ジョン・ロックの思想から日本国憲法まで

「人権」とは何であり、どこからきたものか?の続きです。

この記事の三行要約

  • ロックは、自然権は国家が与えるものではなく、人間が生まれながらに持つものであり、国家の役割はそれを守ることだと主張した。また、政府が重大かつ継続的に自然権を侵害する場合には抵抗権が生じると考えた。
  • 米独立宣言と仏人権宣言は、この思想を受け継ぎ、「人権が先にあり、国家はその保護のために存在する」「主権は国民にある」という原理を宣言した。
  • 近代立憲主義はさらに、国家も人権を侵害しうることを前提に、憲法と三権分立によって国家権力を制限する仕組みを作り、日本国憲法はその考え方を具体化したものである。 

ジョン・ロックの思想

さて、前回書いたことですが、

  • 自然法「人を殺してはいけない」→自然権「命が守られる権利がある」
  • 自然法「他者の財産を盗んではいけない」→自然権「財産を保有する権利がある」 

という思想があり、後に形成されたのが、

  • 自然法「人を奴隷にしてはならない」→自然権「自由に生きる権利がある」

これらは実はロックの発明でもなく、長い歴史があありました。例えば、中世での自然法はキリスト教の影響を強く受けていることは当然ですが、それ以前のキリスト教以前からあったといいます。

しかし、ロックの革新的だったところは、当時の考え方をひっくり返したことです。それは、

王は神によって統治を任されている。 人民は王に従うべきである。

つまり、王権神授説ですね。まぁ、ここを肯定する人はこの先を読む必要はないでしょうけれども、ロックの主張としては、

  • 王が神から特別な権利を与えられた証拠はない
  • 王の権力がアダムから受け継がれたという根拠もない
  • 王も他の人間と同じ人間である 

そして、こう考えたわけです。

  • 人々にはそもそも自然権がある
  • これは国家が与えるものではない
  • 国家の役割は、人々の自然権を守ることである
  • 政府が人々の権利を侵害する場合、それを打倒する権利がある

これでわかると思いますが、たとえ多数決で「権利を侵害していい」ということになろうが、それでも我々には権利があるのであり、侵害する政府を打倒する権利があるわけです。ただし、ロックはこうも述べています。

人民は些細な理由で政府を倒してよいのではない。だが政府が継続的・重大に権利を侵害するなら抵抗権が生じる。

米独立宣言(1776)

米国はもともと英国の植民地でしたが、大きな不満を持ち、独立することにしたわけですね。「英国が嫌だから独立します」ではなく、「政府が本来の役目を果たさなくなったので、人民にはそれを改める権利がある」と論じました。そして、独立宣言を出します。

アメリカ独立宣言・全訳アメリカ独立宣言(口語訳は下の方に)

独立宣言はジョージ三世の悪口が7,8割を占めるので、これを省略して超意訳版を作ってみました。要点としては、だいたいこんなところでしょう。

我々は今、英国から独立しようとしている。その理由を世界に説明したい。

我々は、次を当然の真理と考える。人は平等に生まれ、創造主(Creator)から与えられた権利を持つ。生命を守る権利、自由に生きる権利、自身の幸福を追求する権利、これらの侵すことのできない権利である。

政府とは、これらの権利を守るために作られるものである。政府が正当な権力を持つのは、統治される人々の同意に基づく場合に限られる。

したがって、もし政府が本来の目的を忘れ、人々の権利を侵害するようになれば、人々にはその政府を改める権利がある。それでも改善されないなら、その政府を廃止し、新たな政府を設ける権利がある。

もちろん、政府は簡単に倒すべきではない。多少の問題で革命を起こせば、社会は混乱してしまう。人々は通常、多少の不都合には耐えるものである。

しかし、権力者による権利侵害が繰り返され、人々を支配し、自由を奪い、専制政治へと導こうとしていることが明らかになれば、その政府を取り除くことは人民の権利であり義務である。

我々は長い間、英国王に対して改善を求めてきが、聞き入れられることはなかった。

したがって、我々はここに宣言する。

これらの植民地は、今や自由で独立した国家である。英国王への忠誠義務はもはや存在しない。私たちは独立国家として、戦争を行うこと、平和を結ぶこと、同盟を結ぶこと、貿易を行うこと、その他、独立国家として当然に持つすべての権利を有する。

そして我々は、この宣言が正しいことを神と世界に誓い、互いの生命、財産、そして名誉をかけてこれを支持する。

米独立宣言が、まさにロックの思想を体現していることがわかります。

ロック『統治二論』 独立宣言
人間は生まれながらに自由で平等である すべての人は平等に創造された
自然権を持つ 奪うことのできない権利を与えられている
生命・自由・財産 生命・自由・幸福の追求
政府は自然権を守るために存在する これらの権利を確保するために政府が設けられる
政府の権力は人民の同意に由来する 正当な権力は被治者の同意から生じる
暴政には抵抗・革命できる 政府を変更または廃止するのは人民の権利である

仏人権宣言(1789)

仏人権宣言別訳。この超意訳版としてはこうです(細かい点は省略)

