この記事の三行要約
- 明治政府は球体説・地動説などの西洋科学を、戦後は日本国憲法が近代的人権思想を日本社会にもたらし、いずれも日本人の世界観を大きく転換させた。
- しかし、人権思想は戦前には十分定着せず、戦後も国家を人権より上位に見る価値観が根強く残っている。その理由として、人権思想が日本人自ら勝ち取ったものではなく、海外から導入された歴史や教育であるからと考えられる。
- また、明治政府は西洋制度を選択的に導入し、富国強兵を優先した結果、人権より国家を重視する体制を築き、その影響は現在も一部に残っている。
人権とは(5):国家はアナーキストの予言通りになるの続きです。
ではここで、日本国憲法以前の日本人の人権意識はどのようなものだったかを見ていきます。
日本国憲法はコペルニクス的転回
憲法とは別の話ですが、例えとして面白いので取り上げてみます。一般的な日本人の世界観の転換(球体説・地動説)は、明治政府による教育がもたらしましたが、これは文字通りの意味でのコペルニクス的転回だったわけです(物事の見方が180度変わること)。
これが「上から強制的に」なされたわけです。それでも、明治初期にはこれを受け入れられず、須弥山(しゅみせん)世界観(平面説・天動説)の信奉者はいたそうです。もちろん、現在でもごく一部そういうおかしな人たちが残っていますね。
敗戦後、日本国憲法が制定されるまでは、日本国民の多くは、人権は国家より上位にあるという近代立憲主義の考え方にほぼ接していません(後述する例外はあります)。
日本国憲法以後は、日本人がその概念になじんだかと言えば、そんなことはなく、その後もしばらくは、戦前の国家観・人権観を引きずる者が少なくなかったと言います。これは容易に想像できますね。
そして当然、現在でも一部にはそういった化石のような人たちが残っています、しかも少なくないのです。未だに世界観の転換ができない人たちです。
日本人の人権観の変遷
さて、日本の歴史上、日本人の人権観はどう変遷してきたのでしょうか?このあたりは多くの人が何となくわかるでしょうけれども、おおよそこんな感じのようです。
古代から江戸時代まで
これは、他国とも同じようなものです。個人よりも国家や共同体が優先される社会です。例えば、
- 武士は主君への忠義を重視する。
- 百姓・町人は身分制度の中で義務を果たす。
- 「お上」に従うことが美徳とされる。
当然ながら、こうした社会では、「生まれながらに国家も侵せない権利を持つ」という発想はないでしょう。
ただし、陽明学、儒学、石田梅岩、安藤昌益など、人間の尊厳を重視する思想はあったようです。
明治以降
明治維新の始まりは1868年で、1889年に大日本帝国憲法が公布されたわけですが、それが規定したことは、
- 天皇が主権者
- 国民の権利は法律の範囲内
という構造です。一般国民にとっては、国家が権利を与えてくれるという意識が自然だったのです。
日本国憲法以前の人権運動
しかし、上の流れの中での例外としては、以下のようなところのようです。大日本帝国憲法以前に、人権思想は知識人の中ではありました。
- 中江兆民(なかえちょうみん、1847-1901):ルソーの『社会契約論』を翻訳、人民主権、自由、権利を紹介。
- 植木 枝盛(うえきえもり、1857-1892年):自由民権運動最大の理論家。その私擬憲法では、基本的人権、表現の自由、議会政治強く保障され、今読んでも驚くほど先進的とのこと。
- 馬場 辰猪(ばばたつい、1850-1888): 自然権思想を積極的に紹介。英国留学経験があり、ロックやミルの思想を紹介。
- 福澤 諭吉(ふくざわゆきち、1835-1901): 個人の独立、学問、自由を非常に重視。しかし、自然権論を体系的に論じたわけではない。
自由民権運動(おおむね1874-1890)では、人民には権利がある、国家は憲法で制限される、政府は国民のために存在するという考え方を広めようとしていました。
この当時の流れ
この当時のざっくりした流れとしては次のようなものです。球体説・地動説も含めてみましょう。
1868年~
- 明治維新
- 封建制度を解体
- 近代国家をつくる
1872年~
- 政府が学校教育で球体説・地動説など西洋科学を普及させ、人々の「自然観」が大転換。しかし現代でも未だに拒否する人もいる。
1874年~
- 自由民権運動
- 自然権・立憲主義の紹介
- 「国家観」の転換を目指す
しかし成功せず。
1889年
大日本帝国憲法で天皇主権が採用される。
1947年
- 日本国憲法
- 国民主権
- 基本的人権
- 平和主義
- 基本的人権という「人権観」の大転換、というよりも人権という新たな概念。しかし、戦後80年でも未だに拒否する人がいる。
すべてが輸入されたもの
この流れを見てみると、日本を変えたものすべてが、まるまる海外から輸入されたもの、西洋の真似であることがわかります。
少なくとも、近代国家制度については輸入されたものです。と言うと、「天皇は日本独自のものだろ?」と言われそうですが、考え方としては、王権神授説(王様の権威は神が与えたもの)に似た構造です。王様が天皇に変わっただけです。
そして、終戦までは、
- 自然科学の革命→成功
- 政治思想の革命 →十分には実現しなかった
となったわけです。
大日本帝国憲法や明治の教育制度は、まるで日本的なものではありませんでした。これらは主にはプロイセンからの輸入品です。
