この記事の三行要約
1. 広島の米軍公式火球撮影はフィルム現像装置の故障で失敗し、長崎では撮影担当者の置き去りと随伴機の合流失敗により記録が得られなかったと、資料や証言は説明している。
2. 広島の映像として長崎の原爆映像や水爆実験映像が誤用された事例があるが、こうした映像の取り違えや偽装が原爆そのものの捏造を証明するわけではない。
3. 林千勝の「複数の煙はナパーム弾によるもの」という主張には根拠や説明が不足しており、既存の説明への疑問を挙げるだけでは、原爆捏造説の証明には一切ならない。
林千勝著、経営科学出版の書籍『広島・長崎 悲劇の正体』の『第9章 「原爆」映像の不都合な真実』について見ていきます。
米軍「公式」映像がない理由
林はこの章の冒頭でこう書いていますね。
P61:東京大空襲などの爆弾落下の映像・画像は山ほどある(しかし、長崎・広島についてはない)。その理由を米軍は、広島の場合は「現像の失敗」、長崎は「撮影機の屋久島上空での合流失敗による途中帰還」を理由として説明している。
東京大空襲にはB29が325機参加しました。そのうちの何機もが撮影していたことは容易に想像できることです。かたや、広島・長崎は3機の編隊によるものです。何かしらのトラブルがあればフィルムがないことはこれまた容易に想像できることです。
ただし、林もこれに言及していますが、ハロルド・アグニューによる「プライベート映像」は除外します。これについては後述します。ここで言うのは、あくまで「米軍公式」のものです。実際のところはどうなのでしょう?
Reevaluations of Dosimetric Factors, Hiroshima and Nagasaki という資料PDFの111ページです(印刷ページ99)。
The plans were to use two different methods to measure the yields of the combat drops with instrumentation on or dropped from accompanying aircraft. One aircraft was equipped with a Fastax camera to obtain photographs of the early fireball expansion as a function of time; this technique had been tested at the Trinity test with excellent results. Fireball records obtained by B. Waldman with this camera on the Hiroshima drop were destroyed by malfunction of the film-processing equipment. R. Serber was to have operated the camera on the Nagasaki mission, but the instrumentation aircraft not only took off without him but also did not rendezvous with the strike aircraft; therefore no fireball records were obtained. Despite the very successful measurement of the fireball yield on the Trinity test, no such data were obtained on either combat drop. Crossroads Able, an air-drop of a Fat Man over naval targets, could have supplied further fireball records for that device, but the large miss distance put the detonation outside the field of view of all but one camera—a streak camera that provided marginal data.
実戦で投下された原爆の威力を測定するため、随伴機に搭載する、あるいは随伴機から投下する計測機器を用いて、2種類の異なる測定方法を採用する計画が立てられていた。1機にはファスタックス(Fastax)高速カメラが搭載され、時間の経過に伴う初期火球の膨張を撮影することになっていた。この手法はトリニティ実験で試験され、非常に優れた結果を得ていた。広島への原爆投下の際、B・ウォルドマンがこのカメラで撮影した火球の記録は、フィルム現像装置の故障によって失われた。長崎への原爆投下任務では、R・サーバーがカメラを操作する予定だった。しかし、計測機器を搭載した航空機は、サーバーを乗せないまま離陸しただけでなく、攻撃機との合流にも失敗した。そのため、火球の記録は得られなかった。トリニティ実験では火球の測定によって原爆の威力を非常にうまく推定できたにもかかわらず、広島・長崎のいずれの実戦投下でも、そのようなデータは得られなかった。海軍の艦船を標的としたファットマンの空中投下実験であるクロスロード作戦のエイブル実験では、この爆弾について、さらに火球の記録を得られた可能性があった。しかし、爆発地点が狙いから大きく外れたため、1台のストリークカメラを除き、すべてのカメラの撮影視野から爆発が外れてしまった。そのストリークカメラからも、得られたデータは限定的なものにとどまった。
特に後者は何と間抜けなと思いますが、もう少し掘ってみると、こうだったようです。Robert Krauss’s Interviewより。
Krauss: It was piloted by James Hopkins. As the story goes, they were getting ready to take off. Rhe scientist on board who was to operate the Fastax camera was Bob Serber. He was a member of Project Alberta, and his camera was a camera that could shoot many pictures per second. Serber did not have his parachute. Hopkins told him to go back and get his parachute. But in the meantime, he took off. Here’s Serber on the ground, and they were up in the air. Nobody knew how to operate that camera.
