林千勝著、経営科学出版の書籍『広島・長崎 悲劇の正体』はウソだらけです。この記事では、林がどのような手法でどのようなウソをついているのか、まとめておきます。
この本の一部をこれまで詳細に検証してきましたが、敷居が高いという人もいるかもしれません。本記事をまととしておきます。まだ検証していない部分も残っていますが、検証できしだい本記事に適宜追加していく予定です。
林の騙しの手口については、二年以上前の2024/5の時点で有馬哲夫氏(早稲田大学名誉教授、公文書研究者)も指摘するところです。もちろんこの時点で林は「原爆はなかった」までは言ってないようですが、本書もまた有馬氏の指摘するところとまったく同一の手口と言えます。

私としては、ここを見る方にはこの本『広島・長崎 悲劇の正体』を是非おすすめします。林千勝という人物が、いかに大嘘つきのデタラメな人間か、この本と以下の記事をあわせて読めば明らかになるからです。
このデタラメぶりには大笑いできることうけあいであり、逆に「原爆はあった」と確信できるでしょう。これほどの印象操作とウソをつかないと「原爆なかった論」は成立しえないのです。
経営科学出版の直販のみです。文字はスカスカで、404ページ、価格は送料込みで4,730円となっております。あるいは古書マーケットですが、これほどひどい本にも関わらず、それほど価格が下がっていません。もし買えば、その内容の薄さにがっかりすること間違いなしですが、林のあまりの嘘つきぶりを確認したい方には是非おすすめします。買ってください!
第1章 マンハッタン計画のスタート(P12)
P14:「原爆完成は数年先」の衝撃報告」
1945年5月末、米国における原爆問題に関する秘密の最高指紋会議「暫定委員会」で、アーサー・コンプトン博士が、プルトニウム方原爆の完成は1949年1月以降と報告・進捗を繕っていたが、ウラン型原爆の完成も報告されていなかった。
これは、この会議議事録の前後の文脈を無視し、コンプトンの一箇所の発言だけをとりあげて極解したもので、まったくのウソです。
第二段階の産物から製造される爆弾は、まだ実際の運用によって実証されてはいなかったが、そのような爆弾は科学的に確実なものと考えられていた。ある種の技術的・冶金学的困難があるため、1946年1月から起算して、この第二段階を実証するには1年半かかると見積もられていた。また、プルトニウムを大量に得るには3年かかると見積もられ、競争相手が我々に追いつくには、おそらく6年かかるとされた。
詳細は、原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(13)〜1945/5/31暫定委員会の極解をご覧ください。本会議議事録の前後、この会議以前・以後の会議議事録を見れば、林の主張はまったく成立しないことが容易に理解できます。
P16:(ジェームズ・コナントは)1961年に来日し…偽装原爆教育プログラムを指導したと見られる。
何のリファレンスも証拠も示されていません。林は自らのただの妄想に合致するように、推測してみせているだけです。
第3章 トリニティ実験の不都合な真実
広島型はウラン・ガン方式というもので、「実験の必要もない」ほど科学者は確信しており、大規模な爆発は広島が最初でした。つまり、ぶっつけ本番だったのです。
しかし、長崎型のプルトニウムにはガン方式は使えず、爆縮方式に決定しましたが、うまく動作するかわからなかったため、8/9長崎投下に先立ち、7/16にこの方式の実験をしたのです。林はこれも偽装だとします。
P25:しかし、完成していないのだから、TNT火薬を30メートルの高さの鉄塔条で爆破し、原爆実験を偽装したのであろう。
林は、この鉄塔の上に「原爆ではなく、TNT火薬を置いたのだろう」と言っていますが、この鉄塔の上に物理的に置けるTNTの量は、せいぜい事前実験で使用された100トン程度です。これは林自身が掲載している写真の、事前実験(5/7)におけるTNT火薬の量と、鉄塔の頂上の小屋の大きさを比べれば誰でもわかることです。
つまり、こういう経緯です。
- 5/7:様々な検証、検出器の校正などのために、TNT100トンを使った事前実験(地上6m)
- 7/16:長崎型プルトニウム爆弾Fat Manの兄弟とも言えるGadgetを地上30mの鉄塔の上で爆破
- 8/9:長崎Fat Manを投下
詳細は、原爆なかった論の戯言:Trinity実験の偽装は不可能をご覧ください。さらに林はこう書いています。
P26:この実験により、…爆心地から80キロメートル離れた場所(の)…少女12名が被爆したとされる。彼女らの証言では、「早朝に大きな爆発衝撃→何人かがベッドから落ちた…
当然ですが、TNT100トンでは80km先にまでこんな衝撃を及ぼすことはできません。さらに、実際の彼女らの証言も「偽装爆発」では説明がつきません(先の記事にて説明しています)。
