この記事の三行要約
- 林千勝は、入市部隊の「毒ガス被害」を裏付ける比較研究なしに断定し、個別証言を利用して印象操作している。
- 『ヒロシマ・残留放射能の四十二年』は、入市被爆者の症状と残留放射線の因果関係を慎重に扱っており、林は都合のよい部分だけを引用している。
- 同書は原爆症訴訟でも証拠として提出され、2015年東京地裁判決などで、賀北部隊の調査結果や入市被爆者の症状を検討する資料として扱われた。
林千勝著、経営科学出版の書籍『広島・長崎 悲劇の正体』の『第25章 入市被爆の不都合な真実』ですが、ここで林は原爆症判定が難しいことを利用して印象操作をしようとしています。
最初から大嘘
林によるただの妄想
しかし、この冒頭の林による一文は誰でも真っ赤な嘘とわかります。
P296:軍隊や周辺町村から救護部隊がすぐに広島市内に入った。軍隊はかなりの将兵が毒ガスマスクを装着していた。毒ガスマスクを着けていなかった部隊では、毒ガス被害が出た。
この一文には出典がありません。つまり、林によるただの妄想なのです。いくつかの事例を拾ってその印象をつなぎ合わせただけでは、こんなことは言えません。少なくとも研究者が次を行っている必要があります。
- 広島へ入った複数の部隊を特定
- 各部隊の毒ガスマスク着用の有無を確認
- 各部隊の入市時刻・場所・滞在時間を確認
- 隊員の健康状態を追跡
- 脱毛、出血、発熱、下痢、白血球減少、死亡などを集計
- 着用群と非着用群を比較
- さらに、被曝線量・爆心地からの距離・滞在時間などの交絡要因を検討
林がこのような研究を行ったというのであれば、既に学会などにて発表しているはずです。この一文には何の根拠も一切ありません。
林による印象操作
たしかに、軍の方から「毒ガスマスクをつけろ」と言われた部隊があることは事実です。原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(6)〜林は「毒ガス」を証明できない(1)にて指摘しましたが、林は、『広島原爆戦災誌 第1巻』のPDF167ページの証言をとりあげて、毒ガスであるかのような印象操作を林による本書P93でしています。
P93:土橋中尉は……爆弾によるいつもの閃光と考え、そのまま机に向っていたが、室外の騒然とした気配に、どうしたのかと外へ出てみた。……そのとき、衛生兵がとんで来て、「隊長、あの雲は毒ガスだそうですから、全員防毒面を着用するよう本部で言っております。」
しかしその一方、それに続く文章は都合が悪いので林はカットしています。
広島原爆戦災誌:土橋中尉は、巨大な煙雲が次第に上昇する光景から、空中衝突説も毒ガス説も否定し、やがて解散した。一同は実態のわからないまま、まもなくその日の教練に没入したのである。
『広島原爆戦災誌 第1巻』のこの部分は、そもそも歩兵第三二一聯隊の活動というものなのですが、この部隊はの場所は現在の東広島市八本松町原で、爆心地からは21km程度でした。
広島原爆戦災誌:出動命令下る
六日夕方、各中隊長は、本部前に集合との命令があり、全員集合したが、午前中の異様な雲の上昇を遠望していたため、何か特殊な緊張感が漂っていた。まもなく聯隊副官が出て来て、救援隊の出動命令を下達し、はじめて広島市の惨状を知った。しかし、それが原子爆弾によるものであることは、夢想だにしなかった。
「第二大隊は、ただちに救援作業資材を携行、出発すべし。」という命令にしたがい、所要の人員を残留させ、主力をもって大隊長出川大尉の指揮下に入った。時に午後七時ごろであった。
八本松駅まで行軍し、午後八時、暗黒のなかを汽車に乗りこんだ。汽車は速力鈍く、ようやく広島市郊外の向洋駅(?)に到着した。ここから行軍して広島市内に入ったが、すでに七日の夜明けであった。夜のしらじら明けに見る市内の惨状は、想像を絶していた。
しかし、ここには、毒ガスマスクをして作業したのか否かは記述されていません。また、この部隊に所属した鎌形金作は、放射線障害と思われる症状を訴えていることもわかっています。
広島原爆戦災誌:大東亜戦争末期、一億玉砕本土決戦目前の昭和二〇年八月私は、陸軍歩兵第三二一連隊、連隊砲中隊に所属、広島県賀茂郡原村に駐屯、
(略)
