原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(9)〜林は「毒ガス」を証明できない(4)

原爆なかった論の戯言シリーズはこちら

この記事の三行要約

  • 都築は広島で「ガスを吸った」と言われた事実を認めつつ、それを毒ガス兵器の使用とは説明していない。
  • その「ガス」は、Fallout、都市のごみの臭い、放射線による空気の電離などが複合した結果だと都築は考えている。
  • 林は都築の「毒ガス」という部分だけを強調し、都築自身による後段の説明を無視して印象操作を行っている。 

原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(8)〜林は「毒ガス」を証明できない(3)の続きです。

前回は、都築正男が1945/9/8の論文にて「白い煙」に言及しており、「吸い込むと咽頭または喉頭を害し、時には窒息様の苦悶を覚えたと訴える人が少なくない。」と記述し、さらに検閲された文章として

「幾多の点から考えてみて、爆発に伴う毒ガス様物が認められることであり、これらの毒物によって死亡された犠牲者のあったことは想像に難くない。次にこの爆発が故意に毒ガス様物を発散する様作られていたかどうかということは、目下のところ何らの手がかりを得ていない。」

と記述されていたことをとらえて、林は、いかにも「毒ガスの証拠」のように書いているわけですが、当然のことながら、これをもって毒ガスの証拠とは言えません。また、都築の論文を読めばわかるように、それよりもはるかに放射線による障害を問題視していることが明らかです。

これは誰にでもわかることです。それほど「白い煙」が多くを殺傷しているのであれば、都築のもとには、それなりの証拠・証言が集まっていたことでしょう。

米側が「毒ガス」という言葉を嫌がったのは事実

さて、本書P316には、おおよそ次が書いてあります。

  • 1945年9月9日に、都築がファレル准将に質問。原爆には毒ガスに類したものが装置されていなかったか?白いガス様のものが周囲に漂っていた。
  • 1945年9月10日、ファレルはグローブズへ報告「都築より毒ガス放出の可能性はないかと質問されたが、この話をただちに叩きのめすために、毒ガスは放出されていないというのが、米軍の公式見解だと伝えた」。

この辺を調べてみると、間違いなく事実です。また、都築が「毒ガスという言葉を使ってはいけない」と言われたのも事実です。

ここで、林も参照している『保安衛生』第2巻第9号(1955年9月)の、都築正男『原子爆弾災害の防護と救護』を参照してみましょう。これは1955年で、ファレルとのやりとりの10年後ですよ。

これも国会図書館にてオンラインにて閲覧できます(4-15コマ)。ここから重要な点を抜き出してみます。

林自身も引用していますが、1955年に都築はこう言ってます。

毒ガスという言葉を使うと、アメリカが国際法を違反したと考えられる、毒ガスというものは使ってはいけないと、細菌兵器も使ってはいけないという事が国際法に明記してある。アメリカは国際法にしたがって戦争しているのである。したがって、一人も戦犯はないはずであると。こういうことをいっている時に、毒ガスは疑問符がついているのではありますが、毒ガス傷という言葉を出すという事はいろいろ誤解を起こすからどうしてもこれはやめてくれ、とこういう訳であります。

当然ですが、これをもって「アメリカが毒ガスという言葉を嫌がったから、本当は毒ガスなんだ」ということにはなりません。子供でもわかることです。

林が(おそらく故意に)一切言及していない事実として、何度も言うようですが、毒ガスを使っていたのは日本なのです。そして、間違いなく米国の立場としては、こうでしょうね、「禁止されている毒ガスは使わなかった。でも、原爆は禁止されていないので使った。我々は正義である」と。彼らの論理からすれば至極当然のことです。

ファレルの声明とその意図

さて、時間が前後しますが、1945年に都築がファレルとやりとりした4日後の1945/9/12、ファーレル米軍准将広島調査結果声明 というものがあり、ここでも同じことが繰り返されています。

At our meeting in Hiroshima, Dr. Masao Tsuzuki, radiologist at the Imperial University, made a statement that he considered it possible that poison gases were released at the time of the explosion of the bomb, and asked for confirmation or denial. An official statement was made to Dr. Tsuzuki that such an assumption was entirely erroneous. No poison gasses were released.

