原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(15)〜廣島爆撃調査報告のウソ

原爆なかった論の戯言シリーズはこちら

この記事の三行要約

  • 陸軍航空本部技術部の調査団は、広島の被害を詳細に検討し、使用された爆弾は原子爆弾であると明確に判断した。
  • 原爆説に疑問を呈する火薬・マグネシウム粉散布説なども検討したが、いずれも「原子爆弾」という判断を根本から覆す根拠にはならないと結論している。
  • 林千勝がこの「原爆ではない」という諸説だけを切り取り、調査団が原爆説を否定したかのように主張するのは、文書の結論を隠した悪質なウソである。

林千勝『広島・長崎 悲劇の正体』の第15章です。

 

林千勝のいつもの騙しの手口

『第15章 原爆に非ず!航空本部技術部廣島爆撃調査報告』について、林の真っ赤なウソを暴露していきます。この章の冒頭に、林はこう書いています。

P174:陸軍航空本部技術部広島爆撃調査報告 第七「原子爆弾に非ずとする各種の事象」(昭和20年(1945年)8月10日 )には、原爆と断定しては説明・解釈に困難をきたす各種の事象が、軍事専門家の観点から詳述されている。

そして、この文書に記述された「原爆ではないだろう」という証言をいくつか引用していますが、最後に林はこうまとめています。

P176:歴史的な証言。特に太字部分。最後は、教官が、「協力なる焼夷弾を併有する液体酸素爆弾にして原子爆弾に非ず」と断言

これも林の常套手段、文脈を見せずに一部だけを切り取り、印象操作する手法でしかありません。文書全体を見れば、林の主張が成立しないことはすぐわかることなのですが、この本を読むような人はそんなもの見ようとしないでしょう。まして旧仮名遣いの堅苦しい文書など、研究者以外は読まないでしょうね。

調査団の判断の概要

あとで実物を示しますが、調査団の判断の概要としては以下にまとめられます。

  1. 使用された爆弾は原子爆弾であると判断した。
    普通の爆薬や焼夷剤による爆撃では説明できないほど、広範囲にわたって強大な破壊・火傷・火災などが発生したことを重視した。
  2. 爆発地点は、護国神社の南方約300m、高度約550mと推定した。
    樹木や建物の倒壊方向、爆風による損傷、防空壕などに残った閃光の痕跡、海軍の測定結果などを総合して、この位置を爆心と判断した。
  3. 爆圧は非常に大きく、爆心地付近では約6~10 kg/cm²程度と判定した。
    300~500m付近でもコンクリート塀、鉄塔、松の木などが強烈な爆風によって破壊されていたことを根拠としている。また、爆圧は瞬間的に一気に作用しただけではなく、ある程度の時間持続したものと解釈している。
  4. 人的被害では火傷が特に重要だった。
    被害の約80%が火傷であり、爆心付近では全身火傷による即死、遠方でも火傷が発生した。これらを強烈な光線・熱線の作用と判断した。
  5. 熱線だけでなく、放射線の影響も認めた。
    感光材料の感光、白血球数の減少、中心部付近の土砂からの放射能、外傷が軽微なのに1~2日後に死亡した例などを根拠として、γ線(X線)などの放射線の作用を考えた。さらにβ線の作用についても疑いを示している。
  6. 火災は、主として熱線によって可燃物が発火したものと判断した。
    藁、薄い板、紙、黒色の布などが閃光と同時に発火した事例を重視している。
  7. 原子爆弾そのものには落下傘は必要ないと判断した。
    落下傘付きで回収された円筒形物体については、原爆本体ではなく、爆圧・熱・光などを測定して無線で通報する測定装置(ラジオゾンデ式装置)と推定した。そのため、「原爆には落下傘が付いていた」という目撃証言の一部は、この装置との混同と考えた。
  8. 原爆説に疑問を呈する複数の現象も検討した。
    火薬粉・マグネシウム粉を事前に撒布して爆発させた説、原爆以外の焼夷弾・マグネシウム弾を併用した説、可燃性金属粉が原爆の閃光によって爆燃した説、強力な焼夷剤を併用した液体酸素爆弾説などを挙げて検討している。
  9. しかし、それらは原子爆弾との判定を覆すほどの根拠を持たないと結論した。
    報告書は、「原子爆弾ではない」とする各種の現象が存在すること自体は認めながらも、「何れも根底ヨリ之ヲ覆ヘシ得ルニ足ルモノナシ(いずれも根本からこの判定を覆すに足るものではなかった)」としている。

