原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(9)〜林は「毒ガス」を証明できない(4)の続きです。
この記事の三行要約
- 林千勝が紹介する「都築正男は毒ガス説を唱えたためGHQに追放された」という筋書きには、一次資料による裏付けがなく、中国新聞の記事にも複数の明確な誤りがある。
- 実際の資料では、都築の公職追放は6年間の海軍軍医歴が理由であり、米側はむしろ都築を原爆調査に必要な人物として留任・研究継続を求めていた。
- GHQが1947年7月に都築をABCCから解任した記録にも「サービスはもはや必要ない」とあるだけで毒ガスへの言及はなく、記事の「毒ガス説ゆえに排除された」という主張は資料と整合しない。
林による印象操作
さて、前回説明したように、林は本書の『第27章 都築正男教授の戦い、あれは毒ガスだ』において、まことしやかなストーリーを描こうとしていますが、まったくの誤りです。
- 都築は、1945/9/8の論文で「白い煙様の刺激性ガス」について、「爆発に伴う毒ガス様物質」の可能性、それによる死者の可能性を考えていた。しかし、この部分が検閲された。これは事実。
→しかし、都築は「目下のところ何らの手がかりを得ていない」としている。当然だが、この論文で都築は、放射能の威力について多くを論じ、こちらは確定的なものとして扱われている。 - 1955/9の都築正男『原子爆弾災害の防護と救護』という講演では、「米側は国際法違反をしていないと言いたい」「毒ガス傷という言葉は誤解されるからやめてほしいと米側から言われた」と言っている。
→しかし、米側としては、日本占領にあたり安全確保をしたがっていたことが事実。毒ガスもなく放射能も低レベルでなくてはいけなかった。 - →しかし、同じ講演で、都築は「人々の言う毒ガス」について説明しているが、林は都合よくも無視している。「もちろん、広島の人々がなぜそれを「ガス」と呼んだのかというと、目や鼻や口などを非常に強く刺激するような、ひどい悪臭を伴った刺激性の、息もできず胸が詰まるような空気が、その場所いっぱいに充満していたという感覚があったからでしょう。そのため、『何か毒ガスなのだろう』ということになったのだと思います。まあ、当時は皆が『毒ガス、毒ガス』と言っていて、防空の隣組などでも、毒ガスについていろいろ教育を受けていましたから、そういう理解になったのだろうと思います。」
林は以前に当時の日本の毒ガス防護体制に言及してはいますが、日本が毒ガスを中国で使用していた事実、ルーズベルトから「同じ手段で報復する」と警告を受けていた事実を理解できていないため、人々の頭に「敵航空機から毒ガス攻撃されるかもしれない」があったことを理解していません。都築の発言はまさにそのことを証明しています。つまり、原爆の炸裂に際し、何かしらの刺激性の異臭が発生すれば、人々はそれをとっさに毒ガスと思ったわけです。当時の人々には、当然「原爆」という概念などありません。
中国新聞の記述は本当なのか?
しかし、林はさらに、自らに都合のよい材料を用いて、都合の良い論理を組み立てています。
P317:「原爆の被害は、熱戦・爆風・放射能のほかに、『放射性ガス』による」と明記された都築作成のパンフレットをマッカーサーは全部数(30部)回収し、『放射性ガス』の文字の削除を命令した。しかし、都築は拒否。昭和21年末、都築は東京帝国大学教授から追放される。
この出典は、『広島原爆戦災誌 第1巻』のPDF35ページであり、最後に記述があるように、これは中国新聞からの引用です。
東京帝国大学の都築正男博士(大正十二年・放射線学についての研究論文で学位をとる。)は、被爆後の広島に来て調査した結果、原子爆弾の被害は、熱線・爆風・放射能のほかに、「放射性毒ガス」によるものがあることを、被爆者の症状からつきとめて、帰京後、昭和二十年十一月にこのことを書いたパンフレット三〇部を各地の知名医に配布した。
これをマッカーサー司令部が探知して、全部数を回収し、博士に対し「放射性毒ガスの文字を削除し、英文にして外国へ配布せよ」と命令した。博士が、これを拒否したため、マッカーサー司令部は昭和二十一年秋、初代ABCC所長テスマー博士を、横須賀のCICで都築博士と会見させ、妥協させようとはかったが実現しなかった。同年末、都築博士は東京帝国大学教授から追放され、まもなく復帰したが、その後も博士が自説をまげず、放射性毒ガスのあったことを主張したので、二十二年はじめ第二次追放令が発せられ、平和条約発効の年まで第一線に立てなかった(昭和三十九年七月二十九日付中国新聞)。
この中国新聞紙面は今のところ確認できないのですが、しかし、この記述は、おかしな点が多々あるのです。一次資料の裏付けがありません。
1945年11月のパンフレット?
