原爆なかった論の戯言:徹頭徹尾ウソだらけ〜林千勝『広島・長崎 悲劇の正体』の騙し方まとめ

原爆なかった論の戯言シリーズはこちら

林千勝著、経営科学出版の書籍『広島・長崎 悲劇の正体』はウソだらけです。この記事では、林がどのような手法でどのようなウソをついているのか、まとめておきます。

この本をこれまで詳細に検証してきましたが、敷居が高いという人もいるかもしれません。本記事をまととしておきます。まだ検証していない部分も残っていますが、検証できしだい本記事に適宜追加していく予定です。

林の騙しの手口については、二年以上前の2024/5の時点で有馬哲夫氏(早稲田大学名誉教授、公文書研究者)も指摘するところです。もちろんこの時点で林は「原爆はなかった」までは言ってないようですが、本書もまた有馬氏の指摘するところとまったく同一の手口と言えます。

元動画は以下

https://www.youtube.com/watch?v=c1M42l7G9Hc 

五月書房編集長の杉原氏は以下の評価です。私自身もまったく同感です。

編集長スギハラの多忙な毎日 (@OOSS835093) on X
@jimakudaio この著者の手法は、一次情報らしきものから、自説に都合のいい部分だけを切り取り、それらを寄せ集めて結論とするものです。書籍代を払っている読者に対し、敬意がまるで感じられません。普通の出版社の編集部で校閲に回せば、事実確...

私としては、ここを見る方にはこの本『広島・長崎 悲劇の正体』を是非おすすめします。林千勝という人物が、いかに大嘘つきのデタラメな人間か、この本と以下の記事をあわせて読めば明らかになるからです。

このデタラメぶりには大笑いできることうけあいであり、逆に「原爆はあった」と確信できるでしょう。これほどの印象操作とウソをつかないと「原爆なかった論」は成立しえないのです。

経営科学出版の直販のみです。文字はスカスカで、404ページ、価格は送料込みで4,730円となっております。あるいは古書マーケットですが、これほどひどい本にも関わらず、それほど価格が下がっていません。もし買えば、その内容の薄さにがっかりすること間違いなしですが、林のあまりの嘘つきぶりを確認したい方には是非おすすめします。買ってください!

Table of Contents

  1. 第1章 マンハッタン計画のスタート
  2. 第3章 トリニティ実験の不都合な真実
  3. 第4章 見捨てられた重巡洋艦インディアナポリス
  4. 第5章 パンプキン爆弾群の役割
  5. 第6章 母なるエノラ・ゲイの発進
  6. 第7章 広島、あの日のB29の目撃証言
  7. 第8章 果たしてキノコ雲か
  8. 第9章 「原爆」映像の不都合な真実
  9. 第11章 日本は米軍による毒ガス攻撃を想定していた!
  10. 第12章 太陽でも巨大隕石でもなかった
  11. 第13章 不都合な無数の真実 広島
    1. 『ヒロシマ』の不都合な真実
  12. 第14章 不都合な無数の真実 長崎
  13. 第15章 原爆に非ず!航空本部技術部廣島爆撃調査報告
  14. 第16章 偽装原爆を落とした理由
  15. 第17章 冷静と客観VSプロパガンダと煽り
  16. 第18章 日本政府の抗議文と大東亜戦争集結の詔書
  17. 第19章 近衛文麿の野望と戦後体制を引き継いだ敗戦利得者達
  18. 第20章 日本メディアと米軍によるプロパガンダの数々
  19. 第23章 毒ガス被害の実相
  20. 第24章 黒い雨
  21. 第25章 入市被爆の不都合な真実
  22. 第26章 米軍などによる現地偽装工作
  23. 第27章 都築正男教授の戦い、あれは毒ガスだ
    1. 追加:YouTube動画での林のウソ
  24. 第28章 冷静と客観VSプロパガンダと煽り
  25. 第31章 核開発・核実験の不都合な真実
    1. 第五福竜丸死因は輸血による肝炎
  26. 第32章 続くプロパガンダと洗脳
  27. 資料集

第1章 マンハッタン計画のスタート

林はこう主張します。

 P14:「原爆完成は数年先」の衝撃報告」
1945年5月末、米国における原爆問題に関する秘密の最高指紋会議「暫定委員会」で、アーサー・コンプトン博士が、プルトニウム方原爆の完成は1949年1月以降と報告・進捗を繕っていたが、ウラン型原爆の完成も報告されていなかった。

これは、この会議議事録の前後の文脈を無視し、コンプトンの一箇所の発言だけをとりあげて極解したもので、まったくのウソです。コンプトンはこう言っているのです。

第一段階は現在の爆弾のための物質を生産するために用いられている一方、第二段階では、現在製造中のものよりも爆発力がはるかに大きい原子爆弾が生産されることになる。濃縮物質の生産量は現在、数ポンドから数百ポンド程度であり、生産規模を十分に拡大して何トンもの量を生産することが想定されていた。