要するに調査団の結論は、「広島で使用された爆弾は、普通の爆薬・焼夷剤ではなく原子爆弾である」 ですね。

つまり、ウソつきの林は、調査団が「いずれも根本からこの判定を覆すに足るものではなかった」として付記したものを故意に大きく取り上げ、いかにも原爆ではないかのように印象操作しているわけです。

『陸軍航空本部技術部広島爆撃調査報告 昭20・8・10』一次資料

これもまた、国会図書館のアカウントがあれば、簡単に誰でも見れるものです。国会図書館『広島県史 原爆資料編』にあります。205コマ(印刷ページ363)〜212コマ(印刷ページ376)の部分です。

ここでは、読みやすいように現代仮名遣いにし、旧字体を新字体にするなどしています。AIに文字起こしをさせ、現代語訳にしています。あまりに無関係な部分は省略しています。これを読めば、林がここでもまた大嘘をついていることが誰にでもわかります。

なお、

  • 赤字は重要部分です。ここだけ読めば、この文書の結論はわかります。
  • 青字は林が引用している部分(ここでは現代語になっているので、同じ文言ではありません)
  • 茶色は、林が故意に引用していない部分(不都合な部分をカットするという林のいつもの手口です)

陸軍航空本部技術部広島爆撃調査報告 昭20・8・10

[新妻清一氏蔵]

広島爆撃調査報告

航本技術部

第一 調査の目的

大本営調査団に参加した者を中心として、主として使用された爆弾の種類を究明し、一般国民に対して発表すべき事項、ならびに全般的な対策事項を決定するための資料を得ることを目的とする。

第二 判決(※調査の結果として下した判断・結論)

  1. 今回の爆弾の主体は、普通の爆薬または焼夷剤を使用したものではなく、原子爆弾であると認める。
  2. 一般国民に対する発表資料については、別紙第一「特殊爆弾に対する一般説明」による。
  3. 全般に対する対策事項については、別紙第二「特殊爆弾調査報告」による。

第三 処置事項

すでに調査した事項および対策事項については、研究・検討のうえ文書としてまとめ、順次、航空便または電報によって上司に報告する。同時に、その一部については、直ちに各軍の参謀長宛てに電報で報告した。

第四 経過概要

  • 8月8日 調査団が広島に到着。
  • 8月9日 第二総軍、地区司令部、中国軍管区司令部、船舶司令部などで調査を行った。
  • 8月10日 被害現地において9か所で各種の調査を行い、広島陸軍兵器廠において研究会を開催した。主催は調査団であり、出席者については別紙第三のとおり。
  • 8月11日 補足調査を行った。
  • 8月12日 資料を収集した。

[別紙三]
(略)

第五 編成
(略)

第六 調査の概況および判決理由

一 空襲当日の状況

敵機来襲時には警戒警報が発令されていなかったため、軍・官・民を通じて上空を警戒していた者は少なかった。多くの者は、閃光とほぼ同時に空襲を感知した。機数、投弾数、落下傘の有無、爆発の状況などについては、目撃者によってそれぞれ証言が異なり、どの証言を採用すべきかについて大いに迷うところがあった。しかし、当時実際に監視任務についていた宇品地区の高射砲観測所、ならびに中野探照灯台の砲台警備隊監視哨などの観測結果と照合すると、一致する点が多かった。その結果、次のように判断した。