「放射性毒ガス」によるものがあることを、被爆者の症状からつきとめて、帰京後、昭和二十年(1945年)十一月にこのことを書いたパンフレット三〇部を各地の知名医に配布した。
前述の通り、都築はそれに先立つ9月8日に論文を書いており、これは1945/10『総合医学』に掲載されます(実際の発行はかなり遅れたようです)。さらに、翌日9/9に都築はファレルに「ガスが放出されていないか?」と問いますが、ファレルに否定されます。この時点で米側は都築がそのような疑念を持っていることを理解していたはずです。
ところが、中国新聞の記事では、「被爆者の症状からつきとめて…帰京後、昭和二十年十一月にこのことを書いたパンフレット三〇部を」となっています。何かしら、このことを初めて書いたのが、30部のパンフレットだったかのような書き方です。
さらに、9/8の都築論文の検閲部分として、林によれば、こう書かれていたというのです。
「幾多の点から考えてみて、爆発に伴う毒ガス様物が認められることであり、これらの毒物によって死亡された犠牲者のあったことは想像に難くない。次にこの爆発が故意に毒ガス様物を発散する様作られていたかどうかということは、目下のところ何らの手がかりを得ていない。適当な機会があればアメリカ側に聞いてみたいと思っている。」
つまり、この検閲個所を見る限り、9/8時点の都築は、明らかに確信などない状態でした。だから「アメリカ側に聞いてみよう」と思い、実際にファレルに問い合わせたところ、否定されたわけです。
もし、この中国新聞の記述が正しいとすれば、都築は米側から何の答えも得られないままに、二ヶ月後にはパンフレットなるものを作り、そこに「白い煙は毒ガスだ!」と書いたということになるのです。米側からの返答がないのですから、都築をそれほどまでに確信させる「何か」が確実にあったということになりますね。
しかし、これに対し、先にも書いたように1955年の講演にて都築は、こう言っているのです。
「吸い込んだら結局助からない」ということが、当時は非常によく言われていました。私には、それについて多少ヒントを得るような事情もあり、そこから「原子爆弾毒ガス傷」というものができた。
そうしたら、アメリカがいけないということになりましたので、今になって考えてみると、理屈はともかくとして、広島の人々が「ガス、ガス」と言っていたのは、自分たちが実際に感じた感覚を非常によく表現していたのではないかと思います。
もちろん、広島の人々がなぜそれを「ガス」と呼んだのかというと、目や鼻や口などを非常に強く刺激するような、ひどい悪臭を伴った刺激性の、息もできず胸が詰まるような空気が、その場所いっぱいに充満していたという感覚があったからでしょう。そのため、「何か毒ガスなのだろう」ということになったのだと思います。
まあ、当時は皆が「毒ガス、毒ガス」と言っていて、防空の隣組などでも、毒ガスについていろいろ教育を受けていましたから、そういう理解になったのだろうと思います。
しかし、その当時の状況を今になって考えてみますと、そこにはFallout(フォールアウト)以外にも、都市のごみなどの臭いがあったということがあります。
もう一つは、中性子やガンマ線が空気に当たると、御承知のように空気の電離(ionization)が起こるということです。電離が起こると、特に窒素と酸素の化合物がいろいろ生成されます。たとえば酸化窒素や亜硝酸窒素などができます。そのような物質は非常に強い悪臭を持ち、粘膜を刺激します。
ですから、広島の人々が感じた「ガス」というものは、こうしたものを全部ひっくるめた結果だったのだろうと思います。そして、どうしてもこのようなものが何らかの原因になると考えざるを得ません。
なんですかね?都築は米側から脅されて、1955年の時点では、自説を引っ込めたということなんですかね?