広島でのわれわれの会合において、帝国大学の放射線科医である都築正男博士は、爆弾の爆発時に毒ガスが放出された可能性があると考えている旨の発言をし、その確認または否定を求めた。これに対して、都築博士には、そのような想定はまったくの誤りであるとの公式な説明がなされた。毒ガスは一切放出されなかった。 

私は思いつかなかったので、こんなことを声明した理由をAIに聞いてみると、次の二点をあげてきました。

  • 毒ガスは単なる兵器の一種類ではなく、国際的に特に忌避される兵器だった。
  • 「原爆は爆発後も有害物質を撒き、毒ガスのように人を殺す」というイメージと結びつくことは、米国側にとって非常に不都合 だった。

実は、先のファレルの声明の前段にはこうあるのです。

The story that personnel coming into the area to assist in evacuation were seriously injured is the truth, but not the whole truth. The personnel were already in the area to carry out a previously ordered evacuation and were caught there by the blast. Many of them became casualties. Some other personnel, mostly military, arrived in the area about ten hours after the explosion. Statement have been made by the Japanese that these showed ill effects, including fatigue. Japanese officials at Hiroshima on 9 September stated that none of these died and none were seriously affected. This confirms the opinion of our experts that there would be no residual radioactivity on the ground in dangerous amounts.

避難を援助するために現地に入った人員が重傷を負ったという話は、事実ではあるが、それが事実のすべてではない。これらの人員は、あらかじめ命じられていた避難を実施するために、すでに現地に入っており、そこで爆発に巻き込まれたのである。その多くが死傷者となった。その他の人員の一部、主として軍人は、爆発から約10時間後に現地に到着した。日本側からは、これらの人々に疲労を含む悪影響が現れたとの報告がなされている。しかし、9月9日に広島で会った日本側当局者は、これらの者のうち死亡した者は一人もおらず、重篤な影響を受けた者も一人もいなかったと述べた。これは、地上には危険な量の残留放射能は存在しないであろうという、われわれの専門家たちの見解を裏付けるものである。 

つまり、「毒ガスなどないし、残留放射能もない」とファレルは言いたかったのです。これで、都築論文(こちらを参照)の別の個所が検閲されていなかったことと辻褄があいます。彼はこう書いています。

1 放射性物質そのものが地上または地中に残っているか

[502]いわゆる原子爆弾の原動力がウラニウム元素であるとして、その微粒子が飛散、堆積していないだろうかという問題である。広島市全域にわたって多数箇所で土壌その他の物件が採取されて検査されたが、爆心に近いところでは確かにある程度の放射能が証明された。しかし、その量ははなはだ微量であり、爆心よりの距離に応じて、かつ時間の経過とともに急激に減退しているので、大体のところ、もし何らかの作用を生物に与え得たとしても、高々1週間以内くらいのものと推定せられる。ただ一か所、広島市の西郊、宇品地区(己斐駅と五日市駅との中間にある)の土壌が爆心部のそれに等しい放射能を示していることが認められているが、なぜにしかるか(※どうしてなのか)は判明しない。

つまり、「現在の広島に危険はない」、これがファレルの意図に合致するわけです。

マーシャルの懸念

そして、より大きな視点から見ると、この事実が出てきます。HIROSHIMA AND NAGASAKI OCCUPATION FORCESという文書をみてみましょう。もちろんこれは1945年のことです。要するに、米国の占領計画を進めるにあたり、危険のないことを確認する必要があったのです。

P8:The first of these surveys was carried out on an urgent basis by scientists from the Manhattan District (the U.S. organization that had developed the bombs) under the leadership of General Farrell. With the forthcoming occupation by U.S. troops in mind, an August 12 message from General Marshall (U.S. Army Chief of Staff in Washington) to General MacArthur (the Theater Commander) emphasized the importance of getting the survey teams to the cities quickly “in order that these troops shall not be subjected to any possible toxic effects, although we have no reason to believe that any such effects actually exist.” The teams made rapid radiation surveys of Hiroshima on 8–9 September (a month before occupation troops arrived in that area), and of Nagasaki on 13–14 September (ten days before occupation troops arrived). They reported that there was negligible radioactivity. These “quick-look” reports served the critically important purpose of allowing occupation plans for these areas to proceed.

これらの調査の最初のものは、マンハッタン管区(原爆を開発した米国の組織)の科学者たちによって、ファレル将軍の指揮下で緊急に実施された。米軍による占領が目前に迫っていたことを念頭に置き、8月12日、マーシャル将軍(ワシントンの米陸軍参謀総長)からマッカーサー将軍(戦域司令官)に送られたメッセージでは、調査チームを速やかに両都市へ派遣することの重要性が強調された。「これらの部隊が、可能性のあるいかなる毒性作用にもさらされることのないようにするためである。ただし、そのような作用が実際に存在すると考える理由はない。」調査チームは、広島については9月8~9日(この地域に占領軍が到着する1か月前)に、長崎については9月13~14日(占領軍の到着10日前)に、迅速な放射線調査を実施した。そして、放射能は無視できる程度であったと報告した。これらの「速報的な調査(quick-look)」報告は、これらの地域についての占領計画を進めることを可能にするという、極めて重要な役割を果たした。

A much more extensive survey was made a few days later by the Manhattan Project Atomic Bomb Investigating Group—some members of which had participated in the previous rapid surveys. This team of scientists made and recorded detailed measurements in Nagasaki from 20 September to 6 October, and in Hiroshima from 3 to 7 October, and filed extensive reports. These reports have been used over the subsequent years as basic source documents. All measurements showed the levels of residual radioactivity to be extremely low.