  1. 午前8時16分ごろ、B-29型機1機が西南方向から西方へ向かって進入した。広島上空では、一機は南方へ、他方は北方へ分進したとされる。高度は約9,000メートルであった。
  2. 南へ進行した一機は、分進する際にほとんど垂直に旋回し、その後急速に高度を下げて、見失う直前の高度は約1,800メートルであったとの観測がある。北へ向かった機体は、旋回後しばらくして、3個の爆弾型物体を投下した。この物体には直ちに落下傘が開いた。
  3. 原子爆弾を投下したのは、南進した1機であり、その機体が旋回する前にすでに投下したものと考えられる。この爆弾には落下傘は付いていなかったようである。落下の際には、当然、爆弾が飛行する音のようなものが生じるはずであるが、それを聞き取った者は極めて少なかった。しかし、このような高高度から投下されたものであるため、飛行音が到達する時点と爆発音が到達する時点との時間差が極めて小さかったことから、聞き取った者が少なかったのではないかと考える。
  4. 共に進行していた1機が投下した落下傘の付いた物体については、広島市外の北方地区に落下したものを回収した。海軍の調査によれば、長さ約1.5メートル、直径約30センチの円筒形の物体で、一種のラジオゾンデ式の判定装置である。原子爆弾を投下した際の爆発の状況を、無線によって自動的に基地へ通報できるよう企図したものであり、爆圧・熱・光などをそれぞれ別々に感知できるこの装置を投下したものではないかと考えられる。
    一般に、今日の爆弾には落下傘が付いているかのように言われていたのは、まったくこの装置と混同して見た結果であって、必ずしも落下傘を伴っていたものではない。
  5. 閃光の直後、広島市中央の上空に大きな環状の赤い煙が生じ、これと同時に、地上には白色およびやや黄色を帯びた煙柱が生じた。これらは次第に上昇し、約12,000メートルに達したという。閃光は、マグネシウムを燃焼させたときに生じるものに似た青白い色であった。おおむね1回だけだったという者が多かったが、遠くから見た者の中には、2回ないし3回感じた者もいた。
  6. 爆風は、爆発地点の直下付近では閃光とほとんど同時に感じられた。しかし、2,000メートル以上離れた地区では、閃光から若干の時間を置いて爆風を感じた。
  7. 爆発音は、中心付近では閃光と同時に聞こえたが、中心から離れるにつれて時間差が生じた。また、爆発音をまったく聞かなかった者もいた。聞いた者の中にも、「雷のように大きかったが、それほど強烈ではなかった」とする者などがいた。爆発音は一般には1回だけだったと聞き取った者が多かったが、場所によっては2~3回聞いた者もあり、一様ではなかった。 

二 被害の状況

  1. 家屋の破壊および火災
    広島市全域にわたって家屋が倒壊し、火災が発生してほとんど焼失した。焼失を免れたものでも、全壊または大破したものが広範囲に存在した。全壊または大破した範囲は極めて広く、広島市全体がほとんど壊滅したと言っても過言ではない。従来の焼夷弾または爆弾による攻撃とはまったく異なる被害状況を示していた。(略)
  2. 人畜に対する被害
    被害のおよそ80パーセントは火傷であった。全身に火傷を負って即死した者は、中心部付近にいた者に多かった。表皮がむける程度のものは直径2キロメートルの範囲、普通の火傷は3キロメートルまで、軽傷は約4キロメートル付近まで及んだ。しかし、中心部から約4キロメートル離れた地点にある飛行場の兵員にも、上半身に重い火傷を負った者が数名いた。また、閃光が発生したときには特に痛みやかゆみを感じず、取り立てて外傷も認められなかった者でも、1~2日後に水ぶくれが生じて死亡した者などがいた。また、入院患者の30パーセントが死亡する状況であった。
  3. 爆弾に対する被害
    燃料には特別な被害はなく、また、爆弾や砲弾などについても、信管を付けたまま蓄積していたものに被害はなかった。
  4. 飛行機に対する被害
    中心部から約4キロメートル離れた広島飛行場では、掩体の中に入れてあった第六航空軍の双発高等練習機は、爆風によって尾翼および胴体が小破した。また、露出していた通信教育隊の「キ84」1機は、胴体を下方に押しつぶされ、さらに操縦席付近から出火して大破した。

三 原子爆弾と判定した理由

  1. 爆圧が強大である
    1キログラム爆弾を地上で静止爆破した場合の有効破壊半径を500メートルとすると、今回と同程度の破壊が生じた半径は約10キロメートルであり、距離にすると20倍である。したがって、爆破中心部における爆圧は約8,000倍に達する。すなわち、1トン爆弾に相当する。
  2. 閃光と同時に発火・焼失したものの中には、白紙に黒く書かれた数字があった。また、閃光と同時に強い熱気を感じて火傷を負った者もいた。さらに、閃光と同時に、木片・藁・黒色の布など、引火しやすい物が発火した。これらは、強烈な熱線の影響によるものと判定された。
  3. 閃光の直後に顔面を覆ったため、顔面の火傷を免れ、手の裏側を火傷した者、白いシャツを通して火傷した者、また、ガラス窓の内側にいても火傷を負わなかった者がいた。
    これらは、主として輻射線(熱線よりもむしろガンマ線)による作用と考えられた。 ただし、放射線(アルファ線、ベータ線など)の作用も加わっている可能性がある。
  4. 暗室にあった写真の感光剤が光を感じて感光したもの、水中の魚の背部が白く焼けて死亡したもの、外傷はそれほど顕著ではないのに1~2日後に死亡した者がいた。また、調査の結果、中心部付近の土砂から放射線が継続して検出されたものや、人員の中に著しく白血球数が少なくなった者がいた。これらは、放射線の影響によるものと判定された。
  5. 発光と同時に、強烈なオゾン臭を感じた者が多かった。

