原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(1)〜コンプトンはそんな発言をしていないの続きです。
この記事の三行要約
- 林氏は、Kentの「衝撃→約5分以内に暗闇が明るくなった」という回想を「閃光が衝撃より後に来た」と解釈し、Trinity偽装説の根拠としている。
- しかし原文は「閃光」とは言わず、Kentは「頭上の大きな雲」「空の光」「目が痛むほどの明るさ」と証言しており、実際の核爆発で生じる火球・爆発雲などの光学現象と矛盾しない。
- さらに32km地点のMcMillanは、爆発直後の強烈な光、周囲の明るさ、火球・巨大雲、約2分後の爆風を同時代記録に残しており、Kentの証言だけから「偽装」と結論する根拠は弱い。
Trinity実験の偽装は不可能です
つまり、こういうことです。
- この鉄塔にプルトニウム爆弾ではなく、TNTが置かれたとするならGadgetに相当するTNTは置くことはできない。せいぜい、事前実験で使われたと同じ程度の量である。
- したがって、TNTでGadgetの威力を再現することは不可能。実際には桁違いの威力があった(とされる)。
これを否定するには、そもそも、ほぼ全員がウソをついており、記録フィルムもデータもすべて捏造と証明するほかはありません。
もしPalmerらが、この実験場での爆破用鉄塔、防護施設、測定データなどなどを前提として認めてしまうと、それは間違いなく彼ら自身の主張を否定することになります。その前提では絶対に捏造できないからです。その前提をひっくり返す以外に彼らの主張が生き残る道はありません。
林の貧弱な主張
- (プルトニウム爆弾が)完成していないのだから、TNT火薬を30メートルの高さの鉄塔上で爆破し、原爆実験を偽装したのであろう
→私が既に論じたように、それは物理的に不可能です。 - 鉄骨と鉄筋が残っている。しかも、鉄骨や鉄筋はニッパーで切ったような切断面となっている
→それが論拠??? - 爆心地から80km離れてキャンプしていた12名の少女がいたが、「爆発衝撃→屋外避難→5分後にすべてが明るくなった、闇が光に変わった」という証言。衝撃と閃光の順序が逆だから偽装核実験であり、放射線被ばく実験が同時に行われたのではないか?
→何言ってんだかw
林が偽装核爆発の論拠としているのは、たったこれだけなのです。本当です。是非本をお読みください!
バーバラ・ケントの話
この少女たちの話は初めて聞いたので、気になったのですが、まず、林は80km先だと書いてますね。しかし、偽装原爆では80kmという距離は不可能です。林は「鉄塔の上に偽装原爆=TNTを置いた」という前提でしょうけれども、私が以前に指摘したように、ここにおける量はせいぜい事前実験と同じ100トン程度です。これでは、80kmも先に何らかの影響を及ぼすことはできません。
P56最下部:In the early morning of July 16, Kent remembers hearing a large explosion, the force of which knocked some of the campers off the top bunks in their cabin. Fearing that the camp’s water boiler had exploded, the girls’ counselor urged the campers to run outside. Within about five minutes “everything went bright,” Kent remembers. “It went from dark to bright.”¹⁰⁷ Later in the afternoon, the campers noticed white material floating down from the sky. The girls asked for and were given permission to go down to the river and play in the “snow.” As they frolicked in the water, the young campers ran around catching the descending white ash, rubbing some of it on their faces. Unlike snow, however, the white material felt warm to the touch.