第1条 人は自由で平等

人間は生まれながらに自由であり、権利において平等である。社会的な違いが認められるとしても、それは皆の利益のためでなければならない。

第2条 国家の目的

国家や政治組織の目的は、人間が本来持つ権利を守ることである。その権利とは、自由、財産、安全、圧政への抵抗である。

第3条 主権は国民にある

すべての政治権力の源は国民である。国王や貴族が生まれつき支配する権利を持つわけではない。

第4条 自由とは何か

自由とは、他人を害さない限り、自分の望むことができることである。自分の自由は、他人の同じ自由を侵さない範囲で認められる。

第5条 法律の役割

法律は社会に害を与える行為だけを禁止できる。法律で禁止されていないことは自由であり、法律で命じられていないことを強制されることもない。

第6条 法律は国民全体の意思

法律は国民全体の意思を表したものである。すべての国民は、自らまたは代表者を通じて法律づくりに参加する権利を持つ。法律はすべての人に平等でなければならない。公職は身分ではなく能力によって開かれるべきである。

(略)

第10条 思想・信仰の自由

宗教を含む個人の考え方を理由に迫害されてはならない。ただし、その表現が公共の秩序を乱さない限りにおいてである。

第11条 表現の自由

意見を述べる自由、発言する自由、出版する自由は、人間の最も貴重な権利の一つである。ただし、その自由の濫用には責任を負う。

第12条 公権力の存在理由

人権を守るために公的な権力が必要である。しかしそれは支配者のためではなく、国民全体の利益のためである。

(略)

第16条 憲法とは何か

権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていない社会は、憲法を持つとはいえない。

※「たとえ『憲法』という名前の文書があっても、人権保障と権力分立がなければ、近代立憲主義の意味では真の憲法とはいえない」という意味

第17条 財産権

財産権は神聖で侵すことのできない権利である。公共の利益のためにどうしても必要な場合を除き、財産を奪ってはならない。また、その場合には正当な補償を支払わなければならない。

ロックの思想を基礎としつつ、モンテスキュー(後述)やルソーの思想も取り込んでいます。。ざっくり言えば、こんなふうにまとめられるでしょう。

人間は本来、自由で平等であり、自然権を持つ、国家はこの自然権を維持するために作られるものである。人間の権利が国家を正当化するのであって、国家が人間の権利を創造するのではない。

近代立憲主義

ここで近代立憲主義が登場するのですが、ここまでの流れと今後の流れはこうなります。

  • 自然法思想→人間には自然権がある
  • ロック→国家は自然権を守るために存在する
  • 米独立宣言→だから権利を侵害する政府は倒してよい
  • 仏人権宣言→国家の目的は自然権の保全である
  • 近代立憲主義→そのために国家権力を憲法で縛ろう
  • 日本国憲法→人権保障・国民主権・権力分立を具体化 

※もちろん、既に仏人権宣言には近代立憲主義の思想が盛り込まれています。

それまでの国家では、権力者が支配の主体であり、人民は統治の対象でした。もちろん、王政であっても王が守るべき伝統や慣習はありましたが、あくまでも統治の主体は王などの権力者だったわけです。

ロックらが現れ、さらには米革命や仏革命などを経て、人間は本来、自由で平等であり、自然権を持ち、国家はその自然権を守るために存在するという考えが広まったわけです。

しかし、それだけでは不十分でした。モンテスキューが考えたことはこうです。「善人が権力を持つのであれば大丈夫」ではなく、「人間は誰でも権力を持つと濫用する傾向がある」と。要するに、悪く言えば権力者性悪説、よく言えば、人間性不信に基づく制度設計です。

この仕組みとしては、

  • 国民から国家権力に課したルールとしての憲法
  • 権力の集中を防ぐための三権分立(立法・行政・司法)

要するに、もともとは国民の総意によって、国民の人権を守らせるための政府を作るわけですが、権力者は必ず暴走する傾向があることを鑑み、国民からの政府に課すルールと、権力集中を防ぐ仕組みを作ったわけです。

国家は自然権を守るために必要である。しかし国家もまた自然権を侵害しうる。だから国民は憲法によって国家権力を制限し、さらに権力分立によって暴走を防ぐ仕組みを作った。これが近代立憲主義の核心です。

日本国憲法

ざっくりこんな流れで日本国憲法まで到達するわけですが、これを一文にしてみると以下です。

 日本国憲法とは、「人間には生まれながらの権利があり、国家はその権利を守るために存在する。しかし国家は暴走する可能性があるため、憲法によって国家権力を制限する」という近代立憲主義の考え方を具体化したものである。国家のために国民がいるのではなく、国民のために国家があることを宣言している。

さて、学校の教科書などでは、「憲法とは国の基礎を定める最高法規」と教えられることが多いようですが、間違いではないけれども、不十分であることはわかると思います。

  • 憲法とは国の基礎を定める最高法規

ではなく、

  • 人権の保障のために国家を設計する。そのルールが憲法である

ということです。何度でも書いておきますが、近代立憲主義において、国家の目的は人権の保障です。憲法はその目的の実現のために存在するのです。

 

 

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