月31日議事録の「大量のプルトニウムに3年」「第二段階の研究に0.5~1トン必要」という記述を、原爆全般の完成に必要な量・期間だと極解している。
  • しかし、第一段階=ウラン235(広島型)、第二段階=プルトニウム等(長崎型)と明確に区別され、ウラン・ガン方式は確実視される一方、爆縮方式には不確実性が残っていた。
  • さらに前後の機密文書には、1945年8月のウラン爆弾使用計画やFat Manの投下計画が具体的に記されており、「原爆完成は1949年」という林の極解とはまったく整合しない。 

林千勝の議論は、常に同じなのですが、対象とする資料の中から自分に都合の良い一部だけを切り取って示し、「だからこうだ!」と主張するだけなのです。前後の文脈を無視し、切り取った部分を極解します。

つまり、小学生並の議論です。子供が「お前今**と言ったな!わーいわーい」と騒ぎ立てるようなものです。

受け取る側は受け取る側で、「本当だろうか?調べてみよう」という気は一切なく、「はいはい左様でございますか」と鵜呑みにするだけなので、林のような金儲けと売名行為が成立するわけです。

この記事では、以下の「記者会見」なるものの中で語られる林のウソを暴いていきます。

9:50あたりから林はこんなことを言っています。

コンプトン博士は、「濃縮物質の生産は現在では数ポンドから数百ポンドの桁数である」と言っており、フェルミ博士は、(原爆を完成させるには)「1100ポンド必要だ」と言っている。昭和20年(1945年)5月末の段階で、数ポンドのものが、1100ポンド(0.5トン)から1トンなければできないと言ってる。そして、「大量のプルトニウムを取得するには、1946年1月から3年かかる」と言っている。つまり、原爆が完成するのは、早くても1949年の1月ということ。これが正式の報告書。

1945年5月31日暫定委員会議事録

問題となっている議事録の全訳を示します。

Notes of the Interim Committee Meeting, May 31, 1945

[]はおおよそのページ番号を示します。重要部分については、原文の文字起こしもつけています。

[1]暫定委員会会議録

1945年5月31日(木)
午前10時00分~午後1時15分、午後2時15分~午後4時15分

出席者

委員会メンバー
陸軍長官ヘンリー・L・スティムソン(議長)
ラルフ・A・バード氏
ヴァネヴァー・ブッシュ博士
ジェームズ・F・バーンズ氏
ウィリアム・L・クレイトン氏
カール・T・コンプトン博士
ジェームズ・B・コナント博士
ジョージ・L・ハリソン氏

招聘科学者
J・ロバート・オッペンハイマー博士
エンリコ・フェルミ博士
アーサー・H・コンプトン博士
E・O・ローレンス博士

招聘による出席者
ジョージ・C・マーシャル将軍
レスリー・R・グローヴズ少将
ハーヴェイ・H・バンディ氏
アーサー・ペイジ氏

I. 議長による冒頭説明

スティムソン長官は、暫定委員会が大統領の承認を得て自分によって設置されたものであり、戦時中の一時的な統制、一般への公表、立法、および戦後の組織について勧告を行うためのものであると説明した。長官は、この計画に対して国内の科学者たちが示してきた輝かしく効果的な支援を高く評価し、出席している4人の科学者に対して、その大きな貢献と、暫定委員会が直面する多くの複雑な問題について助言する意欲に深い感謝を表した。[2]長官は、科学者たちがこの問題のどの側面についても完全に自由に意見を述べてほしいと希望していると述べた。

この委員会が「暫定委員会」と呼ばれているのは、この計画がより広く知られるようになったときには、議会の措置または条約による取り決めによって設立される恒久的な組織が必要になると予想されたためである。

長官は、マーシャル将軍が、この計画について大統領に勧告を行う責任を自分と共有しており、特に軍事的側面について責任を負っていると説明した。そのため、マーシャル将軍がこの会議に出席し、科学者たちの意見を直接聞くことが非常に望ましいと考えられた。

長官は、マーシャル将軍も共有している見解として、この計画は単に軍事兵器という観点からではなく、人間と宇宙との新しい関係として考えるべきだと述べた。この発見は、コペルニクスの理論や重力の法則の発見に比較できるが、人間の生活に及ぼす影響という点では、それらよりはるかに重要である可能性がある。これまでのこの分野の進歩は戦争の必要性によって促進されてきたが、この計画の意味するところが現在の戦争の必要性をはるかに超えていることを認識することが重要である。この計画は、可能であれば将来の平和を保証するものとなるよう統制されなければならず、文明への脅威となってはならない。

[3]長官は、会議中に次の問題について議論したいと述べた。

  1. 将来の軍事兵器
  2. 将来の国際競争
  3. 将来の研究
  4. 将来の統制
  5. 将来の発展、特に非軍事的なもの

II. 開発段階

As a technical background for the discussions, Dr. A. H. Compton explained the various stages of development. The first stage involved the separation of uranium 235. The second stage involved the use of “breeder” piles to produce enriched materials from which plutonium or new types of uranium could be obtained.