マッカーサー司令部が探知して、全部数を回収?
このパンフレットもですが、マッカーサー司令部が探知して全部数を回収したという話も一次資料が見つかりません。
何も見つからないのです。9/8論文については、検閲個所が残っているか、塗りつぶされている状態で発見できますが、このパンフレットなるもの、探知された話は一切見つかりません。
テスマー博士との会見?
記事によれば、都築がパンフレットを配布しようとし、米側がそれを回収したのが、1945/11です。ところが、どういうわけか、都築の見解を変えさせようとして、テスマー博士との会見を指示したのが、1946年秋になっています。
米側にとってそんなに重大なことであれば、その一年近くのあいだ、一体何してたんでしょう?
また、記事では「初代ABCC所長テスマー博士」と言っていますが、1946年秋の時点では、ABCCの暫定・臨時所長はジェームズ・ニールという人物です。テスマーが所長になったは、1948年3月のことなのです。
さらに、「横須賀のCIC会見させようとした」とありますが、これは防諜機関だというのです。なんでそんなところで会見するのでしょうか?
都築の追放と復帰
さらにこうありますね、「同年末、都築博士は東京帝国大学教授から追放され、まもなく復帰したが、その後も博士が自説をまげず、放射性毒ガスのあったことを主張したので、二十二年はじめ第二次追放令が発せられ、平和条約発効の年まで第一線に立てなかった」。
いかにも「毒ガス説を曲げなかったから追放された」という書き方ですが、まったくの嘘です。
この中国新聞の記事については、何から何まで裏付けがとれないどころか、明らかな誤りと指摘できる個所があります。今のところは、「ただの妄想」と判断するしかありません。
ABCCとジェームズ・ニールについて
再度、中国新聞の記述を思い出してください。
博士が、これを拒否したため、マッカーサー司令部は昭和二十一年(1946年)秋、初代ABCC所長テスマー博士を、横須賀のCICで都築博士と会見させ、妥協させようとはかったが実現しなかった。
まずはこれです。ジェームズ・ニールによる『前例なき挑戦に直面したABCC初期の時代』という文書の日本語訳があります。こうあります。
私自身この計画に最初に関与したのは1946年11月のこと…11月下旬に日本に到着した我々一行5名は連合国最高総司令部(GHQ)公衆衛生福祉課内で活動するよう指示された。 占領下におけるすべての活動には適切な名目が必要とされており、Dr. Henshawが最初に我々5名をAtomic Bomb Casualty Commission (原爆傷害調査委員会)と呼ぶように提案したと記憶している。
つまり、ABCCは1946/11下旬頃発足し、その暫定・臨時所長はジェームズ・ニールだったのです。テスマーではありません。そして、さらに驚くべき写真がこの記事には掲載されています。
上はつまり、11月下旬から12月末までの間ということですね。都築博士がいます。
これは、12/6ということです。都築博士がいます。さらにこうです。
おそらくは、ABCCが発足した当初から都築は、緊密な協力関係を保っていたのだと思われます。一体全体どういうわけで、「昭和二十一年(1946年)秋、初代ABCC所長テスマー博士を、横須賀のCICで都築博士と会見させ、妥協させようとはかった」ということになるのでしょうか?しかも初代所長、この当時の代表者と言えるのは、ニールなのです。
都築の追放
結論から言えば、「都築の追放」なるものは、毒ガスとはまったく何の関係もありません。これを説明していきます。
広島新史. 資料編 1 (都築資料) という資料が国会図書館にてオンラインで閲覧できます。都築に関する実に様々な資料が掲載されています。
原子爆弾災害調査研究方向の公表と都築正男の公職追放後の運営に関する伺書 1946/6/25
43コマ目(PDF43ページ目)です。ここでは、追放の理由と辞職が説明されています。
- 様々な公式報告の日本語原文はほぼ完成し、英訳中
- 多数の論文が完成している。早く合同委員会からの公表許可がほしい。
- 都築は、6年間海軍軍医として勤務したという理由で追放令が出されたため、東京帝国大学教授の職を辞職する。
先の「中国新聞の記事」とは食い違っています。こう報じられていたという話でしたよね?