我が中隊は爆心地の近くで死体処理作業。
(略)
宿泊は牛田町の半壊家屋の軒下に、汗と灰と埃りまみれの作業衣のままで「ゴロネ」原爆の「放射能」を含む死の灰漬であったと判明したのは後のこと。五日目頃より下痢症状、医務室には薬などない。八月一五日終戦。
九月二三日復員したが、下痢も慢性化、体重も四〇キログラムを下廻り、正に敗残兵の惨めな姿で、シラミを同伴で我が家の玄関へ。畑作農家の収穫の秋、戦後の食糧事情逼迫に休む間もなく、家族と一緒に働く、貧血で倒れると其のまま、畑でもどこでも、所かまわず暫く橫になって休む。
春から夏にかけて、頭痛か肩こり、体がなんとなくだるい。節ぶしが痛む。鍬を持つ手にも力が入らない、困った。箸や鉛筆が指の骨で「ジカ」に持つ感じ。働く気力も出ない、医者は「カッケの様でも、神経痛の様」でもあると、ビタミン剤等の注射だけ。
ハリ灸・マッサージなどの治療を受けて、一〇数年。これが所謂、「原爆ぶらぶら病」なのだ。生活のためには働くしかない、三二才の時、供出用の麦俵六〇キログラムを肩に担いだ途端にギックリ腰だ。働けない又駄目だ。放射線の影響で骨か筋肉が脆いのだろうか。三〇数年たった今でも、「変形性腰椎症」で治療中。家族に支へられての生活である。あの時の戦友達も「多発性骨髄腫」で原爆症認定の人もいる。其の他の癌や肝臓機能障害などで死んで行く。
しかし、林に有利な証言もある
『広島原爆戦災誌 第5巻』PDF166ページの証言ですが、これは確かに林にとって有利なものです。
広島原爆戦災誌:小川武志(当時船舶練習部第十教育隊・兵長)
江田島幸ノ浦第十教育隊兵舎内(爆心地から約十二〜十三キロメートル)にいた。突然兵舎内がフラッシュをたいた様な強烈な光で明るくなり、少時(二、三秒位か?)してスッと元に戻った。
(略)
六日即日出勤を下令され、被甲(ガスマスク)、鉄帽携行との指示があった。出動時間については明確な記憶はないが、午後であった。
(略)
下士官兵集会所(紙屋町交差点手前の道を右へ百〜二百メートル)の建物は外観は残っていたが内部は一物も余さず全焼し、床に厚く灰がつもっていた。どこであったか記憶しないが(市立病院と思っていたが当時市立病院はなかったとのことである)木造病棟(あるいは校舎であったかも知れない)二、三棟が残り、周囲に負傷者が多数集っていたと記憶する。以後八月十二日頃まで現地において救護に当った。
(以上の記述中の方向は全て宇品より紙屋町に向って記した。)
六日夜、広電本社前まで進出。赤十字病院附近に残っていた火災の消火と患者の救出にあたる。七日早朝紙屋町交差点に進出。県庁焼跡に戦隊本部を設置。以後八月十二日頃まで現地にて負傷者の救出、遺体処理、焼跡の整理・道路の開発等その場に応じて必要な作業を行なったが、余りに多くの事がありすぎ忙殺されて、個々の詳細については余り記憶に残っていない。
私は戦隊伝令として焼跡の瓦礫の中をずい分歩き回ったことを記憶している。私の所屈した第四十九戦隊の主な行動場所は紙屋町交差点を中心として紙屋町、大手町、八丁堀、及び現平和公園方面であった。市役所の建物は先にも述べたように、負傷者の収容所にあてられていた。船舶司令官佐伯中将が広島戒厳司令官、救護司令官として、袋町附近であったと思うが、瓦礫の中に天幕を張り総指揮に当っておられた。
(略)
帰隊後一部の者について軍医の検査があった。九月上旬、復員迄の間に四十九戦隊に関する限りでは、全員健康に異常はなかったと思う。又、第十教育隊内でも当時特別の病人がでたという事は聞いていない。私自身も今日迄放射能によると思えるような病気はしていない。
しかしもちろん、ガスマスクの携行指示と実際の装着はまた別の話ですね。特に真夏ですから、AIにまとめてもらうと次のような状況のはずだったと。ですから、実際にどの程度着けたのかはわかりません。
- 呼吸抵抗が増える
防毒マスクの吸収缶を通して呼吸するため、通常より呼吸仕事量が増えます。現代の研究でも、マスクによる吸気抵抗が運動時の負担になることが確認されています。 - 顔面の放熱・発汗が妨げられる
顔を密閉するので、暑熱環境では熱ストレスが増します。防護マスク・防護服を組み合わせた実験では、熱負荷によって作業可能時間が制限されることが示されています。 - 視界が悪くなる