四 調査の結果、判定した事項

  1. 爆発点は、広島市中央部の護国神社南方約300メートル付近、高度約550メートルである。
    理由
    焼けた樹木の幹は市内の各所に多数残っており、その多くは爆風によって倒され、または途中から折れていた。その方向は、爆発中心部を中心として外側へ向かっていた。
    市内の外側から順次調査していくと、上方から裂けたものや、枝が途中で折れて地面に落下しているものがあり、さらに進むと、樹幹の傾斜が認められない地点に至った。
    樹木だけでなく建物についても同様の状況が見られた。つまり、上方から強烈な爆圧を受けたものと判定された。そこで、この状況が顕著に認められる地点である護国神社南方約300メートルを中心部と推定した。
    海軍の測定結果も、おおむねこれと一致している。また、高度については、当時、実際に目視した者の証言では500メートルから1,000メートルとする者が多く、おおむねこの範囲にあると見当をつけた。その根拠となる証拠をさらに調査したところ、地区司令部玄関前の西練兵場南側にある防空壕の通風筒(木製の欄)に、閃光を受けたのと同時に焼けたものと判定できる痕跡を発見した。また、斜め方向から入射した角度を示す線も発見した。そこでその角度を測定し、先に推定した中心部までの地上距離と合わせて検討した。(略)
  2. 爆心地の地上における爆圧は、1平方センチメートル当たり約6キログラムであり、人体が吹き飛ばされる程度であった。
    理由
    中心部付近では、樹木や家屋などが上方からの爆風によって裂けたり、圧壊したりしたものと判断できる。しかし、爆発地点の直下付近であっても、防空壕に木柱の支えがあり、その上部に30センチから50センチの土砂を盛っていたものには、ほとんど圧壊の痕跡がなかった。また、中心部にかなり近い場所にいた負傷者の中に、鼓膜を破られた者がほとんどいなかった。このことから、瞬間的にものすごく強大な爆圧が作用したのではなく、相当大きな爆圧がある秒時の間、持続したものと解釈される。
    中心部から約2キロメートル離れた第二総軍司令部へ出勤する途中にいた兵器部長が、乗馬していた馬とともに横倒しになって負傷した例、2キロメートル付近の市内各所で煉瓦造りの煙突が上半分を吹き飛ばされた例、市内に多くある橋梁の欄干(鉄筋コンクリート製)が倒れた例などから、半径約2キロメートルの範囲では、爆圧に大きな差はなかったものと推定される。中心部に近い場所でも遠い場所でも、一般には防空壕などを除くと、細部にわたって判定できる資料に乏しい。しかし、300~500メートル付近で、厚さ約20センチのコンクリート塀が根元から倒壊していた状況、基部が50センチで高さ6メートルの鉄塔(10センチのアングル材で構成)が途中から倒壊していた状況、根元の直径20センチの松の木が高さ5メートル付近から切断されているものが散見されることなどから、爆風は中心部付近で1平方センチメートル当たり6~10キログラム程度に達したものと判定された。海軍調査団の判定も同様である。
  3. 火傷の原因は光線の作用によることは確実だが、β線の作用も疑われる。光線の持続時間は瞬間的なものではないようである。
    理由
    人体に対する被害の大半(約80パーセント)は火傷であった。中心部からおおむね2キロメートルの範囲で負傷した死体を調べると、即死した者はおおむね全裸になっており、瞬間的に衣服が焼失し、全身が赤く変色していた。また、黒色の文字、黒い布、葉、板、帽子、軍服などが焼損または変色していることから見ても、熱線の影響が相当に大きかったことが認められる。γ線(X線)も相当量放射されたものと考えられる。その理由は、市内の日本赤十字社に保管されていた感光材料が感光していたこと、また外傷が軽微であるにもかかわらず、特別な原因もないのに吐血した者が、1~2日後に突然死亡した例があったこと、さらに水中の魚類の背部が白く焼けたものなどが続出したことによる。さらに、海軍軍医部の調査によれば、中心部にいた比較的軽傷だった者についても、白血球数が相当に減少していただけでなく、中心部付近の土砂を調べたところ、相当程度の放射能が持続しているという事実もあった。β線の作用があったと推定されるのは、上述のようにγ線の存在が明らかである以上、当然β線も伴っていたものと考えられるからである。また、窓ガラスを通して感光したにもかかわらず負傷しなかった者などがいることも、β線のような放射線が存在したという説を支持する。ただし、これらの作用は紫外線によっても引き起こされるものなので、紫外線が存在したことを示すものとも考えられる。一方、人の眼の損傷が少ないことは、紫外線がそれほど強力ではなかったことを示すもののようである。また、多数の市民の証言によれば、閃光を感じると、はっとして反射的に手で顔面を覆った者、遮蔽物の下へ突進した者、防空壕へ走った者などの火傷は、中心部付近を除けば比較的軽微であった。このことから、光線は瞬間的なものではなく、ある程度の秒数にわたって持続したものと判定された。
  4. 火災の原因としては、藁、薄い板、紙、黒色の物など、引火しやすい可燃性物質が光線によって発火し、火災の原因となった。
    理由
    閃光の直後から火災が各所で発生したという事実がある。中心部付近の地区司令部では、建物が圧壊した後、しばらくして露出した木材の角に引火しているのを発見した例がある。中心部から2.5キロメートル離れた「己」某地区では、電柱(タールを塗布してあったもの)および理髪店の屋根の一部から出火した。また、「キ八十四」の操縦席から自然発火したようなもの、広島駅付近の石炭貯蔵場から出火した例や、白紙に墨で数字を書いたものについて、数字の部分だけが焼け抜けた例など、各種の事例があった。