P317:「原爆の被害は、熱戦・爆風・放射能のほかに、『放射性ガス』による」と明記された都築作成のパンフレットをマッカーサーは全部数(30部)回収し、『放射性ガス』の文字の削除を命令した。しかし、都築は拒否。昭和21年末、都築は東京帝国大学教授から追放される。
いかにも、マッカーサーの指示に従わなかったから追放されたかのようですが、事実はまったく違います。実際のところ、いくら探してもマッカーサーの指示云々は出てきません。出てくるのは中国新聞の記事のみです。
日本人研究者の公式論文発表等について都築正男からオーターソン大佐への返信 1946/8/24
同資料45コマ目です。ここでは都築自身が語っています。
- 日本側の公式報告書も8月末には完成するだろう。英訳中だ。
- 日本人研究者は、論文を発表したがっている。合同委員会からの発表許可がほしい。
- 私は6年間海軍軍医として活動した理由で、8/15に追放されたため、教授職を辞任した。
- しかし、林博士は公式報告書完成を手伝ってほしいというので、そうするつもりだ。
つまり、「追放」後も公式報告書作成を少なくとも手伝っていたのです。
ABCCから都築正男への協力要請等に関する書簡 1947/1/5(都築へは1/10)
同資料70,71コマです。
ABCCのオースティン・ブルース、ポール・ヘンショウから都築に対するものですが、そちらは挨拶程度であり、同封された「両名からジョンソン大佐」への手紙が重要です。
- 都築は、被災調査に関して重要人物であった
(原文:as explained earlier, we feel that Dr. Tsuzuki has been a key figure in connection with the atomic bomb casuality studies thus far made) - 追放司令によって日本政府が、彼を外してしまえば大きな損失であり、今後の調査を弱めてしまう
(原文:we feel that it would be an irreparable loss and that the future work would be greatly jeopardized if the Japanese Government so interpreted the purge directives as to unnecessarily make him ineffective in this work) - 追放司令に違反せぬよう、可能な限り都築を現在の地位に留めるべき
(原文:We urge that not stone be left unturned in retaining Dr. Tsuzuki in his present position if this can be done in accord with purge directives)
追放は、6年間海軍軍医だったことによるものなので、都築による調査活動や報告書とは何の関係もなく、米側も「都築の力が必要だ」と認識していたわけです。
おやおや、ずいぶんと違う話になってきましたね。もし、「GHQは都築が原爆について真実を語ろうとしたので排除しようとした」というのであれば、この文書とはまったく噛み合いません。
都築正男の原子爆弾災害調査研究活動の継続に関する覚書 1947/3/24
同資料80コマ目です。公職追放対象になった都築について、GHQ側が原爆研究を継続させるため、SCAPIN 550(※)の適用を特別に免除したという告知です。
これまでの流れをみてみるとこうです。
- 1946/6/25 → 都築が追放された場合の研究体制をどうするか相談
- 1946/8/15 → 都築が公職追放で東大教授を辞任
- 1946/11下旬〜12月→この時期に都築がABCCに協力していることは、先のジェームズ・ニールの記事から明らか
- 1947/1/5 → ABCC側が都築を研究から排除しないよう要請
- 1947/3/24 → GHQが都築にSCAPIN 550の免除を与え、研究継続を認める