| 分野 | 採用されたもの | 主な由来 |
|---|---|---|
| 科学 | 球体説・地動説・近代科学 | イギリス、フランス、ドイツなど |
| 教育 | 学制、学校制度 | 主にフランス→後にドイツ・プロイセン |
| 軍隊 | 徴兵制 | 当初フランス、後にプロイセン |
| 憲法 | 大日本帝国憲法 | 主にプロイセン憲法 |
| 民法 | フランス法・ドイツ法 | フランス・ドイツ |
| 人権思想 | 自由民権運動 | ジョン・ロック、ジャン=ジャック・ルソー、ジョン・スチュアート・ミルなど |
科学については、「どれを選ぶ」という余地はありません。正しいか正しくないかでしかないので。しかし、政治思想や教育その他については、悪く言えば、明治政府が自分達に都合のいいもの選んだにすぎないのです。もちろんこれは、「富国強兵」「列強への対抗」という国家目標として語られます。
明治政府は「西洋化」ではなく「選択的西洋化」を行った
1868年の明治維新後、日本は英仏独米などを猛烈に研究したとAIは言います。つまり、「西洋を真似しよう」ではなく、「どこの制度が日本に向いているか」を比較検討したのです。
当時、最強と言われていたのはプロイセン軍で、特に普仏戦争でフランスを破ったことが決定的でした。そこで日本は、陸軍については、徴兵制度、参謀本部、軍隊組織をプロイセン式にしたのです。ただし、海軍は英国式でした。プロイセンは内陸国家で、英国海軍が強かったからです。
では憲法はどうだったでしょうか。当時、西洋には大きく三つのモデルがありました。
- イギリス型:議会が強い。国王の権限は小さい。国民の自由が大きい。
- フランス型:革命の影響で人民主権、人権、民主政治を強く打ち出した。
- プロイセン型:皇帝が強い、官僚が強い、軍隊が強い、国民の権利はあるが制限可能という国家。
明治政府は、プロイセン型なら国家を安定して運営できると考えました。そのため、伊藤博文はヨーロッパを視察し、プロイセン憲法を参考にしました。オーストリアの憲法学者グナイスト・シュタインの理論も大きく影響したとのこと。
学校を作った目的は、もちろん読み書き、科学を教えることでしたが、しかし、1880年代以降に国家主義的教育へと転換しました。国家に必要な官僚、軍人、技術者を育てることが大きな目的になったのです。そのために、1890年には教育勅語が出され、忠君、愛国、忠孝が教育の中心になりました。
これをどう評価するかですが、簡単に言えば、以下であるところは間違いないです。
- 人権思想は日本の多くの識者が紹介しており、実践する国もあった。
- しかし、強い国を作るという目的とは相容れない部分があった。
- つまり、人権を尊重していては、国民がごくひと握りのリーダーの言いなりにはなってくれない。
もちろん、上の論理は正当という見方もできるでしょう。しかし、そのリーダー達には国民に命令を下す資格があったのかと言えば、まるでなかったのでは?敗戦は、それを証明しているのではないでしょうか?
見えていない革命
「個人の人権>国家」は未だに十分に理解されていないと感じます。その理由は、これがあまりに当たり前になってしまい、その重要性が見えていないためと考えられます。
これはちょうど、明治初期における世界観の転換(球体説・地動説)と似ています。
革命的出来事であり、抵抗勢力もいましたが、民衆は言われるがままにこれを受け入れてしまい、今では当たり前になってしまい、特に本当かどうか考えたこともない人がほとんどでしょう。
しかし、人権意識は当たり前ではないようです。その理由はいくつかあると考えられます。
学校で哲学をほとんど教えない
自然権、社会契約、立憲主義を体系的に学ぶ機会がほとんどありません。そのため、「憲法にそう書いてある」という知識で終わってしまい、なぜそうなのかまでは理解されないのでしょう。
「法律=国家」と思っている人が多い
例えば、「法律で決まっているから」という言葉はよく聞くのですが、しかし近代立憲主義では、法律より上に憲法があり、さらにその背景に「侵すことのできない人権」という理念があります。この階層構造を理解している人は、極めて少ないと考えられます。
二千年近い価値観は簡単には変わらない
世界観というものは、制度が変わっただけでは変わらないのです。国家観も数世代かけて変わるものです。
日本国憲法の条文の意味がわかっていない
私自身もこれを研究し始める以前は、当然そうでしたが、97条の条文の意味など、まるでわかっていないわけです、なぜこんなことが書いてあるのか。
結局、上から与えられたものだから
結局はこれではないでしょうか?日本人においては、自ら苦労して権力者から自分たちの人権をもぎとったという歴史がありません。球体説・地動説が上から降ってきて常識となったのと同じように、人権というものも、ある日突然上から降ってきたのです。
しかもそれは、必ず海外からなのです。
今、日本人の意識を逆転しようとする勢力がいる
そして、今、日本人のわずかな人権意識を逆転しようとする勢力がはびこっていますね。それは次の両面からです。
- 個人の意識の変更。日本人自ら人権意識を手放すように「教育」する。
- 法制度の変更。法的に人権をなくす、せばめる。


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