その飛行機(撮影機Big Stink)の操縦士はジェームズ・ホプキンスでした。話によると、彼らが離陸の準備をしていたとき、ファスタックス・カメラを操作する予定だった科学者は、ボブ(ロバート)・サーバーでした。彼はアルバータ計画のメンバーで、彼が扱うカメラは1秒間に何枚もの写真を撮影できるものでした。サーバーはパラシュートを持っていませんでした。ホプキンスは彼に、戻ってパラシュートを取ってくるよう指示しました。しかし、その間に飛行機は離陸してしまったのです。つまり、サーバーは地上に取り残され、飛行機のほうは空中に上がってしまいました。そのカメラの操作方法を知っている者は、機内に誰もいませんでした。
次に、H-052-1: The U.S. Navy’s Role in the Development and Employment of the Atomic Bomb, 1939–45という資料を見てみます。長崎についてこうあります。
When Bockscar reached the daylight rendezvous point at 0910, the photo plane did not show up. Ashworth directed a delay but in radio silence could do nothing but wait. At that point the weather planes reported both targets clear. After 30 minutes, Ashworth directed the mission to proceed without the photo plane. When Bockscar arrived over Kokura, it had become obscured by clouds and smoke from fires in Yahata, which had been firebombed by 224 B-29s the night before. Bockscar made three runs over Kokura over 50 minutes but could not find the aimpoint. Kokura was relatively heavily defended, and by the third run, antiaircraft fire was getting dangerously close, and Japanese fighter direction frequencies (monitored on board Bockscar) were becoming active.
ボックスカーが現地時間09時10分に昼間の合流地点に到着したとき、写真撮影機(Big Stink)は姿を見せなかった。アッシュワースは待機時間を延長するよう指示したが、無線封止(無線通信を行わないこと)が実施されていたため、待つ以外にできることはなかった。その時点で、気象観測機から、両方の目標地点の天候は良好であるとの報告が入った。30分が経過した後、アッシュワースは写真撮影機を待たずに作戦を続行するよう指示した。ボックスカーが小倉上空に到達したとき、目標地点は雲と煙に覆われていた。その煙は、前夜にB-29爆撃機224機による焼夷弾攻撃を受けた八幡から流れてきたものだった。ボックスカーは50分間にわたり、小倉上空で3回の爆撃航程を試みたが、照準点を確認できなかった。小倉は比較的防空体制が強固な都市であり、3回目の爆撃航程では対空砲火が危険なほど機体に接近していた。さらに、ボックスカーの機内で傍受していた日本軍戦闘機の誘導用周波数でも、通信が活発になり始めていた。
さらに、Special Mission 16: Fat Man and the Atomic Bombing of Nagasakiという資料を見てみますが、長いので長崎の状況をAIにまとめてもらうとこうです。
- 離陸前:サーバーに救命いかだが2個支給され、パラシュートがないことが判明。ホプキンスは待機せずに離陸。
- 離陸後:ビッグ・スティンクは他の2機より遅れて出発。サーバーは基地に残され、後から無線でカメラの操作を伝えようとする。
- 屋久島上空:ボックス・カーとグレート・アーティストは合流地点で待機。ビッグ・スティンクは高度と航路が異なり、合流できなかった。
要するにこうです。
- 広島:撮影は行われたが現像に失敗した(林の言うとおり)
- 長崎:撮影担当者を置き去りにして、撮影方法がわからないうえ、投下機との合流にも失敗した
偽造だから何?