第二段階の産物から製造される爆弾は、まだ実際の運用によって実証されてはいなかったが、そのような爆弾は科学的に確実なものと考えられていた。ある種の技術的・冶金学的困難があるため、1946年1月から起算して、この第二段階を実証するには1年半かかると見積もられていた。また、プルトニウムを大量に得るには3年かかると見積もられ、競争相手が我々に追いつくには、おそらく6年かかるとされた。

この時点では、ウラン・ガン方式(広島型)についてはあまりに確信があったため、話題にも上らなかったのです。プルトニウム・爆縮方式(長崎型)については、その後7/16にTrinity実験をすることになりましたが、この段階でもオッペンハイマーは「失敗する方に10ドル賭けていた」くらいだったのです。

この詳細は、原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(13)〜1945/5/31暫定委員会の極解をご覧ください。本会議議事録の前後、この会議以前・以後の会議議事録を見れば、林の主張はまったく成立しないことが容易に理解できます。次の林の記述ですが、

P16:(ジェームズ・コナントは)1961年に来日し…偽装原爆教育プログラムを指導したと見られる。

何のリファレンスも証拠も示されていません。林は自らのただの妄想に合致するように、推測してみせているだけです。

第3章 トリニティ実験の不都合な真実

長崎型のプルトニウムにはガン方式は使えず、爆縮方式に決定しましたが、うまく動作するかわからなかったため、8/9長崎投下に先立ち、7/16にこの方式の実験をしたのです。つまり、長崎型原爆の兄弟をテストしたのです。林はこれも偽装だとします。

P25:しかし、完成していないのだから、TNT火薬を30メートルの高さの鉄塔条で爆破し、原爆実験を偽装したのであろう。

林は、この鉄塔の上に「原爆ではなく、TNT火薬を置いたのだろう」と言っていますが、ここで林は墓穴を掘っています。この鉄塔の上に物理的に置けるTNTの量は、せいぜい事前実験で使用された100トン程度です。林自身が本書に掲載している2つの写真がありますが、事前実験(5/7)におけるTNT火薬の量と、鉄塔の頂上の小屋の大きさを比べれば誰でもわかることです。

つまり、こういう経緯です。

  • 5/7:様々な検証、検出器の校正などのために、TNT100トンを使った事前実験(地上6m)
  • 7/16:長崎型プルトニウム爆弾Fat Manの兄弟とも言えるGadgetを地上30mの鉄塔の上で爆破
  • 8/9:長崎Fat Manを投下

しかし、Gadgetの代わりに鉄塔の上にTNTを置いたとすれば、TNT100トン程度でしかありません。

詳細は、原爆なかった論の戯言:Trinity実験の偽装は不可能をご覧ください。さらに林はこう書いています。

P26:この実験により、…爆心地から80キロメートル離れた場所(の)…少女12名が被爆したとされる。彼女らの証言では、「早朝に大きな爆発衝撃→何人かがベッドから落ちた…

当然ですが、TNT100トンでは80km先にまでこんな衝撃を及ぼすことはできません。さらに、実際の彼女らの証言も「偽装爆発」では説明がつかないのです(先の記事にて説明しています)。

第4章 見捨てられた重巡洋艦インディアナポリス

林はこう書いています。

P29:テニアン島にリトルボーイ(あるいは偽装原爆一式)運び込んだ…(その後)日本の潜水艦伊58に沈められた…意図的か、救助は遅れに遅れ…口封じのための見方もある。

「口封じのための見方もある」とは、誰の見方ですかね?ただの印象操作です。何の証拠も示されていません。この件については、原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(3)〜印象操作と誘導の方法にて説明しています。

第5章 パンプキン爆弾群の役割

林はこう書いています。

P32:しかし、パンプキン爆弾は、ファットマン投下訓練に偽装された、複数機による複合爆弾投下訓練のために使われたのではないか、と疑われる。

(略)

同時期に13機もの多数機が訓練を受けるのは、ピカドン(核爆発)訓練としては違和感がある。

これも原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(3)〜印象操作と誘導の方法にて説明していますが、一言で言えば、まるで論理的な辻褄があっていません。

第6章 母なるエノラ・ゲイの発進

林はこう主張します。

P37:(広島原爆を投下したエノラ・ゲイ機長の)低ベッツ大佐が最後に行った状況説明の言葉は次の通りだ。

「『ギミック』(からくり)が誰かの単なる荒唐無稽な夢かもしれないと考えながら、自分たちのしていることの意味が分からないことがいかに大変なことであったか」

これが何を意味するのか、林は全く説明していませんが、おそらくは「ティベッツは偽装原爆であることを知っていた」とでも言いたいのでしょう。しかし、ティベッツ自身がこの言葉を発したというのは、まるでウソです。そんな記録はありません。

実際には、日々の出来事を記録していたスピッツァーの日記の中の言葉です。ここからゴーディンが再構成しただけです。これも原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(3)〜印象操作と誘導の方法にて説明しています。

