この記事の三行要約
- 日本軍は化学兵器を製造・保有し、中国で使用し、終戦時に中国国内へ遺棄した。
- 日本軍の命令書には、黄剤(致死性ガス)等の使用を命じ、その使用事実を厳重に秘匿することが記されている。
- 現在、日本政府は中国に遺棄された化学兵器の発掘・回収・廃棄を実施している。
以下のような報道があったのですが、これを「まったくのウソだ」とするような、未だに空想のお花畑にいる人が多いようなので、この記事を書くものです。

要するに、日本軍は条約違反の毒ガスを製造し、中国に持ち込み、使用し、終戦時にそれを中国国内に遺棄したわけです。そして、現在は、中国国内の遺棄毒ガスの処理のため、日本政府が中国側との協力のうえ、元自衛隊員などがかり出されています。これは否定しようのない客観的事実です。
そしてここが重要なのですが、日本政府自身も「非致死性毒ガス」の使用はきちんと認めています。しかし、「致死性毒ガス」も持ち込んでいるのに、その使用は依然として認めません。使ったとも使わなかったとも言わないのです。しかし、日本軍の命令書には使用せよ、秘密厳守にせよ、結果を報告せよと書かれており、間違いなく使われたでしょうね。もちろん、遺棄毒ガスの処理対象としても、これらの致死性ガスが含まれているのです。
ただ、以下にあげた資料からは、「日本軍が中国国内に毒ガスを遺棄した理由は、敗戦にあたってその使用を隠蔽するためであった」という点だけは証明できません。それ以外はすべて一次資料のある事実ですね。
内閣府のページ
これらの内閣府自身のページで確認できることは、少なくとも日本軍が終戦までに化学兵器、要するに毒ガスを中国国内に遺棄したこと。それを処理する責任が日本にあると認めていることです。
中国遺棄化学兵器問題とは、旧日本軍が先の大戦終了時までに中国に遺棄した化学兵器の処理に関わる問題であり、平成2(1990)年に中国よりその解決を日本国政府に対して要請してきたことに端を発する。
我が国が平成7(1995)年9月15日に、また、中国が平成9(1997)年4月25日に、各々化学兵器禁止条約を批准し、同年4月29日に 同条約が発効したことから、我が国は、同条約に基づき遺棄締約国として中国における遺棄化学兵器の廃棄を行い、中国は領域締約国として廃棄に対し適切な協力を行うこととなった。
区分 旧日本軍における名称 化学物質の名称 びらん剤 きい剤 マスタード、ルイサイト 窒息剤 あお剤 ホスゲン くしゃみ剤(嘔吐剤) あか剤 ジフェニルシアノアルシン(DC)、ジフェニルクロロアルシン(DA) 催涙剤 みどり剤 クロロアセトフェノン 発煙剤 しろ剤(※1) トリクロロアルシン 血液剤 ちゃ剤(※2) シアン化水素 ※1 「発煙剤」(しろ剤)は、遺棄化学兵器処理事業において、単独の兵器としてはこれまで確認されていないが、「あおしろ弾」(「あお剤」と混合したものとして製造)は、確認されている。
※2 ちゃ剤を用いた「ちゃ弾」は、これまでの発掘・回収事業では見つかっていない。遺棄化学兵器には、きい剤(びらん剤)、あか剤(くしゃみ(嘔吐)剤)等様々な種類があり、砒素を含有する化学剤が多く使用されている。
OPCW(化学兵器禁止機関)のレポート(2019)
ここでもまた、日本が化学兵器を中国国内に遺棄したとしていますね。
オランダ・ハーグ — 2019年9月9日 — 化学兵器禁止機関(OPCW)執行理事会を代表する高級代表団は、2019年9月2日から7日にかけて中華人民共和国を訪問し、中国国内に日本が遺棄した化学兵器の廃棄に向けた取り組みの進捗状況を評価した。
(略)
背景
化学兵器禁止条約(CWC)は、遺棄化学兵器(ACW)の廃棄を促進するための枠組みを定めている。同条約では、「遺棄国(Abandoning State Party)」である日本が、申告されたACWを廃棄するために必要なすべての財政的・技術的手段、ならびに専門知識、施設その他の資源を提供する義務を負うと規定している。一方、この場合の「領域国(Territorial State Party)」である中国は、適切なレベルの協力を提供することとされている。
