林千勝著、経営科学出版の書籍『広島・長崎 悲劇の正体』の『第28章 冷静と客観VSプロパガンダと煽り』について見ていきます。
出典が不明
林は以下のようなことを書いていますが、本章に一切のリファレンスはなく、「原子爆弾災害調査研究特別委員会」医学科会の報告書としか書いていないのです。しかし、これがまったく見つかりません。
私の想像ですが、林の引用しているのは「報告書」ではなく「報告速記録」の可能性があります。ごまかしをするために、あえて曖昧にしているのでしょう。林のことですからやりかねません。
他の章では、たとえ文献が一つであっても、「文献番号を付して、章末に引用文献を示す」というスタイルになっていますが、この章ではそうなっていません。引用文献は一つもありません。
P324:第28章 「原子爆弾災害調査研究特別委員会」報告、仁科と都築の明と暗
「原子爆弾災害調査研究特別委員会」医学科会の報告書が都築教授主導でまとめられた。多くの矛盾点を露呈している。
(以下に抜粋、筆者コメントは→で示す)
1946年2月28日付
ケロイドの大量発生。→放射線被爆で説明できず、米側にとって難題。
半径3キロメートル以内の円では、火傷は病理的にすべて第III度である。→ウン。
中央地区では、火傷して破れた皮膚弁が垂れ下がるなど、重度の火傷を負った患者が多くいた。→「火傷して破れた皮膚弁が垂れ下がる」はⅠ、Ⅱ度なので、矛盾している。
広島でも長崎でも、まさに原爆が爆発した瞬間、突然、暗闇と混乱が広がった。→ピカではない。
3か月目の初めから4か月目の月末まで、すべての患者の症状は回復に向かって進行していた。1945年12月の初めに、原爆傷害自体の臨床経過は、概して終焉を迎えた。
即死した死体の中には、重度の全身性火傷(黒焦げの壊死性皮膚弁が緩んで垂れ下がっている)などが多かった。→矛盾。中央(爆心地)地区で……露出している皮膚はひどく火傷を負ったり、引き裂かれたり、帯状にぶら下がったままになったりした。
爆心地地区では被爆後数時間で、多くの火傷患者が発熱、喉の渇き、嘔吐などを訴えたと報告されている。放射性エネルギーの影響、そして一方で爆発後の中心部で生成された有毒物質の影響。
爆心地から半径1キロメートル以内で、屋外でも陰に隠れていた人は、放射性エネルギーの影響は深刻だったが重度の火傷はなかった。これらの人々はすぐに極度の疲労、吐き気、幅吐を訴え、数日のうちに喀血、吐血、出血、血尿など様々な出血症状が発生した。……従って、当時は赤痢のような病気の流行が広がっていると考えられていた。……不用意な話で多くの噂が報じられ、放射性障害の肯定的な判断は困難だった。
爆心地地区の多くの人々は、嘔吐、下痢、拒食症などに悩まされた。
これらの症状は放射線障害の初期症状として説明できる場合がある。広島では、市民は次の話を固く信じている。これら様々な症状は爆発後に発生し、一部のガス状物質の誤嚥や、これら物質が溶解した飲料水によって引き起こされた。これらの話が否定されるべき十分な証拠を持っていないため、私達はこれらの話を軽率に否定することはできない。爆心地から1キロメートル以内にいたほぼすべての人が、3週目または4週目に発病していた。脱毛、発熱、出血、壊死、粘液血便など。そのうち2分の1が1週目で、4分の1がその後の合併症で死亡した。
→即死ではない。最新の調査では、女性の月経の異常はほぼ完全に回復。
広島市の地図上の等死亡率曲線は、ほぼ同心円。→ウソ。
広島赤十字病院本館はコンクリート造3階建で、爆心から南へ2キロメートルにあった。鉛室に保管中のX線フィルムが、放射性エネルギーの影響を受け被爆したことが現象で明らかになった。そのため、大量の熱、光、放射線がこの地点に到達したと推定された。しかしながら、このコンクリート建屋で放射線障害の症例は1件も観察されなかった。→フィルム偽装。
調査対象となった898人のうち、45人の障害原因が不明であった。
広島と長崎に原爆が投下された直後、原爆の作用で被爆地城が汚染されるという奇妙な話がアメリカから放送された。少なくとも今後70年間は、どんな生物も成長し、生きることはできないでしょう。従って、爆心地付近の地域が本当に汚染されており、動物や植物が長期間そこに住めなくなるような程度まで汚染されているのであれば、慎重に研究する必要がある。
……(しかし)1週間後には人体に有害な影響を与えるほど強力な汚染因子はなかった。原子爆弾が爆発した際、強力な核分裂の破片は半径80メートルの円に、弱い破片は半径50メートルの円に散らばると理論的に推定される。これら散らばった破片は、爆風によって空中高く吹き飛ばされ、巨大な雲の中に散らばる。地面には核分裂の破片が残っていない。両都市で、様々な場所で採取された土壌標本について慎重な調査が行われた。放射能は爆心地付近でその強度は非常に弱く、自然放射能の10~20倍未満、許容量の1000分の1未満。測定された放射能は時間とともにその強度も急速に減少した。それは、最も長くて1週間のみ、人間に作用した。