議論のための技術的背景として、A・H・コンプトン博士が開発のさまざまな段階について説明した。第一段階では、ウラン235を分離する。第二段階では、増殖炉を使って濃縮物質を生産し、そこからプルトニウムや新しい種類のウランを得る。

The first stage was being used to produce material for the present bomb while the second stage would produce atomic bombs with a tremendous increase in explosive power over those now in production. Production of enriched materials was now on the order of pounds or hundreds of pounds and it was contemplated that the scale of operations could be expanded sufficiently to produce many tons.

第一段階は現在の爆弾のための物質を生産するために用いられている一方、第二段階では、現在製造中のものよりも爆発力がはるかに大きい原子爆弾が生産されることになる。濃縮物質の生産量は現在、数ポンドから数百ポンド程度であり、生産規模を十分に拡大して何トンもの量を生産することが想定されていた。

While bombs produced from the products of the second stage had not yet been proven in actual operation, such bombs were considered a scientific certainty. It was estimated that from January 1946 it would take one and one-half years to prove this second stage in view of certain technical and metallurgical difficulties, that it would take three years to get plutonium in volume, and that it would take perhaps six years for any competitor to catch up with us.

第二段階の産物から製造される爆弾は、まだ実際の運用によって実証されてはいなかったが、そのような爆弾は科学的に確実なものと考えられていた。ある種の技術的・冶金学的困難があるため、1946年1月から起算して、この第二段階を実証するには1年半かかると見積もられていた。また、プルトニウムを大量に得るには3年かかると見積もられ、競争相手が我々に追いつくには、おそらく6年かかるとされた。

[4]Dr. Fermi estimated that approximately twenty pounds of enriched material would be needed to carry on research in current engineering problems and that a supply of one-half to one ton would be needed for research on the second stage.

フェルミ博士は、現在の工学上の問題について研究を行うには、およそ20ポンドの濃縮物質が必要になると見積もった。また、第二段階の研究には2分の1トンから1トンの供給が必要になるとした。

In response to the Secretary’s question, Dr. A. H. Compton stated that the second stage was dependent upon vigorous exploitation of the first stage and would in no way vitiate the expenditure already made on the present plant.

長官の質問に答えて、A・H・コンプトン博士は、第二段階は第一段階を精力的に活用することに依存しており、現在の工場ですでに行われた支出を決して無駄にするものではないと述べた。

Dr. Conant mentioned a so-called “third stage” of development in which the products of the “second stage” would be used simply as a detonator for heavy water. He asked Dr. Oppenheimer for an estimate of the time factor involved in developing this phase.

コナント博士は、いわゆる「第三段階」の開発について言及した。この段階では、「第二段階」の産物を、単純に重水のための起爆剤(detonator)として使用する。彼はオッペンハイマー博士に、この段階の開発に必要な時間について見積もりを求めた。

Dr. Oppenheimer stated that this was a far more difficult development than the previous stages and estimated that a minimum of three years would be required to reach production. He pointed out that heavy water (hydrogen) was much cheaper to produce than the other materials and could eventually be obtained in far greater quantity.

オッペンハイマー博士は、これは前の段階よりもはるかに困難な開発であり、生産段階に到達するには最低3年が必要だと見積もった。彼は、重水(hydrogen)は他の物質よりもはるかに安価に生産でき、最終的にははるかに大量に入手できる可能性があると指摘した。

Dr. Oppenheimer reviewed the scale of explosive force involved in these several stages. One bomb produced in the first stage was estimated to have the explosive force of 2,000 – 20,000 tons of TNT. The actual blast effect would be accurately measured when the test was made. In the second stage the explosive force was estimated to be equal to 50,000 – 100,000 tons of TNT. It was considered possible that a bomb developed from the third stage might produce an explosive force equal to 10,000,000 – 100,000,000 tons of TNT.

オッペンハイマー博士は、これらの各段階における爆発力の規模を検討した。第一段階で製造される1個の爆弾は、TNT換算で2,000~20,000トンの爆発力を持つと推定された。実際の爆風効果は、試験が行われた際に正確に測定されることになる。第二段階では、爆発力はTNT換算で50,000~100,000トンと推定された。[5]第三段階から開発される爆弾では、TNT換算で1,000万~10億トンに相当する爆発力を生じさせる可能性があると考えられた。

III. 国内計画

ローレンス博士は、政府の指導者たちがこの計画の発展に伴うリスクを取る意思を示してきたことに深い感謝を表した。米国がこの分野で先行し続けるためには、他のどの国よりも多くを知り、多くを行うことが不可欠だと考えていると述べた。研究は絶え間なく続けなければならない。トリウムやウランを超えた新しい方法や新しい物質について、まだ多くの未開拓の可能性が存在する。実際、すべての重元素がこの分野で利用できる可能性を持っている。いつの日か、我々のエネルギーを太陽からではなく、地球上の源から得ることが可能になるかもしれないと考えていた。

