これまでのまとめ
話が複雑になってきたので、ここで簡単にまとめておきます。
- ジョン・ロックは、生命権、自由権、財産権という自然権(人権)を唱えた。これは、人は人間として生まれた以上、生まれながらに持っている権利であるという考え方である。そして、国家とは本来、その自然権を守るために人々がつくった機関であると考えた。
- この思想は、アメリカ独立宣言やフランス人権宣言に大きな影響を与え、日本国憲法にも基本的人権の尊重という形で受け継がれている。
人々がばらばらに暮らすのではなく、国家という仕組みをつくる意義は理解できます。しかし一方で、歴史を振り返ると国家権力はたびたび暴走してきました。そこで生まれたのが、
- 憲法によって国家権力を制限する
という近代立憲主義です。ここで特に重要なのは、国家の存在目的はあくまでも人権を守ることであり、国家そのものが目的ではないという点です。
そして、国家は国民がつくったものである以上、その運営は国民の意思によって決められるべきだという考えから、民主主義が採用されます。しかし民主主義には、「多数派の専制(多数者の暴政)」という問題がでてきてしまいます。
- 49%が強く反対していても、51%が賛成すれば、その決定が成立してしまう。
そこで近代立憲主義は、民主主義であっても人権を侵害するような決定は許されないという考え方をとります。つまり、多数決だからといって何でも決められるわけではありません。
すると、次のような疑問が生じます。
- では、なぜ人権が多数決より上になるのか?
- 仮に一人だけが反対し、残り全員が賛成したとしても、その一人の権利を侵害することは許されるのか。
税金とは、政府が法律に基づいて個人の財産の一部を強制的に徴収する制度です。自然権思想を厳密に解釈すれば、財産権への制約ではないかという疑問が生じます。この点について、一部のアナーキストなどは、次のように主張します。
- 個人には他人の財産を強制的に取り上げる権利はない。そのような権利は、一人になく百人集まれば生まれるというものでもなく、一億人集まったからといって正当化されるものでもない。
その一方で、
- もし国家が存在しなければ、治安、契約、裁判、防衛はどうなるのか
という疑問も当然生じます。そして、これらの公共的な機能を維持するには、何らかの財源が必要になります。
このような対立の中で成立したのが、近代立憲主義です。近代立憲主義は、どちらか一方を絶対視する思想ではありません。
- 民主主義が絶対に正しいとも言わない。
- 人権が完全に証明されたとも言わない。
- 国家が完全に正当化されたとも言わない。
その代わり、
- 民主主義は必要
- 国家も必要
- しかし権力は危険
- だから権力を制限する
これが近代立憲主義の基本的な考え方です。つまり、
国家は、それ自体が目的なのではなく、人権を現実に保障するための必要悪、あるいは実践的な制度として導入されたものである。
ということですね。
アナーキストの主張
では、ここでアナーキスト(無政府主義者)の主張をもっと見てみます。様々な立場があるようですが、ここでは、ライサンダー・スプーナーやラーケン・ローズの立場に限定してみましょう。彼らの立場としてはこうです、
自然権は絶対であり、いかなる多数決や国家権力もこれを侵害できない
つまり、「国家も例外にはなれない」という立場です。たしかに、近代立憲主義では「国家は例外」になっちゃってますね(例えば強制的徴税など)。
人間
↓
自然権を持つ
↓
誰も侵害できない
↓
他者はそれを侵害できない
↓
国家もそれを侵害できない
両者共に、次のような思想です。
- 国家を作った瞬間に自然権侵害が始まる
ライサンダー・スプーナーの場合
個人の自然権は、国家よりも上位にある。彼の代表作「No Treason: The Constitution of No Authority(反逆ではない:憲法は私を拘束しない)」(未訳)では、「憲法には私を拘束する権限はない」と主張します。理由は単純で、
- 私は契約していない。
- 同意していない。
- 同意していない契約は無効である。
これは契約法の考え方をそのまま国家に当てはめています。つまり、自然権 > 契約 > 国家という順序です。
ラーケン・ローズの場合
ローズも基本的には同じで、代表作「The Most Dangerous Superstition(最も危険な迷信)」(未訳)では、国家を「合法的に暴力を独占している組織」として批判します。彼の中心命題は、
- 人に許されないことは、国家にも許されない。
例えば、
- 私はあなたから財布を奪えない。
- あなたも私から奪えない。
では、なぜ政府なら税金として強制的に徴収できるのかと言えば、彼は、その論理は成立しないと言います。
私の見方、というか感想
どういう捉え方をしようが、人権が最上位にあることは間違いないわけです。これを守るために必要悪として国家があるにすぎません。そして、アナーキストは「国家が実際に人権を侵害している。こんなものはやめちまえ!」というわけです。
ところで、昨今の世界を見ていると、あたかも「国家の方が上であり、国家のためには人権侵害もやむをえないだろう?」という思想傾向が強まっているように感じますね。
これこそが「連中」の手口だと感じています。思想と法制度の両面で人権を剥奪するという手口です。前者は、自ら人権を手放してもらう。後者は強制的に手放させるということですね。



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