1997年3月31日の参議院外務委員会答弁
ここが重要な点なのですが、日本政府は「日本軍が中国で非致死性毒ガスを使用した」と認めていますが、「致死性毒ガスを使用した」とか「隠蔽目的で遺棄した」とは認めていないのです。不思議なことですね。じゃ、なんでわざわざ中国になんか持っていったのでしょうか?誰がどう考えても辻褄が合わないことは明らかです。しかし、次の項目については間違いなく確定しています。
- ① 旧日本軍が化学兵器を保有していた
- ② 旧日本軍の化学兵器が中国に存在している
- ③ 日本政府は、それを「旧日本軍が中国に遺棄した化学兵器」と公式に認定
- ④ 日本政府がその発掘・回収・廃棄を現在まで実施
以下では、1997年3月31日の参議院外務委員会で、立木洋議員が旧日本軍による中国での毒ガス使用について質問しています。
第140回国会 参議院 外務委員会 第7号 平成9年3月31日
この質疑は要するにこういうことです。AIにまとめてもらいました。
この質疑を平たく言うと、「日本軍が中国で毒ガスを実際に使用したことを、日本政府として認めるのか」について立木議員が政府に迫ったが、政府側はその問いに正面から「認める/認めない」と答えず、既存の遺棄化学兵器処理方針を維持すると答えた、という構図です。特に重要なのは、立木議員の主張と政府の認定を分けることです。
① 立木議員(120)
中国側研究者の調査を紹介し、
- 旧日本軍が1937~1945年に2,000回以上化学兵器を使用した
- 9万4,000人が死傷し、1万5,000人以上が死亡した
という資料を示し、「日本側は中国側に何らかの意思を今後表明するつもりはあるのか」と質問。ここでは、中国側研究者の主張を政府にぶつけている段階。
② 政府・加藤良三(121)
政府は、「戦争に起因する請求権賠償の問題は日中共同声明などをもって処理済み」としたうえ、「御指摘のような点について新しい措置をとるという考えはございません」と答えています。つまり、「毒ガス使用について日本政府として新たな謝罪・補償などの措置を取るつもりはない」という答弁です。しかし、これは「毒ガスを使用していない」と否定した答弁でもありません。
③ 立木議員(122)がさらに追及
ここで議論が一段深くなります。立木議員は、「以前、防衛庁の秋山局長は、非致死性の毒ガスについては製造・使用を認めたが、致死性については明確ではないと言った」と、過去の政府答弁を持ち出します。
そして、ハルバレイで発掘した「きい弾」からマスタード(イペリット)とルイサイトが確認されたことを指摘。そのうえで、「これが事実上存在している」「そういうものが持ち込まれて使用されていたという事実はこのことによっても明らかにされる」と主張し、「政府としては致死性の毒ガスが使われたかどうかについては今どのように御判断なさっているんでしょうか」と、かなり直接的に質問しています。
④ 政府・加藤良三(123)
ところが政府側は、「私どもの調査の結果はいろいろなことが出てきておりますけれども」としながらも、「使用した」とは答えません。そして河野外相の過去の発言について、「遺棄された化学兵器というものを……化学兵器禁止条約の規定に従って処理するという今の政府がとっております方針」を述べただけです。
つまり、質問された「致死性毒ガスを日本軍が使用したと政府は判断しているのか?」という核心には、明確なYes/Noを答えていません。
⑤ 立木議員(124)はさらに具体的な軍事資料を提示
立木議員は防衛研究所の資料を根拠として、
- 1939年5月13日「大陸指第452号」
- 北支那方面軍に「きい剤等」の作戦上の価値を研究させた
- 山西省で実際に「きい弾」が使用された記録
- 1939年7月:66発
- 9月:12発
- さらに「大陸指第699号」による使用指示
などを挙げ、「致死性の毒ガスが完全に使われているということは明白な資料が日本にある」と主張。最後に、「その問題について、やはり戦争での教訓から何を学ぶべきかということもありますので……池田外務大臣のこの問題についての所見」を求めています。
「大陸指第452号」「大陸指第699号」とは何か?