防毒面のレンズは汗や呼気によって曇りやすく、瓦礫の中での作業にはかなり不便です。軍用CBマスクについても、視野制限は主要な問題の一つとして扱われています。 - 会話・指示伝達が難しくなる
夏服+鉄帽+装備+肉体労働という条件が重なる
また、証言の通り、何度も広島市内の負傷者を見ているはずなので、「毒ガスであれば既にやられているはず。だから毒ガスではない」と思うのが普通ではないかと思いますね。これは完全に推測ですが。
ともあれ、比較研究を行った報告はない
ともあれ、「軍隊はかなりの将兵が毒ガスマスクを装着していた。毒ガスマスクを着けていなかった部隊では、毒ガス被害が出た」という一文は、研究者が聞き取り調査を行って統計的に行うような類のものであって、素人が個別の証言から推測できるものではないでしょうね。そして、こう書いています。
P298:建物整理・救護・遺体処理のために入市した部隊は、放射能ではなく毒ガスにやられたことがわかる。しかし、このことは公には説明されていない。
こんなことは断言できません。林は明らかに読者を誘導しています。
『ヒロシマ・残留放射能の四十二年』
これ以降、林は『ヒロシマ・残留放射能の四十二年』(1988)という書籍から都合よく抜き出して、読者を印象操作しようとしているわけですが、成功しているとは言えません。林にとって好都合のものは見当たらないので、無理やり抜き出しているという感じです。
本書の概要
これは、NHK広島局・原爆プロジェクト・チームが入市被爆者の40年後を追い、その証言を得て、彼らの被った放射線量を専門家に評価してもらうというものです。しかし、結論としては、かなり慎重です。
入市被爆者に現れた脱毛・歯茎からの出血・口内炎・白血球減少などについて、残留放射線との因果関係を完全に否定したわけではない。しかし、当時の推定被曝線量からは通常の急性放射線障害として説明できず、栄養失調・過酷な労働・精神的ストレスなど他の要因も考えられるため、放射線が原因だと断定することもできない。
これらの被爆者についてかなり具体的な症状を記録しているのですが、「計算された被曝線量」と症状が合わないとされています。「この程度の低線量なら、通常考えられている急性放射線障害は起こらない」と。一方で、「それほど低い推定線量なのに、急性放射線症状を示した者がいるらしい」としています。
要するに、「入市被爆者に放射線障害を思わせる症状が実際に存在する。しかし、当時の物理的線量計算では説明できない。この矛盾をどう説明するかは決着していない」というところです。
林による引用
林による『ヒロシマ・残留放射能の四十二年』P74からの引用
P298:元原医研(広島大学原爆放射線医科学研究所)所長・国立名古屋病院長 大北威博士の発言・・
「どうも毛が抜けました、何もしませんでしたというときに、いやお前の浴びた線量は5ラドのはずだからそんなはずはないんだってこれまで否定されがちだったですけど、それはむしろラドという計算の方がおかしいんであって、今回の賀北部隊のお一人お一人というのは大変貴重なんで染色体は染色体として、物理的計算は計算として、しっかりやっていただくと。それで結果が違ったとしても一向にかまわないんで、それと同時に、私は隊員の方々の健康記録ってものをぜひ大事にしていただきたいと思いますね」
まるで無意味な引用です。なぜ林がこんなものを引用したのか不明です。毒ガスとやらの証拠にもなりません。
林による『ヒロシマ・残留放射能の四十二年』P110からの引用
P300:元賀北部隊員の橋詰さんと木原さんの、多くの人々が死んだ原因についての証言…
「あれ、どういうわけでしょうかね。私ら思うのに、やはりガスか放射能が受けて死んだんじゃないかと思うんですがね」
ここでまたも林は印象操作しています。もちろん、「多くの人々が死んだ」は正しいのですが、ここで言っているのは、「防空壕の中で死んでいた多くの人」です。例によって林は前後をカットして読者の印象を作っているのです。前後を抜き出してみます。