追加:この件について、詳細がわかったので、原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(25)〜引用なのに勝手に文章改変して印象操作をご覧ください。

第7章 広島、あの日のB29の目撃証言

『Hiroshima Revisited(偽装された原爆投下 広島・長崎原爆の物理学的・医学的エビデンスへの再検討、原田輝一訳)』という本が林の元ネタと思われますが、この著者のミヒャエル・パルマーも認めています、原爆ではなく、通常爆撃でこれほどの被害を出すにはB29が220機必要であると(米国戦略爆撃調査団〜USSBSの推定)。これについては、このシリーズの最初の記事原爆なかった論の戯言:原爆の偽装なんてできるの?大編隊による通常爆撃の無理筋で論じています(この当時、林の本は未読でした)。

しかし、当然ですが、パルマーはこんな大群のB29が8/6の広島上空に現れ、爆弾を連続的に投下していったことなど証明できません。言い訳しかできていないのです。

林もまた同じで、何の証明もできません。その代わり、この章でもまた印象操作のみによって読者を欺こうとしています。が、賢い読者ならすぐに見破れることでしょうね。8/6当日の別々の目撃証言をとりあげ、いかにも「多くのB29が来た」かのように見せかけています。もちろん、日本側の監視所による公式報告は取り上げません。そこには、事前偵察機(最大4機と思われる)以外には、エノラ・ゲイと観測機2機の3機しか記録されていないからです。

さらに林の悪質な点としては、前日の無関係な証言までとりあげて印象操作していることです。

P41:8月5日 午後9時27分
10機より成る編隊3個梯団が、豊後水道から広島湾上空に侵入し、市の上空を数十分旋回して、西南方に飛び去る[2]。

このB29が翌日8:15以降の爆撃に参加することはできません。単純に燃料が切れるからです。そして、この日には、宇部や今治などが爆撃されていたのです。この点については、原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(4)〜原爆投下前後に広島上空には何機の米軍機が来たのか?、原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(12)〜林の主張はトライライトゾーンの出来事で詳細説明しています。

原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(17)〜『あの日のB29の目撃証言』のつっこみどころ(1)を追加しました。

第8章 果たしてキノコ雲か

この章では、キノコ雲がおかしいと言ってるだけで、何の証拠にもなっていません。

また、林は広島市街火災の写真を示して「キノコ雲に見えるか?」と言った印象操作を明らかに故意に行っています。詳細は、原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(34)〜キノコ雲でまたも嘘!林の手口を解剖するをどうぞ。

第9章 「原爆」映像の不都合な真実

検証するにも値しないでしょうね。ここで林の主張することはおそらく事実でしょう。つまり、これらの「記録映像」とされるものはフェイクであると。テレビ局かどこかが、映像がないので他のものを流用しただけと思われます。しかし、原爆がなかったことの証拠には一切なりません。

また、ここでもキノコ雲について、「2本、3本になっている」と言っていますが、これも何の証拠にもなりませんね。お話にならないです。

詳細を原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(35)〜広報映像で印象操作に書きました。

第11章 日本は米軍による毒ガス攻撃を想定していた!

この章は、林の悪質さが特にありありとわかる個所です。詳細は原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(5)〜毒ガスを懸念したのは米国の方で論じましたが、林はこう言います。

P113:日本は米軍による毒ガス攻撃を高度に想定していた。そして、当然のことながら広島でも防毒体制が整えられていた…日本は第一次世界大戦の非人道的な毒ガス兵器の教訓をしっかりと研究し、対応を怠らなかったのだ。

このような言い方でごまかしていますが、事実はこうです。

  • 日本は中国で毒ガスを使い、多くの中国人に傷害を負わせ、殺していた。米国は使っていない。
  • 1942年にルーズベルトは「使用をやめろ、やめないと同じ方法で報復する」と警告していた。
  • ルーズベルトの警告以降、太平洋での使用は縮小したが、中国ではむしろ増えた。
  • だから、「米敵機が毒ガスをまきにくるかもしれない」という懸念が日本側には常にあった。
  • そのために『広島市永年防空計画』などを作成し、特に「防毒」つまり、敵機の毒ガスに対処するための指針が作られていた。

そして、後の章にも関係しますが、広島市民は「敵機が毒ガスをまくかもしれない」と思っており、原爆による煙や異臭を毒ガスと思った可能性があるわけです。事実として都築博士は1955年に講演会でそう話しています(後述)。

さらに林は、ページ稼ぎのために、誰も読まないような当時の文書の写真を6ページにわたり掲載しています。ウェブ上にオンラインのPDFがあるにも関わらずです。

追加:林は日本軍の戦争犯罪を読者に伝えたくないことが明らかです。そのためにおかしなことになっています。

原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(22)〜林は故意に日本軍の毒ガスを無視を参照してください。

第12章 太陽でも巨大隕石でもなかった

詳細は、原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(21)〜原爆ならどうなるの?で説明しています。