7月16日の早朝、ケントは大きな爆発音を聞いたと回想している。その爆発の力によって、キャンプ小屋の二段ベッドの上段にいたキャンパーの何人かが、ベッドから床に落とされた。キャンプの給湯ボイラーが爆発したのではないかと恐れた少女たちの指導者は、キャンパーたちに外へ走って出るよう促した。約5分以内に、「すべてが明るくなった」とケントは回想している。「暗闇から明るくなったのです。」¹⁰⁷その日の午後遅く、キャンパーたちは空から白い物質が漂いながら降ってくるのに気づいた。少女たちは川へ行って「雪」の中で遊んでもよいか尋ね、許可を得た。彼女たちは水の中ではしゃぎながら、若いキャンパーたちは降ってくる白い灰を捕まえて走り回り、その一部を顔にこすりつけた。しかし雪とは違い、その白い物質は触ると温かく感じられた。
According to Kent’s brother, Bob Keller, only two of the twelve girls lived past thirty. “The rest died of cancer.”¹⁰⁸ The counselor and her step-daughter, who helped at the camp, also died from cancer. Not long after playing in the fallout material, a streak of Kent’s blond hair turned and remained white, the same sort of discoloration that occurred with the contaminated cows collected by Manhattan Project officials. Kent is the only camper from the group still alive, though she too has suffered from various forms of cancer over the years, including endometrial cancer and skin cancer, and has had her gall bladder removed.¹⁰⁹
ケントの兄、ボブ・ケラーによれば、12人の少女のうち30歳を超えて生きたのはわずか2人だった。「残りは癌で亡くなりました。」¹⁰⁸キャンプで手伝っていた指導者とその継娘も、癌で亡くなった。フォールアウト(放射性降下物)に含まれる物質で遊んだ後まもなく、ケントの金髪の一筋が白く変色し、そのまま白い状態になった。これは、マンハッタン計画の当局者が回収した汚染牛に生じたものと同種の変色だったという。ケントは、このグループのキャンパーの中で現在も生存している唯一の人物である。ただし彼女自身も長年にわたってさまざまな癌を患っており、子宮内膜癌や皮膚癌を含み、胆嚢も摘出している。¹⁰⁹
おおよそは、林の記述と同じなのですが、しかし、この部分が重要です。林はこう書いているのです。
5分もしないうちに『すべてがぱっと明るくなった』『闇が光に変わった』→午後になって白い灰が落ちてきた
(略)
証言中の衝撃と閃光の順序が逆であることなどから、偽装核実験であり、放射線被ばく実験が同時に行われたのではないかと考えられる。
しかし、原文はこうなっていますね。
Within about five minutes “everything went bright,” Kent remembers. “It went from dark to bright.”
約5分以内に、「すべてが明るくなった」とケントは回想している。「暗闇から明るくなったのです。」
「閃光」などとは言っていません。「明るくなった」と言っているのです。この「明るさ」がどの程度続いたのかはわかりませんが、瞬間的な「閃光」ではないことは明らかです。
ここで、このあたりのタイムテーブルをおさえておきます。AIに聞きました。
Trinity実験:1945年7月16日 5:29:45 a.m.(Mountain War Time)。米陸軍・NPSもこの時刻を採用しています。
日の出:Trinity Site付近の7月16日の日の出は、計算上 およそ5:55~5:57 a.m.(当時の現地時刻)です。現在の同地点の天文計算でも7月16日の日の出は5:56前後です。したがって、爆発は日の出の約26~28分前です。つまり、Trinityは文字通り夜明け直前に行われました。ここが今回のKent証言で非常に重要です。5:29:45 Trinity爆発
↓
約4分後 Ruidoso(約80 km)の少女たちに衝撃波が到達
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約5:30ごろ Kentたちは屋外へ出る
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約5分以内に「everything went bright」
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5:55~5:57ごろ 通常の日の出
次はケントの別のインタビュー「U.S. lawmakers move urgently to recognize survivors of the first atomic bomb test」を見てみます。こうあります。
Barbara Kent joined Carmadean’s dance camp in the desert near Ruidoso, New Mexico, in the summer of 1945. During the day, she and nine other girls learned tap and ballet. At night, they slept in a cabin by a river. Early in the morning on July 16, 1945, Kent says that she —then 13—and the other campers were jolted out of their bunk beds by what felt like an enormous explosion nearby. Their dance instructor rushed the girls outside, worried that a heater on the premises might have burst.
1945年の夏、バーバラ・ケントはニューメキシコ州ルイドソ近郊の砂漠で開かれたカーマディーンのダンスキャンプに参加した。昼間は彼女を含む10人の少女たちがタップダンスやバレエを学び、夜は川沿いの小屋で眠っていた。1945年7月16日の早朝、当時13歳だったケントは、自分と他の少女たちがすぐ近くで巨大な爆発が起きたような衝撃で二段ベッドから飛び起こされたと語っている。ダンス教師は、キャンプの暖房設備が爆発したのではないかと心配し、少女たちを急いで外へ避難させた。
“We were all just shocked … and then, all of a sudden, there was this big cloud overhead, and lights in the sky,” Kent recalls. “It even hurt our eyes when we looked up. The whole sky turned strange. It was as if the sun came out tremendous.”
「私たちはみんな、ただただショックを受けていました……すると突然、頭上に大きな雲が現れ、空に光が見えたのです」とケントは回想する。「上を見上げると、目が痛くなるほどでした。空全体が奇妙な感じになりました。まるで、ものすごく大きな太陽が現れたようでした。」
A few hours later, she says, white flakes began to fall from above. Excited, the girls put on their bathing suits and, amid the flurries, began playing in the river. “We were grabbing all of this white, which we thought was snow, and we were putting it all over our faces,” Kent says. “But the strange thing, instead of being cold like snow, it was hot. And we all thought, ‘Well, the reason it’s hot is because it’s summer.’ We were just 13 years old.”