第七 原子爆弾ではないとする各種の事象

使用された爆弾は原子爆弾であると断定できるものの、そのように断定すると、説明または解釈することが難しい各種の事象が発生していたことが見聞されている。また、これらの現象から推断して、「原子爆弾ではない」と主張する者も相当数いた。しかし、いずれも根本からこの判定を覆すに足るものではなかった。その主なものを挙げると、次のとおりである。

一、前日の5日夜から6日朝にかけて密かに行動し、広島上空から火薬粉、マグネシウム粉、その他の発火剤または閃光剤を一面に撒布し、当日、何らかの方法でこれに点火して大爆発を起こさせたものではないか、という説である。その理由は、

  1. 閃光をさまざまな場所、さまざまな高度で感じたこと(特に低い位置で感じたこと)。
  2. 発光物が各所に落下するのを見たこと。
  3. 爆発音を2回ないし3回聞いたこと。
  4. 中心部付近で、着火に使用したものと推定される小型爆弾が拾得されたこと。
    (第二総軍参謀副長、海軍兵学校教官、船舶司令部など)撒布するために必要な数量、およびそれに必要となる航空機の数から見ても、実行はほとんど不可能に近い。また、そのような強力な火薬粉または「マグネシウム」粉が存在するのかも疑問である。閃光は瞬間的で強烈だったため、さまざまな場所で感じることができた。このため、その位置については錯覚を起こしやすい。また、中心部付近で拾得された小型爆弾は、中国軍が使用した郷弾筒の弾薬であり、返送されて保管されていたものと推定される

二、当日、大閃光が発生する前に小閃光があり、それと同時に赤色の煙が生じ、それが次々に落下して、しばらくした後に大閃光を感じたという現象があった。これは、空中に撒布した火薬粉またはマグネシウム粉に着火させるための前段階の操作ではないか、という説である。(海軍兵学校教官、某海軍士官、京都大学の荒勝教授、第二総軍の平野参謀など)火薬粉説については、一の説と同じ理由から可能性は少ないものと考える。ただし、原子爆弾を爆発させるための前段階の操作として、あるいはこの事実が実際にあったのかもしれない。多数の目撃者がいることから、一応研究する必要がある