ところが林はこの後でこう書いています。
(1)米国ナショナルアーカイブの米軍による広島「原爆投下」映像(US National Archives, チャンネル「E-6 10 SEC(Inside The Enola Gay)」)は偽造であることが判明している。次の3点がその理由だ。
実際のところ、米軍の公式映像はありませんが、広島では同乗、長崎では自分のカメラを乗員に託した核物理学者のハロルド・アグニューのプライベート映像によるところが大きいのです(林もそう書いています)。また、後述しますが、長崎の方はかなり鮮明に撮影されており、「これが広島として使われている」とアグニュー自身が述べています。
林の指摘する映像は、こういった事情から「でっちあげられた」映像であることは間違いないのですが、しかし、おそらくはただの広報用映像です。単に、「こんな感じで原爆を落としました〜」とするためのものでしょう。このことを持って「原爆が捏造だった」などという印象操作は筋違いもはなはだしいところですね。
ただの広報用動画
林の参照する(1)は、以下の動画です(2分44秒)。
林はP65で「エノラ・ゲイ」のテールコードは「R」だったとし、以下の写真を出していますが、これはそのとおりです。
また、観測機のThe Great ArtisteとNecessary Evilも広島投下時点でのテールマーキングは「○にR」でした。二つの機の説明で同じ文章「on 1 August it was given the circle R tail markings of the 6th Bombardment Group as a security measure」がありますね。
つまり、先の動画の離陸シーンに現れる機体は、この3機のいずれとも違うものです。テールマーキングが「○にR」ではないからです。もちろん、飛行中の機を捉えた映像も「○にR」がないし、おそらくコックピットの映像も別のものでしょう。ちなみに、AIにまとめてもらうとテールマーキングは以下でした。
- 1945年8月6日・広島
- Enola Gay — Victor 82 — ○R
- The Great Artiste — Victor 89 — ○R
- Necessary Evil — Victor 91 — ○R
- 気象観測機 Straight Flush — Victor 85 — △N
- 気象観測機 Jabit III — Victor 71 — A
- 気象観測機 Full House — Victor 83 — □P など
- 1945年8月9日・長崎
- Bockscar — Victor 77 — △N
- The Great Artiste — Victor 89 — ○R
- Big Stink — Victor 90 — ○R
- 気象観測機 Laggin’ Dragon — Victor 95 — □P
- Enola Gay — Victor 82 — ○R(長崎では気象観測ではなく、別任務)
2020年ルモンド記事が元ネタ?
林は「偽造であることが判明している」としていますが、もちろん自分で見つけたわけではないでしょう。林の記述には、このように出典を示さないものが多いのです。実は、2020年に仏紙ルモンドがこう報じています。なぜ林はこの出典(あるいは他の出典があればそれ)を示さないのですかね?
フランス語はわからないので、以下は完全に機械訳です。
広島の爆発ではなかった「広島爆発」の映像
ブログ記事
ポーリーヌ・エイフェルマンDeutsche Welleの調査によると、世界各地のドキュメンタリーやメディアは、広島への核爆撃について伝える際、何年にもわたって、実際には別の爆発を撮影した映像を使用している。
2020年8月25日17時57分公開、8月26日7時30分更新。1945年8月6日、アメリカ軍は、日本西部の都市・広島に、濃縮ウランを用いた原子爆弾を投下し、最終的に14万人が死亡した。3日後、長崎は2発目の核爆弾によって壊滅させられた。今度はプルトニウムを用いた爆弾だった。7万人以上が、巨大な雲の中で命を落とした。そのキノコのような形は、誰もの記憶に刻み込まれている。75年たった今なお、この壮観な映像には謎が残されている。
ドイツの公共放送 Deutsche Welle(ドイチェ・ヴェレ)による調査によれば、世界中のメディアやドキュメンタリーで何十年にもわたって使用されてきた、広島への原爆投下を映した有名な映像シーンは、実際には長崎への原爆投下を映したものだという。
ジャーナリストのアミアン・エシフ(Amien Essif)は、原爆攻撃から75周年を扱う報道のために調査していた際、このことを発見したという。写真通信社Gettyが、同一の2枚の写真を、それぞれ別の原爆投下の写真として掲載していたのである。一方は広島への原爆投下、もう一方は長崎への原爆投下とされていた。
さらに調査を進める中で、エシフ氏は、たとえばCNNや彼自身が所属するDeutsche Welleなど、多数の記事や映像が、同じ画像を両方の原爆投下を説明するために使用していることに気づいた。
Le Mondeも例外ではなかった。 たとえば、同紙のある動画では、広島に投下された爆弾「Little Boy(リトルボーイ)」によって生じた爆発として、実際には長崎に投下された「Fat Man(ファットマン)」の爆発を映した画像を対応させていた。
そこで、アミアン・エシフはその映像の出所を遡って調べることにした。
一つしかないフィルム
攻撃が行われる前にそのことを知っていた人々はごく限られていたため、まさに爆発が起きた瞬間を記録したアーカイブ映像はほとんど残されていない。アミアン・エシフは、広島上空に広がる原子雲を写した3枚の写真を見つけた。それらは、アメリカ軍関係者と匿名の人物によって撮影されたものだった。これらの写真からは、より小さく、立ち上る柱の部分から分離した煙の雲が確認できる。
アメリカの物理学者バーナード・ウォルドマン(Bernard Waldman)は、観測機に乗っており、広島の爆発を撮影する任務を負っていた。しかし、湿気のため、彼のフィルムは現像することができなかった。
Deutsche Welleによれば、現在、広島への原爆投下を映したものとして知られている唯一のフィルムは、別の科学者、ハロルド・M・アグニュー(Harold M. Agnew)が撮影したフィルムだという。このフィルムはアメリカのフーヴァー研究所(Hoover Institution)に保存されており、そこには、よく知られている長崎の原子雲よりも規模の小さい雲を映した、あまり知られていない、揺れのある映像が記録されている。
フーヴァー研究所は、同研究所のウェブサイト上で、ハロルド・M・アグニューが広島の爆発を自ら撮影した一方、兵士たちにカメラを渡し、長崎の爆発を上空から撮影させたと説明している。これが、2回目の爆発である長崎のほうについて、異なる角度から撮影された映像がより多く存在する理由を説明する可能性がある。
意図的な混同?