第4章 見捨てられた重巡洋艦インディアナポリス
P29:テニアン島にリトルボーイ(あるいは偽装原爆一式)運び込んだ…(その後)日本の潜水艦伊58に沈められた…意図的か、救助は遅れに遅れ…口封じのための見方もある。
「口封じのための見方もある」とは、誰の見方ですかね?ただの印象操作です。何の証拠も示されていません。この件については、原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(3)〜印象操作と誘導の方法にて説明しています。
第5章 パンプキン爆弾群の役割
P32:しかし、パンプキン爆弾は、ファットマン投下訓練に偽装された、複数機による複合爆弾投下訓練のために使われたのではないか、と疑われる。
(略)
同時期に13機もの多数機が訓練を受けるのは、ピカドン(核爆発)訓練としては違和感がある。
これも原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(3)〜印象操作と誘導の方法にて説明していますが、一言で言えば、まるで論理的な辻褄があっていません。
第6章 母なるエノラ・ゲイの発進
P37:(広島原爆を投下したエノラ・ゲイ機長の)低ベッツ大佐が最後に行った状況説明の言葉は次の通りだ。
「『ギミック』(からくり)が誰かの単なる荒唐無稽な夢かもしれないと考えながら、自分たちのしていることの意味が分からないことがいかに大変なことであったか」
これが何を意味するのか林は全く説明していませんが、おそらくは「ティベッツは偽装原爆であることを知っていた」とでも言いたいのでしょう。しかし、ティベッツ自身がこの言葉を発したというのは、まるでウソです。そんな記録はありません。これも原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(3)〜印象操作と誘導の方法にて説明しています。
第7章 広島、あの日のB29の目撃証言
『Hiroshima Revisited(偽装された原爆投下 広島・長崎原爆の物理学的・医学的エビデンスへの再検討、原田輝一訳)』という本が林の元ネタと思われますが、この著者のミヒャエル・パルマーも認めています。原爆ではなく、通常爆撃でこれほどの被害を出すにはB29が220機必要であると(米国戦略爆撃調査団〜USSBSの推定)。これについては、このシリーズの最初の記事原爆なかった論の戯言:原爆の偽装なんてできるの?大編隊による通常爆撃の無理筋で論じています(この当時、林の本は未読でした)。
しかし、当然ですが、パルマーはこんな大群のB29が8/6の広島上空に現れ、爆弾を連続的に投下していったことなど証明できません。言い訳しかできていないのです。
林もまた同じで、何の証明もできません。その代わり、この章でもまた印象操作のみによって読者を欺こうとしています。が、賢い読者ならすぐに見破れることでしょうね。8/6当日の別々の目撃証言をとりあげ、いかにも「多くのB29が来た」かのように見せかけています。もちろん、日本側の監視所による公式報告は取り上げません。そこには、事前偵察機(最大4機と思われる)以外には、エノラ・ゲイと観測機2機の3機しか記録されていないからです。
さらに林の悪質な点としては、前日の無関係な証言までとりあげて印象操作していることです。
P41:8月5日 午後9時27分
10機より成る編隊3個梯団が、豊後水道から広島湾上空に侵入し、市の上空を数十分旋回して、西南方に飛び去る[2]。
このB29が翌日8:15以降の爆撃に参加することはできません。単純に燃料が切れるからです。そして、この日には、宇部や今治などに爆撃が行われていたのです。この点については、原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(4)〜原爆投下前後に広島上空には何機の米軍機が来たのか?、原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(12)〜林の主張はトライライトゾーンの出来事で詳細説明しています。
第8章 果たしてキノコ雲か
この章では、キノコ雲がおかしいと言ってるだけで、何の証拠にもなっていません。
第9章 「原爆」映像の不都合な真実
検証するにも値しないでしょうね。ここで林の主張することはおそらく事実でしょう。つまり、これらの「記録映像」とされるものはフェイクであると。しかし、原爆がなかったことの何の証拠にもなりません。
また、ここでもキノコ雲について、「2本、3本になっている」と言っていますが、これも何の証拠にもなりませんね。お話にならないです。
第11章 日本は米軍による毒ガス攻撃を想定していた!
