国は必ず人権を侵害する
何度でも書きますが、人権は最上位にあります。この社会における最高価値ですね。人々はこれを守るために国を作ったはずで、それが近代立憲主義の根本原理です。国とは単なるサービス機関にすぎません。
しかし、「国」は、アナーキストたちが言うように、必ず人権を侵害しにきます。アナーキストに言わせれば、それが国というものの本質なのです。
もちろんこの理由としては、「国に巣食っている者達」がよりいい思いをするためですね。これはもう古今東西行われてきたことが事実なのですが、現代でも未だにこれが画策されている事実には驚きです。ここに気づかないとやばいですよ。
しかし、人権を強制的に捨てさせるのは難しいですね。強制しても必ず反乱が起こるからです。
ですから、現代では、「あなたの人権を強制的にとりあげます」とは決して言いませんし、「我々がいい思いをするためです」とも言いません。
「国」とは一体何者か?
「国」とは単に我々の人権を守るためのサービス機関にすぎません。そして、民主主義国家では、その方針を皆で決めていることになっています。しかし、そこには大きな問題があり、「国に巣食う者たち」の目論見が影響していることは誰が見ても明らかでしょう。簡単に言えば、
- 大衆の思考をコントロールできさえすれば、「国」が好き勝手しようが、人々はそれを納得してしまう。そもそも民主主義だと思っているので、自分たちが決めたと思い込んでいる。
ということです。「国」は「俺達」と言い換えてください。ここを間違えないでほしいのですが、せいぜい数十年の短期間だけやってるような政治家たちが、忙しい合間をぬって「いい思い」をするためではないのです。さらに彼らは、ちょっと「いい思い」をすると、たちまち捕まったりしますからね。
では、「国」つまり「俺達」とは誰なんでしょう。しかも、連中は政治家の任期をはるかに超えて執拗に人権剥奪を目論んでいたりします。
例えば、統一協会・勝共連合ですが、彼らは1970年代後半からスパイ防止法制定を目指し、政治家や様々な人間を巻き込んで作らせようとしました。そして、1985年に政治家や有力者を操って法案を提出させましたが、結局廃案。しかし、40年も経過して今また多くの政治家を操って作らせようとしていますね。この執拗さの原動力は一体何なのでしょうか?もちろんこれも「スパイを防止する」を言い訳にして人権を剥奪するためです。誰がどういう理由では後まわしにして先に進みましょう。ただし、もちろん単なる想像にすぎませんよ。
最高の人権剥奪方法
最高の人権剥奪方法は、自主的返上です。その基本パターンとしては、以下の二つですが、これらは互いに絡み合ってもいます。
- 恐ろしい敵に国が対抗し、我々を助けてくれるので、我慢しなければならない。
- 個人よりも国の方が重要であり、我々はそれに尽くさねばならない
1.はよく行われている手段ですね。例えば、コロナ詐欺デミックを考えてみれば明らかでしょう。
恐ろしい感染症が徘徊していると主張され、「皆でそれに対抗するため」と言って、我々はマスクや後にはワクチンを「半ば」強制され、あらゆる活動が「実質的に」禁止されてきたわけです。ただし、諸外国とは異なり、日本では政府による「強制」はできませんでした。日本国憲法の人権条項が強力すぎるからです。もし政府が強制などしたら憲法違反です。
しかし、逆に日本の「俺達」にとっての強い味方がありました。それは「同調圧力」です。コロナ真っ盛りの頃を思い出してください。例えば、マスクをしていない者を自主的に非難したり、排除する者、他県ナンバーの車に嫌がらせする者などが自発的に発生していましたね。あるいは、時短を無視して営業していた店に何度も役人がやってきて嫌がらせを続けたという話も聞いています。もちろん、彼らは「営業を禁止」することはできないわけです。
※念の為ですが、私は2020年4月から、新型コロナウイルス、あるいは他のウイルスと呼ばれるものについて、素人の立場から徹底して研究してきました。その結論としては、「ウイルス学における証明なるものすべてが科学として成立していない」と確信しています。ウイルスと呼ばれるものが存在しないことは証明できませんが、現代ウイルス学におけるウイルスの存在証明、病原性などはすべて誤りであると確信するものです。
