フラットアーサーの愚かさ(42):デュベイの詐欺説〜月食は影の天体のせい

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この記事の三行要約

  • エリック・デュベイは、平面説では地球の影で月食を説明できないため、「影の天体」が観察者と月の間を通るという仮説を持ち出す。
  • しかし、その説では三日月や半月でも月食が起こるはずだが、現実には必ず満月のときにしか起こらない。これは数千年もの観測事実であろう。デュベイの説は「なぜ満月のときだけ影の天体が現れるのか」を説明できていない。
  • さらに、科学であるなら月食を事前に予測できる計算式を示すべきだが、デュベイはそのような理論や計算モデルを提示していない。つまり、科学的検証に耐える説では全くない戯言である。

エリック・デュベイ(Eric Dubay)という平面説詐欺師がいます。

実は、このシリーズを始めるずっと以前にデュベイの詐欺的説明を私は論破しています。2023年7月のことですね。3年も経過しているのに誰も反論してきません(まぁ、誰も読んでないのかもしれませんが)。

ともあれ、この悪質でデタラメな詐欺師は、上の他にも様々なデタラメを言い放ち、それを極めて頭の弱い人たち、数学もわからず、論理も理解できないような人たちが信じ込んでいるという状況のようです。まさに「鵜呑みにする」という言葉がふさわしいと言えます。

基本的にデュベイの言い分は19世紀のロウボサムの焼き直しにすぎないようです。ですから、デュベイの馬鹿げた代表的主張「重力はない。密度と浮力だ」も、そのあたりから来ているようです。

この悪質な詐欺師の、あまたある言い分の中で、今回は「月食は影の天体のせい」をとりあげてみましょう。

月食が起こる理由(球体説)

球体説において月食が起こるのは、太陽・地球・月が一直線に並んだときです。つまり、太陽の光が地球に遮られて月に届かなくなった状態です。図にするとこんな感じです。

実は、ここが非常に重要なポイントであり、デュベイのようなトンデモ詐欺師にとってのアキレス腱です。なぜでしょうか?

この図から簡単にわかると思いますが、月食は満月の時にしか起こらないのです。

これは何千年も続いてきた観測事実ですし、原理的に三日月や半月の時には起こりようがありません。月食の前後を考えてみましょう。地球から月を見た場合、見かけ上、月は全面的に太陽光を浴びています。この状況では、月から地球を見れば、必ず満月にしかなりようがありません。

もちろんこれは球体説の場合ですが、筋は通っており、容易に理解できますよね?

詐欺師デュベイによる「月食が起こる理由」

では、詐欺師デュベイによる「月食が起こる理由」は何でしょうか?

でもその前に、平面説では、「太陽光を地球が隠す」ということは絶対にありえないですね?平面地球の上を、太陽と月が回っているからです。

しかしそもそも、このモデルでは、「満月」という現象は起こらないようにも思えますが(どうなんだろう)、そこは今回置いときましょう。フラットアーサーによっては、「月は自分で発光しているのだ」と主張する人もいます。

しかし、この後の議論では、太陽光の反射で月が光っていようが、月が自分で光っていようが関係ありません。いずれの状況であっても、デュベイ説は等しく誤りです。

ともあれ、平面説においては「月食は地球の影で起こるのではない」という設定しかありえないことは理解してもらえるでしょう。そんな位置関係にはなりようがないからです。

そこで、詐欺師デュベイは「影の天体」というものをでっちあげました。何か、どこかわからないけれども、「影の天体」というものが存在し、それが、観察者と月のあいだに入ってしまい、月が消えるように見えるという設定にしたのです。トンデモ論者のいつものトンデモ設定です。

さて、デュベイの言い分通りであれば、論理的帰結としてはどうなるでしょうか?最初に説明した何千年もの観測事実が成立しなくなります。つまり、

もし影の天体が月を隠すのであれば、三日月や半月の時にも月食が起こるはずである

が当然導かれるはずです。しかし、実際にはそんなことは起こらないのです。ですから、この「影の天体」説を唱えるのであれば、デュベイは次を説明せねばならないはずです。

なぜ影の天体は、必ず満月のときにしか現れないのか?