数日後には、マンハッタン計画原子爆弾調査団によって、はるかに大規模な調査が行われた。この調査団には、先の迅速な調査に参加していた者も含まれていた。この科学者チームは、長崎では9月20日から10月6日まで、広島では10月3日から7日まで、詳細な測定を実施・記録し、広範な報告書を作成した。これらの報告書は、その後長年にわたり、基本的な原資料(basic source documents)として利用されてきた。すべての測定結果は、残留放射能のレベルが極めて低かったことを示していた。

A third series of on-site surveys was conducted a few days later by the Naval Technical Mission to Japan. This team surveyed Nagasaki during the period 15–27 October, and Hiroshima on 1–2 November 1945. The results of this extensive and well-documented survey corroborated the earlier conclusions that the residual radioactivity in and around Hiroshima and Nagasaki at the time the occupation forces arrived was so low as to present a negligible health hazard. These reports—like the previous ones—have been regarded over the years as basic source documents.

その数日後には、日本への海軍技術使節団(Naval Technical Mission to Japan)によって、第三次の現地調査が行われた。このチームは、1945年10月15~27日に長崎を、11月1~2日に広島を調査した。この大規模かつ十分に記録された調査の結果は、先行する調査の結論、すなわち、占領軍が到着した時点で広島と長崎およびその周辺に存在していた残留放射能は、健康上の危険を無視できるほど低かったという結論を裏付けるものであった。これらの報告書も、先行する報告書と同様、長年にわたって基本的な原資料とみなされてきた。

These U.S. investigation teams also made use of data from numerous separate radiation monitoring surveys, soil and debris sampling programs, and other analyses conducted by Japanese scientists in the days and weeks immediately following the bombings. For example, from Tokyo Imperial University, Kyushu Imperial University, Kyoto Imperial University, Tokyo Institute of Physics and Chemistry, and other organizations, the following Japanese scientists were among those active in the initial surveys in 1945: Takagi, Yamasaki, Sugimoto, Murati, Misonoo, Shinohara, Morita, Kohra, Masuda, Sakata, Nakane, Miyazaki. 

これら米国の調査チームはさらに、原爆投下直後の数日間から数週間にわたって日本の科学者たちが実施した、数多くの個別の放射線測定調査、土壌・瓦礫の採取調査、その他の分析から得られたデータも利用した。たとえば、東京帝国大学、九州帝国大学、京都帝国大学、東京物理学校・東京帝国大学理学部物理学教室(※原文は Tokyo Institute of Physics and Chemistry)、その他の機関から、次の日本人科学者たちが1945年の初期調査に参加していた。高木、山崎、杉本、村田、御園生、篠原、森田、甲賀、増田、坂田、中根、宮崎である。

さらに、RADIATION DOSE RECONSTRUCTION U.S. OCCUPATION FORCES IN HIROSHIMA AND NAGASAKI, JAPAN, 1945-1946という文書を見てみましょう。

3.2 INITIAL ENTRY — RADIOLOGICAL SURVEY

It was recognized that entry into the atomic-bombed cities of Hiroshima and Nagasaki might expose the occupation troops to residual radiation resulting from the nuclear detonations. Therefore, with the concurrence of General George Marshall, Chief of Staff, and General Douglas MacArthur, Theater Commander, a special scientific group was organized by the Manhattan Engineer District. The primary objective of this group was to insure that occupation troops would not be subjected to any possible “toxic” effects. The group consisted principally of medical personnel headed by Col. Stafford L. Warren (U.S. Army Medical Corps) and civil and electrical engineers. In order to survey these areas as quickly as possible, the group was split. One-half of the group was in Nagasaki from 20 September to 6 October; the other half was in Hiroshima from 3 to 7 October 1945. The group reported that the radiation levels in both cities were very low and that these levels would not present a hazard to the occupation troops. 