この章は、林の悪質さが特にありありとわかる個所です。原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(5)〜毒ガスを懸念したのは米国の方で論じましたが、要するにこうです。
P113:日本は米軍による毒ガス攻撃を高度に想定していた。そして、当然のことながら広島でも防毒体制が整えられていた…日本は第一次世界大戦の非人道的な毒ガス兵器の教訓をしっかりと研究し、対応を怠らなかったのだ。
林はこういう言い方でごまかしていますが、事実はこうです。
- 日本は中国で毒ガスを使い、多くの中国人に傷害を追わせ、殺していた。米国は使っていない。
- 1942年にルーズベルトは「使用をやめろ、やめないと同じ方法で報復する」と警告していた。
- ルーズベルトの警告以降、太平洋での使用は縮小したが、中国ではむしろ増えた。
- だから、「米敵機が毒ガスをまきにくるかもしれない」という懸念が日本側には常にあった。
- そのために『広島市永年防空計画』などを作成し、特に「防毒」つまり、敵機の毒ガスに対処するための指針が作られていた。
そして、後の章にも関係しますが、広島市民は「敵機が毒ガスをまくかもしれない」と思っており、原爆による煙や異臭を毒ガスと思った可能性があるわいけです。事実として都築博士は1955年にそう論文で記述しています。
さらに林は、ページ稼ぎのために、誰も読まないような当時の文書の写真を6ページにわたり掲載しています。ウェブ上にオンラインのPDFがあるにも関わらずです。
第13章 不都合な無数の真実 広島
『ヒロシマ』の不都合な真実
この章の最後部『ヒロシマ』の不都合な真実についてです。ジョン・ハーシーによる1946年の著書『ヒロシマ』についてこうあります。
P154:著者の意図に反して、ピカドンではなく大規模複合爆弾であることを示してしまっている個所が多い
実際には文脈を無視した悪質な切り取りです。また、切り取ったものの、なぜそれが「大規模複合爆弾」なのか、何の説明もなく、意味不明な点も多々あります。林のいつもの手口、印象操作にすぎません。原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(6)〜ハーシー著書の悪質な切り取りにて詳細を説明していますが、代表的なものを抜き出すと。
9頁「真夜中近いころ、B29約200機が本州南部に近接しつつあり」
第7章印象操作と同じです。真夜中に200機来たのは、その夜の宇部等への爆撃のためです。翌日の「大規模爆撃」の前には燃料が切れます。
64・80頁「アメリカ軍がガソリンをまいている」
極めて悪質です。単に被災者による推測でしかありません。しかも、これ以外に「何か可燃性のガスだったのではないか」「大規模な焼夷弾クラスターだったのではないか」「落下傘兵の仕業だったのではないか」という推測もあるのに、林は都合よくカットしています。
143頁「私達のうちの一部のものは、本爆弾を毒ガスと同一部門と考え」
発言の意図は明らかに、「核爆弾は毒ガスと同様の非人道的兵器だ」です。林は、好都合の個所を切り取ることにより発言の意図を捻じ曲げているのです。
第23章 毒ガス被害の実相
これについては、原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(7)〜林は「毒ガス」を証明できない(2)にて論じています。
P277:そして、「吐気」を始め毒ガス(硫黄マスタードガス)の典型的な症状が語られている。
林は何の証拠も示さずに「硫黄マスタードガス」と決めつけています。第11章には「日本側の毒ガス対策は万全だった」とあるのに、毒ガス検知器で検知したという事実も説明もありません。ただただ、「これは毒ガスの症状だ!」とか「硫黄の臭いがした」というだけなのです。ちなみに、硫黄マスタードガスに硫黄の臭いはありません。こんなことも知らないのです。
