原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(5)〜毒ガスを懸念したのは米国の方

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この記事の三行要約

  • 林は、日本が米軍による毒ガス攻撃を想定し防毒体制を整えていたことを「第一次世界大戦の教訓への対応」と説明するが、日本軍自身が中国で毒ガスを使用し、米国から報復を警告されていたという重要な背景を示しておらず、これは印象操作である。
  • ルーズベルトの1942年6月5日の日本に対する警告後も日本軍の中国での毒ガス使用は1942~43年に増加した。その一方、太平洋での使用は抑制され、東條らも米国の報復能力を警戒していたと証言している。
  • さらに日本政府は1944年、ローマ教皇庁を通じて「中国で毒ガスを使っていない」と米国に確約しており、つまり、嘘をついている。

原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(4)〜原爆投下前後に広島上空には何機の米軍機が来たのか?の続きです。

正直なところ、林の言うことが嘘すぎて頭がクラクラしそうです。しかし、気を取り直していきましょう。

大幅に飛んで、「第11章 日本は米軍による毒ガス攻撃を想定していた!」に行きますが、実は、ここを読んだ時、ひっくり返りそうになりました。

日本は米軍による毒ガス攻撃を高度に想定していた。そして、当然のことながら広島でも防毒体制が整えられていた。

(略)

日本は第一次世界大戦の非人道的な毒ガス兵器の教訓をしっかりと研究し、対応を怠らなかったのだ。

林の言う通りです。日本が「米軍による毒ガス攻撃」を想定していたのは確実と言えます。しかし、その理由がまるで書いてありませんね。なぜでしょうか?

また、その後がいけません。「日本は第一次世界大戦の非人道的な毒ガス兵器の教訓をしっかりと研究」という記述については、さて何と申し上げて良いのかわかりません。お手上げです。

事実はまるで逆です。毒ガスを使ってたのは日本です。そして、米国から「毒ガス使用をやめろ。やめないと報復するぞ!」と言われていました。だから、「米国から毒ガス攻撃があるかも」と思うのは当然だったのです。

ちなみに、この本のひどさとしては、この章は8ページもあるのに、本文は2ページでスカスカ、実質的に2/3ページくらいです。あとの6ページは何かって?「広島市永年防空計画」「昭和16年度広島市防空計画」という文書の写真をそのまま載せてるだけです。文字がかすれてるし、昔の文体なので、誰も読む人はいないでしょう。せめて、一部を現代語にして載せりゃいいと思うのに、そんなこともできないようです。

しかし、これは写真ではなく、文字起こししたものがオンラインにあるのです。上に示した写真の『「広島市永年防空計画」第十章 防毒 第一〜第三節』は、こちらのPDFの16,17ページにあります。

文字起こしされていたって、こんなものを読むのは研究者ぐらいでしょう。一般の読者は絶対に読みませんね。常識を疑う行為です。林側もですが、出版社側の行為としても信じがたいものです。これは明らかにページの水増しです。

1942年6月5日 ルーズベルトからの日本に対する警告 

まずは、Statement by President Roosevelt on June 5, 1942という文書を見てみましょう。これは機密文書ではありません。日本側に伝えられたメッセージです。

1942年6月5日

中国の各地において、日本軍が毒ガスその他の有毒ガスを使用しているとの確かな報告が、わが政府に寄せられている。私は、もし日本が中国に対して、あるいはその他いずれかの連合国に対して、このような非人道的な戦争手段を用い続けるならば、わが政府はその行為を、あたかも米国に対して行われたものとみなし、それに対して同種の、かつ全面的な報復を行うことを、疑いの余地なく明確にしておきたい。われわれは、完全な報復を実施する用意がある。その責任は日本が負うことになる。

はい、ルーズベルトは「日本軍が中国各地で毒ガスを使っている」「やめないと同種の、かつ全面的報復を行う」と言ってます。

1942年6月8日 ルーズベルトからの枢軸国に対する警告 

次は、枢軸国向けの声明です。Statement Warning the Axis Against Using Poison Gas.
June 8, 1943です。