3.2 初期進入 ― 放射線調査

広島と長崎という原爆被爆都市への進入によって、占領部隊が核爆発によって生じた残留放射線にさらされる可能性があることは認識されていた。そこで、参謀総長ジョージ・マーシャル将軍および戦域司令官ダグラス・マッカーサー将軍の同意を得て、マンハッタン工兵管区によって特別な科学調査団が組織された。この調査団の第一の目的は、占領部隊が、可能性のあるいかなる「毒性」作用にもさらされないことを確実にすることであった。調査団は主として医療関係者と土木・電気技師から構成され、医。療関係者は米陸軍医療部隊のスタッフォード・L・ウォーレン大佐が率いていた。これらの地域をできるだけ速やかに調査するため、調査団は二つに分けられた。一方の半分は9月20日から10月6日まで長崎に入り、もう一方の半分は1945年10月3日から7日まで広島に入った。調査団は、「両都市の放射線レベルは非常に低く、これらのレベルは占領部隊に危険を及ぼすものではない」と報告した。 

これを読むと、「入念すぎるほど入念だった」ことがわかりますね。「毒ガス疑惑」だけではないのです。放射能レベルも低くなくてはならなかったのです。

都築はこの後何と書いていたか?

では、最初に戻り、1955年の『原子爆弾災害の防護と救護』のその後で都築は何と言っていたのでしょうか?

今度はサムス准将に叱られたことを書いています。そして、その後にこんなことを書いています。

これを文字起こしし、現代語に直してみます。

「落下してくる灰」ですね、「灰」というと目に見えるものばかりの気がするんですが、で「落ちてくる物」という意味でひっつけました、初めはこれを分けて書いてたのですが、昨年あたりはこれをハイフンで付けまして、今年はひっついてしまってFallout(フォールアウト)という言葉ができまして、Falloutという言葉ではなんだかわからんのですが、Falloutと言えば、核分裂生成物が降ってくるものと。で、ただ単に落ちてくるだけではなく、人体に何らかの害があるように落ちてくるというふうなのでFallout。

この間、ストローズさんが発表して、日本の新聞にも掲載されましたが、あのシガー(葉巻)のような形をしたところに灰が降って、幅40里、長さ120里とか、生物が全部死ぬぞなんていうことを出しましたね。あのときは、この Fallout という言葉が使ってあります。そういう意味になって、このFalloutという問題がここに入ってまいりしましたということ。

※1954年1月にビキニ環礁での水爆実験があり(第5福竜丸が被爆)、ストローズが水爆に関して「幅約156km・長さ約468km(都築の値)」という細長い範囲(シガー)を汚染すると発表したことを指す。

それを今からつらつら考えてみますと、広島の人たちはなかなかうまいことを言っている、あの当時ですね、「ガス、ガス」と言っていました。有名な『原爆の子』という映画がありましたね。その中で、原爆によって被害を受けた蚕が、後になって掘っ建て小屋の中で死んでいく場面がありますが、その妻君である婆さんが、家の人は『ガスを吸うたけん』と申します。「ガスを吸うたけん、結局あれは助からん」ということなんですね。

それで広島では、「ガス」というものを、まるで運命的なもののように皆さんが考えるようになりました。あの当時から、もう原子爆弾が落ちてから、もう2、3日たったころには、「ガスを吸ったから、あれはもうだめだ」とか、そういうことが言われていたんです。つまり、爆弾そのものに直接やられなくても、後からそこへ入っていくと、何か悪いガスがあって。。。

「吸い込んだら結局助からない」ということが、当時は非常によく言われていました。私には、それについて多少ヒントを得るような事情もあり、そこから「原子爆弾毒ガス傷」というものができた。

そうしたら、アメリカがいけないということになりましたので、今になって考えてみると、理屈はともかくとして、広島の人々が「ガス、ガス」と言っていたのは、自分たちが実際に感じた感覚を非常によく表現していたのではないかと思います。

もちろん、広島の人々がなぜそれを「ガス」と呼んだのかというと、目や鼻や口などを非常に強く刺激するような、ひどい悪臭を伴った刺激性の、息もできず胸が詰まるような空気が、その場所いっぱいに充満していたという感覚があったからでしょう。そのため、「何か毒ガスなのだろう」ということになったのだと思います。

まあ、当時は皆が「毒ガス、毒ガス」と言っていて、防空の隣組などでも、毒ガスについていろいろ教育を受けていましたから、そういう理解になったのだろうと思います。

しかし、その当時の状況を今になって考えてみますと、そこにはFallout(フォールアウト)以外にも、都市のごみなどの臭いがあったということがあります。

もう一つは、中性子やガンマ線が空気に当たると、御承知のように空気の電離(ionization)が起こるということです。電離が起こると、特に窒素と酸素の化合物がいろいろ生成されます。たとえば酸化窒素や亜硝酸窒素などができます。そのような物質は非常に強い悪臭を持ち、粘膜を刺激します。