この章で林は、投下後の広島の惨状を見たセヴァスキーによる「通常の爆撃による焼け野原の都市と同じだ。通常兵器とは違う現象がなかった」という感想をとりあげ、「原爆ではなく、大規模爆撃だ」という印象操作に持っていきたいようですが、しかし、問題としては、

  • 「比較対象となる原爆投下された都市」は存在しないはずなのに、なぜそうではないと主張できるのか?
  • 220機ものB29による大規模爆撃をどうやったのか?この答えがまったく示されていない。

という点です。

第13章 不都合な無数の真実 広島

『ヒロシマ』の不都合な真実

この章の最後部です。ジョン・ハーシーが1946年に広島の惨状を描いたノンフィクション『ヒロシマ』について、林はこう書いています。

P154:著者の意図に反して、ピカドンではなく大規模複合爆弾であることを示してしまっている個所が多い

実際には文脈を無視した悪質な切り取りです。また、切り取ったものの、なぜそれが「大規模複合爆弾」なのか、何の説明もなく、意味不明な点も多々あります。林のいつもの手口、印象操作にすぎません。原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(6)〜ハーシー著書の悪質な切り取りにて詳細を説明していますが、代表的なものを抜き出すと。

9頁「真夜中近いころ、B29約200機が本州南部に近接しつつあり」

第7章の印象操作と同じです。真夜中に200機が来たのは、その夜の宇部か他の地域(今治や神戸など)への爆撃のためです。そのままうろうろしていれば、翌日の林の言う「大規模爆撃」の前には燃料が切れてしまいます。

64・80頁「アメリカ軍がガソリンをまいている」

極めて悪質です。単に、何が起こったのかもわからず公園などに避難した被災者による推測でしかありません。それをハーシーが記録しただけです。しかも、これ以外に「何か可燃性のガスだったのではないか」「大規模な焼夷弾クラスターだったのではないか」「落下傘兵の仕業だったのではないか」という推測もあるのに、林は都合よくカットしています。

143頁「私達のうちの一部のものは、本爆弾を毒ガスと同一部門と考え」

発言の意図は明らかに、「核爆弾は毒ガスと同様の非人道的兵器だ」です。林は、好都合の個所を切り取ることにより発言の意図を捻じ曲げています。

第14章 不都合な無数の真実 長崎

詳細は、原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(26)〜意味不明な長崎原爆論です。

林はこのように書いています。

P160:佐世保海軍航空隊 新川信一中尉の証言

当時、佐世保海軍航空隊中尉であった新川信一の手記「私は原子雲突入した」(『文芸春秋』昭和40年8月号)は注目に値する。「昭和二十年八月」63~72頁でも手記を引用)

(略)

ピカドンではなく大規模複合爆弾であることがわかる。国は被爆者の方々に毒ガス治療を施すべきであった。 

この実際の新川証言(文芸春秋・昭和40年8月)を見てみると、林の主張は成立しないことがわかります。さらには、新川が長崎爆破3,4時間後に、「ここにもあすこにも、焼けただれた地面や石の上に、無気味な影がうつっているではないか。爆発の時の光の影だ」と証言しているのです。林は自分の主張に不都合なこれらの部分を当然ながら無視しています。

第15章 原爆に非ず!航空本部技術部廣島爆撃調査報告

この章で林は次のように書き、いつもどおりの印象操作を行っています。

P174:陸軍航空本部技術部広島爆撃調査報告 第七「原子爆弾に非ずとする各種の事象」(昭和20年(1945年)8月10日 )には、原爆と断定しては説明・解釈に困難をきたす各種の事象が、軍事専門家の観点から詳述されている。

詳細は、原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(15)〜廣島爆撃調査報告のウソにありますが、実際の報告を読んでみると、林の主張とは真逆であることは明白です。

簡単に言えば、この調査団が広島に入り、様々な調査を行った結果、原爆に間違いないと結論しました。

そして、「原爆ではない」とする各種現象も報告されたのです。しかし、結論としては「何レモ根底ヨリ之ヲ覆ヘシ得ルニ足ルモノナシ(いずれも根本からこの判定を覆すに足るものではなかった)」とされただけの話です。それを林はことさらに大きくとりあげて印象操作しているのです。

この報告書の最初にはこうあります(現代語訳)。

第一 調査の目的

大本営調査団に参加した者を中心として、主として使用された爆弾の種類を究明し、一般国民に対して発表すべき事項、ならびに全般的な対策事項を決定するための資料を得ることを目的とする。

第二 判決(※調査の結果として下した判断・結論)

  1. 今回の爆弾の主体は、普通の爆薬または焼夷剤を使用したものではなく、原子爆弾であると認める。
  2. 一般国民に対する発表資料については、別紙第一「特殊爆弾に対する一般説明」による。
  3. 全般に対する対策事項については、別紙第二「特殊爆弾調査報告」による。 