広島への原爆投下を映したものとされる別の映像があり、BBC、PBS、Russia Todayなどによって公開されていたが、これはアミアン・エシフにとって、さらに疑わしいものに思われた。遠くから撮影されたこの映像には、広島の爆弾によるものと思われるものよりも、はるかに強力に見える原子雲が映っている。
実際にはこれは、11年後の1956年、マーシャル諸島のビキニ環礁で行われた、アメリカによる水素爆弾の実験だったと考えられる。ところが、この映像は1964年のBritish Pathéの映画、『Flashback to the Hiroshima Atom Drop(広島原爆投下への回想)』で実際に使用されており、現在も一部の通信社によって配信され続けている。
一方、エシフ氏が確認できた長崎の映像の最初の誤用は、AP通信によれば、アメリカ国立公文書館に、
「E-6 10 SEC (Inside The Enola Gay)」というタイトルで保存されている、1945年の日付の映像に見られる。アメリカ政府は、より印象的な長崎の核爆発のキノコ雲の映像を、プロパガンダ目的で使用したのだろうか?プルトニウム爆弾は実際にはるかに強力だった、と『Hiroshima Nagasaki:原爆投下とその結果の真実の歴史』(Doubleday、2012年、英語版)の著者ポール・ハム(Paul Ham)は、Deutsche Welleのインタビューで説明している。
「アメリカは、日本人を降伏させるために、この兵器の圧倒的な威力を示すことに、間違いなく非常に強い意欲を持っていた。」
Flashback to the Hiroshima Atom Drop(広島原爆投下への回想)
先のルモンド記事で言及されている別動画はここにあります(2分15秒)。記事では、「実際にはこれは、11年後の1956年、マーシャル諸島のビキニ環礁で行われた、アメリカによる水素爆弾の実験だったと考えられる」としていますが、おそらくそのとおりです。ざっと見ても、笑ってしまうようなひどいことになっていることがわかると思います。
00:04ごろ:B29ですが、明らかにエノラ・ゲイでも他の二機でもありません。これ以降の機体も同じです。
01:22ごろ:こりゃ一体何でしょう?おそらく水爆実験の映像です。
01:43ごろ:ところが、その後にこうなるんだそうです。
ちなみに、00:10ごろにこんな町並みがあり、当時の広島にこんなに高いビルがあったのかと思いましたが、こちらを見ると、こんな建物もあったようです。
要するに、これらの「記録映像」なるものは、かなりテキトーに作られているということですね。いや、間違いなく偽装原爆の証拠ですね!
アグニュー自身のインタビュー
さて、林も言及しているハロルド・アグニューですが、彼は核物理学者であり、
- 広島では、観測機グレート・アーティストに搭乗し、自ら撮影した。
- 長崎では、乗員に自分のカメラをもたせて撮影してもらった。
とのことです。そして、広島ではあまり撮影できず、長崎では動画が残っているとしています。彼の1994年のインタビューにはこうあります。
Agnew: Yeah, that was a gutsy thing, because we worried on our Hiroshima thing. We worried what was going to happen to us, more from shock than anything else.
Rhodes: I did not realize you had taken that film of the Hiroshima.
Agnew: There is not much on Hiroshima, but I arranged for the Nagasaki. What you see is Nagasaki.
Rhodes: Oh, that one that shows the—
Agnew: Oh, beautiful, all in color and everything, that is Nagasaki. But, the press, naturally, that is the—
Rhodes: Poor Nagasaki.
Agnew: That is the film that is used for Hiroshima.
