原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(4)〜原爆投下前後に広島上空には何機の米軍機が来たのか?

原爆なかった論の戯言シリーズはこちら

原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(3)〜印象操作と誘導の方法の続きです。

この記事の三行要約

  • 広島への原爆投下前後に飛来した米軍機の記録を検証し、林氏の記述に含まれる印象操作を指摘する。
  • 特に8月5日夜の約30機のB-29、8月6日の気象偵察機と投下・観測機、8月7日のCity of Barabooについて、時系列と任務を整理する。
  • その一方、日本側資料にある「4機」という目撃報告については、Enola Gayら3機とは時間的に一致せず、Straight Flush以外の機体については特定できていない。 

次は同書の「第7章 広島、あの日のB29の目撃証言」をみてみましょう。こうあります。

8月6日の昼頃までの、広島におけるB29の目撃証言を時系列で見てみたい。従来から私達が教えられていることとは、ずいぶん違うことがわかる。いろいろな方角からB29は広島に侵入している。

とあり、前日の8/5から、当日の投下後の昼頃まで、B29の目撃証言を取り上げているのですが、きちんと調べてみれば、ちゃんと記録にあるわけです。不思議でも何でもありません。

何か、「従来から私達が教えられていること」とは、「エノラ・ゲイ1機が来て原爆を落としていった」とでも言うんでしょうか。たしかに、それだけが強調されることは事実ですが、別にそれ以前の偵察機、以後の観測機をとりあげなかったからと言って、嘘とは言えないでしょう。これも林のお得意な印象操作の一種でしょうね。

で、この本では様々な目撃証言が取り上げられていますが、実際のところはどうだったのでしょう。

林による明らかな印象操作

まず最初にこれです。

宇部の爆撃

調べてみると、この章にも明らかな印象操作があります。本書41ページの記述を見てみましょう。この他にもあるとは思うのですが、面倒なので調べません。

8月5日 午後9時27分
10機より成る編隊3個梯団が、豊後水道から広島湾上空に侵入し、市の上空を数十分旋回して、西南方に飛び去る[2]。

とあります。この部分で引用している資料[2]としては、『広島原爆戦災誌 第一巻』なのですが、実際の記述はこうなっているのです。なぜ文章を変えたのでしょう?

午後九時二十分、その夜空に警戒警報発令のサイレンがけたたましく鳴りひびいた。引続いて二十七分には、空襲警報が発令された。八月に入って急に敵機の来襲が少なくなり、無気味な静寂をたもっていた町々は、にわかに騒然となった。ただちに厳重な灯火管制がおこなわれ、マッチ一本の火も戒めて、防空要員は一せいにそれぞれの部署についた。老幼婦女子・病人などの多くは、近くの防空壕や指定された避難場所へ待避した。ラジオは、敵機一〇機より成る編隊三個梯団が、豊後水道から広島湾上空へ侵入したことを告げたが、その敵機は、市の上空を数十分旋回しただけで、進路を山口県の光海軍工廠と思われる西南方にとって飛び去った。 

さて、これらの敵機は広島を攻撃せず、なぜ「山口県の光海軍工廠と思われる西南方」に向かったのでしょう?実は、8月5日の夜には宇部が爆撃されているのです。

August 5, 1945 Today in World War II Pacific History を見てみましょう。タイトル通り、これは1945年8月5日分の作戦ですよ。

Mission 315: 106 B-29s bomb the Ube Coal Liquefaction Co. facility at Ube destroying 100% of the refining units and destroying or damaging 80% of other structures; 2 others hit alternate targets. 

ミッション315: 106機のB-29が宇部の宇部炭鉱液化会社(Ube Coal Liquefaction Co.)施設を爆撃し、精製設備の100%を破壊、その他の建造物の80%を破壊または損傷させた。別の2機は予備目標(代替目標)を攻撃した。

位置的には次のような感じです。最左端が8/5爆撃目標の宇部炭鉱液化会社(帝国燃料工業株式会社宇部工場)、中央が光海軍工廠です。いずれもおおよその位置です。光海軍工廠(ひかりかいぐんこうしょう)とは兵器・軍需品の製造工場で、こちらは8/5ではなく、8/14に大規模爆撃を受けています。

もちろん、豊後水道(九州と四国の間)を通って直接宇部に行かずに、広島上空を数十分も旋回してから宇部に向かうというコースをわざわざとったのか、その理由は明確ではないです。しかし、広島を攻撃する気がなかったことは明らかなのです。