三、原子爆弾1個だけを投下したのではなく、その他の各種焼夷弾またはマグネシウム弾も投下したものと考える。さらに、閃光の後、板の表面に無数の「マグネシウム」燃焼粉末のような白色の斑点が付着しているのを見たという例がある。
(広島陸軍兵器学校教官)
原子爆弾のほかに、焼夷弾または「マグネシウム」弾を投下したものではないかと考えられる。各種の状況から判断したものである。

1 原子爆弾が主体ではあるものの、強大な熱を発生させるために、アルミニウム粉、マグネシウム粉、酸化鉄粉、または火薬粉を併用していたのではないか。あるいは、これらを小型爆弾として、爆発と同時に撒布・発火させたのではないか。ただし、直線距離で4キロメートル離れた兵器学校付近でも、大閃光とほとんど同時に爆発しているためには、1~2秒間でその地点に到達する必要がある。その点は疑問である。

2 原子爆弾の大閃光によって、空中または地上に存在していた可燃性金属粉(マグネシウム粉など)が、同時に爆燃を起こしたのではないか。(仁科博士の説)

四、強力な焼夷剤を併用した液体酸素爆弾であって、原子爆弾ではない。理由は、普通の爆薬なら約5キログラムを空中で炸裂させれば今回程度の破壊を生じさせることができ、液体酸素の場合なら、その10分の1程度で可能だからである。(海軍兵学校教官)

第八 対策

一般的な対策

  1. 警戒警報中であっても、敵機が上空に接近したことを知った場合は、屋根などで覆われた屋外防空壕に退避する。
  2. 防空壕に入る時間がない者は、遮蔽物の下に入り、姿勢を低くする。閃光の後は直ちに空地へ飛び出す。
  3. 衣服は身体の露出部分をなくし、厚着をする。できるだけ白色の下着を着用する。
  4. 火傷薬を常時携行する。
  5. 防空壕には爆風除けを設ける。
  6. ガラス窓は負傷の原因となるので、できるだけ撤去する。日本家屋は半地下式に改築することが望ましい。
  7. 消火器具を備える。家屋の倒壊の危険が少なく、屋外からの火災にも対処しやすい場所を選ぶ。
  8. 飛行機は有蓋掩体または地下に格納し、防護する。(略)
  9. 燃料・弾薬などについては、一般的な防護対策で特別な考慮を必要としない。最善を期するためには地下に埋没するか、横穴式防空壕に収容する。
  10. 高射砲その他の対空部隊用兵器は、できるだけ高い位置に設置し、偽装材料によって隠蔽できるようにする。
  11. 工場については、爆圧に耐えられるよう建物を補強する。特に外壁を強化し、ガラス窓を最小限にする。ガラス窓は板張りに改造する。重要な設備には、外部に爆風除けを設ける。白色のカーテンなどを使用して熱線の照射を防ぐ。建物が倒壊した際の破片の飛散を防ぐため、重要な部分には木製の覆いなどを準備する。
    また、木材、油、石炭、塗料など引火しやすい物質は、できるだけ建物の外部にまとめて置かないようにする。森林内などに分散させる場合には、工場内の電流を完全に遮断できるようにし、火気は直ちに消す。
  12. 燃料・弾薬などについては、一般防護の程度でよいと考えるが、最善を期するため地下または横穴式防空壕に収容する。

第九 信頼できる筋から得た情報

(略)

別紙第一

特殊爆弾に対する一般説明―新聞発表を主眼としたもの―

今回、広島に使用された特殊爆弾は、調査の結果、かねて研究中であった原子爆弾であることが確実となった。原子爆弾とはどのようなものか。これは、元素ウランの原子核が分裂するときに生じるエネルギーを利用したものである。

(略)

主要な対策を示せば、次のとおりである。

  1. 警戒警報中であっても、敵機が近づいていることを知ったら、屋根のある屋外防空壕に待避すること。
  2. 防空壕に入る時間がない場合は、遮蔽物の下に入り、姿勢を低くする。閃光の後、速やかに空地へ脱出すること。これは爆風によって建物が倒壊し、人体を傷つけるおそれがあるためである。
  3. 露出部分の少ない服装とし、厚着をする。できるだけ白色の下着を使用する。
  4. 火傷薬を必ず携行する。
  5. 防空壕には爆風除けを設ける。
  6. ガラス窓は細片となって負傷の原因となるので、直ちに撤去する。日本家屋は半地下式に改築する。
  7. 消火器具を設置する場所は、家屋が倒壊する危険が少ない屋外の壕内などを選ぶ。