※GHQ/SCAPが1946年1月4日に日本政府へ出した「公職からの望ましくない人物の除去・排除」に関する指令。いわゆる第一次公職追放の基本指令。大まかにいうと、戦前・戦中の日本で、軍国主義・侵略主義を積極的に唱えた者、国家主義・右翼的な団体の有力者、軍・海軍の一定の高級職員、その他、指令の基準に該当する人物などを公職から除き、政府機関への就職を禁止するための制度。日本政府はこのGHQ指令を実施するため、1946年2月にいわゆる公職追放令を公布。
原子爆弾災害調査研究論文の発表・講演及び報告の事前検閲に関する都築正男の覚書 1947/6/14
同資料98コマより。これは、都築による「私の原爆研究の発表について、こう理解しています。これでよいかケリー博士に確認してください」という文書です。
- 研究会等で研究者同士がデータ交換するための口頭発表
→ 許可される。ただし、論文の項目と摘要を直ちに提出する。 - 大規模な学会での正式な講演・報告
→ 事前に全文を英訳して提出し、特別検閲を受けて許可を得ることが望ましい。 - 原爆影響についての文書による研究報告
→ すべて全文を英訳して、総司令部経済科学局科学技術部のH.C.ケリー博士に提出する。 - 半年ごとの通常の報告書には原爆研究のデータを載せず、原爆研究専用の特別な半年報として別に提出する。
- 物理・化学・地質・工学などの報告は当面、科学雑誌等への発表を禁止。
- 生物・医学・農学・林学・畜産学については、「特別検閲」によって認められれば発表可能。
- 提出・承認される論文・報告は、定められた経路を通す。医学関係は都築正男を経由する。
都築正男を原子爆弾障害調査委員会(ABCC)から解任する覚書 1947/7/16
同資料100コマ目。しかし、なぜか突然7/16に都築の許可が取り消しとなっています。この理由は書いてありません。この資料集のどこを見ても、取り消し理由の記述はないようです。
※日付が1947/7/16になっていますが、何らかの理由で混乱があるようです。なぜなら、次に見るGHQの記録では7/18になっているからです。
GHQ側の記録
では、次にGHQ側の記録をみてみます。1947年2~10月の「TSUZUKI, Masao」ファイル(Box 2275R, Folder 11)です。
都築の許可取り消し 1947/7/18
この資料の4,5ページです。文字起こしします。要するに、「都築はもう必要ないから解任する」ということです。毒ガス云々については一切の記述がありません。
Government Section
APO 500
18 July 1947MEMORANDUM FOR : Central Liaison Office, Tokyo.
SUBJECT : Revocation of Authority to Retain
TSUZUKI, Masao.1. Reference: Memorandum to Central Liaison Office,
dated 24 March 1947, Subject: “Exemption of TSUZUKI, Masao
from Provisions of SCAPIN 550.”2. Authority granted in subject memorandum to retain
TSUZUKI, Masao temporarily in the public service is rescinded.
TSUZUKI will be removed from the Atomic Bomb Casualty Commission
without delay.COURTNEY WHITNEY,
Brigadier General, U.S. Army,
Chief, Government Section.MEMORANDUM FOR THE RECORD:
Re: Subject memo to CLO
Memo For Record, dated 22 March ’47, subject:
“TSUZUKI, Masao, Exemption from Provisions of SCAPIN
550 for Service with Atomic Bomb Casualty Commission.”1. In the course of a discussion 17 July 1947 between Col.