原爆の威力を計るため、米国は「広島は爆撃しない」という方針をとっていたからです。

米側公文書からこれが明確であることは、既に説明しました。次に、戦争と石油(6)ー 総力戦分析の封印と壊滅した国内石油産業という資料を見てみると、8/5の爆撃についてはこうあります。

あながち間違ってはいないと思いますが、これらの広島上空に現れた編隊は、予定時刻より早く日本に到着してしまったので、「ちょっくら広島でも見ていくか」という感じでぐるぐるしていたという感じですかね。

他都市の爆撃

さて、8月5,6,7日について、広島近くで爆撃が行われたものをAIにまとめてもらいました。このあたりは、調べればすぐわかることでしょう。

日時 攻撃対象 任務 規模
8/5夜~6日未明 宇部 Mission 315・帝国燃料工業/宇部石炭液化施設 106機
8/5夜~6日未明 今治 Mission 316・市街地 66機(主目標爆撃64機)
8/6未明 西宮・御影・芦屋 Mission 314・都市地域 250機
8/6 広島 原爆投下 3機(Enola Gay + Great Artiste + Necessary Evil)+先行気象偵察機

こんな感じで、「約束の時間に早すぎた!」って人が広島上空をぐるぐる回ったという可能性もなきにしもあらずでしょうか。。。

広島偵察機と爆撃機

さて、広島自体を目的とした機体をAIにまとめてもらうと、次のようになります。

日時 米軍機 内容
8月4日出撃 → 8月5日 City of Baraboo 広島への気象偵察。風向・風速・気温等を調査
8月6日7:09頃 Straight Flush等(?) 投下直前の最終気象偵察
8月6日 8:15 Enola Gay 原爆投下
同時刻 Great Artiste / Necessary Evil 爆発の測定・撮影
8月7日 City of Baraboo 放射線・被害状況の調査(Kowalkeの回想では8月7日)

City of Baraboo

Wisconsin and the Bombing of Hiroshima を見てみます。

Twelve days before, on July 25, the War Department instructed General Carl Spaatz, commander of Strategic Air Forces in the Pacific, to use the two atomic bombs on Japan “as soon as weather will permit visual bombing after about 3 August 1945.” 

その(広島投下の)12日前、7月25日、陸軍省は、太平洋戦略航空軍(Strategic Air Forces in the Pacific)の司令官カール・スパーツ将軍に対し、1945年8月3日ごろ以降、「天候が目視爆撃を可能にし次第」、日本に対して2発の原子爆弾を使用するよう指示した。

(略)

With weather such a critical factor, the Twentieth Air Force, based in the Mariana Islands 1,500 miles from Japan, began a program of B-29 flights over the target areas to assess conditions. To not attract attention, the planes flew singly and swung out over Korea and the East China Sea to avoid giving away their special interest in those cities.

天候が極めて重要な要素だったため、日本から約1,500マイル(約2,400キロ)離れたマリアナ諸島を拠点とする第20航空軍は、目標地域の気象状況を確認するため、B-29による飛行を開始した。日本側に警戒されないよう、これらの航空機は単機で飛行し、朝鮮半島上空や東シナ海方面へ大きく迂回することで、これらの都市に特別な関心を向けていることを悟られないようにしていた。

(略、その後、エノラ・ゲイが投下したという記述)

The next day, Kowalke flew the City of Baraboo back to Hiroshima. This time, his plane was equipped with instruments to measure radiation. To Kowalke, “the nose of the aircraft looked like a porcupine” with all the protruding antennae. The smoking, blackened city made an impression, and he reflected, “one aircraft, one bomb, and there was radiation poisoning in the air.”