ローレンス博士は、この計画の健全性については実質的に疑いの余地がないと指摘した。これまでに発生した、あるいは将来発生する可能性のある失敗は、一時的な後退にすぎず、そのような後退は速やかに克服されると信じる十分な理由があると述べた。

ローレンス博士は、工場の拡張を精力的に進めると同時に、爆弾および物質の相当量の備蓄を構築する計画を推奨した。安全保障上の理由から、建設される工場は全国に広く分散させるべきである。[6]産業界での応用と発展を促すため、あらゆる努力を行うべきである。必要な工場拡張と基礎研究を精力的に進め、十分な政府支援を確保することによってのみ、この国は先行し続けることができる。

A・H・コンプトン博士は、この見解に全面的に同意した。

カール・T・コンプトン博士は、上記の見解を要約し、次の計画を提案した。

  1. 第一段階の生産を拡大する。備蓄用の爆弾を生産し、研究用の物質を供給するため。
  2. 「第二段階」の研究を強化する。
  3. 必要な「第二段階」の試験工場を建設する。
  4. 新しい製品を生産する。

オッペンハイマー博士は、将来の国内計画を指導する際の難しい問題の一つは、異なる用途の間で物質をどのように配分するかという問題になると指摘した。カール・T・コンプトン博士はさらに、基礎研究計画を強化するため、産業の発展を促すようあらゆる努力をすべきだと付け加えた。

長官は、国内計画についてグループの見解を次のように要約した。

  1. 我々の工業プラントを維持する。
  2. 軍事用途および産業・技術用途のため、相当量の物質の備蓄を構築する。
  3. 産業発展への扉を開く。

[7]IV. 基礎研究

オッペンハイマー博士は、現在戦争の圧力の下で行われている研究は、単にそれまでの研究の成果を摘み取っているにすぎないと考えていた。この分野の可能性をより十分に活用するためには、より余裕のある、より正常な研究環境を確立すべきだと考えられた。オッペンハイマー博士は、現在のスタッフの多くを大学や研究所に戻し、この分野の多くの側面を探究させるべきだと強く主張した。そうすることで、現在のように特定の問題だけに集中することによる研究の不毛化を避け、より安価で簡単な生産方法を開発できるとした。ブッシュ博士は、戦時中に特定の問題へ集中することは不可欠である一方、平時においてこの分野をそのように狭めることは完全に誤りだという見解を示した。彼はオッペンハイマー博士に同意し、現在のスタッフは中核だけを残し、可能な限り多くの人員を、より広範で自由な研究に戻すべきだとした。A・H・コンプトン博士とフェルミ博士もこの見解を支持し、徹底的な基礎研究が行われるまで、この分野の途方もない可能性について確信することはできないと強調した。

V. 統制および査察の問題

長官は、純粋に軍事的な用途以外に、どのような可能性を利用できるかを尋ねた。オッペンハイマー博士は、当面の関心は戦争を短縮することだったと述べた。そして、この開発につながった研究は、将来の発見への扉を開いたにすぎないと指摘した。この問題についての基礎的知識は世界中に広く行き渡っているので、我々の開発について世界に知らせるため、早い段階で措置を講じるべきだと考えた。[8]米国が世界に対して、特に平時利用の開発に重点を置いた、情報の自由な交換を申し出ることが賢明かもしれないと述べた。この分野におけるあらゆる努力の基本的目標は、人類の福祉の拡大であるべきだとした。爆弾が実際に使用される前に情報交換を申し出るならば、我々の道徳的立場は大いに強化されるだろうと述べた。

長官は、非軍事的な可能性を理解することが、情報交換と国際協力の問題を考えるうえで必要な背景であると述べた。彼は、ブッシュ=コナント覚書に言及し、科学が自己抑制の政策を確保するうえで果たす役割を強調した。この覚書では、設立される可能性のある国際組織において、完全な科学的自由を保障し、国際的な統制機関に査察権を与えることが勧告されていた。長官は、このような国際統制と科学的自由を組み合わせた計画の下で、民主主義政府は全体主義体制に対してどのような立場になるのか、またどのような査察が有効なのかを尋ねた。長官は、今回の戦争において民主主義諸国はかなりうまくやってきたというのが自分自身の感覚だと述べた。ブッシュ博士はこの見解を強く支持し、全体主義国家に対する我々の優位性は非常に大きかったと指摘した。ドイツから新たに届いた情報は、ドイツがこの分野および他の科学分野の技術において、我々よりはるかに遅れていたことを明らかにした。[9]彼は、我々の巨大な優位性は、その大部分が、我々のチームワークの仕組みと情報の自由な交換から生じたものであり、それによって我々は勝利し、今後も科学・技術上の競争において勝ち続けるだろうと述べた。しかし、ロシア人に対して、自由な交換なしに我々の研究成果を完全に引き渡すならば、恒久的に先行し続けられるかについては疑問があると述べた。カール・T・コンプトン博士は、少なくとも建設の遅れに相当する期間は、我々の優位性を維持できると考えた。しかし、いずれにせよ、この種の秘密を一定期間うまく保持することはできず、我々は知識を安全に共有しながら、なお先行し続けられると考えた。