別紙第二

特殊爆弾調査報告 派遣調査団

一、 判決

今回の爆弾の主体は、普通の爆薬または焼夷剤を使用したものではなく、原子爆弾、またはこれと同程度の威力を持つ特殊爆弾であると認める。

  1. 爆発点は、広島市中央、護国神社南方約300メートル付近、高度約550メートルである。
  2. 爆圧は爆心地上で1平方センチメートル当たり約6キログラム程度と推定する。ただし、なお精密な検討を必要とする。
  3. 火傷の原因は光線の影響であるが、β線およびX線の影響もあると考えられる。光線の持続時間は完全な瞬間的なものではないようである。
  4. 火災の原因は、熱線によって引火しやすい物質、たとえば藁、黒幕などが発火することによる。
  5. この種の爆弾は単機あるいは少数機によるものであって、必ずしも落下傘を伴うものではない。

二、 対策

一般に、この光にさらされた皮膚は火傷を負うのが普通である。しかし、照射には多少の持続時間があるので、直ちに姿勢を低くし、また別の物で露出した部分を覆えば、火傷を防ぐことができる。爆圧は大きく、一般に木造家屋は倒壊する。しかし、爆圧は音速(毎秒約330メートル)で伝わるので、中心から少し離れた地点では、光を感じた後、速やかに対処すれば、家屋の倒壊による人体への被害を避けることができる。引火しやすく、また光を吸収しやすい物、例えば藁や黒色の布のようなものは、照射されると発火し、火災の原因となることがある。 

  1. 警戒警報中であっても、敵機の接近を知った場合は、有蓋の屋外防空壕に退避する。
  2. 防空壕に入ることができない者は、遮蔽物の下に入り、姿勢を低くする。閃光の後は直ちに空地へ脱出する。
  3. 露出部分の少ない服装とし、厚着をする。できるだけ白色の下着を使用する。
  4. 火傷薬を必ず携行する。
  5. 防空壕には爆風除けを設ける。
  6. ガラス窓は負傷の原因となるため撤去し、日本家屋は半地下式に改築する。
  7. 消火器具を設置する場所は、家屋倒壊の危険が少ない屋外の壕内などを選定する。
  8. その他については、一般の防空対策と同じである。

「実行は不可能である」という判断

この『第七 原子爆弾ではないとする各種の事象』について、青字で示した林の引用部分に対する茶色の反論はとても重要です。林にとっては極めて痛いはずで、決して引用したくなかったでしょうね。再度引用してみますと

撒布するために必要な数量、およびそれに必要となる航空機の数から見ても、実行はほとんど不可能に近い。また、そのような強力な火薬粉または「マグネシウム」粉が存在するのかも疑問である。閃光は瞬間的で強烈だったため、さまざまな場所で感じることができた。このため、その位置については錯覚を起こしやすい。また、中心部付近で拾得された小型爆弾は、中国軍が使用した郷弾筒の弾薬であり、返送されて保管されていたものと推定される

火薬粉説については、一の説と同じ理由から可能性は少ないものと考える。ただし、原子爆弾を爆発させるための前段階の操作として、あるいはこの事実が実際にあったのかもしれない。多数の目撃者がいることから、一応研究する必要がある

要するに、「お説はわかりましたが、実行は不可能だよ」と言ってるわけです。そもそも論として、一発の原爆投下ではなく、220機(パルマーによる)のB29がバラバラと投下していくなど無理な話です。そして、そんな強力な火薬やマグネシウムの存在も疑問だと。林はこの根本原理をまるで理解できていないのです。

毒ガスはどこに行った???

おかしいですね、原爆説に疑問を呈する複数の現象には、毒ガスを示すものが一切ないのです。なぜですか?

調査団は、被害の約80%が火傷であり、爆心付近では全身火傷による即死、遠方でも火傷が発生したと。これらを強烈な光線・熱線の作用と判断したのですが、原爆説に疑問を呈する複数の現象の中にも毒ガスは一切出てきません。わけがわかりませんね。

また、別紙一、二でも原爆であり、その対策は原爆を前提としたものになっているのです。

これもまた、林が大嘘つきであることが容易に理解できる事例です。

 

コメント