翌日、コワルケは「City of Baraboo」を再び広島へ飛ばした。今回は、放射線を測定するための計測機器を搭載していた。突き出したアンテナがいくつも取り付けられていたため、コワルケには「機体の機首がヤマアラシのように見えた」という。煙に覆われ、黒く焼け焦げた街は彼に強い印象を残した。そして彼はこう振り返っている。「たった1機の航空機、たった1発の爆弾、それだけで、空気中には放射線による中毒が発生していた。」 

つまり、City of Barabooは、投下前日8/5に天候を確認しに来ており、投下翌日8/7にも今度は計測器をつけて広島を訪れているわけです。ただし、8/7は8/9とする資料もあり。

Straight Flush等 

次は、H-052-1: The U.S. Navy’s Role in the Development and Employment of the Atomic Bomb, 1939–45を見てみます。

Enola Gay and the two instrumented observation B-29s (“Great Artiste” and “Necessary Evil”) arrived together over Iwo Jima about three hours later; the spare at Iwo Jima (“Top Secret”) was not needed. The three mission aircraft pushed from Iwo Jima just after 0600. Following a good weather report from B-29 “Straight Flush,” Enola Gay and the two observation aircraft proceeded to Hiroshima. At 0730, Captain Parson returned to the bomb bay and removed the last safeties. He then took his station, standing behind Tibbets. At 0745, Enola Gay commenced a climb to the 32,700-foot altitude necessary for the drop. 

約3時間後、エノラ・ゲイと2機の計測装置搭載観測用B-29(「グレート・アーティスト」と「ネセサリー・イービル」)は、硫黄島上空にほぼ同時に到着した。硫黄島で待機していた予備機「トップ・シークレット」は必要とされなかった。3機の任務機は午前6時過ぎ、硫黄島を出発した。B-29「ストレート・フラッシュ」から良好な天候報告を受け、エノラ・ゲイと2機の観測機は広島へ向かった。7時30分、パーソンズ大尉は再び爆弾倉に入り、最後に残っていた安全装置を解除した。その後、自分の持ち場に戻り、ティベッツの後ろに立った。7時45分、エノラ・ゲイは投下に必要な高度32,700フィート(約9,970メートル)まで上昇を開始した。 

Hiroshima and Nagasaki Bombing Timeline という資料をみてみましょう。『The Bombing of Hiroshima: August 6, 1945』という部分を適宜省略しながら示します。

【時刻は特記しない限りティニアン時間。広島時間はティニアン時間より1時間遅れている。】

0000: ポール・ティベッツ大佐は、乗員ラウンジの一端で、第13特別爆撃任務(Special Bombing Mission No. 13)の乗員たちに最後のブリーフィングを行う。この任務は7機のB-29で構成されていた。第一目標は引き続き広島である。ティベッツは兵装機である「Enola Gay」の機長、ロバート・ルイスは副操縦士だった。2機の観測機(「The Great Artiste」と「Necessary Evil」)にはカメラと科学観測機器が搭載され、Enola Gayに同行することになっていた。

0137: 3機の気象偵察機、Straight Flush、Jabit III、Full Houseが離陸する。それぞれ独立して、広島、小倉、長崎の上空の気象状況を評価する任務を与えられていた。

0247:The Great Artisteが離陸する。

0824:Straight Flush気象偵察機のパイロットがティベッツに暗号化されたメッセージを送る。

> 「全高度で雲量3/10未満。勧告:第一目標を爆撃せよ。」

ティベッツはインターコムを入れ、「広島だ」と乗員に告げる。その後、リチャード・ネルソンに、硫黄島の飛行隊保安責任者ウィリアム・L・ウアンナへ一語のメッセージを送るよう指示する。

> 「Primary(第一目標)。」

0915:15(広島時間0815:15): 爆弾倉の扉が勢いよく開き、リトルボーイが固定フックから離れる。フェレビーが「爆弾投下」と告げる。重量9,700ポンド(約4.4トン)のリトルボーイが高度31,060フィートから放たれると、Enola Gayの機首が10フィート(約3 m)上昇する。ティベッツは直ちにEnola Gayを右へ155度急旋回させる。フェレビーは、爆弾がふらつきながらも次第に速度を増して落下していくのを見守る。

0930(広島時間0830): 呉海軍軍需部が東京へ、広島に爆弾が投下されたとの電報を送る。

1055(広島時間0955): 米軍が日本陸軍第12航空師団からの通信を傍受する。「マグネシウムのような外観を呈する、猛烈で巨大な特殊型爆弾」と報告している。

1100(広島時間1000): 広島から陸軍省へ送られた電報が、新型のアメリカ製爆弾に言及し、「これがその爆弾に違いない」と報告する。

1500(東京時間1400): 東京の同盟通信社が広島への攻撃を報道する。ただし、破壊の規模については報じていない。

夜: 日本政府の高官が、広島で甚大な破壊が生じたことを報告する。

つまり、広島の天候が不順だったときに備え、Jabit III、Full Houseがそれぞれ小倉、長崎も偵察していたわけです。もちろん、この2機は広島周辺には来ていないと思われますが。

この他にもいたのか?