この章の代表的な印象操作は以下の証言です。林はこれが毒ガスの症状だというのです。
P279:私は、九月下旬まで、べったり床に就いた。わけても、九月はじめからの一週間は、人事不省となった。その間、何度か生死の間をさまよい親族が寄り集った。頭髪が脱け、歯ぐきがはげしく痛んで、多量のよだれが流れ出た。四十度を超す熱が、連日のように出た。…母の執念ともいえる食事療法によって、私は九月中旬をすぎると、にわかに体調が回復し、食欲がでてきた。それからの毎日、私はガキのように南瓜とイモツルを食べつづけた。
しかし、この人は8/6に爆心地近くにおり、いったん江波(3,4km)に避難、8/8にいったん爆心地に戻り、そのまま故郷(65km)に戻りましたが、8月28日頃から急に脱毛+強度の発熱、9月初めから約1週間、人事不省(意識不明)になったのです。明らかに毒ガスの症状ではないのです。
林は都合の良い部分しか見ていないので、この証言者が毒ガスではなく放射線障害であることも理解できていないのです。
第27章 都築正男教授の戦い、あれは毒ガスだ
林はこの章で、都築正男帝国大学教授が「毒ガス」を主張したがために、公職追放されたかのような架空のストーリーをでっち上げています。当然ですが、まるでウソです。林のいつもの手口にすぎません。
このあたりは、以下で詳細に説明しています。すべて一次資料をもとに論じたものです。
- 原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(8)〜林は「毒ガス」を証明できない(3)
- 原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(9)〜林は「毒ガス」を証明できない(4)
- 原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(10)〜1964年中国新聞の記事はトンデモ
- 原爆なかった論の戯言:林千勝の大嘘(11)〜都築論文の変遷
経緯をざっと説明すると以下になります。再度ですが、すべて一次資料のある事実ですよ。
ただし、林が自身の主張の裏付けとして引用している1964/7/29の中国新聞記事には明らかな誤りと一次資料で確認できない点がそれぞれ複数個所あり、信用に足るものではないと判断できます。これは除外します。
- 1945/9/8:都築は論文にて、原爆の障害作用を4つに分類した。光および熱の威力による障害作用、器械的威力による障害作用、放射能の威力による障害作用(これが最も長い)、そして未知の威力による障害作用。最後の点については、GHQの検閲があり、林によれば、「爆発に伴う毒ガス様物が認められることであり、これらの毒物によって死亡された犠牲者のあったことは想像に難くない。次にこの爆発が故意に毒ガス様物を発散する様作られていたかどうかということは、目下のところ何らの手がかりを得ていない。適当な機会があればアメリカ側に聞いてみたいと思っている。」との記述だったという。
- 1945/9/9:都築はファレル准将に聞いてみたが、ファレルは真っ向から否定。これを本国のグローブズにも伝える。
- 1945/9/12:ファレルは声明を出す、「都築博士には、そのような想定はまったくの誤りであるとの公式な説明がなされた。毒ガスは一切放出されなかった。 」
- 米側の意図としては、間違いなく「我々は国際法違反の毒ガスは使っていない!」ということ。また、日本を占領するにあたり、「危険なレベルの放射能はない」とも言いたかった。
- 1945/10/1:この日付の論文では、9/8よりも記述が大幅後退。「爆発によって避けられずに発生したものとも考えられますし、あるいは、意図的にそれを発生させるために作られたものとも考えられます。この点については、次のようにも考えられます。つまり、原子爆弾は、故意に毒物を散布するように作られていなくても、ガンマ線や中性子などによって空気が電離することでイオンが発生し、さらにさまざまな窒素化合物が生じることがある。その場合、刺激作用が強ければ、死に至らせることもあり得る。」とある。