A・H・コンプトン博士は、これらの発見の破壊的応用は、建設的応用よりもむしろ統制しやすい可能性があると述べた。彼は、以前作成された原子核科学の将来展望に関する文書に言及し、そこでは海軍推進、健康、化学、産業発展などの分野における他の潜在的用途が示されていた。彼は、電気力学の分野でファラデーが示した希望と予言が、数十年後になってエジソンによって実現されたことを指摘した。この分野でも、まだ未知の可能性について同様の時間差が生じる可能性がある。彼は、産業界の経験が示しているように、技術的進歩を秘密にしておくことは不可能だと強調した。この分野の基礎的知識は多くの国で知られており、科学的アイデアを国家化して制限する政策は機能しない。[10]科学者が世界中でこの分野において進展していることに遅れずについていけなければ、多くの発展を逃すことになるだろう。

コナント博士は、この分野における国際的統制には査察の権限が必要であり、科学者間の国際的な取り決めは、この権限を強化する一つの手段になるだろうと考えた。オッペンハイマー博士は、ロシアでこの分野について何が行われているのかを知ることが可能かどうかについて疑問を表明したが、科学者間の利害・関心の共通性が解決に役立つことを希望すると述べた。

マーシャル将軍は、査察案の有効性に過度の信頼を置かないよう警告した。クレイトン氏も、この点についてかなりの疑問を表明した。

VI. ロシア

統制と国際協力の問題を考える際、最も重要な問題はロシアの態度であった。オッペンハイマー博士は、ロシアは常に科学に対して非常に友好的であったと指摘し、この問題についてロシア側と、生産努力についての詳細を与えず、試験的かつ最も一般的な形で話し始めることを提案した。我々がこの計画に大きな国家的努力を投入してきたことを伝え、この分野での協力への希望を表明することができるだろうと考えた。彼は、この問題についてロシアの態度を先入観をもって判断すべきではないと強く考えていた。

[11]この時点でマーシャル将軍は、ロシアとの関係において典型的だった、非難と反論の経緯についてかなり詳しく説明した。これらの非難の多くは根拠がないことが判明していると指摘した。軍事問題におけるロシアの一見非協力的な態度は、安全保障を維持する必要性から生じていると述べた。彼は、ロシア人との交渉において、彼らの態度についてこの理由を受け入れ、それに応じて行動してきた。戦後の状況および純粋に軍事的ではない問題については、自分は意見を述べる立場にはないとした。この分野については、同じ考えを持つ諸国の連合を構築し、その連合の力そのものによってロシアを列に加わらせることを支持する傾向にあると述べた。マーシャル将軍は、ロシア人が我々の計画について知ったとしても、それを日本人に漏らすことを恐れる必要はないと確信していた。そして、著名なロシア人科学者2人を試験に立ち会わせるため招待することが望ましいかという問題を提起した。

バーンズ氏は、ロシア人に、たとえ一般的な形であっても情報を与えれば、スターリンがその提携に参加させるよう要求するのではないかという懸念を表明した。特に英国との協力について我々が行っている約束や誓約を考えれば、その可能性は高いと考えた。この点についてブッシュ博士は、英国人でさえ我々の工場の設計図を持っていないと指摘した。バーンズ氏は、出席者全員が概ね同意した見解として、最も望ましい計画は、生産と研究を可能な限り速やかに進め、我々が先行し続けることを確実にすると同時に、ロシアとの政治的関係を改善するためあらゆる努力を行うことだと述べた。

[12]VII. 国際計画

A・H・コンプトン博士は、我々が優位な立場を維持すると同時に、適切な政治的合意に向けて努力する必要性を非常に強く強調した。彼は、安全保障および国際情勢と両立する最大限の範囲で、競争の自由と研究活動の自由を支持した。この計画について厳格な秘密保持を維持することは、研究にある種の不毛さをもたらし、国家にとって非常に現実的な競争上の不利益となる。より広い研究の自由の領域においても、この分野の軍事的側面については厳格な秘密保持を維持することが可能だと考えた。我々は、科学的研究と好奇心についての自由な交換を利用することによってのみ、他国に対する技術的優位性を維持できる。彼は先にマーシャル将軍が表明した、同じ考えを持つ他国との協力協定を確保すると同時に、ロシアとの関係を強化するため努力すべきだという見解を支持した。

A・H・コンプトン博士は、少なくとも10年間、概ね次の計画を採用することを推奨した。

[13]

  1. 国家安全保障および軍事上の必要性と両立する最大限の範囲で、研究の自由を発展させる。
  2. この分野で協力するため、民主主義諸国の連合を構築する。
  3. ロシアとの協力について理解に達する。

