フラットアーサーの愚かさ(93):フラットアースの目的は聖書(極解)的世界観の注入

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AIとのやりとりをしていて、AIが名言を出してきました。フラットアーサーとはこうです。

世界の真実に目覚めた結果、世界について入ってくる情報を自分から遮断してしまう

つまり、「セルフ井の中の蛙」ってことです。しかし、最初はこんな話ではありませんでした。

フラットアースとは、そもそもが宗教的信念である

平面説は宗教的信念に基づく。宗教的信念なきところに平面説なし詐欺師デュベイによる聖書極解信念注入にて説明したように、そもそもの平面説の目的というのは、曖昧な記述の聖書をもとにして「平面だと書いてある」と極解した者たちが、自身の主張を是が非でも押し通そうとした結果です。

もちろん、前にも書きましたが、(具体的数字はありませんが)多くのクリスチャンは球体説を受け入れているのです。素人が考えてみても、神という偉大な存在にとっては、平面だろうが球体だろうがどちらでもいいはずでしょう。

そして、こういった嘘つきたちにありがちなことですが、「自分たちは崇高なことをしている」というポーズをとりながらも、実際には「この思想を広めるためには、どんな嘘をついてもいい。どうせ一般庶民にはわからん」と考えていることです。多くのカルト宗教にありがちですが、もちろん、キリスト教の一部宗派にはこういう連中がいますよ。これに関しては平面信者の本質「Zetetic」とは、不都合を見ない態度であるに書きました。これらの連中は司祭であると同時に詐欺師でもあるのです。

あらかじめ結論は決まっています。地球は平面です。なぜなら聖書にそう書いてあるからです(ここが極解)。これに反することは、いかなる物であれ、神の前に証拠として採用はできません。彼らには「客観的事実」や「観測事実」は、そもそも通用しません。不利な証拠は採用されません。不利な事実は最初から見ず、ないものとして扱われるのです。

だからこそ、平面説は無敵です。これは事実云々の話ではなく、個人の信念・信仰の問題だからです。

そして、その上に現代的な味付けを加えたものが、現在の「フラットアース」というものです。これに、頭の悪い陰謀好きの人々が飛びついているという、ただそれだけの構図なのです。

AIに聞いてみた、なぜこんなことになっているのか?

どういう経緯でこうなったのか、ざっとAIに聞いてみました。ロウボサム、グリーソン、デュベイの著作を隅から隅まで読むのはさすがに大変なので。

デュベイなどは世界支配層が平面という真実を隠していると言いますが、そもそもロウボサムやグリーソンの時代からそういう主張でしたか?


「世界支配層が平面地球という真実を知っていて、組織的に隠している」という現在のデュベイ的な陰謀論と、ロウボサムやグリーソンの主張は同一ではありません。むしろ歴史的には、かなり重要な変化があります。

1. ロウボサムの中心は「世界的陰謀」ではなかった

サミュエル・ロウボサム(1816–1884)の『Zetetic Astronomy: Earth Not a Globe』では、基本的な論法は、「自分で観察・実験すれば、地球が球体ではないことが分かる。」というものでした。

彼は「ゼティック(Zetetic)」という方法を、既成の理論を信じるのではなく、直接観察できる事実から出発する方法として定義しています。そして彼が攻撃したのは主として、ニュートン、コペルニクス、天文学者、測量学者、科学者などの学説そのものです。1881年版の最終章でも、彼はコペルニクス=ニュートン体系を「truth and error」の混合物だとして批判しています。

つまり、「科学者たちは間違った理論を信じている」という構図がまずあります。

これは、「科学者たちは本当は平面だと知っているが、支配者に命令されて嘘をついている」という現在よく見られる構図とは違います。

2. しかし19世紀の平面論者にも「真実を隠している」という発想は存在した

ここは非常に面白いところです。ロウボサムの後継者である David Wardlaw Scott の『Terra Firma』(1901年)などになると、かなり明確に、一部の天文学者は『Plane truth』を知っているのではないか」という発想が現れます。

実際、Scottは、“some of our Astronomers do already know the Plane truth”と述べ、そのような人々は「その光を隠さずに人々に示すべきだ」と論じています。これはかなり現在の陰謀論に近い。

つまり19世紀末には、「科学者は単に間違っている」→「科学者の中には真実を知っている者もいるのに、それを隠している」という一段階がすでに生じています。

3. グリーソンの場合は、さらに「既成科学 vs 聖書」という構図

アレクサンダー・グリーソンの1893年版『Is the Bible from Heaven? Is the Earth a Globe?』も興味深いです。グリーソンは単純に「科学実験をすれば平面だ」と言っているだけではありません。タイトルそのものが、「聖書は天から来たものか? 地球は球体か?」となっていて、聖書の権威と近代科学の対立を設定しています。