つまり、もし「影の天体」が観察者と月の間に入って月を隠すのであれば、その現象は月の満ち欠けとは無関係です。したがって、三日月や半月など、どの状態の月であっても月食が起こる可能性があるはずです。

しかし、実際には、観測事実として、月食は必ず満月のときしか起こらないのです。つまり、この説をとるならば、「なぜ満月のときだけ影の天体がいきなり現れるのか」を説明せねばならないはずです。

しかし、デュベイはそんな説明はしません。デュベイは重々承知しているからです、「極めて愚かなフラットアーサーは、適当な言い分を信じ込んでしまう」と。

科学であるなら、計算式で月食を予測できなければならない

さて、ここで私が追求している江戸時代の天文知識についてですが、幕府天文方の高橋至時は、間重富と共に作成した寛政歴(幕府から作成を命じられたもの)において、1802年に日食時刻が15分ずれた!といって悔しがったと伝えられています。

つまり、彼は天体の運行を計算し、どこでいつ日食が起こるのかをあらかじめ予測できたのです。これは江戸時代後期のことで、明治維新(1868年)より66年も前、現代より220年以上も前のことです。

もし、平面説が正当であり、影の天体が正当であるならば、現代の天文学が予測する日食や月食を独自の計算式を使って完全に予測できなければならないはずです。

しかし、デュベイはそんな計算式は提示していないことでしょう。

仮説を提示するのは良いことですが、言いっぱなしでほったらかし、誰も何の検証もしない、科学としての価値は全くない戯言。これが平面説の本質というものです。

追加:影の天体説はありえない

記事を書いて公開した後で、もっとよく考えてみたら、まったくありえないことがわかりました。なぜなら、

影の天体が月を隠せるほどの大きさを持ち、月食のたびに月の前を横切るのであれば、その天体は月以外の恒星や惑星もときどき隠すはずである。

もちろん、そんな現象が観測されたという話は聞いたことがありませんね。特にフラットアーサーは、事実検証のために、月食の前後に「影の天体」をとらえるべく観測するはずですが、観測してみたのでしょうか?

現代では、月食がいつどこで起こり、どんなふうに月が欠けていくかは正確に予測できます。したがって、フラットアーサーは「影の天体」なるものが、どの方向から来て、どの方向に行くか、あらかじめわかるはずです。少なくとも、この影の天体なるものが、明るい恒星の前を通過するのであれば、それを隠してしまうことが観測できるはずです。しかし、そんな報告は聞いたことがありませんね。

つまり、影の天体説は科学としての予測能力もなく、実証もされていないただの戯言と結論づけることができます。

現実の月食においては、地球の影が宇宙空間を通過しますが、その影そのものが背景の恒星を隠すわけではありません。したがって、月以外の背景の星々は通常どおり見えるはずです。もっとも、実際には月が非常に明るいため、月の近くにある暗い恒星は月光にかき消され、観察しにくくなります。

結局のところ、観測事実によって「影の天体」の存在を主張しているものではなく、平面説を維持するために後付けで導入された仮説(アドホック仮説、つまりは言い訳)にすぎないのです。そして、その存在を裏付ける予測も観測も提示されていません。科学とは観測結果を事前に予測できる理論ですが、「影の天体説」はその条件を満たしていません。

追加:その他のフラットアースの馬鹿げた説

上の他にもいろいろあるようですが、結局のところ、理論もなく、検証もないようです。ただのアドホック仮説(思いついただけの言い訳)にしかすぎないようです。検証に耐えうるものが出てくるのであれば、真剣に考慮してもよいのですが、そんな価値は一切ありません。

 アンチムーン説

月と対になる見えない天体があるそうです。そして、なぜ見えないのか、なぜ満月だけ現れるのか、
どういう軌道なのかは説明されていないようです。

 ブラックサン(Black Sun)

ブラックサンという見えない太陽、霊的な太陽、電磁的天体など様々な設定があるそうで、これが月食を起こすというのです。科学というよりオカルトです。

 電磁現象説

月食は、光の屈折、電磁場、エーテルなどによる現象だそうです。しかし、なぜ毎回同じような形になるかを説明できないようです。

 月自身が暗くなる

月は自発光しているので、月食では自ら暗くなるだけという説だそうです。ですから、皆既月食の進行、左から欠ける、円形に進むなどが説明できないようです。

 未知の光学現象

「人類がまだ知らない光学現象!」で終了です。それだけです。

追加:平面説は無制限に追加される仮説だらけで、検証は一切ない、ただただ、どれを信じるかだけが問われる

まぁ、どれもこれも穴だらけで、何も説明できてません。

何度も書いていますが、平面説は最初に「地球は平面!」という大前提を置きました。それを動かせないがために、おかしな設定が追加されました。天体は近距離、重力はないなどです。それらのトンデモ設定のために観測事実を説明できなくなり、またも検証不能な思いつき仮説を次々に追加していくというはめに陥っているわけです。

これが雪だるま式に大きくなっていき、ついには、現実とはまるで無関係な「フラットアース理論」なるものが体系化していくというわけです。しかもこれが、おかしなことに、論者によって異なるのです。

ですから、平面説信者においては、「地球は平面!」は共通するものの、その後は、どの説を信仰するかに過ぎなくなります。

まるで宗教と同じですね。実際、これは宗教以外の何物でもないのです。

 

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