第16章 偽装原爆を落とした理由

詳細は、原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(31)〜「衝撃と畏怖」だから何?意味不明にありますが、何の意味もなしていない章です。原爆(林によれば偽装原爆)を落としたのは、「米の衝撃と畏怖」戦略のためと主張しますが、おかしなことに「偽装原爆」の証拠は一切示されていないのです。

さらに林は、トルーマン声明を適当に切り貼りして、省略部分も原文も示さず、しかも文章の順序自体も入れ替えています。「原爆開発の経緯を説明する歴史的声明」ではなく、「原爆による日本への威嚇・破壊予告」に仕立てあげているのです。林は他でもあちこちでこんなことを行っており、まさに林の手口の典型例ということができます。

第17章 冷静と客観VSプロパガンダと煽り

詳細は、原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(31)〜第17章:林の妄想のみで無内容にあります。最初はタイトル通りに思ったのですが、調べていくうちに、ここでもまた林が墓穴を掘っていることをつきとめました。

 

第18章 日本政府の抗議文と大東亜戦争集結の詔書

詳細は、原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(19)〜故意に読者に読ませない手口にあります。

林はこう主張します。1945/8/13の読売報知(現在の読売)を示し、

P203:都築正男教授と並ぶ勇気の人、理研の矢崎為一教授は、「偽装原爆であり、複合爆弾だ」との特集記事を掲げた。

林はその紙面を掲載しているのですが、字が小さく潰れていて全く読めません。この記事を入手することもなかなか難しいのに、読者に故意に読ませないようにしているとしか思えないのです。なぜなら、「全部読んでもらっちゃ困る」からでしょうね(あくまで私の勝手な推測です)。

また、矢崎もその後に「原爆ではない」と主張していた記録は一切見つかりません。彼自身が日本の代表的な原子物理学者・核開発のトップだったと目され、その専門知識から「もう完成されたというのは何だか早過ぎるような感じです」と漏らしただけの話でしょうね。

追加:紙面を入手し、原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(27)〜矢崎博士の新聞記事でまたもウソ(検証済み)を書きました。一次資料を参照し、明確に林が大嘘をついていることが証明されたと考えます。

第19章 近衛文麿の野望と戦後体制を引き継いだ敗戦利得者達

詳細は、原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(28)〜無根拠、近衛文麿による原爆偽装の統括?に書いていますが、ほぼAIによる評価です。正直なところ、この章は意味をなしていません。核心部分の「原爆偽装」については何の裏付けも示そうとさえしていないからです。そうではなく、単に林の2017年の本『近衛文麿 野望と挫折』の宣伝とみるのが妥当です。もちろん、この本にも原爆偽装などについては(目次を見る限り)一切ありません。

第20章 日本メディアと米軍によるプロパガンダの数々

詳細は以下にあります。

ここで林は終戦当初の米側の「危険な残留放射能はない」という姿勢、特にグローヴスによる後で示す姿勢により、徹底的な情報統制とメディアによるプロパガンダが行われたことを無視し、「残留放射能などなかった。毒ガスだったのだ」という方向に読者を誘導しています。そのために、まさに米のプロパガンダそのものを多数引用しています。

その一方で、林は「毒ガスであった」何らの客観的証拠も提示できません。驚くほど何もないのです。せいぜい病人の症状を「典型的症状」とするだけですが、放射線障害でも説明がつくことを知らないようです。単に、Aを否定することによってBであるかのように思わせているだけです。BはBで証明が必要なことも林はまったく理解できていないのです。

ジェームズ・ノーラン『原爆投下、米国人医師は何を見たか』P131:広島の原爆投下から数日がたつと、日本から現在進行中の放射線による被害に関する報道が出はじめた。グローヴス将軍は明らかに動揺していた。日本人の体への悪影響を案じたのではない。マンハッタン計画による原爆の製造および使用に対する世論の悪化を懸念したのだ。

第23章 毒ガス被害の実相

これについては、原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(7)〜林は「毒ガス」を証明できない(2)にて論じています。林はこう書いています。

P277:そして、「吐気」を始め毒ガス(硫黄マスタードガス)の典型的な症状が語られている。

林は何の証拠も示さずに「硫黄マスタードガス」と決めつけています。第11章には「日本側の毒ガス対策は万全だった」とあるのに、毒ガス検知器で検知したという事実も説明もありません。ただただ、「これは毒ガスの症状だ!」とか「硫黄の臭いがした」というだけなのです。ちなみに、硫黄マスタードガスに硫黄の臭いはありません。こんなことも林は知らないのです。

この章の代表的な印象操作は以下の証言です。林はこれが毒ガスの症状だというのです。

P279:私は、九月下旬まで、べったり床に就いた。わけても、九月はじめからの一週間は、人事不省となった。その間、何度か生死の間をさまよい親族が寄り集った。頭髪が脱け、歯ぐきがはげしく痛んで、多量のよだれが流れ出た。四十度を超す熱が、連日のように出た。…母の執念ともいえる食事療法によって、私は九月中旬をすぎると、にわかに体調が回復し、食欲がでてきた。それからの毎日、私はガキのように南瓜とイモツルを食べつづけた。

