平面信者の姿とその問題は、他の信者とも共通します。ネトウヨ、歴史修正主義、高市信者、トランプ信者、参政党、共産党などすべて同じです。おかしな信念が先にあり、その信念の都合にしたがってトンデモを組み立てていきます。もちろん、不都合を一切見ないか、あるいはアドホックな説明(その場限りの言い訳)で切り抜けます。つまり、どんな事実があろうが無視されます。
彼らにとっては、事実よりも己の信念の方がはるかに重要です。こういった人たちの精神構造に共通するものは、その信念と自分とを切り離すことができない点です。信念が破壊されることは自分が破壊されることを意味するのです。
しかし、他の信仰とは異なり、平面説は極めて悪質です。平面説においては、思想の入る余地などまったくなく、客観的事実か否かでしかないのに、思想になってしまっている点です。
さらには、球体か平面かなど、我々の人生にはまったく無関係なのに(少なくとも地球規模の活動には無関係な人には)、同じ洗脳済信者させるべく流布しようとし、拒否すると上から目線で侮辱することです。この時点で、他の信仰と同じになってしまっています。しかし、そもそも平面説は思想はまったく無関係なのですから、平面信者は、極めて重い精神的問題を抱えていると言えるでしょう。
逆に言えば、平面説というのは、非常に興味深い症例と言えます。事実か否かでしかないのに、それが宗教化してしまうという極めて珍しい例です。
平面信者の姿
平面信仰とは、信仰するかしないかです。彼らにとっては、事実か否かなど、どうでもいいことです。ここには、すべての信仰に共通する精神構造があります。信仰によって、「その辺の一般庶民とは違う、世界の真実を知る私」という自己イメージが形成されるのです。
事実と論理による検証などできず、ただの信仰なので、質問に答えられず、批判への反論もできません。ダニング・クルーガー効果により、能力が低ければ低いほど世界が狭いため、逆に何でもわかっている気になるのです。
その一方で、布教には熱心です。自らの無知ぶりをひけらかしているのが平面信者というものです。
「球体なら見えないはずのものが見える」と主張する一方で、太陽が沈むことには無視を決め込みます。まさに御都合主義です。
お気持ち理論
平面説とは、「地球が球体であるはずない」「ボールの裏側に水が張り付いてたり、人が住んでるはずがない」と言った信者の「ただのお気持ち」から生じています。
その「お気持ち」に都合のいい設定をしただけの代物が平面説というものです。特に、近距離天体モデルと重力不存在説は重要です。この設定をしないと、平面は絶対に維持できないからです。
これらは観測事実から導き出されたものでは一切ありません。単に「お気持ち」にとって都合がいいように設定されただけ、ただそれだけなのです。
近距離天体モデルの矛盾
近距離天体モデルが成立しないことは明らかです。ロケット、飛行機、高価な測定機材を持たない素人であっても、少しでも考えればわかります。
点光源である太陽がこんな範囲を照射できるはずがありませんね。
月が近距離にあるなら、裏側まで見えてしまうはずです。もちろん、太陽黒点も観測地によって別のものが見えるはずです。
太陽が近距離であれば、近づいたときは大きく、遠ざかったときは小さく見えるはずです。遠近法というものです。
北極星が近距離であれば、その高度など簡単に求まるはずです。どこで観測しても、一意になるはずですが、なりません。もちろん、太陽・月に関しても同じです。19世紀からやってるのに、こんなものが、なぜ未だに「諸説あり」になるんでしょうか?
平面地図上に太陽軌道を描いてみれば、観測事実とまるで合致しないことはすぐにわかるはずです。
南半球の星空を見れば、平面地図自体が成立しないことは、誰でもわかると思うのですが。こんな簡単なことがなぜわからないのかこちらとしては理解できません。不可解極まりない話です。
太陽が近距離であれば、近づいた時にはその見た目の角速度は速くなるはずですが、実際にはそうなりません。
重力不存在説のトリック
「重力はある!」ことを素人レベルで証明するのは、なかなか難しいですが、平面信者が使う言葉自体が誤りです。他者の主張を鵜呑みにしているだけで、自分の頭で考えたことがないので、こういった主張を平気でしてしまいます。
自己洗脳の信者
平面信者というのは、自ら進んで洗脳されてしまっている好例です。何も考えない自らが洗脳済であるにも関わらず、傲慢にも、他者を「洗脳されてる!」と非難します。自らの愚かさには気づかないのです。














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