ですから、広島の人々が感じた「ガス」というものは、こうしたものを全部ひっくるめた結果だったのだろうと思います。そして、どうしてもこのようなものが何らかの原因になると考えざるを得ません。

特に、外部から私たちの身体を放射線が照射することを考えますと、Falloutの場合でも、あるいは誘導放射能の場合でも、主として問題になるのはガンマ線です。

しかし、それが身体の内部に取り込まれる場合になると、ガンマ線ももちろん問題になりますが…… 

要するにこういうことなのです。

  • 当時、広島では「ガスを吸ったから助からない」という言い方が実際にされていた。
  • 原爆投下後、2~3日たってからも「ガスを吸うたけん、あれはだめじゃ」などと言われていた。
  • なぜ「ガス」と感じたのか。
    • 目・鼻・口を刺激する。
    • 非常な悪臭がする。
    • 息ができない、胸が詰まるような感じがする。
    • そうした実際の身体感覚から、当時の人々が「毒ガスだろう」と考えた、と説明している。
  • 都築自身は、その原因を「毒ガス兵器」とは説明していない。むしろ原因として、
    • Fallout(放射性降下物)
    • 都市のごみなどの臭い
    • 中性子・ガンマ線による空気の電離
    • その結果生じる窒素酸化物などの刺激性物質

したがって、都築にとって「ガス」は、「原爆によって生じた環境の中で、人々が実際に感じた刺激性・悪臭・呼吸困難などを『ガス』と表現したもの」という位置づけということがわかります。 

そして、都築はこう言ってますね(現代語)。

まあ、当時は皆が「毒ガス、毒ガス」と言っていて、防空の隣組などでも、毒ガスについていろいろ教育を受けていましたから、そういう理解になったのだろうと思います。

私の想像通りのことを都築が説明してくれています。

林の悪質さ、あるいは愚かさの証明

林千勝という人物は、

  • 極めて愚か、あるいは
  • 極めて悪質

のいずれかです。順を追って説明しますよ。

原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(5)〜毒ガスを懸念したのは米国の方で説明したように、林は、P113にてこう書いています。

日本は米軍による毒ガス攻撃を高度に想定していた。そして、当然のことながら広島でも防毒体制が整えられていた。

(略)

日本は第一次世界大戦の非人道的な毒ガス兵器の教訓をしっかりと研究し、対応を怠らなかったのだ。

もちろん、林は実際に毒ガスを使っていたのは日本であり、中国人を大量に虐殺しており、ルーズベルトから「やめないと同じことをするぞ!」と警告されていた事実を説明しません。ですから、日本人がこういった防毒体制に本気になっていた事実も読者側は、本当には理解できないのです。

しかし、当時の日本人は、敵航空機から毒ガス攻撃があるかもしれないと確実に考えていたわけです。実際、原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(6)〜林は「毒ガス」を証明できない(1)にて示したように、「敵航空機が毒ガスを落とすに違いない!皆用意を怠るな!」という勢いだったのです。

それを裏付けるのが、都築の上の記述です。

まあ、当時は皆が「毒ガス、毒ガス」と言っていて、防空の隣組などでも、毒ガスについていろいろ教育を受けていましたから、そういう理解になったのだろうと思います。

何かしら煙が立ち上り、人が障害を受けたり、死亡したりすれば、それを毒ガスに結びつけるのは当然すぎるほど当然です。

それ以外にどういう発想がありえましたか?一般庶民が既に原爆という概念を理解していましたか?

そして、林の最も悪質な点としては、都築の講演の最初の部分だけを示して、後の方は無視していることです。もう一度見てみましょう。

毒ガスという言葉を使うと、アメリカが国際法を違反したと考えられる、毒ガスというものは使ってはいけないと、細菌兵器も使ってはいけないという事が国際法に明記してある。アメリカは国際法にしたがって戦争しているのである。したがって、一人も戦犯はないはずであると。こういうことをいっている時に、毒ガスは疑問符がついているのではありますが、毒ガス傷という言葉を出すという事はいろいろ誤解を起こすからどうしてもこれはやめてくれ、とこういう訳であります。

まあ、当時は皆が「毒ガス、毒ガス」と言っていて、防空の隣組などでも、毒ガスについていろいろ教育を受けていましたから、そういう理解になったのだろうと思います。

 

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