- 1946/6頃:都築の公職追放が決定される。理由は、「6年間海軍軍医をしていたこと」であり、都築自身もそれを説明しており、帝国大学を辞職しているのです。
- 1946/11下旬頃:都築はそれ以降も活動を継続しており、米が設立したABCC(原爆傷害調査委員会)に最初から協力していた。暫定所長のジェームズ・ニールなどと撮影した写真多数。
- 1947/1/5:ABCC側からGHQに都築の措置の停止を求める要請。調査には都築の力が必要だとの意図。
- 1947/3/24:GHQが都築に対する特別措置。公職追放免除を与え、研究継続を認める。
- 1947/7/16(この日付は曖昧):GHQが上述の免除を取り消し。GHQの文書には、「1947年7月17日、政府課次長ケーデス大佐と公衆衛生福祉課長サムズ大佐との間で行われた協議において、サムズ大佐は、都築の職務上のサービスはもはや必要ではないとの見解を表明した。また、都築の一時的留任について認められていた期間は終了までなお約2か月残っているものの、直ちに解任すべきであるとの意見を述べた」
これらの一次資料を見てみると、都築論文のわずかな「毒ガスの可能性」とファレルとのやりとり以外には一切「毒ガス」という言葉は出てきません。都築の公職追放、免除、免除取り消しは毒ガスとは無関係であることが明らかです。
さて、林は1955/9の都築の講演をも参照し、印象操作をしています。
毒ガスという言葉を使うと、アメリカが国際法を違反したと考えられる、毒ガスというものは使ってはいけないと、細菌兵器も使ってはいけないという事が国際法に明記してある…毒ガス傷という言葉を出すという事はいろいろ誤解を起こすからどうしてもこれはやめてくれ、とこういうわけであります。
これがどうして「毒ガス隠し」になるのか、理屈が通っていませんが、林の極めて悪質な点としては、同講演で都築の語った以下を無視し、引用していないことです。
アメリカがいけないということになりましたので、今になって考えてみると、理屈はともかくとして、広島の人々が「ガス、ガス」と言っていたのは、自分たちが実際に感じた感覚を非常によく表現していたのではないかと思います。
もちろん、広島の人々がなぜそれを「ガス」と呼んだのかというと、目や鼻や口などを非常に強く刺激するような、ひどい悪臭を伴った刺激性の、息もできず胸が詰まるような空気が、その場所いっぱいに充満していたという感覚があったからでしょう。そのため、「何か毒ガスなのだろう」ということになったのだと思います。
まあ、当時は皆が「毒ガス、毒ガス」と言っていて、防空の隣組などでも、毒ガスについていろいろ教育を受けていましたから、そういう理解になったのだろうと思います。
これが第11章につながってくるのです。人々が煙や異臭に直面したときに「毒ガスだ!」と思った理由は、こうです。
日本軍が中国大陸で毒ガスを使い多くを傷害・死亡させ、1942年にルーズベルトから「やめないと同じ手段で報復する」と言われており、『広島永年防空計画』などでも「敵機が毒ガスをまくおそれがある」とされ、民間人レベルで「敵からの毒ガスの脅威があるかも」という認識があったからです。
無知蒙昧なのか、故意なのか林は、この点を一切説明せず、単に「P113:日本は米軍による毒ガス攻撃を高度に想定していた。そして、当然のことながら広島でも防毒体制が整えられていた…日本は第一次世界大戦の非人道的な毒ガス兵器の教訓をしっかりと研究し、対応を怠らなかったのだ」と、ごまかしています。
つまり、ここでは、林による印象操作を、林自身が引用する都築博士が破壊してしまうという構図になっているのです。まったく人生うまくいかないものですね。残念でした。


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