数時間後、彼女によれば、白いフレークのようなものが空から降り始めた。興奮した少女たちは水着に着替え、その舞い落ちる白いものの中で川遊びを始めた。「私たちは、その白いものを雪だと思って夢中でつかみ、顔中に塗りつけていました」とケントは語る。「でも不思議なことに、雪みたいに冷たくなくて、温かかったんです。私たちはみんな『夏だから温かいんだよね』と思っていました。だって、まだ13歳の子どもだったんです。」
この話で明らかにわかります。「閃光」ではありません。また、これほどの偽装は不可能でしょう。彼女は、
突然、頭上に大きな雲が現れ、空に光が見えたのです」とケントは回想する。「上を見上げると、目が痛くなるほどでした。空全体が奇妙な感じになりました。まるで、ものすごく大きな太陽が現れたようでした。」
と言っているわけです。
ケントの話は本物の核実験であることの証明
林説には残念ですが、この話はむしろ本物であることの証明にしかならないようです。こんな現象は偽装では起こらないでしょうね。
次は、Trinity Test, July 16, 1945, Eyewitness Accounts – Edwin M. McMillanをみてみます。これは32km地点で観測したマクミランの話です。
1945年7月19日
Trinity実験についての印象私は、実験地点から20マイル離れた「ヒル・ステーション」から見たTrinity実験について記述してみたい。時間や規模についての私の推定は、あまり正確なものとは考えられない。他の人々の記録と比較してみると、かなり大きなばらつきがあることが分かり、これは計器を使わずに個人的な判断だけで測定することの難しさを示している。
爆発が起こったのは午前5時30分ごろ、日の出直前だった。私は、溶接工のヘルメットに使われるような暗色ガラスを通して爆発を見ていた。極めて明るい光が現れ、非常に急速に拡大した。顔と手に熱を感じ、それは約1秒間続いた。
約2秒後、私は暗色ガラスを外した。空と周囲の風景は明るく照らされていたが、真昼の太陽光ほど強くはなかった。「火の玉」は依然として直接見るには明るすぎたが、上昇しながら膨張し、徐々に光が弱くなっていく様子を見ることができた。
この段階のどこかで、爆発の上方に見えていた雲の層が蒸発し、穴が形成され、それが急速に大きくなっていった。
約30秒後、その全体の外観はゴブレット(聖杯)のような形になった。私は火の玉の直径を約1マイル、地上からの高さを約4マイルと推定した。火の玉は鈍い赤色に輝いていた。暗い「茎」のような部分が火の玉と地面をつないでおり、それは薄い塵の層となって広がり、半径約6マイルにまで達していた。
赤い光が消えると、非常に驚くべき現象が現れた。火の玉の表面全体が紫色の発光で覆われたのである。それは、空気を電気的に励起したときに生じる発光に似ており、疑いなく、火の玉の中にある物質の放射能によって引き起こされたものだった。この発光は約5秒間見ることができた。このころには、太陽光が十分に明るくなり、発光現象が見えにくくなっていた。
この発光が終わるころのどこかで(それが発光の前だったのか後だったのか、私には確信がない)、火の玉の頂部から巨大な雲が現れ、非常に急速に上昇して約8マイルの高さに達した。そして火の玉の何倍もの大きさに膨張し、かなり不規則な形になった。
約2分後、爆風が到達した。それは非常に鋭いもので、「ドーン」という音というより、むしろ「パーン」という亀裂音(crack)に近かった。私は地面の衝撃(地震のような揺れ)は感じなかった。
その後の雲の動きは、風に乗ってゆっくり漂うものだった。このことから、高度によって風向きがいくつも異なっていたことが分かった。数百フィートの高さにあった気流が、「茎」の下部をNorth 10,000観測所の方向へ運んでいったのが特に印象的だった。
雲は、そこを通過していた通常の雲とは異なる色をしており、茶色がかった色合いをしていた。これは、強烈な電離によって空気中から生成された二酸化窒素によるものかもしれない。
その光景全体があまりにも壮大で、ほとんど幻想的とさえ言えるものだったため、見ていた人々の最初の反応は、興奮というより畏敬の念だった。数分間の沈黙の後、何人かが、
「まあ、うまくいったな」
などと発言し、その後は会話や議論が一斉に始まった。
私は、この実験を目撃したすべての人が、歴史上の大きな出来事の一つを目撃したのだという深い感覚を抱いて、その場を去ったに違いないと思う。
Edwin M. McMillan
もちろん、マクミランは32km地点、ケントは80km地点なので、同じものかはわかりません。しかし、ケントが「everything went bright」と回想している現象そのものは、核爆発に伴って実際に生じ得るということです。Trinityでは、爆発直後に空と周囲の地表全体が明るく照らされ、その後も火球・爆発雲などによる複雑な光学現象が続いたことが、1945年の同時代観測記録によって確認されているそうです。

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