さて、ここでわかることとしては、
- 憲法の人権条項がある限り、政府や役人はそれを侵すことができない。
- しかし、人々は他者の権利を理解できておらず、平気でそれを侵害する。同じ考えの者が多いほど簡単になる。
ということです。
つまり、日本においては、憲法よりも同胞による同調圧力の方が強いのです。したがって、「俺達」が好き勝手をしたい場合には、憲法を変える以前に、特定の思想を大衆に吹き込む方が簡単になります。これにより、人々が互いに他者の人権を剥奪しあってくれるわけです(もちろん、昨今では「憲法を変えるべき」という思想を吹き込んでいますが)。
そしてもちろん、この日本的な人権剥奪方法は、日本社会特有のものと言えるのかもしれません。人権とは(6):日本国憲法以前の日本人の人権意識にて論じたように、日本人にとっての人権の概念は、ある日突然上から降ってきたものであり、日本の歴史の中で育まれたものではないことが一番の要因かもしれないと考えています。
さらに、学校教育においても、この哲学的概念と日本国憲法のつながりが全く教えられていないことがありますね。
再度ここで、私の翻訳書籍『認知戦争・認知支配の全貌』の『ジェームズ・コーベットへのインタビュー』から紹介してみます。彼は20年近く日本に住み、最初は英語教師として、現在は世界的ジャーナリストとして活躍しています。
この違いは、おそらく詐欺デミック(scamdemic)への反応を見ればとても明快でしょう。米国や他の西側諸国では、マスク、ロックダウン、ワクチン接種などが法律や命令として強制されました。日本では、ロックダウンは法的なものではなく、マスク着用の法律はなく、ワクチン接種も法的義務はありませんでした。
にもかかわらず、結果はもちろん、ほぼ同じでしたね。日本人のほぼ全員が、ほとんど常時マスク着用、法的権利としてマスク非着用を主張した人は、嫌がらせを受けたり、不当逮捕の例すらありました。そして、日本のワクチン接種率は世界最高レベルになったんです。
興味深い点として、もし西側で法的強制がなかったら、おそらく従う人は大幅に少なかったはずです。その一方、日本では人々は自ら進んで行動を律し(self-police)、少なくとも社会的調和を保つために受け入れて従うのです。
個人より国が重要
そして、自主的人権返上戦略の第二の柱としては、「個人より国の方が重要」という思想を吹き込むことです。
よく「国に誇りを持て」とか言われますよね。これはどういうことでしょうか?この言葉の裏側にある真意としては、「国が最高価値である。民ではない」です。私はそう解釈します。
そして、その「最高な国の一員である自分」に満足しろということです。お前は、小さく弱く、くだらない存在だから、国と一体化して自分を支えてもらえということなのです。
ですから、「その最高価値を守るために、お前の人権はとりあえずナシにしとこうか、戦争することもあるだろうし、いちいち人権人権言われたらかなわん」みたいな感じです。で、「俺達がいいって言ったときに人権があることにするからな」みたいな感じですね。
そして、ここで言う「俺達」というのは、当然「国」ではありません。「国」が口聞いたり、指示したりするわけではありません。
余談ですが、ネトウヨなどは、そう思い込んでるみたいですよね。年中「国が国が」と言ってますが、国が口など聞けないことを知らないようです。もちろん、特攻隊員などについても、もはやその心情などわからないのに、勝手に心情を慮ったりしていますね。
ともあれ、ここで問題が起こります。「そう思え」と強制したところで反発が来るだけです。そうですよね?ですから、国民の皆さんが自主的にそう思ってくださるように仕向けるのです。これは歴史的には偶然起こったようですが、現代の「俺達」は確実にそのやり方を知っています。
私が思うに、このベストな方法を解説したのが、エーリッヒ・フロムによる1942年の本「自由からの逃走」です。
(続きます)





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