会議は昼食のため午後1時15分に休会し、午後2時15分に再開した。午前の会議に出席した全員が出席したが、マーシャル将軍を除く。

VIII. 爆撃が日本人およびその戦意に及ぼす効果

一発の原子爆弾を兵器工廠に投下しても、現在の規模の航空軍による通常の攻撃によって生じる効果と大きくは異ならないだろうという指摘があった。しかし、オッペンハイマー博士は、原子爆撃の視覚的効果は非常に大きなものになると述べた。それには非常に明るい発光が伴い、その発光は高度10,000~20,000フィートまで上昇するだろう。爆発による中性子の効果は、少なくとも半径3分の2マイルにおいて生命に危険となるだろう。

さまざまな種類の標的と、そこで生じる効果についてかなり議論した後、長官は、出席者の間で一般的な合意があった結論を述べた。日本人にいかなる警告も与えることはできない、民間地域を標的として集中攻撃することはできない、しかし、できるだけ多くの住民に深い心理的印象を与えることを目指すべきであるというものであった。コナント博士の提案により、長官は、最も望ましい標的は、多数の労働者を雇用し、その周囲に労働者住宅が密集している重要な軍需工場であることに同意した。

複数の攻撃を同時に試みることが望ましいかについて、いくらか議論があった。オッペンハイマー博士の判断では、複数の攻撃は実行可能であった。しかしグローヴズ将軍はこの提案に疑問を表明し、次の異議を述べた。(1)それぞれの連続する爆撃から兵器について追加の知識を得るという利点を失うことになる。(2)この計画では爆弾を組み立てる者たちに急いで作業することを要求することになり、そのため効果がなくなる可能性がある。(3)その効果が通常の航空軍による爆撃計画と十分に区別できなくなる。

IX. 望ましくない科学者の扱い

グローヴズ将軍は、この計画が開始されて以来、裁量について疑問があり、忠誠心についても不確かな一部の科学者が存在することによって悩まされてきたと述べた。これらの者を解雇することについては、爆弾が実際に使用された後、あるいは最善の場合でも試験が行われた後までは、何も行うことができないということで合意された。兵器についてある程度の公表が行われた後には、これらの科学者を計画から切り離す措置を取り、さらに必要とされなくなった人員を一般的に整理すべきである。

X. シカゴ・グループ

A・H・コンプトン博士は、シカゴ計画の性格と規模について簡単に説明した。グローヴズ将軍からの指示に従い、シカゴでの活動は、この戦争の遂行に有用なものに限定することが意図されていた。その活動は次のカテゴリーに分類された。

  1. プルトニウム開発に関するハンフォード計画への援助
  2. サンタフェ・グループへの援助
  3. トリウムを使用する原子炉に関する研究
  4. ウラン原子炉の拡張についての予備的研究
  5. これらの物質を扱う職員の健康に関する研究

上記の3および4の計画は、現在の戦争遂行には直接関係しないことが指摘された。しかし、それらはシカゴで行われている仕事の約20パーセントにすぎず、将来の発展という観点から、この仕事を継続することが望ましいと考えられた。

委員会では、シカゴ・グループについて何をすべきかについては、コナント博士とブッシュ博士の勧告に従うべきだという意見が一致した。ブッシュ博士は、コナント博士の支持を受けて、シカゴを含む現在の計画を、戦争終了まで現在の水準で継続することを勧告した。この勧告を陸軍長官に伝達することが合意された。

[16]XI. 科学者委員会の立場

ハリソン氏は、科学者委員会がブッシュ博士とコナント博士の提案によって招集され、委員会の全メンバーから心から支持されていると述べた。この委員会は継続的な委員会と考えられており、いつでも委員会に対してその見解を提出する自由がある。委員会は特に、この分野を指導・統制するためにどのような組織を設立すべきかについて、科学者たちの考えを得たいと考えていた。委員会は、科学者委員会にこの問題についての見解の草案をできるだけ速やかに作成するよう要請した。この点についてブッシュ博士は、現時点では、この分野の組織と国家安全保障研究会議(Research Board for National Security)との関係を考慮した組織案を作成する必要はないと指摘した。カール・T・コンプトン博士は、この組織を後に、国家安全保障研究会議の核物理部門を通じて同会議と結びつけることができると提案した。

科学者たちが暫定委員会について、また自分たちが委員会の前に呼ばれたことについて、自分たちの関係者に何を話してよいのかという問題が提起された。4人の科学者は、陸軍長官によって任命され、陸軍長官を議長とする暫定委員会が、統制、組織、立法、広報の問題を具体的に扱うため設置されたと、自分たちの関係者に自由に伝えてよいということで合意された。[17]委員会メンバーの身元については明らかにしてはならない。

科学者たちは、自分たちがこの委員会と会合し、この問題のあらゆる側面について自由に意見を述べる完全な自由を与えられたことを説明してよい。そして、政府がこの計画に非常に積極的な関心を持っているという印象を、自分たちの関係者に明確に残すべきである。