先の立木議員の発言にある「大陸指第452号」「大陸指第699号」とは、実際の日本軍自身が発した命令文書と、日本軍部隊の戦闘詳報に基づいています。
これについて論じたものが、陸軍登戸研究所と日本軍の秘密戦です。これもまた、AIにまとめてもらいました。
1. 大陸指第452号(1939年5月13日)
発令:参謀総長・閑院宮載仁親王
宛先:北支那方面軍司令官・杉山元北支那方面軍司令官ハ現ニ占領中ノ地域ニ於ケル作戦ニ際シ黄剤等ノ特種資材ヲ使用シ其作戦上ノ価値ヲ研究スベシ
右研究ハ左記ノ範囲ニ於テ之ヲ実施スベシ
一 事実ヲ秘匿スル為万般ノ措置ヲ講ジ特ニ第三国人ニ対シテハ被害ヲ絶無ナラシムルト共ニ其使用ヲ厳秘スルコト
二 支那軍以外ノ一般支那人ニ対シテハ被害ヲ極力少カラシムルコト
三 実施地域ハ秘密保持上適当ナル山西省内ノ僻地ヲ選定シ研究ノ目的ヲ達スルニ必要ナル最小限度ノ規模ニ於テ之ヲ実施スルコト
四 航空機ニ依ル撒布ハ之ヲ行ハザルコト北支那方面軍司令官は、現在占領している地域での作戦において、黄剤などの特殊資材を使用し、その作戦上の価値を研究せよ。この研究は、以下の範囲で実施すること。
一 事実を秘密にするため、あらゆる措置を講じること。特に第三国人(※日本人・中国人以外)については被害を絶対に発生させないとともに、その使用を厳重に秘密にすること。
二 中国軍以外の一般中国人については、被害をできる限り少なくすること。
三 実施地域は、秘密保持に適した山西省内の僻地を選び、研究目的を達成するために必要な最小限の規模で実施すること。
四 航空機による散布は行わないこと。ポイント
これはかなり明確で、「中国の占領地域で黄剤(※致死性ガス)等を使用して研究せよ」という中央からの命令です。しかも、「その使用を厳秘する」と明記されています。
2. 方軍作命第671号(1939年6月11日)
これは452号を受けた北支那方面軍レベルの実施命令です。
第一軍司令官ハ甲号研究ノ為左記ノ者ヲ派遣シ其指揮指導ヲ為サシムベシ
中佐 一名
曹長 一名第一軍司令官は、「甲号研究」のため、以下の者を派遣し、その指揮・指導に当たらせること。
中佐 1名
曹長 1名これは、452号の命令が単なる抽象的な指示ではなく、実施するための人員・指揮系統が具体的に設定されたことを示す資料です。
3. 歩七七作命第703号(1939年7月3日)
歩兵第77連隊の現場命令
ここでは「甲号」という名称で実際の使用を指示しています。
本作戦期間中大交鎮張馬村間ニ於テ甲号資材ヲ使用シ其作戦上ノ価値ヲ研究ス
この作戦期間中、大交鎮―張馬村間において「甲号資材」を使用し、その作戦上の価値を研究する。さらに「甲号」に関する注意事項として、
甲号ヲ使用シタル事実ハ完全ニ秘匿スルコト
「甲号」を使用した事実は完全に秘密にすること。また、
支那軍以外ノ一般支那人ニ対シテハ被害ヲ極力少ナカラシメ特ニ第三国人ニ対シテハ絶対ニ被害ヲ与ヘズ且使用ノ事実ヲ厳秘スルコト
中国軍以外の一般中国人については被害をできる限り少なくし、特に第三国人には絶対に被害を与えず、使用した事実を厳重に秘密にすること。さらに、
写真撮影ヲ為サザルコト
写真撮影を行わないこと。そして使用後には、使用日時、場所、天候、使用目的、使用した資材の種類・数量、敵の死傷者、効果などを報告することが求められています。ここは重要で、単に「研究してみよう」という命令ではなく、使用 → 効果確認 → 報告という実験・実戦運用の形になっています。
4. 大陸指第699号(1940年7月23日)
発令:参謀総長・閑院宮載仁親王
宛先:支那派遣軍総司令官・西尾寿造、南支那方面軍司令官・安藤利吉ここが特に重要です。
支那派遣軍総司令官及南支那方面軍司令官ハ特種煙及特種弾ヲ使用スルコトヲ得
支那派遣軍総司令官および南支那方面軍司令官は、特殊煙および特殊弾を使用することができる。そして最も重要な部分です。
嚴ニ使用ノ企圖及事實ヲ秘匿ス
使用する企図および使用した事実を厳重に秘密にすること。さらに、
其痕跡ヲ殘ササル如ク注意ス
その痕跡を残さないよう注意すること。5. これらを一本につなぐと
文書の内容は、かなり明瞭です。
1939年5月:大陸指第452号
「黄剤等」を使用して作戦上の価値を研究せよ。使用事実を厳秘せよ
↓
1939年6月:方軍作命第671号
「甲号研究」を実施する人員を派遣
↓
1939年7月:歩七七作命第703号
「甲号資材」を実際に使用せよ。使用事実を完全に秘匿せよ。使用結果を報告せよ
↓
1940年7月:大陸指第699号