現在の戦争が始まって以来、時折、枢軸国の一つまたは複数が、毒ガスもしくは有毒ガス、あるいはその他の非人道的な戦争手段の使用を真剣に検討しているとの報告が寄せられている。

私は、たとえ現在の敵国であっても、いかなる国家が人類に対してこのような恐ろしく非人道的な兵器を解き放つことを望み、また実行し得るとは、これまで信じたくなかった。しかし、枢軸国がそのような意図を示す大規模な準備を進めていることを示す証拠が、さまざまな情報源から、ますます頻繁に報告されるようになっている。

このような兵器の使用は、文明社会の一般的な世論によって違法とされている。我が国はこれまでそれらを使用しておらず、今後も使用せざるを得ない事態にならないことを願っている。私はここで明確に断言する。我々は、いかなる状況においても、敵がまずそのような兵器を使用しない限り、これらの兵器を使用することはない。

米国大統領として、また米軍の最高司令官として、このような絶望的かつ野蛮な手段に訴えようと考えている敵国のすべてに対し、疑いの余地が一切ないよう明確にしておきたい。

このような行為が連合国のいずれか一国に対して行われた場合、それは米国そのものに対して行われたものとみなし、それに応じた措置を取る。

我々は、このような犯罪の実行者に対して、同種の完全かつ迅速な報復を行うことを約束する。

そして今、私はヨーロッパおよびアジアの枢軸軍と枢軸国民に警告せざるを得ない。このような非人道的な手段を彼らが使用した場合、その恐るべき結果は、迅速かつ確実に、彼ら自身の身に降りかかることになる。

したがって、いずれかの枢軸国がガスを使用した場合、直ちに、その枢軸国の領土全域に存在する軍需品生産拠点、港湾、その他の軍事目標に対して、可能な限り最大規模の報復攻撃を行う。

こちらは若干穏やかになっていますが、報復措置は同じです。

ちなみに、ルーズベルト死去は1945年4月12日のことで、彼が原爆投下を決定した証拠はないようです。生きていたら投下されなかったかは誰にもわかりません。逆にトルーマンはやる気まんまんだったようです。

オッペンハイマーとの面会時のことが、Wikipedia:オッペンハイマーに記述されています。これは映画『オッペンハイマー』でも再現シーンがありますね。

戦後の1945年10月にハリー・S・トルーマン大統領とホワイトハウスで初対面した際、「大統領、私は自分の手が血塗られているように感じます」と語った。トルーマンはこれに憤激、彼のことを「泣き虫」と罵倒し、その後生涯面会を許さなかったという 

戦後の東條秀樹の証言

次は戦後の東條秀樹の証言です。No Retaliation in Kind: Japanese Chemical Warfare Policy in World War IIにあります。もちろんこれは、東條の自己弁護の側面があることをお忘れなく。

Roosevelt’s warnings and his articulation of US CW policy appear to have had an impact. Tojo acknowledged as much during his interrogation, stating, “I thought, as I had from the beginning, that the use of gas would be very disadvantageous for Japan because of America’s tremendous industrial capacity and this statement of the President strengthened my own ideas.”Footnote30 This response was echoed by Major General Akiyama Kinsei, who served as the director of the army’s CW training school at Narashino from 1935 to 1940. During his interrogation, Akiyama confirmed that Roosevelt’s threat of massive retaliation likely prevented the spread of CW attacks throughout the Pacific.Footnote31 

ルーズベルトの警告と、彼が示した米国の化学戦(CW)政策は、実際に影響を及ぼしたと考えられる。東條は尋問の際にそのことを認め、次のように述べている。

「私は当初から、アメリカの圧倒的な工業力を考えれば、ガスの使用は日本にとって非常に不利になると思っていた。そして、大統領のこの声明によって、私自身の考えはいっそう強くなった。」[脚注30]

この反応は、1935年から1940年まで習志野にあった陸軍化学戦教育学校の校長を務めた秋山錦成少将にも共通していた。秋山は尋問において、ルーズベルトによる大規模な報復の威嚇が、化学兵器による攻撃が太平洋全域に拡大するのを防いだ可能性が高いことを認めている。[脚注31]