Kades, Deputy Chief of Government, and Col. Sams, Chief of
Public Health and Welfare, the latter expressed the opinion that
TSUZUKI’s services were no longer required and that although his
authorized temporary retention has approximately two months be-
fore completion, he should be removed forthwith.2. Mr. YAMADA, Chief, Political Affairs Section, CLO has
been instructed to report within 10 days the action taken in
compliance with the above memo.3. Col. Sams has been shown the above memorandum and
his approval received.政府課
APO 500
1947年7月18日中央連絡局(東京)宛覚書
件名:都築正男の留任権限の取消し
- 参照: 1947年3月24日付、中央連絡局宛覚書。件名「SCAPIN 550の規定から都築正男を除外する件」。
- 上記覚書によって与えられた、都築正男を一時的に公職に留任させる権限を取り消す。
都築は、遅滞なく原爆傷害調査委員会(Atomic Bomb Casualty Commission)から解任されるものとする。コートニー・ホイットニー
米陸軍准将
政府課長
記録用覚書
件名:中央連絡局宛上記覚書について
1947年3月22日付記録用覚書、件名:
「原爆傷害調査委員会勤務のため、SCAPIN 550の規定から都築正男を除外する件」
- 1947年7月17日、政府課次長ケーデス大佐と公衆衛生福祉課長サムズ大佐との間で行われた協議において、サムズ大佐は、都築の職務上のサービスはもはや必要ではないとの見解を表明した。また、都築の一時的留任について認められていた期間は終了までなお約2か月残っているものの、直ちに解任すべきであるとの意見を述べた。
- 中央連絡局政治課長の山田氏には、上記覚書に従って取られた措置について、10日以内に報告するよう指示された。
- サムズ大佐には上記覚書を提示し、その承認を得た。
それを遡る2月の都築への許可
それを遡ること1947年2月3日の文書をみてみましょう。同じ文書の、13,14ページです。先に見た「ABCCから都築正男への協力要請等に関する書簡 1947/1/5(都築へは1/10)」に呼応するものですね。
- 都築正男博士は、ブルーズ博士およびヘンショー博士から、彼らが直ちに協力を得たい日本人の一人として指名された
- 都築博士が日本帝国政府に雇用され、原爆傷害調査委員会が必要とする範囲で同委員会に助言および協力を行うことができるよう、追放令の適用から都築博士を除外するものである。
D R A F T
CONFIDENTIALGENERAL HEADQUARTERS
SUPREME COMMANDER FOR THE ALLIED POWERS
Public Health & Welfare Section 3 February 1947MEMORANDUM FOR RECORD:
SUBJECT: Exemption of Dr. Masao Tsuzuki of Restrictions Under
the Purge Directive to Work with Atomic Bomb Casualty
Commission.1. The Atomic Bomb Casualty Commission consisting of Dr.
Paul S. Henshaw, Dr. Austin M. Brues, 1st Lt. James V. Neel, MC,
1st Lt. Melvin A. Block and Lt. (jg) Frederic W. Ullrick, USN,
reported to this theater in compliance with War Department
orders (Tab A) and presented their over-all plan for study of
the surviving atomic bomb casualties in the region of Hiroshima
and Nagasaki.2. Confidential letter from War Department in reference
to these studies recommended that the services of Dr. Brues and
Dr. Henshaw (Tab B) be obtained upon the request of Dr. Brues and
Dr. Henshaw.3. Dr. Masao Tsuzuki has been requested by Dr. Brues and
Dr. Henshaw as one of the Japanese they immediately desire (Tab C).4. Dr. Tsuzuki has come under the provisions of the purge
directive of 4 January 1946 and has been relieved of his govern-
mental connections. Dr. Tsuzuki was formerly professor of surgery
at the Imperial Tokyo University and Chief of the Medical Section
of Japan National Research Council.5. Dr. Brues and Dr. Henshaw have returned to the United
States in order to formulate plans for conducting a long range
study of the physical effects of radiation, leaving Lt. Neel and
Lt. Block in Japan for the immediate work (Tab D). Recently Lt.