残留放射能の四十二年:「こりゃあ堅固かしらんが、あの蛸壷防空壕、覚えとろう。上が吹っ飛んで、下だけ入っとるんやけん、下半身だけがの、樽木を持って、こうして上げよったんですばい。手でいらいとうないから。たら憲兵さんに怒られてね。尊い犠牲者のあれを、そういうことじゃいかんと。手でやれい言われて、しようなしに手でみな拾んだんです。腸がね、なんぼでも出てくる。ほんまに長いんだから、ズルズルスルズルね。」
二宮さんの言葉に、むすびを頷ばっていた者達が顔をしかめた。当時の防空壕は、地面を斜めに掘って、その上に蓋をし、土を盛った簡単なものが多かった。その中に、たくさんの人が死んでいた。語るのは、橋詰さんと木原さんである。
「屋根をはぐとね、ま、電車に乗っとるような恰好でスラーッと並んで死んどりましたね。一つに一〇人や一五人はおったんじゃないかと思います。傷ついてるわけじゃないが、みんな動かんと死んどるわけですね。あれ、どういうわけでしょうかね。私ら思うのに、やはりガスか放射能か受けて死んだんじゃないかと思うんですがね。」
「ええ、壕の中はね、助かった人はほとんどおらんかったですよ。被爆して中に入ったもんか、結局死にに入るようなものですね。別に折り重なっちゃおらん。傷んでなかったね、中に入ろうとしたら将校が入っちゃいかん言うてね。防空壕の中に入って作業した人はたいへん死んどるわけね、今まで。」
「わしら防空壕入ったのに死にゃあせん。」
「じゃけ、死んだいう人を訪ねてみると、たいで防空壕の中に入っとる。おたくも入ったんなら気を付けた方がいい。」
もちろん、ここで言う「ガス」とは毒ガスのことではないでしょうね。この本全体を通じて「毒ガスの可能性」など一言も語られていません。
林による『ヒロシマ・残留放射能の四十二年』P130からの引用
P300:徳森さんには、他人には伝えがたい頭痛や倦怠感、難聴の苦しみが確かにあったのであり、本人はそれが原爆以後であったと確信している。最も近い人であるはずの奥さんでさえ、夫のあまりの虚弱さに、怠け癖がついたのではと疑ったことがあったという。それほど、他人の苦しみというのは理解しにくいものである。賀北部隊の隊員の中には、これといった病名を挙げることができないが、なぜか疲れやすいとか、風邪をひいても直りが遅い、他人に比べて明らかに体が弱いと訴える人が多い。だが、こうした症状は多くの原因が考えられるため、特殊な原爆の、しかも残留放射能と結びつけて考えられることはまずない。しかし、逆に言えば、シロであるとの証明ができるわけではなく、問題は常に闇の中なのである。そして苦しみは現にある。
この引用を意味もなしていないと考えられます。毒ガスとやらの証拠にもなりません。
林にとって不都合な記述は無視
そして林はいつも通り、『ヒロシマ・残留放射能の四十二年』の中の不都合な記述は無視しています。P111ページです。
残留放射能の四十二年:都築博士の洞眼(※どうがん、深く物事を見る目)
被爆直後の広島に来て、医学的調査をした東京帝大の都築正男博士は、原子爆弾の被害は、熱線、爆風、放射能の他に、放射性毒ガスによるものがあると当時発表している。昭和二十年九月八日の論文で「所謂『原子爆弾傷』に就て、特に医学の立場からの対策」と題するものである。
爆発直後、爆心直下には白い煙様の刺激性のある瓦斯が漂ふて居て、それを吸い込むと咽頭又は喉頭を害し、時には窒息様の苦悶を覚へたと訴へる人が少なくない。各方面からの情報を綜合して考へて見ると、爆発後数日間は或程度人体に悪影響を及ぼす毒因子が残っていたらしいが、それが何物であったであろうかとの問題は我々の知りたいところである。(「綜合医学」第二巻第四号)
放射線医学で学位を取った都築博士は、この原因を、いわゆる核分裂生成物、誘導放射能、そして発生したかも知れぬ未知の毒物の三者のいずれかであるとしている。当時すでに残留放射能の存在を看破し、その人体影響を推測した洞眼である。
つまり、この本では、都築の言った「白い煙様の刺激性のある瓦斯」を、「核分裂生成物、誘導放射能、そして発生したかも知れぬ未知の毒物の三者のいずれかである」としているのです。もちろん、こんなことを都築は言っていないので、本書著者による解釈とは考えられます。
裁判で証拠提出された書籍
ちなみに、この『ヒロシマ・残留放射能の四十二年』(1988)という書籍は裁判でも証拠提出されています。2015年10月29日東京地裁判決というものがあります。