XII. 次回会議

委員会の次回会議は、1945年6月1日(金)午前11時00分、陸軍長官室で開催される予定となった。この会議の目的は、産業界からの4人の代表者の意見を得ることであった。

会議は午後4時15分に終了した。

R. Gordon Arneson
陸軍少尉(A.U.S.)
書記官

林千勝の大嘘を暴露する

再度、林の主張を確認しておきます。

コンプトン博士は、「濃縮物質の生産は現在では数ポンドから数百ポンドの桁数である」と言っており、フェルミ博士は、(原爆を完成させるには)「1100ポンド必要だ」と言っている。昭和20年(1945年)5月末の段階で、数ポンドのものが、1100ポンド(0.5トン)から1トンなければできないと言ってる。そして、「大量のプルトニウムを取得するには、1946年1月から3年かかる」と言っている。つまり、原爆が完成するのは、早くても1949年の1月ということ。これが正式の報告書。

林は別の話をつなぎあわせてウソをついています。ただそれだけです。

第一段階と第二段階の意味

コンプトンはこう言ってます。

第一段階では、ウラン235を分離する。第二段階では、増殖炉を使って濃縮物質を生産し、そこからプルトニウムや新しい種類のウランを得る。

第一段階は現在の爆弾のための物質を生産するために用いられている一方、第二段階では、現在製造中のものよりも爆発力がはるかに大きい原子爆弾が生産されることになる。濃縮物質の生産量は現在、数ポンドから数百ポンド程度であり、生産規模を十分に拡大して何トンもの量を生産することが想定されていた。

つまり、ここで言っている「濃縮物質(enriched material)」というのは第二段階のことであり、第一段階のウラン235(広島型原爆)とは無関係です。

ウラン235も、濃縮の必要がありますが、ここでは「分離する(separation)」と言っており、「濃縮物質」とは別です。

この部分だけを解釈すれば、ここで言う濃縮物質(プルトニウムや新しい種類のウラン)は、Trinity実験及び長崎型原爆に関係するものです。広島型には無関係です。

プルトニウム爆弾の確信がなかった

次にコンプトンはこう言っています。

第二段階の産物から製造される爆弾は、まだ実際の運用によって実証されてはいなかったが、そのような爆弾は科学的に確実なものと考えられていた。ある種の技術的・冶金学的困難があるため、1946年1月から起算して、この第二段階を実証するには1年半かかると見積もられていた。また、プルトニウムを大量に得るには3年かかると見積もられ、競争相手が我々に追いつくには、おそらく6年かかるとされた。

ここは確かにそうです。つまり、

  • プルトニウム爆弾は実証されていない
  • 技術的・冶金学的困難のため、1946年1月から1年半かかると見積もられていた。

あとは、「大量に得る」話と「ライバルが追いつくかどうか」の話なので、大した意味はありません。

また、ここでは、ウラン235(広島型)については何も言っていないわけです。あまりにも確信があったため、特に話題にする必要などなかったわけです。

米陸軍公式史での記述

ここで、Vincent C. Jones, Manhattan: The Army and the Atomic Bomb という文書を見てみましょう。

P510:Through the remaining months of 1944 and the first half of 1945, programs to perfect the uranium gun and implosion principle absorbed the major energies and resources of the reorganized laboratory. As predicted by the Los Alamos scientists, development of the gun moved ahead smoothly with few serious problems. Experiments by the laboratory’s physicists proved the correctness of earlier estimates of the critical mass of the U-235 metal required for the gun and the gun group conducted successful firing tests, using a full-sized tube and substituting U-238 for U-235.

1944年の残りの期間から1945年前半にかけて、再編された研究所では、ウラン・ガン方式と爆縮方式を完成させるための計画に、主要な人的・物的資源が投入された。ロスアラモスの科学者たちが予測していたとおり、ガン方式の開発は深刻な問題もほとんどなく順調に進んだ。研究所の物理学者たちによる実験によって、ガン方式に必要なU-235金属の臨界質量について、それ以前に行われていた推定が正しいことが確認された。また、ガン方式のグループは、U-235の代わりにU-238を使用した実物大の砲身による発射試験にも成功した。 

Implosion, by way of contrast, continued to be afflicted with doubts and uncertainties. Progress toward achieving sufficient symmetry in implosion was discouragingly slow.

これとは対照的に、爆縮方式には依然として疑念と不確実性がつきまとっていた。十分な対称性を実現するための爆縮研究は、遅々として進まなかった。 

つまり、ウラン・ガン方式(広島型)については、何の問題もなかったわけです。その一方で、プルトニウム爆縮方式(Trinity実験、長崎型)には「疑念と不確実性がつきまとい、研究は遅々としてすすまなかった」わけです。

同じページには、さらにこうあります。

Results were so unpromising that in December 1944 Groves and Conant concluded that U-235 should not be used in an implosion bomb but be conserved for the certain-to-work gun.