しかし、この人の証言全体を読んでみると、こういう経緯です。8/6に爆心地近くにおり、いったん江波(3,4km)に避難、8/8にいったん爆心地近くに戻り、そのまま故郷(65km)に戻りましたが、8月28日頃から急に脱毛+強度の発熱、9月初めから約1週間、人事不省(意識不明)になったのです。毒ガスの症状ではありえません。

林は都合の良い部分しか見ていないので、この証言者が毒ガスではなく放射線障害であることも理解できていないのです。

第24章 黒い雨

林はこう言います。

P289:黒い雨は、雨とナパームと毒ガスと放射性廃棄物が一体化したものと考えられる、以下証言等を見ていく。

このあとは章まるごとが、様々な証言からの引用でしかありませんが、なぜその証言が自らの主張の裏付けになるのか、原爆によるものではないのか一切説明がありません。あちこちから証言を切り取っておしまいです。

詳細は、原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(18)〜黒い雨の印象操作にて

第25章 入市被爆の不都合な真実

詳細は原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(33)〜第25章:原爆症判定の困難さを利用し印象操作にあります。この記事のタイトル通りです。

また林は、何の出典も研究も示さず、つまり何の根拠もなく、自らの妄想だけで次のような一文をこの章の最初に記述しています。極めて悪質です。

軍隊や周辺町村から救護部隊がすぐに広島市内に入った。軍隊はかなりの将兵が毒ガスマスクを装着していた。毒ガスマスクを着けていなかった部隊では、毒ガス被害が出た。

第26章 米軍などによる現地偽装工作

原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(24)〜「偽装工作」主張の不自然さにて詳細説明していますが、パルマー・林は偽装原爆を裏付ける根拠があまりに少ないと思ったらしく、極めて些末なことを大げさに主張しています。

それより、220機のB29と日米共謀の証拠を出してほしいものです。それがなければ、大規模爆撃は証明できません。少なくともパルマーはこれを認めていますが、証明などできていません。林は匂わすだけで逃げるだけです。

ともあれ、この記事では、彼らによるただの印象操作を根本からひっくり返してしまう新事実をいくつか指摘しています。

追加として、原爆なかった論の戯言:パルマー・林は「影」に泣くを記述しました。両者にとって、「影」の否定は至上命題と言えますが、まったく追いついていません。

第27章 都築正男教授の戦い、あれは毒ガスだ

林はこの章で、都築正男帝国大学教授が「毒ガス」を主張したがために、公職追放されたかのような架空のストーリーをでっち上げています(そう思わせています)。当然ですが、まるでウソです。林のいつもの手口にすぎません。

このあたりは、以下で詳細に説明しています。

経緯をざっと説明すると以下になります。すべて一次資料のある事実ですよ。

※ただし、林が自身の主張の裏付けとして引用している1964/7/29の中国新聞記事には明らかな誤りと一次資料で確認できない点がそれぞれ複数個所あり、信用に足るものではないと判断できます。これは除外します。

  • 1945/9/8(広島の一ヶ月後):都築は論文にて、原爆の障害作用を4つに分類した。(1)光および熱の威力による障害作用、(2)器械的威力による障害作用、(3)放射能の威力による障害作用(これが最も長い)、そして(4)未知の威力による障害作用。最後の点については、GHQの検閲があって消され、林によればその記述は、「爆発に伴う毒ガス様物が認められることであり、これらの毒物によって死亡された犠牲者のあったことは想像に難くない。次にこの爆発が故意に毒ガス様物を発散する様作られていたかどうかということは、目下のところ何らの手がかりを得ていない。適当な機会があればアメリカ側に聞いてみたいと思っている」というものだったという。
  • 1945/9/9:都築はファレル准将に聞いてみたが、ファレルは真っ向から否定。ファレルはこの件を本国のグローブズにも伝える。
  • 1945/9/12:ファレルが声明を出す、「都築博士には、そのような想定はまったくの誤りであるとの公式な説明がなされた。毒ガスは一切放出されなかった。 」
  • 米側の意図としては、間違いなく「我々は国際法違反の毒ガスは使っていない!」ということ。また、日本を占領するにあたり、「危険なレベルの放射能はない」とも言いたかった。これは当時の米側の資料を見れば明白。
  • 1945/10/1:この日付の都築の論文では、9/8よりも記述が大幅後退。「爆発によって避けられずに発生したものとも考えられますし、あるいは、意図的にそれを発生させるために作られたものとも考えられます。この点については、次のようにも考えられます。つまり、原子爆弾は、故意に毒物を散布するように作られていなくても、ガンマ線や中性子などによって空気が電離することでイオンが発生し、さらにさまざまな窒素化合物が生じることがある。その場合、刺激作用が強ければ、死に至らせることもあり得る。」とある。
  • 1946/6頃:都築の公職追放が決定される。理由は、「6年間海軍軍医をしていたこと」であり、都築自身もそれを説明しており、帝国大学を辞職している。「毒ガス主張」のせいではないことが明白。
  • 1946/11下旬頃:しかし、都築はそれ以降も活動を継続しており、米が設立したABCC(原爆傷害調査委員会)に最初から協力していた。暫定所長のジェームズ・ニールなどと撮影した写真多数。
  • 1947/1/5:ABCC側からGHQに都築の措置の停止を求める要請。調査には都築の力が必要だとの意図。
  • 1947/3/24:GHQが都築に対する特別措置。公職追放免除を与え、研究継続を認める。
  • 1947/7/16(この日付は曖昧):GHQが上述の免除を取り消し。GHQの文書には、「1947年7月17日、政府課次長ケーデス大佐と公衆衛生福祉課長サムズ大佐との間で行われた協議において、サムズ大佐は、都築の職務上のサービスはもはや必要ではないとの見解を表明した。また、都築の一時的留任について認められていた期間は終了までなお約2か月残っているものの、直ちに解任すべきであるとの意見を述べた」