AIによれば以下だそうです。
『ヒロシマ・残留放射能の四十二年』は、原爆症認定却下処分取消訴訟において、入市被爆者の急性症状や残留放射線の影響を検討する際の、かなり重要な証拠資料の一つとして実際に裁判所に取り上げられているという理解が適切です。
特に重要なのが、先ほどの2015年10月29日東京地裁判決です。この判決は17人の原告について、原爆症認定申請の却下処分を原則として取り消しました。判決文には、この本がJ112としてかなり詳しく登場します。
何が重要だったのか
この本の価値は、単純に「残留放射線が原因だった」と結論づけていることではありません。むしろ逆で、非常に慎重です。本の中には、
- 「脱毛などは放射線ではなく、過酷な労働や精神的ストレスによるものではないか」
- 広島・長崎は空中爆発なので、フォールアウトは少なかったのではないか
- 推定被曝線量は非常に低い
という放射線影響を否定・限定する専門家の見解も収録されています。一方で、
- 局所的に降った土などによるβ線被曝
- 皮膚線量が100ラド(1グレイ)を超えた可能性
- 内部被曝
- 実際に入市した人々に脱毛、出血、口内炎、白血球減少などが発生したこと
を指摘する専門家の見解も収録されています。2015年判決は、まさにこの相反する専門家の見解を両方とも紹介したうえで検討しています。さらに非常に重要なのが、同書の賀北部隊(K1部隊)の調査です。判決はこの本について、
- 隊員99人を調査
- 32人に急性放射線障害に似た症状
- 脱毛18人
- 出血14人
- 口内炎4人
- 白血球減少11人
などの結果を具体的に取り上げています。
そして、放影研の専門家が、そのうち一定数について「ほぼ確実な放射線による急性症状があったと思われる」と評価していたことも判決文に記載されています。ここは非常に大きいポイントです。したがって、裁判での位置づけはこうです
| 誤解を招く表現 | より正確な表現 |
|---|---|
| この本が「残留放射線が原因」と証明した | ❌ そこまでは言っていない |
| この本が原爆症認定取消判決を決定づけた | ❌ そこまでは確認できない |
| この本は裁判で証拠として提出された | ✅ 実際に証拠番号が付されている |
| 裁判所がこの本の内容を重要な資料として検討した | ✅ 判決文から確認できる |
| この本は入市被爆者の症状と被曝の関係を検討する重要な資料の一つだった | ✅ かなり明確に言える |
実際、2015年10月29日東京地裁判決とは別の原爆症認定訴訟でも、この本は証拠資料として提出され、判決の中で具体的に検討されています。例えば、2016年9月14日東京地裁判決では、原告側提出の証拠として『ヒロシマ・残留放射能の四十二年』が「甲B11の38」と明記されています。そして同判決では、入市被爆者の症状や放射線起因性を検討する際に、この本に記録された賀北部隊(K1部隊)99名の調査結果などが取り上げられています。
また、2015年10月29日東京地裁判決でも、この本は「J112『ヒロシマ残留放射能の四十二年』」として判決理由の中で具体的に検討されています。そこでは、入市被爆者の急性症状について、放射線によるものとする見解だけでなく、重労働や精神的ストレスなど放射線以外の原因を考える専門家の見解も含めて紹介されています。
したがって、この本は「残留放射線が原因である」と一方的に結論づけた資料としてではなく、入市被爆者に実際にどのような症状が生じたのか、そしてそれを放射線によってどう説明できるのかを検討するための資料として、複数の原爆症訴訟で利用されていた、と表現するのが正確です。ですから、むしろ面白いのは、
- NHKの本自身は「残留放射線が原因だ」と断定していない。ところが、その慎重な調査記録そのものが、後の裁判では「入市被爆者に実際にどのような症状が発生したのか」「その症状を放射線だけで否定できるのか」を検討するための証拠になった
という点です。



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