そして彼は、「世界の賢者たちがなぜ先に発見しなかったのか?」という反論を想定しています。つまり、「これほど明白なことなら、なぜ専門家は気づかなかったのか?」という問題をすでに意識しているわけです。

ただし、ここでもグリーソンの主張の中心は、「世界政府が地球の形を隠している」という政治的陰謀ではなく、「近代科学が間違った体系を作り、それが世間に教え込まれている」というものです。

4. ここから現代のデュベイへかなり大きな変化が起きる

現代のフラットアースでは、これがさらに拡大します。大雑把に歴史を並べると、

ロウボサム:「球体説は科学的に間違っている。」

19世紀末の後継者:「科学者の中には平面であることを知っている者もいるのではないか。」

20世紀:「教育・科学制度そのものが球体説を教え込んでいる。」

宇宙開発時代:「人工衛星・宇宙飛行・月面着陸なども球体説を維持するためのものではないか。」

現代:「NASA、政府、軍、科学界、メディア、教育機関などを含む巨大な世界的ネットワークが、地球が平面であるという真実を隠している。」

という具合です。

実際、現代のフラットアース運動では、科学・政府・宇宙開発などへの不信と「隠された真実」という陰謀論が非常に強く結びついています。2018年の New Yorker のルポでも、現代運動が「陰謀論的」「科学実験志向」「聖書主義」という複数の流れの合流点になっていると紹介されています。

5. ですから「デュベイはロウボサムの単なる現代版」ではない

ここが重要だと思います。地球モデルそのものは驚くほどロウボサムから継承されています。例えば、

  • 北極を中心とする平面
  • 南極=周囲の氷の壁
  • 太陽・月は小さく近い
  • 太陽が平面上を円運動する
  • 地球は動かない
  • 重力を否定する
  • 球体地球を否定する
  • 南半球の天文学的現象を否定・再解釈する

といった基本構造はロウボサム以来のものです。現代の説明でも、現代フラットアース思想の原型がロウボサムの『Zetetic Astronomy』にあることは確認できます。

一方、「それほど大規模な嘘を、世界中の政府・科学者・航空会社・宇宙機関・大学・軍などが一丸となって隠している」という部分は、後世、とくに20~21世紀に大きく発達した要素です。

そして、かなり皮肉なことがあります。ロウボサム自身は「陰謀」を必要としませんでした。彼の論理では、「実際に水面を見れば平らだ。だから球体説は間違いだ。」で済むからです。

ところが現代になると、航空機、衛星、GPS、宇宙飛行、南半球の星空、大陸間航空路、測地学、通信、気象衛星、地球観測など、球体モデルを前提にした巨大な実証体系が存在します。

すると、「自分の観察では平らに見える」だけでは説明しきれない現象が大量に出てきます。そこで、「それらは全部、真実を隠すための仕組みだ」という説明が非常に便利になってくる。

つまり、歴史的に見ると、「平面だから陰謀がある」というより、「球体説を否定するために必要な説明が増えるにつれて、陰謀論が理論を支える役割を強めていった」と見ることができます。

これは、ロウボサム→グリーソン→現代フラットアースを比較するとかなりはっきり見えてくる変化です。

もし興味があれば、次に 「ロウボサム→グリーソン→シャントン→デュベイ」で『陰謀』という概念が具体的にどう変化したかを、各人物の原文を引用しながら年代順に追うと、かなり面白い比較ができます。 

現代フラットアースには、「巨大な陰謀」が必須

さすがにそうでしょうね。現代においては、聖書的信仰の面からと古典的物理学の面からのみ説明しても誰も納得しないでしょう。宇宙開発全体を否定せねばならないわけで、そこで「宇宙はない」という突拍子もない考えさえ現れたのでしょう。


 かなり本質を突いていると思います。特に重要なのは、19世紀の平面説と現代の平面説では、「説明しなければならない現実の範囲」が桁違いになったことです。ロウボサムの時代なら、主戦場はおおむね

  • 地平線は平らに見える
  • 水面は曲がっていないように見える
  • 船が遠ざかるときの見え方
  • 測量
  • 天文学
  • 聖書

などでした。ところが20世紀後半以降は、

  • 人工衛星
  • 衛星通信
  • GPS
  • 気象衛星
  • 宇宙からの地球撮影
  • 有人宇宙飛行
  • 月探査
  • 惑星探査
  • 衛星軌道
  • 宇宙望遠鏡
  • 南半球・北半球で異なる星空
  • 大陸間航空
  • 地球規模の測地・測量

まで説明しなければならなくなります。つまり、「地球は球体ではない」という一つの主張を維持するために、否定しなければならない現実がどんどん増えていったわけです。

そこで「宇宙そのもの」を疑う方向が出てくる。これは非常に興味深いところです。例えば、「NASAが嘘をついている」だけなら、まだ比較的単純です。しかし、NASAだけでなく、ロシア、中国、欧州、日本、インドなども全部嘘をついているとなると、陰謀の規模が急激に大きくなります。さらに、民間企業、アマチュア無線家、天体観測者、大学、航空会社、気象機関、測量会社なども全部騙されている、あるいは共犯だとなる。