 その結果はあまりにも期待できないものだったため、1944年12月、グローブズとコナントは、U-235を爆縮型爆弾に使用するのではなく、「確実に機能するガン方式」のために温存すべきだと結論した。

つまり、1944年12月の時点で、既にウラン・ガン方式が確実に機能することを確信していたのです。だから、「疑念と不確実性」のある爆縮方式にウランを使うべきではないと、この時点で判断していたのです。

これを見れば、翌年5月31日暫定委員会にて、特にウラン・ガン方式について、何の議論もなかったことがうなずけます。さらに、巨大規模でウラン・ガン方式を爆発させたのは、広島が最初です。つまり、いきなり本番に臨んだわけです。

ガン方式か爆縮方式か?

つまり、ウランについてはガン方式でうまくいくことがわかっており、議論の必要もないことでした。爆縮方式は不確実だったわけです。しかし、なぜプルトニウムにガン方式が使えず爆縮方式だったのでしょう?

The Gadget Manhattan Project National Historical Park という資料を見てみます。

ロスアラモスでは、プルトニウムの性質を研究するために数千回もの実験が行われた。ロスアラモスの主要な高台の研究所から離れた峡谷にあるポンド・キャビン(Pond Cabin)で、物理学者エミリオ・セグレは、X-10で製造されたプルトニウムの自発核分裂率を研究した。主要研究所からの放射線による干渉を避けた環境で、セグレは、プルトニウムはガン方式の原子爆弾には使用できないことを発見した。というのも、プルトニウムの発射体と標的は、核爆発を起こすために結合する前に溶融してしまうからである。

つまり、プルトニウムにガン方式を使うと早期に核分裂が起こってしまうので、爆弾にならないということですね。

フェルミ:原爆を完成させるには1100ポンド必要

そして、林は「フェルミ博士は、(原爆を完成させるには)「1100ポンド必要だ」と言っている。昭和20年(1945年)5月末の段階で、数ポンドのものが、1100ポンド(0.5トン)から1トンなければできないと言ってる。」などと発言していますね。

先に見たようにフェルミの実際の発言は以下です。

フェルミ博士は、現在の工学上の問題について研究を行うには、およそ20ポンド(※9kg)の濃縮物質が必要になると見積もった。また、第二段階の研究には2分の1トン(※1100ポンド)から1トンの供給が必要になるとした。

このフェルミの発言は非常に曖昧ですね。しかし、これをもって「原爆の完成には0.5トン(1100ポンド)必要」と読むことはできないはずです。

実際のTrinity実験や長崎型原爆では、6.1kg程度だったのです。つまり、13.5ポンド程度です。コンプトンが最初にこう言ってます。

濃縮物質の生産量は現在、数ポンドから数百ポンド程度であり、生産規模を十分に拡大して何トンもの量を生産することが想定されていた

この「濃縮物質」がプルトニウムを示すのだとすれば、この時点で十分なプルトニウムが存在していたと判断できます。

第一段階で製造される爆弾の威力

再度コンプトンによる「第一段階」について見てみます。

第一段階では、ウラン235を分離する

第一段階は現在の爆弾のための物質を生産するために用いられている

明らかに第一段階が進行中であるという言い方です。その後でオッペンハイマーはこう言ってます。

オッペンハイマー博士は、これらの各段階における爆発力の規模を検討した。第一段階で製造される1個の爆弾は、TNT換算で2,000~20,000トンの爆発力を持つと推定された。実際の爆風効果は、試験が行われた際に正確に測定されることになる。第二段階では、爆発力はTNT換算で50,000~100,000トンと推定された。第三段階から開発される爆弾では、TNT換算で1,000万~10億トンに相当する爆発力を生じさせる可能性があると考えられた。

この前に、第三段階についてコナント博士が言及していますが、こうです。

コナント博士は、いわゆる「第三段階」の開発について言及した。この段階では、「第二段階」の産物を、単純に重水のための起爆剤(detonator)として使用する。彼はオッペンハイマー博士に、この段階の開発に必要な時間について見積もりを求めた。

これは水爆のことです。つまり、第二段階で多くの濃縮物質を生産し、それを起爆剤として水爆を作るという計画がこの時点で既にあったわけです。

会議参加者の不自然な言動

逆に、もし林の言うように、「原爆が完成するのは、早くても1949年の1月」と会議で示されていたのであれば、参加者全員がそれを認識していたはずです。

「この戦争中に原爆など使えないよ、少なくともあと3年半かかるよ」と認識されていたはずです。

すると、この議事録だけを通して読んでも参加者の言動がおかしなことになってきます。こんなことを言ってます。

一発の原子爆弾を兵器工廠に投下しても、現在の規模の航空軍による通常の攻撃によって生じる効果と大きくは異ならないだろうという指摘があった。しかし、オッペンハイマー博士は、原子爆撃の視覚的効果は非常に大きなものになると述べた。それには非常に明るい発光が伴い、その発光は高度10,000~20,000フィートまで上昇するだろう。爆発による中性子の効果は、少なくとも半径3分の2マイルにおいて生命に危険となるだろう。