Agnew: ああ、あれは度胸のいることだった。われわれも広島のときは、どうなるのかと心配していた。何よりも、衝撃波のほうを心配していたんだ。
Rhodes: 君が広島のあのフィルムを撮影していたとは知らなかった。
Agnew: 広島については、あまり映っていないんだ。でも長崎については、私が撮影を手配した。君が見ているのは長崎だ。
Rhodes: ああ、あの、あれが映っているやつ――
Agnew: そう、すばらしい映像で、全部カラーになっているやつ。あれは長崎だ。 でも、報道機関は当然、それを――
Rhodes: 気の毒な長崎だ。
Agnew: あれが広島として使われているフィルムなんだ。
アグニュー自身が1994年に認めているわけです、「広島はあまり映っていない、報道機関が広島として使っているのは長崎のものだ」と。
1983年のインタビュー
こちらにアグニューの1983年のインタビューがあります。PDFダウンロードはこちらです。
P16:
I did fly with Louie and Larry Johnson on Hiroshima mission. We flew in an airplane which subsequently was the airplane that dropped the bomb on Nagasaki. I did not fly on the Nagasaki mission, but an interesting note, I did take some pictures, 35 millimeter and there was a man out there by the name of Bill Lawrence who had been the science writer for the New York Times.
私はルイ(ルイス・アルバレス)とラリー・ジョンソン(ローレンス・ジョンストンの誤りと思われる)とともに、広島への任務に参加しました。私たちが乗った飛行機は、その後、長崎に原爆を投下した飛行機になりました。私は長崎への任務には参加しませんでしたが、興味深いことに、35ミリフィルムで写真を撮りました。また、現地にはニューヨーク・タイムズの科学記者だったビル・ローレンスという人物がいました。
注釈が必要ですが、「私たちが乗った飛行機は、その後、長崎に原爆を投下した飛行機になりました」というのは誤りで、実際には、広島でアグニューの乗った観測機The Great Artisteの機長がチャールズ・スウィーニーという人物、スウィーニーは長崎の投下機Bockscarの機長だったという関係です。
P16:
He, somebody had arranged to take some 35 millimeter, or 16 millimeter movie and it so happened, as I mentioned, we did our film processing on black and white reels, gun cameras. After the raid, I knew that these pictures existed, I didn’t know if they had gotten anything, but I was in the photographic room and here were these cassettes, and it turned out that they were in color and they couldn’t process them. Subsequently, Lawrence went back to the states before we got back and these things were there, so I grabbed them.
彼(ローレンス)については、誰かが35ミリまたは16ミリの映画を撮影する手配をしていました。先ほど述べたように、私たちがフィルムを現像していたのは、機銃カメラで撮影した白黒フィルムでした。
作戦終了後、私は撮影された映像が存在することを知っていました。ただし、何かが実際に撮れていたかどうかは分かりませんでした。ところが、写真部門の部屋に行くと、そこにフィルムのカセットがありました。それらはカラーだったため、現像できずにいたのです。
その後、私たちが帰還する前にローレンスは米国本土へ戻りましたが、フィルムはそこに残されていたので、私はそれを回収しました。
アグニューは長崎投下に同乗しておらず、ローレンス・ジョンストンとウォルター・グッドマンが長崎の状況をカラー撮影したようです。「私は撮影された映像が存在することを知っていました」というのは、当然ですが、長崎投下後の話でしょう。
P16:
Groves heard about this somehow, I think the way he learned about it again was Alvarez’s mischievousness, I think. There was a person from either Liberty Magazine, or Lady’s Home Journal, or Saturday Evening Post, one of those that doesn’t exist anymore, and Louie made an arrangement with this guy that he, Louie and this guy would write an article on the bombing, but key to that were these films, which he knew I had, which I had hidden because my scheme was I was going to get those back to Oppe.
グローブズは、どういうわけかこの件を知りました。おそらく、アルバレスのいたずら好きな性格が関係していたのだと思います。『リバティ』、『レディーズ・ホーム・ジャーナル』、『サタデー・イブニング・ポスト』のいずれかの雑誌の人物がいました。ルイはその人物と、彼らで原爆投下についての記事を書く段取りをしていました。しかし、その計画の鍵となるのが、私が持っていると彼が知っていたフィルムでした。私はそれを隠していました。というのも、私の計画はフィルムをオッピー(オッペンハイマー)に渡すことだったからです。
P16:
I was not going to let Groves have them. We’d got message that everything we had sent back Groves would intercept. So the lab never got it. The reason we were attuned to this was we were very much worried that our technical records would be grabbed by the Army and just disappear, because everything of that nature was disappearing.