日本軍による毒ガス使用はむしろ増えた

しかし、実際には、ルーズベルトのこの声明以降、太平洋での使用は減ったが、中国での使用は増えたのが事実のようです。

 No Retaliation in Kind: Japanese Chemical Warfare Policy in World War IIを見てみましょう。この資料は重要ですが、一部だけ引用します。

From 1942 through 1943, Japan’s use of poison gases such as vomiting and blistering agents as well as mustard gas and lewisite actually increased on the China front.Footnote27 Although US President Franklin D. Roosevelt had denounced Japan’s employment of CW in China as early as 1938, there was little he could do to stop it. With the US now in the war, however, and with more incidents of poison gas use being reported, Roosevelt attempted to take a more aggressive stand. On June 5, 1942, he publicly stated, “I desire to make it unmistakedly [sic] clear that if Japan persists in this inhuman form of warfare against China or against any other of the United Nations, such action will be regarded by this Government as though taken against the United States and retaliation in kind and in full measure will be meted out” (Rosenman 1950, 258). Any such threats to retaliate in kind at that time, however, were largely hollow and not likely to be realized as the US did not then possess sufficient quantities of chemical weapons in the Pacific to respond on a large scale (Spiers 1986, 73–75; Moon 1984, 12–14). But it was important, perhaps, for the US to clearly articulate its own CW policy in order to attempt to deter further Japanese use of chemical weapons in China.

1942年から1943年にかけて、日本による中国戦線での毒ガス使用は、催涙・嘔吐性ガスやびらん剤、さらにはマスタードガスやルイサイトなどを含め、実際には増加していた。[脚注27]米国大統領フランクリン・D・ルーズベルトは、1938年の時点ですでに日本による中国での化学戦(CW)の使用を非難していたが、それを阻止するためにできることはほとんどなかった。しかし、米国が参戦し、毒ガス使用の事例がさらに多く報告されるようになると、ルーズベルトはより強硬な姿勢を取ろうとした。

1942年6月5日、ルーズベルトは公に次のように述べた。(省略「先の日本に対する警告」)

しかし、当時このような「同種の報復」を行うという脅しは、実際には大部分が実効性に乏しいものだった。というのも、当時の米国は、太平洋地域において日本に対して大規模な報復を行えるだけの十分な量の化学兵器を保有していなかったからである(Spiers 1986, 73–75; Moon 1984, 12–14)。それでも、おそらく米国にとって重要だったのは、中国における日本の化学兵器のさらなる使用を抑止するために、米国自身の化学戦政策を明確に示すことだったのである。 

対外的には「使ってない」「使わない」と嘘をついていた

しかも日本は、対外的には「使ってない」と嘘をついていたのです。

The Assistant Secretary of State (Long) to the Apostolic Delegate (Cicognani) を見てみましょう。

ワシントン、1944年3月30日

親愛なるチコニャーニ大司教閣下

1944年2月15日付の貴信を拝受しました。同書には、教皇庁に派遣された日本政府特使からの確約が伝えられており、それによれば、中国における日本軍はこれまで毒ガスを使用したことはなく、また米国が同じ原則を遵守する限り、日本も今後とも毒ガスの使用を控えるとのことです。また、日本政府特使は、この確約を米国政府に伝えてもらいたいとの要請を行った、と記されています。貴殿から提供されたこの情報は、米国の関係当局に伝達されました。ガス戦の使用に関する米国政府の立場は、1943年6月8日の大統領声明において、十分かつ明確に表明されています。ご参照いただけるよう、その声明の写しを同封いたします。

敬具
ブレッキンリッジ・ロング 

まとめ

林がこの事実を知らないというのは、実のところ考えにくいです。知りながら、印象操作をしているとしか考えられません。その理由を私は思い当たるのですが、ここで表明するのはやめておきましょう。こんなことをもし本当に知らないのだとすれば、歴史を語る資格などないでしょうね。

この問題についての詳細は、日本軍が条約違反の毒ガスを製造・使用し、終戦時に中国に遺棄した事実をご覧ください。

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