広島市西郊外の高須地区(「爆心」直下から4・5キロメートル)では、一部の土壌試料が爆心地と同強度の放射能を示すことが証明された。8月6日、毎秒1~2メートルの速度で弱い東南東の風が吹いていた。爆発から約20分後、高須地区で大雨が降った。雨は白い服に黒い斑点をつけたので黒かったと言われた。この地域の放射能は、風雨によって降り注いだ核分裂破片によって引き起こされたと推定される。しかし、その強度は確かに非常に弱かった。なぜなら、まだ私達は、人体に何らかの生物学的影響が起こったという明確な証拠を持っていない。
第2期(8月20日~10月初)以降に死亡した犠牲者の解剖調査では、爆心地から半径700メートルの外側で影響を受け、骨のリン中に一定量の放射能が残っていることが明らかになった。(しかし)この線量は、骨髄組織に影響を与えるには不十分であり、他の臓器や血液の組織に残留する放射能は科学的に確認できなかった。被爆地の汚染問題で考慮すべきすべての要因は、一定の損害を与える効果を確実に生み出すが、数日、長くても1週間しか存在しないことが証明されている。
長崎県西山地区は、後日、さらなる研究によって決定すべき例外の一つ。
都築資料に近い記述があるが、別物
広島新史 資料編1(都築資料)[国会図書館]の161コマ(印刷ページ281)には以下のような記述があります。
医学関係報告部分はわずかに以下です。
現代語に訳してみます。これだけの短いものです。おそらくこれは速記録からまとめたものにすぎないと考えられます。
8.医学(都築)
報告は12月末現在で67篇に及んでいる。人体に対する障害の様子から、これを4つの時期に分ける。
(1)第1期(早期) 直後から第2週の終わりまで。爆発による機械的な傷害・外傷、熱による熱傷、放射線による障害が重なり、非常に激しい症状を起こす。0.5km以内では死亡率100%、1km以内では80%。
(2)第2期(中期)第3週から第8週まで。軽い外傷や熱傷は次第に治癒するが、放射線障害が現れる。
放射線障害の第1段階では、全身の衰弱症状、呼吸器・消化器・粘膜からの出血、不安、苦悶、嘔吐、発熱などがみられる。第2段階になると、発熱、脱毛、皮膚出血などがみられる。死亡者の半数は第1週に死亡し、4分の3は第2週の終わりまでに死亡する。残りの4分の1は第2期に死亡する。
増山氏の曲線では、5.944=6日で半数が死亡していく[原文の表現をそのまま解釈]等死亡率曲線は完全な同心円にはならず、いびつな形になっている。(3)第3期(晩期) 第3月から第4月。障害の進行が停止し、回復してくる。
(4)第4期(後遺期)
男性の生殖機能には3kmまで影響がある。女性の生殖機能については、4分の3に月経異常がみられる。不妊なども考えられるので、子孫に奇形が生じるかどうかについて、さらに研究する必要がある。障害調査成績
(1)死亡率 死亡率は、爆心からの距離の二乗に逆比例する曲線と一致している。12月22日、12月18日の2回の資料による調査でも、おおむね一致している。1.5km以外では男女差はほとんどないが、1km以内では女性の方が死亡率がやや少ない。
(2)死亡者の被爆場所調査 1km以内が大部分であり、その他の1~2kmでは、90%が第1期に死亡した。
(3)障害損傷状況 生存者6,000人について調査した。熱傷は1~2km間に多く、1km以内では熱傷を受けた者は死亡している。
放射線傷害は1km線内に多い。
熱傷を受けた人は、80%が戸外、20%が屋内。
外傷を受けた人は、20%が戸外、80%が家屋内。
(60%は木造、15%はコンクリート、5%はその他)
放射線傷害は、50%が戸外、50%が屋内。残留放射能:西山地区では、白血球増加症がみられた。子供では第2月に現れ、第4月には回復した。老人では第4月に現れた。
死亡者数は、広島約10万人。
林による明らかな誤り
林は、
P327:広島市の地図上の等死亡率曲線は、ほぼ同心円。→ウソ。
と書いていますが、私が引用した文献(まとめと思われる)は全くの逆が書いてあります。
「死亡率曲線ハ完全ナ等心円トナラズ、イビツナリ」
死亡率曲線は完全な同心円にはならず、いびつな形になっている。
林が一体どんな文献を引用したのか不明ですが、そちらには、「広島市の地図上の等死亡率曲線は、ほぼ同心円」などと書いてあるのでしょうか?確認できないのでわかりません。
ともあれ、こうです。
- 林の記述はどこからの引用なのか確認できない。
- 林は明確な文献名を記述していない。おそらく故意である。
- 林がどういう引用をしたのかわからないが、「まとめ」に照らしても明らかな誤りがある。
したがって、この章の記述は何の検証もできず、章まるごとが無価値であると考えられます。考慮するに値しません。




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