これらの一次資料を見てみると、都築論文のわずかな「毒ガスの可能性」とファレルとのやりとり以外には一切「毒ガス」という言葉は出てきません。都築の公職追放、免除、免除取り消しは、まったく毒ガスとは無関係です。

さて、林は1955/9の都築の講演をも参照し、これまた一部だけを切り抜いて印象操作をしています。

都築の講演:毒ガスという言葉を使うと、アメリカが国際法を違反したと考えられる、毒ガスというものは使ってはいけないと、細菌兵器も使ってはいけないという事が国際法に明記してある…毒ガス傷という言葉を出すという事はいろいろ誤解を起こすからどうしてもこれはやめてくれ、とこういうわけであります。

これがどうして「毒ガス隠し」になるのか、理屈が通っていませんが、林の極めて悪質な点としては、同講演で都築の語った以下を無視し、引用していないことです。

都築の講演:アメリカがいけないということになりましたので、今になって考えてみると、理屈はともかくとして、広島の人々が「ガス、ガス」と言っていたのは、自分たちが実際に感じた感覚を非常によく表現していたのではないかと思います。

もちろん、広島の人々がなぜそれを「ガス」と呼んだのかというと、目や鼻や口などを非常に強く刺激するような、ひどい悪臭を伴った刺激性の、息もできず胸が詰まるような空気が、その場所いっぱいに充満していたという感覚があったからでしょう。そのため、「何か毒ガスなのだろう」ということになったのだと思います。

まあ、当時は皆が「毒ガス、毒ガス」と言っていて、防空の隣組などでも、毒ガスについていろいろ教育を受けていましたから、そういう理解になったのだろうと思います。

これが以前の第11章につながってくるのです。人々が煙や異臭に直面したときに「毒ガスだ!」と思った理由は、こうです。

日本軍が中国大陸で毒ガスを使い、多くを傷害・死亡させ、1942年にルーズベルトから「やめないと同じ手段で報復する」と言われており、『広島永年防空計画』などでも「敵機が毒ガスをまくおそれがある」とされ、民間人レベルで「敵機からの毒ガス攻撃があるかも」という認識があったのです。

無知蒙昧なのか、故意なのか林は、この点を一切説明せず、単に「P113:日本は米軍による毒ガス攻撃を高度に想定していた。そして、当然のことながら広島でも防毒体制が整えられていた…日本は第一次世界大戦の非人道的な毒ガス兵器の教訓をしっかりと研究し、対応を怠らなかったのだ」と、ごまかしています。

つまり、ここでは、林による印象操作を、林自身が引用する都築博士が破壊するという構図になっているのです。まったく人生うまくいかないものですね。残念でした。

追加:YouTube動画での林のウソ

ちなみに、本には記述されていませんが、あるYouTube動画で林は「(都築博士は)第五福竜丸についても毒ガスだっていう証言を残してるんですよ。っていうことがわかる証言を国会でね(残してる)」などと発言していますが、これもまた真っ赤なウソです。

詳細は、原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(14)〜都築博士の1954年国会証言についてまたも平然とウソにあります。

第28章 冷静と客観VSプロパガンダと煽り

原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(32)〜第28章:章まるごとが出典不明で無価値に書いた通りです。ほとんど章全体が引用で占められていますが、その出典が明示されておらず、原文を確認できません。想像ですが、林はこれを故意に行っていると考えられます。読者が検証できないのですから、この章まるごとが無価値と判断します。お話になりません。

第31章 核開発・核実験の不都合な真実

第五福竜丸死因は輸血による肝炎

詳細は、原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(16)〜第5福竜丸犠牲者のウソにありますが、要するにこうです。林はこう書いています。