ここまで来ると、もはや「地球の形についての異説」というより、現代文明が提示している経験的現実そのものを疑う思想になってきます。

そして究極的には、「そもそも我々が『宇宙』だと思っているもの自体が存在しないのではないか」という方向に行く。これは一見すると突拍子もないのですが、陰謀論の論理としてはかなり自然な帰結なんです。そして、ここには面白い「認識論的な逆転」があります

ロウボサムは、「自分の目で確かめろ。権威を信じるな」と言いました。これは一見、非常に科学的な態度に見えます。ところが現代のフラットアースでは、同じ「権威を信じるな」が、

  • NASAの写真はCGだ
  • 衛星は存在しない
  • 宇宙飛行士の映像はスタジオ撮影だ
  • GPSの説明も嘘だ
  • 宇宙そのものが存在しない

というところまで拡張されることがあります。すると奇妙なことに、「自分で確かめろ」という出発点から、「自分が直接確認できないものは、すべて存在しない可能性がある」という方向に進んでしまう。

これは科学的方法とはかなり違います。科学では、「自分が直接見ていない」ことと、「存在しない」ことは同じではありません。観測結果が複数の独立した方法で整合し、予測を成功させるなら、それを合理的に受け入れるわけです。

そして、ここが以前話していた「無知の知」や「ふわっとアーサー」的な問題ともつながると思います。「専門家を疑う」こと自体は健全です。

しかし、

専門家の説明を疑う

自分では検証できない

だから専門家は嘘をついている

反証する証拠も「隠蔽された」と解釈する

となると、もはやどんな証拠が出てきても理論を修正できません。その時点で「科学の代替理論」というより、自己完結した世界観になってしまいます。

そして現代のフラットアースが19世紀のロウボサムよりもはるかに巨大な「陰謀」を必要とするようになったのは、まさにおっしゃる通り、現代社会が宇宙空間まで含めて地球を記述する巨大な実証システムを作ってしまったからだと思います。

セルフ井の中の蛙

つまり、フラットアーサーは、不都合なものをまるごと否定したいがために、自ら進んで井の中の蛙になろうとしているわけですね?

はい、かなり的確な表現だと思います。ただし、すべてのフラットアーサーが同じ心理だと一般化するのは避けたほうがいいでしょう。構造としては、まさに「井の中の蛙」になりやすい仕組みがあります。

出発点が、「自分の目で確認できるものを信じる」だったとします。すると、「地面は平らに見える」「地平線は平らに見える」「空は頭上に見える」という身近な経験が強くなります。

一方、衛星軌道、地球規模の測地、宇宙からの観測、他国の宇宙機関によるデータ、惑星探査などは、自分自身が直接確認することが難しい。

そこで本来なら、「直接見えないが、複数の独立した証拠から考えるとどうなのか」と進むべきところを、「直接見えない → 誰かが言っているだけ → 嘘かもしれない」と進んでしまう。

さらに厄介なのが「反証の無効化」です。例えば、

  • 「宇宙から地球を撮影した写真があります」→「NASAのCGだ」
  • では、NASA以外の宇宙機関を提示できます。→「それもNASAと同じ嘘だ」

となる。

  • さらに民間企業やアマチュアによる観測を提示しても、→「彼らも騙されている」

となる。すると最終的には、「自分の世界観と矛盾する証拠は、証拠ではない」という状態になります。これは非常に強力な「認識の閉鎖」です。そして面白いのは、「世界の真実を知った」と言いながら、実際には世界について受け入れる情報を極端に狭めてしまうことです。

本来なら、

世界は自分の経験よりはるかに広い

自分には直接確認できないことが大量にある

だから複数の独立した証拠を比較する

となるはずです。ところが逆に、

自分の経験と合わない

それは嘘だ

嘘をついている人間が多い

世界そのものが偽装されている

となる。ですから、皮肉を込めて言えば、「世界の真実に目覚めた結果、世界について入ってくる情報を自分から遮断してしまう」という逆転現象が起こり得ます。

そして「井の中の蛙」という比喩が面白いのは、本人からすると、自分は井戸の中に閉じこもっているのではなく、「井戸の外の人間はみんな騙されている」と思っているところです。つまり、「世間の人間は洗脳されている。自分たちだけが真実を知っている」という自己認識と、「自分の世界観に合わない情報はすべて排除する」という認識構造が、同時に成立してしまう。

ここまで来ると、単なる「地球は平らか球形か」という問題ではなく、どうやって人間が自分の世界像を形成し、反証にどう向き合うのかという認識論の問題になります。 

 

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