原爆なかった論の戯言:資料集〜被爆直後の人が原爆とわかるわけない!

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林千勝は『広島・長崎 悲劇の正体』において、しきりに当時の人たちの証言『米軍がガソリンをまいた』『毒ガスだと思った』などをとりあげて印象操作しようとしていますが、原爆投下直後の人たちに原爆だなどとわかるはずもありません。大混乱の状況の中で、人々はしきりに何が起こったのかを自分なりに解釈しようとしていただけなのです。

どういった証言があったのかを見ていきます。適宜追加していきます。

『原爆は本当に8時15分に落ちたのか』

原爆は本当に8時15分に落ちたのか: 歴史をわずかに塗り替えようとする力たち』という書籍です。著者は、一般に言われている8:15爆発に疑念を抱いた元朝日新聞記者です。 

P144:NHKの第一報

「ここに、こんな記事が載っていますよ」と、調査部の女性が『広島・長崎の原爆災害』(岩波書店、一九七九年)を持って来てくれた。ナマのデータを探す私を見ていて協力してくれているのだ。そこには被爆当日の六日午後六時にNHK大阪放送局から送り出されたラジオニュースの、きわめて簡単な文章が載っていた。これは、さきに紹介した『幻の声、NHK広島8月6日』にも載っている。

八月六日午前八時二十分、B29数機が広島に来襲、焼夷弾と爆弾を投下したのち逃走せり。被害状況は目下調査中。”

現在なら、ニュースは時間を追うごとに新しい情報が増えていくのに、この放送は六日午後六時から九時にかけてなんの説明も加えられないまま、同じ内容が数回繰り返されたといわれる。これこそ国民の耳にはじめて届いたヒロシマ原爆第一報だった。だが、それにしても「八時二十分来襲」とは。朝日の七時五十分に対し、三十分間もの食い違いがある。同じ日の取材なのに、どうしてこうなったのだろうか。

被爆当初、マスコミはもちろん広島の第二軍総司令部も「一発で全市を破壊するほどの大型爆弾」だとは知らず、市内各所で次々に起こる大火災をみて、何十何百の焼夷弾や爆弾による連続攻撃を長時間にわたって受けた、と思った。原爆は一発だが下界にいる者は、古田アナのように、爆心からかなり離れたところにいても、あの瞬間「直撃だ」と思ったのも無理からぬところだ。爆心から一・九キロにいた私を含めてたいていの市民は「すぐ近くに爆弾が落ちた」と錯覚した。

極端にいえば、気象台の北さんが指摘するように、わが家に火がついた時間を爆発時間だと思って当然だろう。実際、突然襲って来た地獄絵のような状況では、たいていの人間は気が動転し、このような思い違いはあり得ることだろう。

先に紹介したように中学の後輩、日下部暘君は爆心から一・五キロの自宅で被爆した。自宅が燃えてきたため約一キロ離れた比治山に逃げたが、全市が燃えているので「とても一発の原子爆弾でやられた」とは思えなかったと証言している。

“比治山に駆け登って市内を見わたしたところ、あちこちから火柱が上がっているのが見えた。一つ二つと勘定していくと全部で二三カ所から火の手が上がっていた。「わずか二、三発の爆弾で広島全体がやられたのか。すごい爆弾が出てきたものだ」と近くに居合わせた人たちと話し合ったのを覚えている。”

一挙に燃え上がった猛火に包まれて「米軍はガソリンを大量に撒いて火をつけた」と思った市民もいた。いったい何が起こったかもわからぬ、このような混乱状態が爆発時間の特定を一層むずかしくしている。それがNHKの「八時三十分投下」や朝日の「八時三十分脱去」のようなさまざまな時間になったのだろう。

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