(jg) Ullrick has been relieved of his duties with the Commission
and has returned to the United States. He has been replaced by
Lt. (jg) Fred M. Snell, MC, USNR (Tab E).6. The activities of the Atomic Bomb Casualty Commission
are being coordinated by this Section and supervision is maintained
by Public Health and Welfare Section of their work in this theater.7. It is recommended that approval be given to the accompany-
ing directive to the Imperial Japanese Government for the exemption
of Dr. Tsuzuki from the terms of the purge directive insofar as
this prevents his employment by the Imperial Japanese Government
in the capacity of advising and assisting the Atomic Bomb Casualty
Commission as this Commission may require.CONFIDENTIAL
D R A F T
-1-D R A F T
CONFIDENTIAL8. It is further recommended, in order to facilitate the
work of the Commission, that the accompanying instructions to
the Commanding General, Eighth Army be approved.9. Concurrence by Government Section (Lt. Col. C. P. Marum)
obtained.CRAWFORD F. SAMS,
Colonel, MC,
Chief.CONFIDENTIAL
D R A F T
-2-草案
機密連合国最高司令官総司令部
公衆衛生福祉課
1947年2月3日記録用覚書
件名:原爆傷害調査委員会(Atomic Bomb Casualty Commission)勤務のため、都築正男博士を追放令の制限から除外する件
- 原爆傷害調査委員会は、ポール・S・ヘンショー博士、オースティン・M・ブルーズ博士、ジェームズ・V・ニール少尉(軍医)、メルヴィン・A・ブロック少尉、フレデリック・W・ウルリック中尉(海軍)によって構成され、陸軍省の命令(別紙A)に従って当地域に到着し、広島および長崎地域における原爆被災生存者の調査に関する全体計画を提示した。
- これらの調査に関して陸軍省から送られた機密書簡では、ブルーズ博士およびヘンショー博士の要請に基づき、両博士の協力を得ることが推奨されていた(別紙B)。
- 都築正男博士は、ブルーズ博士およびヘンショー博士から、彼らが直ちに協力を得たい日本人の一人として指名された(別紙C)。
- 都築博士は、1946年1月4日付の追放令(purge directive)の規定に該当し、政府との関係を解かれていた。都築博士は、かつて東京帝国大学の外科教授を務め、日本学術研究会議(Japan National Research Council)の医学部門の責任者でもあった。
- ブルーズ博士およびヘンショー博士は、放射線が身体に及ぼす影響について長期的な調査を実施するための計画を策定する目的で米国に帰国した。その間、当面の調査業務のため、ニール少尉およびブロック少尉は日本に残った(別紙D)。最近、ウルリック中尉(海軍)は委員会での任務を解かれ、米国に帰国した。後任として、フレッド・M・スネル中尉(軍医、米海軍予備役)が着任した(別紙E)。
- 原爆傷害調査委員会の活動は当課が調整しており、当地域における同委員会の業務については、公衆衛生福祉課が監督を行っている。
- 添付の日本帝国政府宛指令について、承認することを勧告する。この指令は、追放令の規定によって妨げられている限りにおいて、都築博士が日本帝国政府に雇用され、原爆傷害調査委員会が必要とする範囲で同委員会に助言および協力を行うことができるよう、追放令の適用から都築博士を除外するものである。
機密
草案
— 1 —
草案
機密
- さらに、委員会の業務を円滑に進めるため、添付の第8軍司令官宛指示についても承認することを勧告する。
- 政府課(C・P・マラム中佐)の同意を得ている。
クロフォード・F・サムズ
大佐(軍医)
課長機密
草案
— 2 —
まとめ
これらの文書を見ていくと、どこを掘っても毒ガス云々の話は一切出てきません。また、中国新聞の記事は一次資料の裏付けがないどころか、明確に誤りと指摘できる部分があります。この記事は何かしらの妄想としか思えないのですが、裏付けがあるという方はご教示くださいませ。












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