P370:医学調査担当の都築正男のコメント

  • 入院後の4〜6週間後には造血障害が発症した。
  • 肝障害が17人に出現した。輸血でのウイルス感染肝炎あるいは薬剤中毒の可能性もあるようだ。

水爆実験は偽装であった可能性がある。第五福竜丸の乗組員の死因は輸血あるいは薬剤か。

  • 出典が示されておらず、都築(1968年没)がこんな発言をしたという記録が見つからない
  • たしかに、2007年に明石真言博士らがこの見方をしている。「肝機能異常が多くの例に認められ、肝炎ウイルスの検査では陽性率が非常に高い」「おそらく間違っていないと思います」とする。薬剤については明石の発言が見つからない。

そして、原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(15)〜廣島爆撃調査報告のウソで示したように、林は最近のYouTube番組(2026/09/06)で「都築博士は、第五福竜丸についても国会証言で毒ガスと言ってる(国会会議録を見れば完全な嘘とわかる)」と主張しながら、本書では「都築が輸血でのウイルス感染肝炎あるいは薬剤中毒の可能性と言ってる」としているのです。

つまり、1954年の水爆実験に第五福竜丸事件が巻き込まれた事件は、「水爆実験自体が偽装(実は毒ガス)」で、「船員の死亡も偽装(輸血による肝炎)」と主張しており、その2つとも都築がそう証言しているというのですが、一方は明らかな嘘、もう一方は出典がわからず、発言も見つからず、実際にそう言ってるのは明石で、それも2007年以降です。

第32章 続くプロパガンダと洗脳

詳細は、原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(20)〜林にとってだけ「不都合な真実」に文句にあります。

P374:1973年8月6日に発行された『原子爆弾 広島・長崎の写真と記録』(仁科記念財団編纂、光風社書店)は、さすが仁科記念財団編、不都合すぎる真実が詰まっている。まずもって、航本技術部『廣島爆撃調査報告』の「原子爆弾ニ非ズトスル各種ノ事象」の項は「省略」されている。

というのですが、トンデモ説を流す林にとって不都合なだけです。正常な一般人にとっては全く問題のない話です。この章もまた、非常に短く、内容も薄く、単に林が子供じみた文句を言っているだけです。

資料集

原爆なかった論の戯言:資料集〜被爆直後の人が原爆とわかるわけない!
原爆なかった論の戯言シリーズはこちら林千勝は『広島・長崎 悲劇の正体』において、しきりに当時の人たちの証言『米軍がガソリンをまいた』『毒ガスだと思った』などをとりあげて印象操作しようとしていますが、原爆投下直後の人たちに原爆だなどとわかるは...
原爆なかった論の戯言:資料集〜都築正男博士
原爆なかった論の戯言シリーズはこちら『広島新史 資料編1(都築資料)』広島新史 資料編1(都築資料)以下は、検索しやすいように、目次を文字起こしして、文書の日付を追加したものです。tsuzuki-contents.txtGHQ記録1947年...
原爆なかった論の戯言:資料集〜『広島市永年防空計画』その他
原爆なかった論の戯言シリーズはこちら『広島原爆戦災誌 第5巻』の冒頭の『広島市永年防空計画』および『昭和16年度広島市防空計画』の中の重要と思われる部分を現代語に翻訳したものです。『広島市永年防空計画』の『第一編』『第二編』PDFの6ページ...

コメント

  1. 東條 正和 より:

    字幕さんの考察は毎度毎度鋭い切り口で感心させられます。
    私は実際にその場に居なかったので、公平な立場でいようと考えています。
    字幕さんの反論を拝見させていただくと、おっしゃるとおり、林さんが嘘をついていると感じました。

    そこで、字幕さんに質問です。
    ①「爆心地から80キロも離れた箇所に被害を出すには、相当の火力が必要であり、ナパーム弾程度では不可能」とおっしゃられていましたが、では、なぜ、爆心地の原爆ドームは骨格が残ったのでしょうか?神の奇跡でしょうか?(付近に全く焼失していない街路樹の写真もありましたが、あれは捏造写真ですか?)
    ②なぜ、米軍は東京大空襲のことを、一切言わせないのでしょうか?字幕さんのご意見が知りたいです。
    ③原爆投下の写真も、同じ物が再度使われていたと林さんの本にはありましたが、そちらについてはどのように反論されるのでしょうか?

    このあたりをさらに突き詰めていただければ、林さんが嘘をついていると信じようと思います。

    これからも、日本人を分断しようという刺客を、字幕さんの慧眼で糾弾してください!!!

    応援してます!!

    いつも本当にありがとうございます!!!

    • ysugimura より:

      もちろん想像ですが、おそらくは閃光や熱波は一瞬のことだったのでは?むしろ爆風の方が強力だったと思います。
      静電気は数万ボルトですが、それで死ぬ人はいません。いくら高温でも短時間でも鉄が溶けることはないでしょう。木もです。
      服を着た人間よりも木の方が上部なのではないでしょうか?(想像です)。
      「東京大空襲のことを一切言わせない」とは思いません。検索すれば多くの証言があります。
      原爆の写真や動画については、「実際にないからテレビ局などはテキトーに使った」というところであって、原爆の有無とは無関係と思います。