さまざまな種類の標的と、そこで生じる効果についてかなり議論した後、長官は、出席者の間で一般的な合意があった結論を述べた。日本人にいかなる警告も与えることはできない、民間地域を標的として集中攻撃することはできない、しかし、できるだけ多くの住民に深い心理的印象を与えることを目指すべきであるというものであった。コナント博士の提案により、長官は、最も望ましい標的は、多数の労働者を雇用し、その周囲に労働者住宅が密集している重要な軍需工場であることに同意した。

複数の攻撃を同時に試みることが望ましいかについて、いくらか議論があった。オッペンハイマー博士の判断では、複数の攻撃は実行可能であった。しかしグローヴズ将軍はこの提案に疑問を表明し、次の異議を述べた。(1)それぞれの連続する爆撃から兵器について追加の知識を得るという利点を失うことになる。(2)この計画では爆弾を組み立てる者たちに急いで作業することを要求することになり、そのため効果がなくなる可能性がある。(3)その効果が通常の航空軍による爆撃計画と十分に区別できなくなる。

これは、3年半後のことを言っているのですか?それとも、「原爆なんかできないから、代わりに偽装原爆を使って日本人をやっつけよう」などという議論がこの会議で示されていましたか?

林のやり口としては、都合の良い部分のみをとりあげ、それを極解してウソをつくだけなので、一つの会議議事録全体を通して読むと論理的整合性がとれません。

これをどう説明するつもりなのでしょうか?

さらなる前後の文脈

さらに、この1945/5/31のこの会議のみではなく、前後の会議を見てみましょう。「原爆などできない!」のであれば、この人たちは何でこんなことを話しあっているのでしょうか?

林にはこれを説明する義務があります。これらはいずれも機密解除されたトップ・シークレット文書なんですが、これが捏造であることを証明しなければならないでしょう。

1945年4月23日――グローブズメモ

我々の作戦計画はガン方式爆弾(※ウラン、広島型)を基礎としている。この爆弾の第1号は、事前に実物大の試験を行うことなく(そして、我々はそのような試験は必要ないと考えている)、1945年8月1日頃には完成する予定である。第2号は年末までに完成する予定であり、その後のものはおよそ60日間隔で製造される予定である。

我々の作戦計画は、より確実で、より強力なガン方式爆弾を基礎としているが、同時に、爆縮方式爆弾が使用可能になり次第、それらを使用することも計画に含めている。標的は日本であり、当初から常に日本が想定されていた。第20航空軍の部隊を組み合わせた特別編成部隊が組織され、特別な訓練と装備が施されている。その先遣部隊は、まもなく海外の基地へ向けて出発するところである。

1945年6月21日――暫定委員会:5月31日・6月1日の方針を再確認

委員会は、5月31日および6月1日の会合で示された立場、すなわち、この兵器を日本に対して最も早い機会に使用し、警告なしに使用し、さらに二重の標的、すなわち、住宅その他の被害を受けやすい建物に囲まれている、またはそれらに隣接している軍事施設または軍需工場を標的として使用する、という立場を再確認した。

1945年7月19日  グローブズ→オッペンハイマー文書

当初の計画に従って、最初のLittle Boy(※広島型)と最初のFat Man(※長崎型)、そしておそらく2発目のFat Manも投下する必要があります。さらに、計画されている戦略的作戦に合わせるため、後者(Fat Man)は現在の最良の状態にあるものを最大3発まで投下しなければならない可能性があります。

1945年7月24日 グローブズ→マーシャル文書

1. 最初の作戦。最初の砲身式原子核分裂爆弾は、1945年8月1日から8月10日の間に、テニアン基地から出撃できる状態になるはずである。準備完了日以降、天候が適切になり次第、その爆弾は、第20航空軍第509混成群団の特別改造B-29によって、日本の目標に投下される。現在予想されている爆発効果は、TNT 1万トンを超え、3万トンに達する可能性も十分にある。

2. 組立。爆弾は、計画に参加している民間および軍の科学技術要員からなる特別技術班によって、テニアンで最終的に組み立てられる。

3. 目標。少なくとも3つの目標を使用可能な状態にしておくべきである。広島、小倉、新潟が、最初の爆弾の目標として確保されている。新潟は、日本の遠い側に位置しているため、最も不利な目標である。これらの目標は十分に地理的に分散しているため、可能な限り、航空機の離陸後に天候によって接近が妨げられた場合でも、爆弾の投下ができなくなることを防げるようになっている。3つの目標に関する詳細な情報は、別紙「A」に示されている。 

1945年7月26日 原爆使用命令を航空軍に伝達

第20航空軍第509混成群団は、1945年8月3日頃以降、天候が目視爆撃を可能にし次第、最初の特殊爆弾を投下する。対象は、広島、小倉、新潟、長崎のいずれかである。

これは陸軍長官と陸軍参謀総長の承認を得た正式な実行指令である。

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