「特殊煙・特殊弾」を使用してよい。使用の企図・事実を厳重に秘匿せよ。痕跡を残さないよう注意せよしたがって、これらの文書について最も慎重かつ正確に言えるのは、旧日本軍の中央・方面軍・現場部隊の文書には、中国で「黄剤」等の化学兵器を使用して作戦上の価値を研究することを命じ、さらにその使用の企図・事実を秘匿するよう命じた記録が存在するということです。
そして特に大陸指第699号の「嚴ニ使用ノ企圖及事實ヲ秘匿ス(使用する企図および使用した事実を厳重に秘密にすること)」「其痕跡ヲ殘ササル如ク注意ス(その痕跡を残さないよう注意すること)」は、今回の問題を考える上で非常に重要な一次資料です。
ただし、これらは「戦時中の使用とその秘匿」を示す資料であって、「1945年の遺棄が使用証拠の隠滅を目的としていた」ことを直接示す文書ではありません。そこは証拠として分けて扱うべきです。
黄剤(きい剤)は、日本陸軍の化学兵器の分類で、主としてびらん剤を指します。代表的なものがイペリット(マスタードガス)とルイサイトです。 「致死性を有する化学兵器」であり、非致死性の催涙ガスとは種類が異なるものですね。
で、結局のところ、こういう構図です。
- 日本軍の文書 → 使用を命令・許可している
- 日本軍の文書 → 使用事実の秘匿を命令している
- 立木議員 → 日本側資料を提示して使用について政府に質問
- 政府 → 使用の認否を明確にしない
当時も毒ガス使用は国際条約違反?
ここがなかなか難しいところなのですが、ここも当時の状況をAIにまとめてもらいました。
1939~1940年の時点ですでに、化学兵器の戦争での使用を禁止する国際的な取り決めは存在していました。 ただし、「日本がその時点でジュネーブ議定書の締約国だったか」は別問題です。
1925年のジュネーブ議定書
第一次世界大戦で毒ガスが大量使用されたことを受け、1925年6月17日に「ジュネーブ議定書」が成立しました。これは、窒息性ガス、毒性ガスその他これらに類するガスの戦争における使用を禁止するものでした。
日本政府自身も、現在、「1925年のジュネーブ議定書により『窒息性ガス、毒性ガス等の戦争における使用』が禁止されていた」と説明しています。したがって、1939年・1940年には、すでに国際的に化学兵器使用禁止のルールが存在していました。
ただし、日本は当時まだ批准していません。ここが重要です。日本は1925年の議定書に署名したわけではなく、1970年5月21日に批准書を寄託し、同日、日本について発効しています。
したがって、1939年に
→ ジュネーブ議定書は存在
→ 化学兵器使用禁止という国際規範は存在
→ 日本はまだ同議定書の締約国ではないという状態です。
では「日本軍が使っても当時は合法だった」のか?そう単純には言えません。
ジュネーブ議定書は当時、化学兵器使用を禁止する重要な国際法上の規範でした。一方で、議定書には締約国の範囲や報復使用に関する留保など、現在のCWCより大きな限界がありました。
また、ジュネーブ議定書は使用を禁止したものの、化学兵器の開発・生産・保有までは禁止していませんでした。日本の外務省・経産省もこの点を明確に説明しています。つまり、
1925年:使用は禁止。ただし製造・保有までは禁止されていない
1939~40年:その使用禁止規範が存在していた
1970年:日本がジュネーブ議定書を正式に批准
1997年:CWC発効。開発・生産・保有・使用を包括的に禁止という流れです。ですから、今回見ている
- 1939年「黄剤等を使用せよ」→「使用事実を厳秘せよ」
- 1940年「特種煙及特種弾を使用することを得」→「使用の企図及事実を秘匿せよ」
という日本軍の命令を評価する際には、「当時は化学兵器使用禁止という国際的なルール自体が存在しなかった」という説明はできません。
より正確には、日本は1925年ジュネーブ議定書を当時批准してはいなかったが、化学兵器の戦争使用を禁止する国際的な法的枠組みはすでに存在していた、ということになります。
『広島の女あきが語る軍都広島、ウサギの島大久野島の毒ガス工場』はこちら
この問題について、広島の女あきが語ります。元呉市議会議員谷本誠一氏と共に毒ガス工場のあった広島県の大久野島(現在はウサギの島として知られる)を探訪した話もしています。さらに、日清戦争当時は広島が「日本の首都だった」という事実、広島は軍都であり、原爆投下には十分な理由があることも説明しています。




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