私はグローブズにフィルムを渡すつもりはありませんでした。私たちが送り返したものはすべてグローブズが途中で押収する、という情報を受け取っていたからです。そのため、研究所にはフィルムが届きませんでした。私たちがこのことを警戒していたのは、技術記録が陸軍に取り上げられ、そのまま消えてしまうのではないかと強く心配していたからです。実際、その種の記録が次々と姿を消していたのです。
グローブズは何かしらあらゆるものを取り上げて隠していたようです。
P18:
I gave the film to a courier in a box and he didn’t know what was in the box and all I had was the receipt and I could get it from him at any time, there was a disconnect and they would always jump on me and go through my stuff and they didn’t know about the courier.
私はフィルムを箱に入れ、運び役の人物に預けました。その人物は箱の中身を知りませんでした。私が持っていたのは預かり証だけで、必要なときにはいつでも彼からフィルムを受け取ることができました。私はフィルムと自分とを切り離しておいたのです。彼らはいつも私に詰め寄って持ち物を調べましたが、その運び役の存在は知りませんでした。
グローブズに取られないように注意深く行動していたわけです。
P18:
So we got to Los Alamos and the courier brought the stuff up and I explained to Oppe privately that I didn’t know if there was anything on them or not, but they might be the only pictures of the bombing of Hiroshima and Nagasaki. So Oppe said, “Great.” He called in Julian Mack and gave them to Julian Mack who was head of photography and Mack went out the back door and went to the West Coast, because that was the only place you could process color film.
こうして私たちはロスアラモスに到着し、運び役がフィルムを届けました。私はオッピーに個人的に説明しました。フィルムに何か映っているかどうかは分からないが、広島と長崎への原爆投下を記録した唯一の映像かもしれない、と。するとオッピーは「よし」と言いました。彼は写真部門の責任者だったジュリアン・マックを呼び、フィルムを渡しました。マックは裏口から出て西海岸へ向かいました。当時、カラー・フィルムを現像できるのはそこだけだったからです。
この時点では、広島の白黒映像が現像されているかは不明ですが、長崎のカラー映像は未現像だったわけです。なぜアグニューがこの時点で「広島と長崎への原爆投下を記録した唯一の映像かもしれない」と言ったのか、その理由はわかりません。既に米軍公式の撮影が失敗していたことがわかっていたのでしょうか?
P18:
Well, it turned out that there was something there and those are the only movies of the bombing. Now when I left Los Alamos, or before Oppe left, he gave me the originals, and I’ve had these originals for a long time and people have used them. Mostly the Japanese have used them.
実際に、フィルムには何かが映っていました。そして、それらが原爆投下を記録した唯一の映画映像だったのです。その後、私がロスアラモスを去ったとき、あるいはオッピーが去る前に、彼は私に原版を渡しました。私はその原版を長い間保管しており、これまで多くの人々がそれを使用してきました。主に日本人が使用してきました。
NHKアーカイブスの映像
林がP68で言及している「長崎原爆の映像」(NHKアーカイブス)というのは以下にあります。

ここでもまた林は「アグニュー映像の左右を反転させている」などとしょうもない批判をしていますね。どうでもよいことです。報道機関がそれらしく見せるために、テキトーにでっちあげている(あるいは誤解している)ことと、原爆が本物か否かはまったくの無関係です。
さらにここで林は、「火球の下に影がある」などと言っていますが、何もおかしくはないとは思いますね。爆発の火球より太陽光の方が強いのでは?
複数の煙
P66-67で林は、複数の煙(2,3個)が立ち上っていることをとらえて、こう書いています。
P67:後で述べるが、地上近くの40〜50個の小さな煙の群れは、それぞれ同数のナパーム弾によるものと考えられる(ナパームは増粘剤を混ぜたナフサ)。
まず第一に、40〜50個という数の煙は林の引用するどの写真にも(その元動画にも)示されていません。そして、「同数のナパーム」と言っていますが、どうやったら通常兵器でこんな巨大な煙になるのかも説明されていません。
広島の場合、もし(パルマーが指摘するように)220機のB29が一度に爆弾を落としたとすれば、なぜ一箇所ではなく、2,3箇所の目標になったのでしょうか?なぜそんな大群のB29が日本側の記録にもなく、目撃者もいないのはなぜでしょうか?
林はまずこれらの疑問に答える義務がありますが、この本を通じて一切これに言及していません。林の論理誤謬はこれにつきます。
Aには様々な疑問があるからといって、Bが正しいことにはならない。BはBで証明する必要がある。こんな基本的なことさえわからないのです。






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