以上を総合すると、投下前日、投下日、投下翌日には、City of Baraboo, Straight Flush, Enola Gay, Great Artise, Necessary Evilしか広島には来ていないと考えられますが、しかしそれでは、投下機Enola Gayを含む三機の直前に偵察しに来ていた機体がStraight Flushのみになってしまいます。しかし、以前見たように、日本側の証言では最大4機というのものもあるのです。このことは米軍の調査資料にもあります。

米国国立医学図書館(NLM)公開の戦後の米軍調査資料をみてみます。

PDF97ページ、文書の84ページ:

a. The morning of 6 August 1945 was clear with a small amount of clouds at high altitude. Wind was from the south with a velocity of about 4K miles per hour. Visibility was 10 to 15 miles.

a. 1945年8月6日の朝は晴天で、高高度に少量の雲があった。風は南から吹いており、速度は約4Kマイル毎時(原文表記)であった。視程は10~15マイルであった。

b. An air-raid “alert” was sounded throughout Hiroshima Prefecture at 0709 hours. Reports of the number of planes causing this alert were conflicting. The governor of the prefecture stated that four B-29s were sighted, while the Kure Naval District reported three large planes.

b. 0709時、広島県全域に空襲警報(「alert」)が発令された。 この警報の原因となった航空機の数については、報告が食い違っていた。広島県知事は4機のB-29を目撃したと述べた一方、呉鎮守府は3機の大型機を報告した。

c. The aircraft apparently came out over Hiroshima from the direction of Bungo Suido and Kunisaki Peninsula, circled the city, and withdrew in the direction of Harima-Nada at 0725 hours. “All-clear” was sounded at 0731 hours.

c. 航空機は、豊後水道および国東半島方面から広島上空に進入したものとみられ、市上空を旋回した後、0725時に播磨灘方面へ離脱した。0731時に空襲警報解除(「All-clear」)が発令された。

d. The following circumstances account in part for the high number of casualties resulting from the atomic bomb:

(1) Only a few persons remained in the air-raid shelters after the “all-clear” sounded.
(2) No “alert” was sounded to announce the approach of the planes involved in the atomic-bomb attack.
(3) The explosion occurred during the morning rush hours when people had just arrived at work or were hurrying to their places of business. This concentrated the population in the center of the city where the principal business district was located.
(4) Many persons residing outside the city were present for reasons of business, travel and pleasure.
(5) National volunteer and school units were mobilized and engaged in evacuation operations.

d. 原子爆弾による死傷者が非常に多くなったことには、以下の事情が部分的に影響している。
(1) 「All-clear(警報解除)」が発令された後、空襲壕に残っていた人はごくわずかだった。
(2) 原子爆弾攻撃に関与した航空機の接近を知らせる「警報(alert)」は発令されなかった。
(3) 爆発は朝の通勤時間帯に起こった。この時間には、人々がちょうど職場に到着したところであったり、勤務先へ急いで向かっていたりした。そのため、人口が市の中心部、すなわち主要な商業地区に集中していた。
(4) 市外に居住する多数の人々も、仕事、旅行、その他の用事で市内に滞在していた。
(5) 国民義勇隊および学校の部隊が動員され、疎開・避難作業に従事していた。

Enola Gay, Great Artise, Necessary Evilを偵察機と誤認することは時間的にありえません。偵察機が行ってしまった後、警報解除され、その後に投下されたからです。Straight Flush以外に偵察機がいたのかもしれませんが、機体名などの資料は探し出せませんでした。

追加:この当時の日本の防空能力を米側はどう評価していたか?

この当時、米側は「日本の防空能力は皆無に等しい」と評価していたでしょうね。だからこそ、この5ヶ月前に東京大空襲(1945年3月10日)のようなことができたわけです。

  • B-29約325機が参加
  • 夜間、低高度で東京を焼夷弾を使った大規模な市街地攻撃
  • 日本側の戦闘機による迎撃は限定的
  • 米軍側は日本の夜間防空能力の弱さを把握していた

ですから、8月の時点で「暇なB29」が、広島上空を数十分も周回したとしても、何の不思議もないのですよ。わかりましたか?林千勝さん。

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